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イベントが気になる

来年のバレンタインには

作者: 真中けい


 紀沙(きさ)と初めて会ったのは、高校一年のときだった。

 入学式を終えて教室に入って、なんとなくその顔に眼が留まった。


 あ。

 と思った。

 あ。あの子キレイだな。


 恭一郎(きょういちろう)はそんな感想を持った。

 特別美人というわけではない。だけど彼女はすごく綺麗なひとだった。

 真っ黒なのに光を弾くような髪の毛。首の下半分が見える長さ。男にも同じくらいの長さの奴はいるが、それとは違う形のショートカット。

 別に短い髪が珍しいわけじゃない。髪が艶々の十代女子も珍しくない。

 顔。そうか、顔かも。すっと目尻が伸びた切れ長の目。アイプチがどうとかデカ目がどうとか言う女子の理想とは違うであろうその目の印象が、綺麗だなと思わせたのだ。


 一年の二学期に恭一郎の友人と紀沙の友人とが付き合うことになり、そのせいでなんとなく話をする機会が増えた。

 二年で違うクラスになっても委員会が同じだったり、友人に誘われて遊びに行った先にいたりして、接点はなくならなかった。

 卒業して違う大学に進学したら、細々と続いていた縁がなくなるのだと気づいて、焦ったことを覚えている。


 そして、そうだ。バレンタイン。

 二月十四日に、チョコレート菓子を作ったのだ。

 なんだっけ。その翌年に作った物は覚えているが、高三のバレンタインデーに作った物が思い出せない。

 何を作ったかは思い出せないが、その日に彼女に言ったことは覚えている。


「向井さん、俺」

「ん?」

「来年のバレンタインは、ガトーショコラ作ろうと思ってるんだけど」

「いいね」

「一緒に食べない?」

 紀沙は驚いたように、切れ長の目を見開いた。

 そして綺麗に微笑ったのだ。

「うん。期待してる」



 好意は伝わったはずだ。そしてそれは、拒否されなかった。多分。

 恭一郎と紀沙は、高校卒業後も付かず離れずの付き合いを続けた。

 彼らはどちらも決定的なことを言い出さなかった。だが連絡をすれば当たり前のように約束ができて、ふたりで会って食事をした。

 同性の友人と同じような付き合い方だ。

 会えば高校時代の話をしたり、それぞれの進学先やアルバイト先の話をしたりする。

 新しくできた友人知人の話もしたが、恭一郎は異性の話は意識して避けた。それは紀沙も同じなのか話のネタがないだけなのか、彼女の口から男の名前を聞くことはなかった。


 進学した大学は同じ都内だったから、会おうと思えば簡単に会えた。

 会うのが昼だろうが夕方だろうが、その日のうちに必ずそれぞれの部屋に帰った。

 送ろうか、と言ったら誰に言ってんの、と返ってくることが分かっていたから、夜遅くなる前に解散するのが常だった。

 それって付き合ってんの? と高校からの友人にも大学の友人にも首を傾げられた。

 さあ?

