【第2話】「開店、七輪と魔法冷えエール」
昨日まで何をしていたのか、思い出せない。
でも、開店準備になると体は勝手に動く――そんな不思議な日々が、今日も始まる。
異世界焼肉屋の、はじめての営業風景です。
「はい、開店準備!」
お母さんの声と同時に、私とお姉ちゃんはそれぞれ動き出した。
テーブルの上に置かれた七輪に、赤々と燃える炭を入れる。じゅっと音がして、熱がふわりと顔を撫でた。
肉は注文が入ってから切る。けれど、炭の準備だけは早めにしないと間に合わない。
私は手早く野菜を並べ、昨日仕込んだ自家製キムチを木鉢に盛る。
――あれ、これ、なんでこんなに手が覚えてるんだろう。
「一番テーブル、竜肉セットとエール三つ!」
お母さんの声に、お姉ちゃんが包丁を動かす。竜肉の脂が光り、炭火の上で跳ねる光景が頭に浮かんだ。
私の役目は飲み物。
棚から取り出したエールの瓶に手をかざすと、冷気がふわりと広がる。
――魔法? うん、確かに魔法。でもなぜ使えるのかはわからない。
冷えた小さいコップのエールと、両手で抱えるほどの特大ジョッキを、慎重にテーブルへ運んだ。
「おぉ、キンキンだ!」
客の笑顔が広がる。初めての接客なのに、不思議と怖くない。
うちの店は六人掛けテーブルが五つだけ。狭い分、客同士の距離も近く、たまに声が荒くなる。
案の定、二番テーブルと三番テーブルの客が、注文順を巡って口論を始めた。
「ちょっとアンタたち、落ち着きなさい!」
お姉ちゃんが腰に手を当てて一喝。
……かっこいい。けど、それでも止まらないときは――
「はい、はい、みんな楽しく食べましょうね」
お母さんが柔らかい声で間に入る。仏のようなお説教に、場はあっという間に静まった。
厨房の端には、一人用の席がひとつ。そこからこちらをじっと見ている小柄な男の人がいた。
何か言いたげだけど、まだ話しかけてこない。
――この席、きっとこれからいろんな物語が生まれる場所になる。
今日の一品、香草竜肉の炭火焼きは、あっという間に売り切れた。
焼けた香りと笑い声が混ざる空間で、私はふと思った。
この店、なんだか場末のスナックみたい。
でも、それがきっと、みんなを引き寄せるんだ
第2話、お読みいただきありがとうございます!
今回は営業中の雰囲気を中心に描きました。
魔法冷えエールや、竜肉の香ばしさ、そしてお客さんとの距離感――この店ならではの空気を感じてもらえたら嬉しいです。
次回は、一人用席のあの人物が動き出します。
新しい常連の誕生と、少しだけ店の秘密が見える回になる予定です。