03 幻視。解かれた封印、蘇える幾万もの過去
「なあ、暇だな」
「おう、暇だな」
「ええ、暇ね」
ヴェルトマン団長の裁定が下されてから既に三か月の時が過ぎていた。国境の一番深い森の監視哨に飛ばされた三人にとって、外部との接触は生活必需品を搬入する団員のみ。といってその団員との会話も無く、外部の情報は噂話一切入って来なかった。
ルチル達三人は、定時哨戒以外これといってする事も無く、ただただ時間を持て余すだけだったのだ。
「なあ、暇だな」
「おう、暇だな」
「ええ、暇ね」
今日何度目になるか分らない、繰り言がまた繰り返される。このままでは、侵入者による侵略が彼方此方で行われ、それに対処できないという焦りもとうに枯れ果て、最近はなるようにしかならない、という諦めの境地に達っした三人だった。故に……
「なあ、暇だな」
「おう、暇だな」
「ええ、暇ね」
一時間に一回は、そんな会話にならない会話が繰り返されるのだった。
「なあ……」
「ちょっと待って。もう止めよう。私も同じ気分だけど、だからってこのまま無為に過すのはもったいない」
ルチルは、無気力に陥いりそうな気分を自ら鼓舞するように断ち切ろうとした。
「まあ、言ってる事は分るけど、じゃあどうしたら良いの?」
ロゼは、拗ねたように言い返す。
「う〜ん、何にも思い付かないね〜」
考えた振りで、その実何も考えていないディムが応じる。
「ねえ、この三か月、平和よね」
言い出した手前、ルチルは何とか話題を提供しようとした。平和の定義にも拠るが、確かにこの三か月、侵入者は影も形も見せなかった。
「まあ、そうだな。と言っても俺達は明らかに情報を制限されてるからなぁ。本当に平和かどうかは分かんねぇな……」
「そうよね。何かあってもあたし達に知らせる事は無いだろうし……」
「それは、無いと思う。って、今気が付いたけど、ディムは"僕"じゃなくて"俺"で、ロゼは"私"じゃなくて"あたし"なのね?」
二人の自分呼びが何時もと違う事を態と突っ込んでみたルチルに、二人は頭をかく。
「今それはいいから、話を続けて? ルチル」
ディムの返しにルチルは苦笑いで頷く。
「ええと、侵入者が現れたとしたら、直ぐにでは無いかもしれないけど、兵団から私達に接触があってもおかしくないと思わない? 幾ら疎まれていようと侵入者に詳しいのは私達なんだから。そう考えると、本当にこの三か月、何も異常は起こらなかったっていう推測が成り立つんじゃないかしら」
ディム、ロゼ共に複雑な顔でルチルを見詰める。
「うーん、何も起ってないっていうのは賛成だけど。何かあったら連絡をくれるというのは、あたしには希望的観測っていうのに思えるけど?」
「ああ、俺もロゼの意見に賛成。俺達はそれ程迄に嫌われてるってのに一票入れるな」
「二人とも、本当にネガティブになってしまったわね」
「「この状況じゃね〜」」
一日二回の定時哨戒以外、特にする事も無く、新しい情報も無いこの三か月は、三人の心をじわじわと腐らせていったようだ。
「やっぱり、そうなのかしら」
ルチルも半分以上はそうではないかと思ってはいたが、残る半分では、何かあれば私達に声が掛かると未だ期待していたいのだった。
「ところでさ。この間面白いものを見付けたんだけど」
ディムが新たな話題を提供した。ルチルが、場の雰囲気を変えようとしてくれた事へのお礼の様だった。
「何時の話? その時なんか言ったっけ?」
ロゼもそれに乗っかる事にした様だ。
「う〜ん、三日前かな。ほら隣国との境まで行っただろう?」
「うん、それで?」
「あの時は、危険なものじゃなさそうだったし、放っといてもいいかな? て遣り過したんだけど、今考えると面白いかなって思ってさ」
何かを見付けたなら捨て置いて良い訳が無いのだが、と思うルチルも、仕方ないか、と考え直す位にはやさぐれていたようだ。
「それで、何が如何面白いのかしら?」
ルチルが先を促す。
「うん、哨戒って基本的に危険なもの、害意の有るものを探すんだけど、あれはその真逆のものでさ。害の反対だから益? 恵? そんな感じのものがあったんだよね」
「へ〜、そうなんだ」