 恭一郎はそう答えるが、自分の気持ちはもう固まっている。多分、紀沙の気持ちも。

 ちゃんと言葉にしなきゃいけないんだろうな、と常々考えてはいるのだが、キッカケが掴めずずるずるしている。



 キッカケってなんだよ。そんなもん自分で作れ。

 セルフ突っ込みをしたのは、大学一年の正月だった。


 帰省して久し振りに会った地元の友人と初詣に行った。そこで引いた御神籤に書いてあった言葉だ。


 躊躇わず告白せよ


 するよしてやるさ。

 キッカケくらい自分で作り出して、どーんと告白してやる。

 そのくらい簡単だ。


 だって来月はバレンタインだ。

 その昔、結婚を禁じられた兵士にこっそり結婚式をしてやったという聖人の殉教日である。

 彼のおかげで、二月十四日だから、というだけで好きなひとに告白する立派な理由が出来上がる。

 製菓業界の陰謀だとか、男なのにとか、そもそも教徒じゃないだろとか、面倒臭いことは考えない。

 イベントなんてものは、乗っかったもの勝ちなのだ。

 女性から告白する日、なんて言ってるのは日本だけだ。

 このグローバル化を謳う時代にそんなことを気にする必要はない。

 幸い、去年のうちに約束は取り付けている。

 あとはガトーショコラを作って、待ち合わせの時間を決めるだけだ。

 決め台詞も事前に考えた。


 好きです。来年もチョコレート菓子作るから、一緒に食べてください。


 彼女にはちゃんとウケた。

 おかしそうに笑って、その場で返事をくれたのだ。


 あたしも。田中くんのそういうとこが好き。来年は一緒に作ろう。初心者向けのやつ教えてよ。



 大学一年、ガトーショコラ。

 大学二年、料理音痴な紀沙と一緒に作ったホットチョコレート。

 大学三年、今年はあたしが、と宣言した紀沙が簡単なレシピを探してきて作ってくれた生チョコタルト。

 大学四年、初めてふたりで旅行に行った先で買ったトリュフチョコレート。

 社会人一年、仕事からくたびれて帰宅したら、紀沙が高級チョコレートを用意してアパートで待っていてくれた。

 社会人二年、去年はチョコレートブラウニーを作った。

 今年はもう少し張り切った。



「このフォンダンショコラ最高だよ。恭一くん、ショコラティエに転職したりしないの?」

 大口を開けていたのに、紀沙の唇の端がチョコレート色になっている。コタツに入って完全オフモードになっている彼女からは、男社会の会社で働く姿は想像できない。

 化粧を落とした顔に眼鏡、スウェット。

 オンのときのほうが美人だとは思うが、彼女と一日の大半を一緒に過ごしている会社の男どもはこのユルい姿を見ることはないのだという優越感は悪くない。


 口元をぬぐってやってもいいが、そういうのは全部食べ終わってからのほうがいいだろう。

 ここは恭一郎が一人暮らしをする部屋だから、他に人目はないことだし。

 彼女が自分の作った物を美味しそうに食べる姿を満喫しよう。

「しない。俺の料理は趣味レベル」

 チョコレート菓子作りは一年に一回しかしない。

 料理のセンスが壊滅的な紀沙からの評価は、毎年大袈裟なくらい高い。その喜ぶ顔を見たくて、張り切って作ってしまうのだ。我ながら可愛い動機だと思う。

「そう? 修行したくなったら、その間は養ってあげようかと思ったのに」

 なんだそれ。プロポーズか。男前だな。



 仕事は絶対辞めたくない。

 クズな父親と別れられない母親みたいには絶対ならない。

 仕事の愚痴を吐きながら一度だけそんなことを言っていた紀沙のために、恭一郎はとことん都合のいい男になろうと心に決めている。

 彼女のほうが稼いでて気にならないの? なんていう世間の声なんかは右から左に流している。

 だって紀沙が求めているのは、高収入な男じゃないから。


 だから、なあ?

 家庭を大事にしやすい土日祝日休みの本社勤務になれるよう、必死で頑張ってる彼氏に向かって、簡単にそういうこと言うなよ。

 飯は作れる、他の家事も分担できるし、靴下を脱ぎながら歩く習慣は直す、子どもは産めないけど育児はできるから。

 そんなのが殺し文句になればいいと考えているんだから。



「その気になったらよろしく」

「その気にならなそうだね。残念。あんまりお菓子作りしないもんね」

「肉焼きたい人なんで。それよりここ、チョコ付いてるけど。それ俺の取り分?」

 食べ終わったからいいかな、と思って顔を近づけるが、指を突きつけられた。

 拒否。なぜ。

「そっちも付いてるよ。バレンタインに贈るお菓子の意味にも興味無しだし」

 雲行きが怪しい。

 なぜ今の流れで拗ねる口調になる。意味が分からん。

「何それ。意味とかあんの?」

「あります。あるんです。キャンディーはあなたと長く一緒にいたい、だしクッキーは友達でいましょう、なの」

「ふーん……んん、ん?」


 キャンディー。クッキー?


 そうだ。思い出した。高三のバレンタインにはチョコチップクッキーを焼いたんだ。


 男子高生がバレンタインに手作り菓子。

 キモくていいだろ、と言いながら、机に広げて友人と食べていたのだ。

 紀沙は違うクラスだったけれど、たまたま教室に遊びに来ていた。

 恭一郎がチョコはないのか、と言うと、飴ならあるよ、と寄越してきたから、お返し、クッキーをひとつ渡した。

 そのときの紀沙は大した反応を返さなかった。へー、美味しそう、いただきます。くらいのことを言われた。

 バレンタインっぽくないエピソードだから、忘れていた。

 その数時間後にした提案に、彼女が頷いてくれたことに舞い上がってしまったのも大きい。


「バレンタインにお菓子作っちゃうような女子力高いひとは知ってるんだろうなと思ってたのに」

「偏見」

 女子力って。よく言われるが、恭一郎は美味しい物を作るのが好きなだけだ。

「そうだね。そうだったみたい」

 料理はしないが女子力はあるという自意識の紀沙は、高三当時にもその意味を知っていたという話か。

「へえええ」

 ニヤニヤを我慢できない恭一郎に、紀沙が拗ねた口調のまま要求を投げつけてくる。

「来年のバレンタインはザッハトルテ食べたい」

 ザッハトルテってなんだっけ。多分チョコレート菓子なんだろう。あのケーキみたいなやつか?

「それにはどういう意味が」

「さあ。ただ食べたいだけ」

 意味ないのかよ。本当だろうな。バウムクーヘンみたいな分かりやすいやつじゃなきゃ分からない。

 まあでも、それはまだ早いか。

 来年はリクエスト通り、ザッハトルテとやらのレシピを探してこよう。

「年々難易度が上がっていくな」



 また来年も、彼女とこうして一緒に過ごせる。

 そのために必要だというのなら、レシピを調べて小難しい名前のお菓子を作るくらいのことは喜んでする。

「ホワイトデーには美味しい物食べに連れてってあげるから」

「さすがゼネコン。じゃあ来月焼肉屋予約しといて」

「仕事終わるの?」

「萩野くんに協力を仰ぐ」

「彼にも予定ができたりして」

「そのときは家ですき焼きでもするか」

「買い出しくらいならやりましょう」



 恭一郎は一生、この男前彼女には勝てそうにない。

 だからせめて、正式なプロポーズくらいはこっちのほうからさせて欲しい。さっきのは聞かなかったことにさせてもらおう。

 来年、は無理でも再来年、でもやっぱりできれば来年がいい。


 来年のバレンタインにはザッハトルテ、それから指輪を用意しよう。

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