02 泡沫の夢を揺蕩う者、妨げる者を退ける
階段を登ると、そこは壁一面に絵画が飾られた細長い部屋だった。廊下を兼ねたその部屋は、王宮には一度しか足を踏み入れた事の無いルチルにとって初めての異国を見聞するかの様な気分を味わわさせるものだった。
「今回のギャラリーは、新旧有名画家の人物画が主題だそうよ」
「成程、それで東側に大家の、西側に新進気鋭の絵画が飾られているのか」
直ぐ側に居た、恐らく夫婦と思われる男女の会話を聞くともなしに聞くルチルは、何故その様な趣向を凝らす必要があるのか理解できなかった。成人以降、趣味や文化といった華やかな世界から程遠い、兵士としての道を歩んできた彼女にとって、この空間も夫婦の会話も異国のものにしか思えなかったのだ。
場違いな場所に来てしまったという戸惑いを隠しながら、ギャラリーの先にある扉へと進んでゆく。
今日の夜会は格式張ったものでは無かった。でなければ流石にルチルの持つドレスでは参加を断わられるし、そもそも招待状など送られてはこなかった。扉を潜るときも名を確認されただけで、入室を告げる紹介も無かった。ルチルにはその方が有り難かった。ああいう形式張ったっものは肩が凝ると思ってしまうからだった。
最早、貴族令嬢としては終わってるわね、と自嘲する彼女に声が掛けられる。
「やあ、ルチル。今日はめかし込んでるね」
普段はざんばらの髪をオールバックにしたディムだった。
「冗談は言わないの。貴方こそ、決めてきたじゃない?」
彼の口元も皮肉気に歪められていた。多分考える事は同じなのだろう、とルチルは想像していた。
「ハァイ、お二人さんとも、今日はとても素敵じゃない?」
ロゼが二人の背後から声を掛ける。三人でお互いの目を除き合い、探り合う。そして、三人同時に笑いだした。勿論、紳士淑女として恥をかかない程度に、だったが。どう見ても誰一人、衣装に着られていない者が居なかった。それは、どう見てもやっつけであり、夜会へ参加するための最低限の装いだったのだ。
「違和感が、半端じゃないわね。二人とも」
「ロゼには言われたくない」
「ディムに同じ」
一頻り笑い合ったあと、ルチルは辺りを見回す。
天井からは、クリスタル製と思われるシャンデリアが幾つも吊り下げられ、広い舞踏室を明るく照らしている。
壁も天井も象牙色で統一され、柱や扉は金細工で装飾されている。
床に敷き詰められた真紅の絨毯も、壁を飾る絵画や食器も嘸かし高価なものなのだろう。
舞踏室内には既に多くの紳士淑女達が集まっており、思い思いに会話に興じていた。珍味をふんだんに使った料理を盛り付けた金縁の磁器の皿を、あるいは高級酒が注がれた珍しいガラスを美しくカットしたグラスを手にした彼等彼女等の話す事と言えば……
流行の意匠のドレス
美容の秘訣
投資・賭け事・狩猟……
噂話・醜聞……
この部屋一つで一体、どれ位の贅が凝らされているのだろう。先程の夫婦の話からすると、ギャラリーの絵画も都度入れ換えられているという。是程の贅を集め、この様な泡沫の享楽に耽る紳士淑女達に、ルチルは自分達の話を聞いてもらえないのでは無いか、という不安を抱いた。
ロゼやディムの表情を窺うルチルは、彼等から同じ思いであることを読み取った。
「取り敢えず、話してみない事には始まらないわね。ロゼ、ディム」
「まあ、そうね。やるだけやってみましょう」
「ああ、そうだな。それじゃ、この前の打ち合わせ通りに行こう」
頷き合う三人は、各々の相手を探しに此処から別行動を取るのだった。
* * *
キュリアス子爵の三女であるロゼは、同じような下位貴族である男爵子爵の令息令嬢が集まるエリアへと進んでいった。その中に目当ての人物を見付けるとその側まで行き、相手の話が一段落するのを待つ。
「あら、ロゼ様ではありませんか。この様な場でお会いするとは随分と久しい事でございますわね」
目当ての人物、ユリア・ウィッテン子爵霊場から先に声を掛けられる。