ロゼの心には響かなかったようだが、ルチルには何か訴えかけてくるものがあった。
「三日前の国境というと、此処から真っ直ぐ南へ向った所の綺麗な緑色の湖があった所かしら?」
「あー、そこそこ。あの綺麗な湖を通った時に見付けたんだよ。多分、湖の底にあるんじゃないかな? 簡単には確認できそうになかったから放っておいたん……何だ!」
異様な振動を感じたディムが声を上げる。ルチルもロゼも緊張を表わにした。
ディムは二人に静かにするよう身振りで指示した。意識を研ぎ澄ませているようでディムの目は遠い彼方を見詰めていた。二人はディムの顔をじっと見詰める。殆ど間を置かずに、ディムは二人に視線を戻す。
「侵入者だ。国境の湖のあたり」
話題にした直後の出現に、何者かの作為的を感じる三人だったが、その疑念を振り切ってルチルは宣言した。
「出撃するわ。ロゼ、ディム行くわよ」
ディム、ルチル、ロゼの順で監視哨を出ると、ロゼは背後から二人の腰に手を掛けた。
「飛ぶよ!」
掛け声と共に三人は宙へ舞い上がり、一路南を目指して飛び立ったのだった。
* * *
湖の上空へ着いた三人が見たものは、やはり空と地を覆う漆黒の影の大群だった。
「ディム、今見える侵入者で全部かしら?」
ディムは、意識を集中させ周囲を事細かに探っていった。
「うん、あれで全部だ」
「ありがとう。能力を放出します。ディム、警戒をお願い。ロゼ、高度維持をお願いするわ」
頷き返す二人を確認したルチルは、両腕を上げ両手の平を天に翳す。
「天地を遍く照す慈悲の光。彼の者達に憐れみと許しをお与え下さい」
祝詞を唱え終えたルチルは両腕を眼下の漆黒の影に向けた。両手の平から放たれた強烈な光がそれらを満遍なく照射した。強固に抗う影。しかしそれは少しずつ綻び始める。
空を覆っていた影の天幕はひとつ、ふたつと穴が開き始め、次第に穴は数と大きさを増してゆく。穴から漏れ出た光は地上の影の絨毯を照し焦す。
やがて空と地の漆黒の影が掻き消えたとき、残されたものは黒い砂漠と、水を失った湖だったものの湖底だった。
* * *
「なあ、今なら面白いものの正体、確認できそうだな」
ディムが三か月振りの好奇心に輝いた目を見せた。ルチルも興味が湧いたが、警戒を怠る事は無かった。
「ディム、周囲に異常が無いか、もう一度確認してもらえるかしら?」
ディムは早く行きたそうにしていたが、それでもルチルの言う事に従って周囲の探索を始めたのだった。
「俺が感じとれる範囲内に異常は無し」
なら大丈夫だろう、とルチルはロゼを振り向く。
「降りるんだね? ディム案内宜く」
「言われる迄もない」
ディムの導きでロゼは湖底だった場所の一点を目指し降下していった。
目指した場所には、少し盛り上がった黒い砂山があった。どれだけ砂が堆積しているか判断できず、掘り起こすのを躊躇う。
「手で掘るのも時間が掛かるな。風魔法使いが居たら良かったんだが……」
「なら、あたしがやってみよっか?」
応援を呼んだとて駆け付けてくれる者も居ない事を悔しがるディムに、ロゼが上手くいくかどうかは分らないけど、と応えた。
ロゼは二人を小山から大分離れた場所に移動させた後、上空に舞い上がる。肉眼で見えるかどうかぎりぎりの高さまで上ったロゼは、そこから小山を目指し恐しい速度で急降下を始めた。
ロゼが砂の小山の上で急停止を掛ける。その為、彼女の前方に出来た空気の塊りが小山を成す砂の層を吹き飛ばす。
舞い上がった砂が落ち着いた時、そこには小型のクレーターが出きていたのだった。
「凄いわね……」
「凄えな……」
「ま、これくらいならね」
再びロゼにクレーターまで連れてきてもらった二人は、茫然として口が開いたままになっていた。
やがて気を取り直した二人とロゼは、クレーターの底へと降りて行く。
「ねえ、これって石像よね?」
「ああ、女性の像だな」
「水中にあったのに、それ程汚れてないし、痛んでもないよね」
ルシア、ディム、ロゼは目の前のそれを見えた通りに言っただけだが、内心で考えている事は一緒だった。
何時?
誰が?
何故?
此処に?
どうやって綺麗な状態を保ったままに?
