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01 人知れず、着実に蝕む侵入者に挑む者達

 人の手が殆ど入る事の無いその森は生命に溢れていた。


 その日も、初夏の優しい光が注がれたその森は、その身の内に数多の生命を抱え込み、慈愛を以って見守っていた。

 そよ、と風が揺がす樹々の葉が陽光と(たわむ)れる。木漏れ日のダンスの中、小鳥は囀り翔け回り、小動物は下生えの中を走り回る。大型の鳥や動物などの捕食者も、今は彼等を見詰めるだけだ。

 この森でも、生存の為の闘争は行われる。生きる為、生き残る為、捕食者・被捕食者ともにその生命を賭けて全力を尽す。しかし、食が足りているならば、必要の無い殺生はこの森では行われなかった。


 小川のせせらぎが、森の中に溢れていた。コポコポ鳴るのは湧水か。せせらぎと葉擦れの伴奏に、小鳥の囀りの甲高いメロディが重なり、小動物の鳴き声がアクセントを加え、捕食者達の低音が厚みを増す。

 そんな森のシンフォニーが奏でられている時……


 その音にならない重低音は、何時から混っていたのだろうか。森のシンフォニーの演奏者達は、最初誰も気付かなかった。

 こっそりと、ひっそりとそれは混ってゆき、少しずつ、少しずつ、その存在を主張していった。それは、調和を乱す意志を、全ての物に対する害意を、少しずつ、少しずつ強めていった。


 最初に誰が気付いたのだろう。

 小川のせせらぎは、次第に水の飛び跳ねる怯えの音に、樹々の葉擦れは不安を訴える音に変わり。下生の中の小動物の鳴き声は、小鳥達の囀りは、警戒の悲鳴に変り。捕食者達の低音は更に低い唸り声へと変わっていった。


 森の演奏者達を嘲笑うかのように、それは、その存在感を露にし始める。秘めやかに浸透していた重低音は、音の無いまま聞くもの全てを揺がせていく。川面は波立ち、樹々の葉は乱舞する。小鳥は、小動物達は、身を激しく揺がす振動に意識を失い、捕食者達は蹲まる。

 それは更に強く、強く圧を高め続け……


 森に注がれていた陽光が翳り

 空には漆黒の斑点が幾つも現れ

 森の中には漆黒の大きな影が群がり

 森を次第に侵食していった。


 森の中に現れたそれに触れたものは、自らの身を漆黒に変えられ、粉々に砕け散った。

 森の上空に現れたそれは大気を腐食し、呼吸するものの生命を奪っていった。


 空と大地の漆黒の影は留まる事を知らず広がり続け、森の全域を埋め尽した。

 かつて生命に溢れていた森は、瞬く間に黒い砂漠に一変してしまったのだった。


* * *


 空を埋め尽くす漆黒の影から、一筋の光条が差し込んだ。光条は直に途絶えた。かと思うと別の場所から再び差し込む。

 差し込んでは途絶え、途絶えては差し込み。幾度もの攻防を繰り返すそれは、次第に光条の優位に変わってゆく。

 かつて森だった場所に届き始めた光条は、地の漆黒の影に浴せられる。光条を浴せられた漆黒の影は、彼等が森の生命にそうした様に粉々に砕け散っていく。


 空の攻防は、影の劣勢となり、光条は今や光の濃淡が織り成すカーテンとなっていた。光のカーテンは触れる影を黒い砂へと変えていった。空の影は砂となり地に降り注ぎ、地の影は砂の小山と形を化してゆく。


 やがて、カーテンはその濃淡を等しくしてゆく。最後の黒い筋が消えた時、空と地に満ちていた漆黒の影は跡形も失く消え去る。暫くして陽光を取り戻した嘗て森だった場所は、数多の生命と漆黒の影の成れの果てである、黒い砂漠としてその姿を晒したのだった。


* * *


「ディム、周囲に他の異常が無いか確認してくれる?」


 声を出したのは、かつて森だった場所の上空に浮んだ三人の男女の内、一人の女性だった。はいよ、と返事をする男性に頷いた彼女は、風に遊ばれる黄金の長い髪を押さえながら、もう一人の女性に顔を向ける。


「ロゼ、可成(かなり)能力(飛行・浮揚)を使わせてしまったけど、もう少しだから」


 同じように、風に揺れる赤い短い髪を押さえた女性は、フッ、と笑いながら応えた。


「ルチルの方が、能力(浄化の光)使ってるでしょうに。私はまだ大丈夫よ」


 サバサバとしたロゼに、苦笑いするルチル。だが、その笑みも次第に失われていく。眼下の荒涼とした砂漠を見詰める彼女の黄金の瞳には暗澹たる思いが滲みでていた。そして目を瞑ると、両手を組み、額へ押し付けるようにする。唇は声にならない声を発しているようだった。


周囲50km以内(探索能力範囲内)に、害意は無いよ。異常も無し」


 (わざ)とだろう、藍色の髪を靡かせ、軽い口調でディムが探索の結果を伝えてきた。


「ありがとう、ディム。哨戒行動中だったけれど、侵入者(トレスパサー)に遭遇した以上、直ぐ報告に戻らないと。どれだけ話を聞いてくれるのか分からないけど……」


 既に三度、彼女達は同じ光景を見ていた。今迄に三度、報告は上げていた。だが、誰一人として取り上げようとはしなかった。

 何故なら……


 彼女達しか遭遇していない。他に事例がない。

 黒い影の実物が無く、黒い砂は証拠として不十分。

 厄介事に(かかず)らって面倒事に巻き込まれたくない。


 多分最後が一番大きな理由だ、とは彼女達の誰が思っている事だった。国境の警備を預る魔法兵団にしてこの有様(ありさま)な事に、彼女達はこの国の行く末に不安を感じるのだった。


