恋慕・3
アリスが帰ってくるのを待っている間に、エマはテルセオの本棚を物色していた。
小難しい題名の表紙が並んでいるが、一冊位、自分が読めそうな本が、あるのではないか。と期待したが、無駄だった。
そこで、書類机の重厚な椅子に座り、頬杖を付きながら未だ寝台で目を覚まさない、かつての婚約者を眺めていた。
言い訳もせず手紙も寄越さない、冷たい元婚約者。 書類上では婚約継続中となっているようだが、テルセオはどう考えているのだろうか。
―――蜘蛛の糸にすがるように、僅かな期待を持ってしまう自分が嫌だ。 右へ左へと想いが揺れる。
規則的に上下する彼の胸元を見つめていると、無性に飛び付きたくなった。
侍女達は、どこか近くに待機しているのだろうけど、この衝動が押さえられない。
侯爵家と伯爵家だ。 このまま別れてしまえば、余程の事が無い限り会う事も話す事も無くなる。
今日を逃せば二度とテルセオに触れられない。そんな焦燥に駆られた私は、そっと椅子から立ち上がり、寝台に近づいた。
やはり、テルセオの瞼は閉じたままで、規則的に胸元が上下している。
さすがに飛び付くのはどうかと思い直し、ベッドサイドに座り、ゆっくりとテルセオの首もとに腕を回した。 そして、顔を彼の胸元に埋める。
私は、懐かしいテルセオの香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
―――どのくらい、そうしていたのだろうか。
窓から射し込む日射しが、長く影を落としていた。
そろそろアリスが戻ってくる頃だろうと、身体を起こそうと寝台に手をついたその時、動きとは逆に寝台へ引き寄せられた。
「!?」
驚いて、テルセオの顔を見ようとするが、がっちりと身体を押さえられ、抱きしめられていた。
「テルセオ、起きたの?」
「―――名前を……名前、呼んでくれるんだね……」
少し顔を上げると、翠玉が真っ直ぐに、迷うこと無く私を見つめていた。
「失礼いたしました。テルセオ様」
名残惜しいが丁寧に彼の手をほどき、侍女に侯爵夫人を呼ぶように頼んだ。
直ぐに侯爵夫人と、丁度到着したパブロが部屋にやってきた。 夫人の喜びようといったらなかった。 このまま衰弱していったらどうしようと、生きた心地がしなかったそうだ。
早速、パブロと常態を確認しながら、調合する薬草の相談を始めた。
「身体のどこも悪く無さそうだから、滋養強壮効果のある薬湯でいいと思うんだけど」
「そうだね。 心身の疲労回復だろうね」
私達は、薬草を選ぶ為に王都にあるパブロの店に行くことにした。
※※※
翌日アリスを伴い、テルセオの家へ出向く。調合した薬を置いて帰るだけでよいのだが、是非にと言われ、テルセオの部屋に立ち寄る事になった。
「少し苦味があると思います」
飲みやすいように、甘茶を混ぜてある。 パブロが最近仕入れた、少し甘味のあるお茶だ。
一瞬、渋い顔をしたが全部飲み干せたようだった。
「一日に数回飲んでみて下さい。 一日三回として、数日分置いていきます。飲み方は、侍女に伝えておきます」
「では」と頭を下げ、部屋を出ようとすると「エマ……」と声を掛けられた。
「なんでしょうか」と尋ねれば「頭が痛む」と言う。
「失礼します」
そう言って、テルセオの寝台に近寄り額に手を当てた。 手のひらからは、違和感は伝わってこない。 それでも……と、ゆっくりと回復魔法を流してみた。
「エマ……悪いけど、毎朝、我が家に来てもらえないか?」
「………」
私は答えること無く、手のひらを当て続けていた。
「エマに体調を確認してもらってから、出仕した方が確実だと思うんだ」
翠玉の瞳が、躊躇うことなく私を見つめていた。
そっと、視線を反らせ「そういう事でしたら……」と、毎朝、健康確認を行う事になった。
薬湯のお蔭なのか、翌日には騎士団へと出仕した。
そして、毎朝の体調確認が継続された。
※※※
テルセオの屋敷からパウラの屋敷に帰り、パブロに頼まれた騎士団に卸す回復薬を作る作業を行う。
仕上げた回復薬を、パブロの店へ持っていき従業員に手渡す。
そして、再び薬草を預かりパウラの屋敷に戻り……そんな一日が続いた。
時々サラに呼ばれ王宮へ出向く。セシリアとアンヘラは、まだ領地なので私とパウラとサラの三人だけのお茶会だ。
あれから、クルーズ男爵家は取り潰しとなり、彼の悪巧みに加担していた貴族は、左遷や降格、爵位剥奪になり、王都の物流は正常化した。
王宮騎士団の半数近くが、先の事件で男爵に脅迫され加担していた為、騎士団が機能しなくなり、現在、王宮騎士団の再建にレオナルド王子とルーカスが奔走している。
言うまでもなく、副団長も不在の状況だ。
サラがレオナルド王子から聞いた話では、ルーカスは次の社交シーズンでセシリアに、猛アプローチをかけるつもりでいるので、春になる前に騎士団を建て直しておきたいらしい。
サラは、順調に王子妃教育が進んでいるようで、早ければ再来年の夏に、挙式が出来そうだと喜んでいた。
「エマとセシリアと一緒に挙式出来たら楽しいわ」
そう言って、サラは目を輝かせているが、私は何と返していいのかわからない。 ただ、曖昧に微笑んだ。
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アカンサスの花園~モブのつもりでいたのですが~
よろしければ、お願いいたします。




