本当に僕のものになったらいいのにな
そんな眠っている君を僕はベッドに寝かして、羽織っている上着を一枚脱がした。布団をかけて眠っている君の顔を、ベッドのすぐ横に座って間近に見つめた。今君は眠っているから、勇気のない僕にでも君に言いたいことを言えた。眠っている君に僕は、問いかけるように呟いた。
「青葉、僕は君と久しぶりに話せたあの時から君が好きだったのかもしれない。君が僕を見つめる視線は友達に向けるものそのものだけど、僕は君を恋愛の対象とししか見ていないよ。いつか君に面と向かって言えたらいいな。好きだって……」
僕が言葉を止めると、君は目を覚まして上半身だけを起こした。焦った僕は咄嗟にベッドにもたれかかるように眠ったふりをしたら、君は僕の唇にキスをして意識でも失ったように眠りについた。君が完全に眠っているか確かめるために、君の頬を人差し指で二回つついてみるが反応は何もなかった。僕の心臓はまだまだ大きな音で鳴り響いている。取り敢えずお風呂に入り、心臓の音を落ち着かせた。いつもなら二十分くらいでお風呂を上がっているが、今日はいつもに増して長く湯船に浸かった。
お風呂から出たら君がもしかしたら起きているかもしれないから、湯船のお湯は抜かずそのままにしてお風呂場を後にした。僕の予想とは裏腹に君はぐっすりと眠ったままだった。相変わらず寝相は悪いみたいで、掛けていた布団を蹴っていた。僕は君にもう一度布団をかけて、僕自身は埃の被った客人用の布団をクローゼットの奥から取り出し、できるだけ君と距離を取れるようにキッチンの床に布団を敷いた。寝心地は少し悪いけど、眠られないほどではない。今のところ底冷えも感じない。
酔いもあった僕は割とすぐに眠りについた。朝は君に揺さぶられ起こされた。
「ねえ、健! 私たち何にもなかったよね?」
僕は君にそんな言葉で起こされたくはなかった。
「大丈夫だよ。僕も酔っていたから帰ってすぐに寝たから」
「よかった〜」
君は安心した顔を浮かべていた。本当は昨日、君に唇にキスをされた。がそれは君には秘密だ。
「健とだったら何かあってもまだ許せたけど、何もなかったのならよかった」
曖昧な言葉が一番人を傷つけると言うことを君はまだ知らない。そんなことを言われてしまえば、僕の心臓は高鳴るばかりで、いつ君に襲いかかってもおかしくない精神状態だった。そんな心を紛らわすために、僕は君にある提案をした。
「青葉。昨日眠ってしまってたからとりあえずお風呂に入ったら?」
「うん、そうする」
「入っている間に朝ごはんでも買ってくるよ。僕がここにいたらゆっくりお風呂に入れないだろ?」
「ううん? そんなことないよ。ていうか、そんなの私たちには今更だよ。私たち何年の付き合いだと思っているの? お風呂なんて何回も一緒に入ったじゃん」
それは十五年くらいの前の話だ。今はあの時とは状況が全く違う。今の僕には、あの時と同じような純粋な心で君を見ることができなくなっている。朝ごはんを買ってくると言ったのも、君と少し距離を置くための口実だ。
「今なんか、凄くマフィンが食べたい気分なんだよね。だから買いに行こうと思って。青葉は何が食べたい? マフィンじゃなくても何でも買いに行くよ」
僕はまた嘘を吐いた。特にマフィンが食べたい気分ではなかった。だけど、君はマフィンが好物だ。この話に乗るだろうと思っての発言だ。案の定、君は僕の話に目を輝かせた。
「そう言われたら私もマフィンの口になった。! 私、卵が入っているやつがいい!」
「分かった卵が入ったやつね。他にはない?」
「ポテト! ハッシュドポテトとコーヒーのセット!」
「だけでいい?」
「それだけあれば大丈夫だよ。そこまで食いしん坊じゃないから!」
「ごめんごめん。今日は奢るから許してよ」
「仕方ないな〜。奢ってくれるなら許してあげる」
「ありがとう。じゃあ、買ってくるからしばらく待っててね」
「いってらっしゃーい!」
君の見送りを受けて僕は家を出た。こんな毎日が続けばいいなと思いながらも、来ない未来だと心の中で否定した。
近くのハンバーガーショップまでは徒歩で五分くらい。だけど、真っ先にハンバーガーショップに寄るのではなく、まずは近くの公園に寄り道した。理由は二つある。一つは、まだ荒れている心を落ち着かせるため。もう一つは、君がお風呂から出るのを待つため。僕が帰って君が、「遅かったね」と言う、それがベストタイミング。
