第36話 選ばなくてもいい
「ほい! ……っと、着きましたよ」
「あら、もう着いちゃったのね」
「へぇ……って、ちょっと! もう着いたって言っているでしょ! 早く離れなさいよ!」
「イヤです! こんなに早く着くハズがありません! だから、もうしばらくこのままでいますから、放っておいて下さい! ムフゥ~」
「えっと、ユリア?」
「まだ、怖いのでもう少しこのままでお願いします。いいですよね?」
「いや、だから……」
「ちょっと、失礼しますね。そぉ~い!」
「キャッ! って、セシルさん」
「ヒロ様、お久しぶりです!」
オジーの待つ王都から少し離れた場所へと転移したら、奥様と先輩は直ぐに離れてくれたのだが、ユリアだけが俺にギュッとしがみついて離れてくれないのでどうしたものかと思っていたら、そんなユリアをポイッと離してくれ助かったと思っていたら、またギュッと抱き着かれたので「え? 誰?」と思っていたら「お久しぶりです」と顔を上げたのはセシルだった。
「お、お久しぶり……だね。元気だった?」
「……スゥ~ハァ~」
「せ、セシル……さん? な、何をしているのかな?」
「もう少し待って下さい。今、充填中なので……スゥ~ハァ~」
「いや、充填って何? そんなことよりも離れて欲しいんだけど?」
「イヤです! もう離しませんから! スゥ~ハァ~」
「え?」
「今まで放置されたんですから、少しくらい我慢して下さい。スゥ~ハァ~」
「いや、でも「ヒロ!」……お、俺は何もしてないから! ほら、この通り!」
「見れば分かるわよ」
俺に抱き着いて離れないセシルは俺の胸元に顔を押し付け、何かを堪能する様に深呼吸を繰り返していて、俺が頼んでも離れてくれそうにない。
そんな俺に対し先輩が声を掛けて来たので、これ以上ややこしいことにならないように満員電車で痴漢と間違われないように俺は両手を上に挙げ先輩に無実をアピールすることしか出来ない。
「ハァ~ヒロ様、そろそろいいですか?」
「オジー、俺に言われても」
「ですね。セシル、いいから離れなさい」
「イヤです! オジー様の頼みでも今は聞こえませんから。スゥ~ハァ~」
「ちゃんと聞こえているじゃないですか」
「……聞こえないんです! スゥ~ハァ~」
「……ここでそうやっていても、何も進展しませんよ」
「……」
「ヒロ様はきっとお風呂に入りたいでしょうね」
「……!!!」
伯爵様はもちろん奥様も既に用意された馬車に乗り込み、後は俺とオジーとセシルだけという状況だが、セシルが俺を離してくれないので、オジーがセシルの耳元で何か囁くとセシルの身体がビクッと反応し、セシルは俺から離れると腕を掴み「さ、早くイキましょう!」と馬車の中へと引きずり込む。
「オジー……恨むよ」
「そんなことより、今はこの場所から離れるのが先です」
「ま、そうだけどさ」
「うふふ、お風呂っ、お風呂っ……」
「ヒロ、あなたまさか……」
「な、なんですか。俺は無実です! それにまだ何もしてませんからね」
「どうだか……それにまだって何よ」
「いや、それは……」
「ウララ様はもう降りたのでしょ? なら、関係ないのだから、いいじゃないですか」
「べ、別に降りた訳じゃないわ。少し離れてお互いに落ち着いて考えましょうって言っただけだし……そうよね、ヒロ! ヒロ?」
「えっと、その件に関しては俺は振られたと「違うでしょ!」……はい?」
なんとか馬車に乗り込み走り出したのはいいんだけど、セシルは相変わらず俺の腕をギュッと掴んで離さず「お風呂っお風呂っ!」と呪文の様に繰り返している。
そして先輩はそんな俺を対面から見ていたが、呆れた様子で「まさか一緒に入るんじゃないでしょうね」とでも言いたげに見ているので俺の意思じゃないことを証明しようと慌てて見せるが、先輩は納得してくれない。
そんな先輩にユリアは俺を振ったのだから、ヤキモチを焼くのは少しおかしいんじゃないかと言えば、先輩は振ったわけじゃないと反論し、俺に同意を求めてくるが俺は既に振られたものだと思っていたので戸惑ってしまう。
「違うって言っていますが、ヒロ様はどうなんですか? もう、ウララ様に振られたと承知しているのであれば、もう「ダメ!」……ウララ様?」
「ウララ様、馬車の中ではお静かに願います。ユリアもその辺りで止めておきなさい」
「……はい」
「は~い」