「ユリア様、お久しぶりにございます。偶には、社交をしなさいと父上に叱られてしまいまして」
「ロゼ様は、王国の為に立派にお勤めでいらっしゃいますもの。お父上のおっしゃる事など聞き流しておけば宜しいのでは?」
「ユリア嬢。こちらの方は?」
照明に輝く明るい茶色の長髪を首の後ろで一つに纏めた男性がロゼを見ながら、ユリアに訊ねた。
「ジョナサン様。こちらはロゼ・キュリアス様です」
「ご紹介に与りました、キュリアス子爵が三女ロゼと申します。ロゼとお呼び下さい」
「ああ、その赤い髪に赤い瞳の君が噂のロゼ・キュリアス嬢なのか。私はグロス伯爵の嫡子でジョナサンといいます。ジョナサンと呼んで下さい」
思ったよりも身分の高い男性がこの集団に居た事で、ロゼは若干の期待を持った。ロゼの役割は、下位貴族の間に侵入者の話しを広め、数の力で国を動かそうというものだった。伯爵家に繋る人物が加わる事で、下位貴族のとりまとめが容易くなるだけでなく、高位貴族への根回しも可能になるかもしれなかったからだ。
実際に物事を進めるのは権力を持つ、高位貴族や王族ではあるが、数を頼みにした下位貴族の意見を、矢鱈に無視できる訳でもない。その様な振舞いは、貴族全体の結束に皹を入れてしまうからだ。
「私の噂とは何でございましょう、ジョナサン様。聞きたいような耳を塞ぎたいような、恐しい心地ではございますが」
話の取っ掛かりとして、相手の言葉に乗ることにしたロゼは自分の噂について訊ねる事にした。
「いえ、ユリア嬢のご友人で魔法兵団に進んだご令嬢が居ると伺いまして、さて、どの様なご活躍をされているのかと仲間と会う度に噂していたのですよ。もしお会いできたら、お話を伺ってみたかったのです」
ご活躍、などという言葉で飾ってはいるが、どうせ役に立たずに雑用を押し付けられているのだろう、という内心の蔑みがその目に表われているのを見逃すロゼでは無かった。
「まあ、何という事でしょう。私のお話で宜ければいくらでも」
「では遠慮なく。ロゼ嬢は兵団ではどの様なお仕事を?」
「そうですわね。私、今国境警備の任務に就いているのですが移動魔法が少しは使えますので、仲間と共に移動する時の、例えば人も踏み入らないような森の哨戒などの、言ってみれば運搬係になりますわね。あ、任務地や能力については機密も含まれますので、此処だけの話として下さいませんか?」
機密と言いながら、少しずつ侵入者について漏らして行く。秘密と聞けば知りたがる人の性分を上手く利用するつもりのロゼだった。
「それで、最近の事なのですけど……」
* * *
ジューダス伯爵の三男であるディムは、寄宿学校時代の伝手を使って国境を領地に持つカルト侯爵の嫡子ウィリアムへの繋ぎをつけようとしていた。その伝手が今目の前に居る、トムソン伯爵の嫡子アレックスだった。
「やあ、アレックス。久し振り」
声を掛けられたアレックスは、ディムを見ると一瞬怪訝な顔をし、そして破顔した。
「ディムじゃないか。随分と顔を見なかったぞ。入団の時見送って以来だから、何年振りになるかな」
その笑顔を屈託の無いもので、これから彼を利用する事となるディムに罪悪感を覚えさせるものだった。
「ああ、三年、いや四年目になるか。最初の一年は訓練訓練で会う余裕がなかったし、その後直ぐ国境警備に回されたから、時間が取れなくなってね」
うんうん、と頷くアレックスはディムの言葉が切れると同時に鋭い目付きになる。
「それで。どんな要件なんだ? そんなに忙しいお前が、ただの遊びで此処に来た訳ではあるまい」
話が早くて助かるが、相変わらずこの友人は鋭い、とディムは冷や汗をかく。
「アレックスの伝手を利用させて貰いに来た。カルト侯爵家のウィリアム様に面識があったと思うのだが……」
「まあ、ないことはないが……どんな話をするつもりだ? 内容によっては紹介できないぞ。下手をすれば此方の地位が危ういからな」