公園で時間を潰すのはいいけど、具体的にどれくらいの時間を過ごせばいいのか全く見当がついていなかった。三十分それとも一時間。流石に一時間は長いか。間をとって四十五分にしょう。そして次は時間を潰す方法だが、昨日の夜色々ありすぎて、僕はスマホを充電器に挿すのを忘れていて、スマホの電池は残り六パーセントだ。これなら何かを調べたり、ゲームをしたりできない。何なら頻回に時間の確認をする、それだけで電池を全て喰いそうだ。ここは公園だと言うこともあり、子供用の遊具はそれなりにあるが、二十歳を超えた大人が紛れて遊ぶわけにはいかない。幸い遊具の中に僕より背の高い鉄棒があり、得意ではないけど朝から筋トレをしている人に紛れた。
二十回くらい懸垂をしたら腕が限界と悲鳴をあげたので筋トレはそこで終えた。もう筋トレはできないとトイレの手洗い場で顔を洗い、拭くものを持ってきていなかったからベンチに座って時々吹く風に顔を向けて自然に顔を乾かした。そろそろいい時間だろうとスマホで時間を確認すると、時間は二十分しか経っていなかった。それから十分くらいベンチに座りながら風景に溶け込んで、僕はようやくハンバーガーショップに向かった。それも、わざとゆっくりと。
ハンバーガーショップで、君の注文と僕の注文しハンバーガーショップを後にした。ここでようやく目標にしていた四十五分が経過した。流石に君でももうお風呂から上がって僕を待っている頃だろうと、何も確認せずに僕は自分の家に帰ったら、扉を開けたそこには下着姿の君が待ち構えていた。反射的に僕は勢いよく扉を閉めて、その扉にもたれかかった。
「え? ちょ、ちょっと? 何で閉めるの?」
「何でって、そりゃ閉めるでしょ! 青葉こそ、何でそんな格好しているの?」
「お風呂出たけど着る服がなかったから、探してたんだもん!」
僕は後悔した。僕自身が勝手決めた四十五分を過ぎたから大丈夫だと勝手に思っていた自分を。一度ノックしてから君に確認してから部屋に入るべきだった。
「き、着ていた服は?」
「汚れちゃっっているし、着たくないんだもん!」
「じゃ、じゃあ、寝室のクローゼットに僕の服全部あるから適当に着れそうな服選んで着てよ」
「分かった。健、服借りるね」
「いいから、早く着て」
「はーい」
君が着替え終わるのを僕は扉にもたれかかったまま待った。
「健ー。終わったよ。もう入って大丈夫だよ。冷める前に早くマフィン食べようよ」
「本当に着替え終わった?」
「本当に着替えたから。信じてよ」
疑いが完全に晴れたわけではないが、僕は君の言葉を信じて中に入った。
「おかえり、健。早くマフィン食べよう!」
そう言った君は上は服を着ていたが、下は明らかに履いていなかった。
「ズボン履いてないよね?」
「大丈夫だよ。見えてないから」
そうゆう問題ではない。
僕は君にマフィンを手渡し、クローゼットを漁った。君でも履けそうなできるだけ小さいズボンを探して。
「これ履いて」
「ありがとう。悪いね」
高校の時からパジャマに使っていた半ズボンを君に渡した。君がズボンを履いている間僕はずっと背を向けて待った。
「ありがとう、健。大きいけど、紐で絞れば何とか捌けるよ」
「じゃあ、気を取り直して朝ごはんにしようか」
「うん! あ、でも、私先に食べちゃった……」
「そんなこと気にしないよ。一緒に食べよう」
「うん! ありがとう」
僕の部屋にあるテーブルは小さく、二人分のバーガーとコーヒーを乗せれば、大方埋まってしまっていた。その分君との距離も普段よりも近かった。
「じゃあ、もう一回。いただきます!」
君は本当にどんなご飯でもいつもおいしそうに食べる。その顔が僕は一番好きなのだ。
「やっぱりマフィンは美味しいね」
「そうだね。本当、君は昔から変わらないね」
「そんなことないよ。私だって変わっているよ。健みたいにね!」
「健みたいに」その言葉の意味が僕には理解できなかった。
マフィンを食べ終えると、君は長いズボンを探してほしいいと言い出した。確かにそんなダサい半ズボンのまま君を帰らせるわけには行かないもんな。