先輩はユリアに対しまだ何か反論があったみたいだが、オジーに馬車の中では静かにと注意され小声で返事し、ユリアも巫山戯て返事する。
やがて王都の門を潜り抜け、伯爵様の王都での別邸へと辿り着くと「着きました」とオジーが先に降り、先輩達をエスコートして御屋敷の中へと案内した後に俺は用意された一つの部屋へ通される。
「ヒロ様はここをお使い下さい。後で旦那様から改めて今後の予定を話されると思いますので、呼ばれるまではお部屋の中でお待ち下さい」
「分かったよ、ありがとう。で、これは?」
「……ハァ~そうでしたね」
「うふふ、スゥ~ハァ~……ん~」
部屋に案内され伯爵様から呼ばれるまではジッとしている様にとオジーに言われるが、その前に俺の腕にしがみ付いて離さないセシルをどうするのかと聞けばオジーは深く嘆息してから「セシル、今は我慢です」とまた耳元で囁けば、セシルもパッと俺の腕を離し「ヒロ様、また後で……うふふ」と言い離れていった。
「オジー、オジーも一緒に「お断りします」……えぇ~」
「もう、ここまで来たのですから覚悟を決めてはどうですか」
「いや、覚悟って……まだ、お互いによく知らないのに……」
「では、伺いますがいつならいいのですか?」
なんとなく怖いのでオジーに夜も一緒にいいて欲しいとお願いするが、瞬殺されてしまう。
そして、いっそのこと先輩にも振られたのだからセシルの気持ちを受け止めてはどうかと提案されるが、俺は出会ったばかりだからと断ればいつならいいのかとオジーに問い返されてしまう。
それに会社内ではあるが一定の期間を一緒に過ごした先輩には今の気持ちが『吊り橋効果』でないことを確認したいからと距離を置きたいと言われたが、先輩としては自分のことを好きでいて欲しいと言う気持ちが見てとれるし、いくら好意を持たれているからとセシルに走るのも違うかなと考えてしまう。
それに仮に付き合ったとしてもどの位の期間で答が出せるのかは俺にも分からない。
「いや、いつって言われても……そう、明確には……」
「なら、お試しでいいのではないですか」
「オジー? なんか変わった?」
「……そうですね。変わったと言えば変わったのかもしれませんね。数日前にまさに人生が変わったのですから」
「あぁ~いや、そういう意味で言ったんじゃ……なんかゴメン」
「いえ、分かっておりますから、謝罪は不要です。ですが、誰も彼も態度を保留じゃ、誰とも進展しないのではないでしょうか」
「ん~そう言われるとそうだけど……でもさ、それをやっちゃうと最低な男になりそうな気がしちゃうんだよね」
「それはお相手の心を弄べばそういうことになるのでしょうが、ここはヒロ様が元いた世界とは異なりますから、選べないのであれば選ばないという選択肢もあります」
「それは分かっているんだけど」
「いいえ。分かっておりません!」
「オジー?」
「いいですか! ヒロ様を慕っている方が実際にいるのですよ! 私の時と違って打算ではなくヒロ様を……いえ、若干打算で動いている者もいましたね。とにかく全員娶ることも可能なのですから、何も心配する必要はないのです!」
「いや、だからね。そこが一番引っ掛かっているところでもあるんだけどね」
「ハァ~情けない」
「そうは言うけどさ、まだ俺としてはこっちでの生活基盤がないから、悩むよ。このままじゃ俺とセツだけが生きていくだけで精一杯だからね」
「それもそうですね。ですが、冒険者ギルドに登録しているではないですか」
「それっていつまで働けるの?」
「はい?」
「だからね、何れは俺もオジーも歳を取る訳でしょ」
「まあ、そうですね。それが?」
「だからさ、腰が曲がっても冒険者として活動するのかってこと。腰が曲がってもは大袈裟かもしれないけど、現役でいられる期間は短いよね」
「そうですね。ですが、心配されることはありませんよ」
「それはどういうことなのかな」
「殆どの冒険者は老いる前に亡くなりますから」
「ダメじゃん」
「ですから、老いる前に家族を作ることをお奨めします」
「そんなのオジーに言われても……」
「何か?」
「な、なんでもありません!」
さっき、その偽りの家庭を手放したばかりのオジーに家庭を持てと言われてもねぇ~と返そうとしたところでオジーにジロリと睨まれてしまい、そのまま呑み込むしかなかった。
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