ディムはゴクリと唾を飲む。アレックスは学生の頃のような、腰の軽さは跡形も失くなり、自家の損得を第一に考えるようになっていた。
ディムは慎重に事を運ぼうと話す順番を考える。
「アレックスも知っての通り、僕には探知魔法が使える。その能力を国境の警備で使っているんだが、此処最近おかしな物が探知に引っ掛るようになったんだ。その事について、領地内に国境を持つカルト侯爵に進言したいんだが……」
* * *
ルチルは姉を探していた。彼女の姉は、王弟であるヘンリー・ジョージャイ公爵に見初められ、伯爵令嬢から今や公爵夫人となっていた。王族への伝手としては最高の人物だった。
彼方此方を見回したルチルは、舞踏室の一番奥に姉を見付けた。そこは、壁に大門の様な意匠が施され、更に門の内が刳り貫かれたその奥に玉座が置かれた場所の近くだった。
ルチルは、礼を失しない程度の速足で、姉の下へと進んでいった。
「アガサお姉さま、お久しぶりでございます」
ルチルは淑女らしい礼を以って、会話の一段落した姉に挨拶をする。
「あら、ルチル。随分と顔を見せなかったけれど、息災かしら?」
「はい、怪我も無く病も得ず無事に過しております」
「それで? 今日は、何故ここにいらしたのかしら? 貴方のお仕事に、その様な暇は無いかと思うのだけれど」
久し振りに会った姉は公爵夫人としての威厳を身に付けており、姉妹だからと言って甘えさせてくれる様な隙は無い様だった。
「まあまあ、アガサ。折角、久し振りに義妹が会いに来てくれたんだ。そんなにそっけなくするものでもあるまい」
ヘンリー公爵が執り成してくれるが、彼のその目の色は決して言葉通りのものでは無かった。
「公爵閣下、公爵夫人。長らくご無沙汰しており大変申し訳ございませんでした」
「まあ、良いでしょう。それで? 何かお話があるのでしょう?」
「はい、実は私の任地で最近起っている事なのですが……』
* * *
「それが、どうしたと言うのだ! この様な夜会の場には相応しく無い話題だと思わないのか! 淑女としての常識を捨ててしまったのかね、君は!」
「君は卒業と同時にマナーも常識も忘れたと見えるな! その様な戯言で侯爵嫡男様や侯爵様のお耳を汚す事など出来ようもあるまい!」
「貴女、淑女の嗜みをお忘れになったのかしら? 政に口を出すなど、仮にも淑女の末席に連なる者としての自覚をお持ちなのかしら?」
舞踏室の三個所から上げられた声が周囲に響きわたった。三個所の中心に居たのは勿論、ロゼ、ディム、ルチルだ。強い口調で責められる彼等は、蒼白な顔で唇を噛み締めていた。
そう彼等の企みは失敗した。彼等の話しを聞いた者達は、現状に満足する余り、それを崩してしまいそうな話には目を向ける事をしなかったのだ。三人はジョージャイ公爵の下に集められた。
「その様な、人の役にも立っていない森の話など、聞いたところで何とする。我等に関りなど無いではないか。時間の無駄でしかない」
それが、この場の、そして王侯貴族達の総意だったのだ。
「ヴェルトマン! トマス・ヴェルトマン、これへ!」
ジョージャイ公爵の声が一人の人物を呼ぶ。舞踏室の隅で、三人による騷ぎの所為で歓談を中断されていた口髭の男性が「は、ただ今」と応えた。
「ヴェルトマン、お呼びにより参りました」
「この者、ルチル・ラファエラ伯爵令嬢は貴君の預る魔法兵団団員と聞く。この者は今の太平の世に騒乱を企む輩の疑いがある。団長として適切な処分を命ず」
たとえ公爵と言えども、兵団の懲罰や人事に口を出せる訳ではない。しかし王弟と言う立場が、彼にそのような物言いを許してしまっていたのだ。
ヴェルトマン団長は三人を無表情に見詰め、静かに処分を下した。
「ルチル・ラファエラ、ロゼ・キュリアス、ディム・ジューダスの三名を国境の一番深い森での監視任務を命ずる。期間は無期限。任務の放棄、または無許可で任地を離れた場合、死罪とする」
ヴェルトマン団長の冷い裁定が三人の思いを粉々に砕いたのだった。