「まっ、此処でどれだけ案じたってなる様にしかならないさ。僕達は僕達の遣るべき事を遣るしかない」


 そういうディムも、その藍色の瞳に影を宿していた。彼にも解っている。このままでは、いつか取り返しのつかない大事(おおごと)が起きるだろう。その時、対処できる者は、自分達も含めて、誰も居ないだろう。そうなれば、この王国は、いや全ての国は何れ(いずれ)滅亡の憂き目に合うだろう。

 ロゼの憤りを堪える赤い目も同じ事を考えているのだろう、とルチルは思った。この三人は、一介の兵団団員に過ぎない。しかし、それでも何か出来ないか、と常に模索していたのだ。誰も言葉にして口に出した事は無い。が、その胸の内は互いの目を見れば察する事が出来たのだった。


「さあ、戻りましょう!」


 ロゼの掛け声で、三人は眼下の荒涼とした砂漠から目を離した。彼等は振り返らなかった。空を移動する彼等は次第に速さを増してゆき、瞬く間に見えなくなった。残されたかつての森に彼等を見送る生命(もの)は何っもなかったのだった。


* * *


「その件については、今迄通り、明確な証拠を提出しなさい。話はそれからです」


「ですから、指揮官殿の仰る証拠の提出が難しい事は既に説明しました。なので、どなたかに視察をお願いしたいと申し上げております」


 想像した通り、国境警備隊指揮官の返答は木で鼻をくくったものだった。


「ルチル君。皆、視察の時間が取れませんし、現時点でこの件にそれ程の優先度は認められません。視察を要請するなら、相応の証拠を提出して下さい」


 ルチルは唇を噛む。これまでと全く同じ対応だった。

 証拠として提出した黒い砂は、どう分析してもミネラルの混った炭の粉という結果しか出なかった。生物の痕跡が跡形も無いため、侵入者(トレスパサー)の証拠としては認められなかったのだ。

 しかし、それ以外の物は現場には何も残されてはいない。

 こうして今日もまた侵入者(トレスパサー)の報告は堂々巡りを繰り返す。


 二度目に侵入者(トレスパサー)を発見した時、ルチルらは三人以外の同行者を求めた事がある。しかし、その求めは素気(すげ)無く断られた。皆、忙しさを理由にしていたが、中には非番の者も居たのだ。休日を潰されるのが嫌なのなら未だ解る。だがその団員は、他の団員の同行の求めには応じていた事が後に判明した。要は、ルチル達に関わり合いたくないのだ、と判断せざるを得なかった。


* * *


「国王陛下は、侵入者(トレスパサー)の事をご存知なのだろうか」


 そう、ディムは呟いた。どうかな? どうでしょうね? ロゼとルチルも歯切れが悪い。夕食後のひとときをルチル達三人は顔を突き合せて今後の行動について相談していた。


「この国境を治める領主も知っているかどうか微妙じゃない?」


 ロゼの言葉に力無く頷くルチルとディム。


「王都兵団本部の団長に直訴した結果があれだから、この領、この国の責任者達は何も知らないと思うわ」


 以前、侵入者(トレスパサー)の脅威を魔法兵団団長に書状で直訴した事があった。が、『国境警備指揮官に一任する』の一言が返ってきたのみだった。何故か団長から指揮官へは直訴の話が通ってなかったらしく、指揮官からの咎めが無かった事は不幸中の幸いだったが。


 三人とも大きく溜息を吐く。打つ手無しだった。一介の兵団員の伝手など、何の役にも立たないのだ、と無力感に()(ひし)がれていた時……


「ねえ、そう言えば今度王宮で夜会があるじゃない。僕の処には招待状が来たらしいけど、君達には届いてるかな?」


 不意に発言したディムの目には不穏な光が宿っていた。


「多分届いてると思うけど、あたしたち皆、子爵家、伯爵家の三男、三女じゃない。参加しなくても問題ないから、見送ろうと思ってたけど。それがどうかした?」


 ロゼは目をパチクリさせながら、ディムの真意を質す。ルチルも参加は見送ろうとしていたため、彼の夜会発言に、それが今頭を悩ませている問題とどういう関係があるのか疑問に思った。


「夜会には王族や宰相、この領の領主も参加するだろう。他の諸侯もだ。そこで侵入者(トレスパサー)の話を広め危機感を持って貰わないか? もう俺達に出来る事はそれ位しかないと思うんだが」


 確かに、もうそれ位しか打つ手は残っていないだろう、とルチルは同意した。しかし、それと引き換えにして、自分達の兵団での立場は悪化するだろうとも想像できたのだ。


「確かに、もうそれ位しか私達に出来る事は無いと思う。でも成功しても失敗しても私達の立場は悪くなるけど、それでもやる?」


 ルチルは、ディム、ロゼと順に視線を送り、覚悟を問うた。


「僕はやるよ。一人でもね。何しろ言い出したのは僕なんだから」


 ディムは、きっぱりと頷いた。


「あたしも、やろう。家では居ないも同然だし、籍を抜かれたって構わないし、兵団での扱いは今更だよね」


 ロゼも、どうでも良いような口調ながら、その目は輝いていた。


「私も、やるわ。これが私に出来る最後のチャンスなら逃す手は無いから」


 ルチルも同意した。

 それから三人は、誰が誰に、如何(どう)いう風に話を持っていくか、夜が更けるまで相談を重ねるのだった。


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