「だけど、君に合うズボンは絶対にないから半ズボンの上に履いていけば?」
「う〜ん。それはモコモコしてちょっと気持ち悪いけど、仕方ないか」
「太くて悪かったね」
「そ、そんなこと言ってないじゃん」
「顔が全てを物語っていたよ」
「嘘! 私、そんなに顔に出てた?」
「うん。顔見たら全部分かったよ」
「そ、それは、健だからじゃないの?」
「それもあるかもしれないけど、君ってバカ正直な顔だから、嫌な時って嫌って顔するじゃん」
「じゃ、じゃあ、ずっと私嫌な顔してたから振られたの?」
「そうかもね」
「何でもっと早く言ってくれないの?」
「気付いていると思っていたから」
「自分の性格なのに気付くわけないじゃん! 建のバカ!」
他愛もないこんな会話が、僕にとっては何よりも幸せな時間だ。何にも邪魔されたくない。ずっとこんな会話を続けていたい。僕は、君にこれからの予定を訊いた。
「青葉は今日は暇?」
「ごめん。今日はバイト入っているんだ」
「そうなんだ……」
あからさまに落ち込んだ様子でそう言った僕を元気ずけるかのように君は言った。
「そんな顔しないでよ。また遊ぼ! あ、今度は健の手料理が食べたいな」
「それは僕の台詞だと思うんだけど……」
「いいじゃん。健、昔から料理うまかったし。またご飯食べさせてよ」
「分かった。次、君が振られた時は、居酒屋じゃなくて僕が料理を振る舞うよ」
「何言ってるの? 次は振られないから、それまでに食べにくるよ」
「うん。待ってる。僕も腕によりをかけて料理が作れるように頑張る」
「楽しみにしているね。じゃあ、健、今日はありがとう! バイト行ってきまーす!」
「いってらっしゃい」
こうして君は僕の家を後にした。
君の挑戦はまだまだ続いた。何度振られてもまた懲りずにまた告白する。そんな七転び八起きなダルマのような生活を続けていた。
「健! 今度こそは絶対に成功させてみせるからね。楽しみにしてまっててね!」
「うん……頑張って……。じゃあ、僕はいつもの公園のベンチで待ってるよ。君の好きなリンゴジュースでも買って。成功したら連絡頂戴」
君は何故か不機嫌そうな顔をしていた。
「何で振られている前提なの?」
僕が言った「リンゴジュース」の言葉が引っ掛かったようだ。
「ごめんごめん。冗談だって……」
「もう! 健がいつもそんな冗談言うから、私って毎回振られてるんじゃないの?」
「それはないよ」
「根拠は?」
「青葉と久しぶりに話した、大雨だった中学の時をよーく思い出して、あの時なんて、僕全く関係なかったじゃん?」
君は不機嫌な顔をより一層不機嫌にし、頬を膨らませていた。
「これから告白しに行くって言うのに、嫌な思い出を思い出させないでよ! もう! 忘れていたのに!」
「ごめんごめん。冗談だって……」
「もう、これで振られたら健のせいだからね!」
「分かった分かった。その時はちゃんと責任は取るから。安心してよ」
「絶対だよ。もし振られたら美味しいもの食べさせてよ!」
僕が言った責任の取り方は、君が想像しているようなものではない。だけど、ここは本心を誤魔化しておく。
「うん、分かった。君が食べたいものを奢るよ」
「やったー! ピザでもパスタでもいいの?」
「もちろん、なんでも奢るよ」
「やったー! これで振られても安心だ」
僕らの他愛ない話はこれでお終いだ。本当は君を送り出したくないけど、君の意思に背くほど僕は強情じゃない。
「じゃあ、健。行ってくるね!」
満面の笑みで手を振りながら先へと進む君に、僕は定型分のような言葉しか言えなかった。
「いってらっしゃい」
君を送り出した僕の顔は水たまりに寂しく映っていた。それもそうだ。君が泣いて帰って来る姿を、僕は見たくないんだ。それに、君が誰かのものになる姿はもっと見たくない。心の底では君が振られるようにと願っている。そんな醜く濁った僕の前にいつも咲いている白い花。白くて綺麗なその花は、濁った僕の心を浄化させる。僕だけのものになったらいいのにな。そう心に思わせてくれていた。
もし、今日の告白、君が失敗したならその時は僕が……、いや、それはないか。君との今の関係を崩すのが怖い僕にそんな勇気はない。だけど、本当に君を誰にも取られたくない。本当に僕だけのものになったらいいのにな。