暫く三人は口も開かず、各々の思考に身を沈めていたのだが……
「やばい、何か来る!」
ディムの一言が、皆の意識を深い思考から引き剥がした。
「何!」
「あれと同じ害意が一つ、東からだ! 近い!」
ルチルは、咄嗟に片手を上げ能力を放出しようとした。しかし、それの方が一足早く三人に到達を果した。
嗚呼、これが最後の光景か……
このまま生命の終わりを迎える悔しさの中で、ルチルの意識は途絶えるのだった。
* * *
気が付くと、ルチルは眩い光の中に居た。その光は余りに強く、思わず瞼を閉じてしまう。だが、瞼を閉じた筈なのに、その光はルチルの目を眩ませ続けた。
それは、普通の光では無かったのだろう。肉眼ではなく心の目に届く光だったのかもしれない。
あまりの強い刺激に、纏まった思考を紡げずにいると、更に一際明い一筋の光芒が眼前に差し込んだ。光芒は次第に太く広がり、形を成していく。光芒が消えた時、そこには一人の、光で出きた女性が立っていたのだった。
漸く目が慣れてきたのか、ルチルは光の女性を真面に見る事が出来るようになった。そして気付く。彼女の姿形は、あの湖底の石像と全く同じだと。
その女性は、ルチルに薄く微笑んだ。しかしその笑みはどこか悲し気で、ルチルを憐れんでいるようにも見えた。
光の女性は、ルチルに何かを伝えたい様に見えた。しかし、その方法が見付からない様子でもあった。
——何を仰りたいのですか? 何か私に伝えたい事があるのでしょうか?
しかし、ルチルのその想念も彼女には伝わってないようだった。光の女性は悲しげな顔で、右手をルチルの背後に向ける。ルチルには、彼女がそちらを見て下さい、と言っている様に見えた。
ルチルは光の女性に頷くき、背後を振り返る。そこには、一つの青々とした大地が広がっていたのだった。
その大地は、人に溢れていた。人ばかりではない。幾種類もの動物や植物、昆虫など生命で溢れる大地だった。
それらの生命は、自らの生を謳歌していた。
しかし、何時の頃からだろう。その大地に漆黒の染みが現れ始めたのは。最初は小さな点に過ぎなかったその染みは、少しずつ広がり、数を増やしていったのだ。
その染みを取り除こうと懸命に働く人達も少数ではあったが居た。その中には背後の女性も居たような気がした。しかし彼女達は漆黒の拡大を抑えるには、あまりにも数が少なすぎた。
漆黒はやがて数も大きさも増し、大地に溢れていた生命は、その数を急速に減らしていった。
最後まで抵抗していた彼女達は、やはり諦めてはいなかった。漆黒の拡大を防げないと悟った彼女らは、最後まで残った生命を何処かへ送り出しているようだった。
目の前の大地の更に奥に、もう一つの若い大地が浮かび上がる。彼女達は、その若い大地に送り出していたのだった。
だが、彼女は元の大地でその生を終えた。残った最後の生命、自分以外の生命を若い大地に移し終えて。若い大地に残された彼女の標は、ただ一つの石像だけだった。
目の前の光景は、しかしそこで終わらなかった。若い大地はやがて歳を重ね、数多の生命が謳歌し、漆黒に覆われる。すると次の大地が表われ、残された生命が一人の女性の手によって次の大地に送られる。
その生命と大地の物語は、演者を変え舞台を変えながら、幾度も、幾度も繰り返された。
そして、その舞台が何千、何万と繰り返された今。その同じ舞台にルチルは立っていたのだった。
* * *
——私は、私はどうしたら……
舞台がルチルの世界に変ると、彼女は背後の光の女性に問い掛ける。
女性の目はひた、とルチルに向けられていた。ルチルへの期待が込められているようだった。と同時にその所為でルチルが味わう事になるだろう苦痛を悼むようでもあった。
ルチルはどうして良いか分からなかった。目の前の女性がルチルに期待している事は分かる。多分ルチルの世界はもう間に合わないのだろう。だからルチルにこの女性と同じ事をして欲しいのだろう。
だからルチルは迷う。それは、誰かがやらなければならない事なのだ、と頭では理解できる。しかし、ルチルにそんな奇跡を起す力はない。目の前の女性は、何故私に期待するのか、という疑念がルチルを迷わせる。
そんなルチルの思いを、しかしその女性は全て理解している様だった。それは、彼女もまた、同じ迷いを経てきたからだったのかもしれない。
光の女性が口を開く。声にはならず、ただただ言葉を紡ぐかのように、その唇が動いていた。
ルチルはその様子を黙って見つめるだけだったが、光の女性の声にはならない言葉が紡ぎ終わると、自分の心の内に新たな存在が根付いた事を知ったのだ。
その存在は、あたかも以前から存在したかの様に馴染んでいた。しかし、それが自分の一部である筈は無かった。何故なら、その存在は、あの移送の力を宿していたのだから。先程迄見ていた、幾万も繰り返された世界の滅亡の中で顕現された力と同質の力だったのだから。
光の女性が、ルチルへ手を差しだす。思わずその手を取るルチル。女性は一層強く光り輝き、ルチルを抱き締め、そして放り出した。放り出されたルチルは、女性の願いを聞いた様な気がした。
——お願い。次に繋いで。
薄れ行く意識の中、女性の想いがルチルの心に響き続けるのだった。




