恋慕・2
父にパウラからの手紙を見せ、叔父の家に滞在したいと、許可を求めた。
父は、難しい顔をしていたが渋々許可をくれた。 ただ一点、恋と情を取り違えるなよ。そう念を押された。
それは、どこか淋しそうな音を含んでいた。
※※※
アリスと共に馬車に揺られ、数ヶ月ぶりの王都に到着した。 すっかり景色が様変わりし、街路樹の葉もすっかり落ち寒々しく感じる。
街行く人々も、暖かそうなコートやマントを羽織っていた。
サラマス伯爵家に到着すると、挨拶もそこそこに侯爵家へと向かうことになった。 とりあえず、様子をみてもらいたい、との事だった。
パブロとも侯爵家で落ち合う手筈になっていると、叔父が言う。
再び馬車に揺られ、侯爵家のエントランスに降りたエマは思い出していた。 前回テルセオと一緒に、この屋敷に来たときは夏だった。
侯爵夫人の後をついて、中庭の通路を進む。ヒマワリが咲いていた庭は、すっかり刈り整えられ寒々しく映る。
そして、婚約宣誓をした部屋の横を通りすぎた。今じゃ、婚約破棄された身の上だ。
私は、すっかり痕跡が無くなってしまった左手に、そっと視線を落とす。
そして、侯爵夫人は、テルセオの部屋の前で立ち止まった。 柑橘の香りが漂ってきたような気がした。
今は冬なのに……。私は一人苦笑いする。
あの時、剣帯をこの部屋で渡した事を思い出す。パブロに言われた通り、剣帯に『女性避』のまじないをかけておいて良かった。
「聞いているかわからないけど、週に幾日かは寝込んでしまうのよ。今は、昨日から寝込んでいるわ」
そう言うと、侯爵夫人は彼の部屋の扉を開けた。
「貴女の同情心を当てにして悪いとは思うのだけど、どうか助けて頂戴」
夫人はそう言うと泣き崩れ、侍女に身体を支えられていた。
一歩、室内に足を踏み入れた。 カーテンは閉めきられ、部屋の空気がドンヨリとしている。 書類が積み上げられていた机は、スッキリと整頓されていた。
視線を奥に向けると、テルセオが寝台に横たわっている。 しかし、記憶の中にある彼とは、似ても似つかない。 思わず近寄り、頬に手を当てた。
頬はやつれ、目は窪んでいる。肌艶も悪い。それに、あんなに美しかった横顔の面影もない。
ハニーブロンドの柔らかな髪は、パサつき絡まって『月光の貴公子』だったはずの彼の顔回りに、散らばっていた。
聞けば、日によって体調の浮き沈みが激しく、普通に仕事へ向かう日もあれば今日のように一日寝込んでしまう日もあると、侯爵夫人が涙ながらに語る。
「テルセオとルーカス、それとレオナルド殿下。この三人が王宮騎士団の要なのに、これではいつまでたっても、再興ができない」
叔父が困ったように訴えてくる。
「―――できるだけ、やってみます」
私は、彼の傍らの椅子に腰を下ろした。
侯爵夫人と叔父は「よろしく頼む」と言いながら、部屋を後にした。
※※※
パブロが後から来るそうなので、それまでテルセオの身体を診察することにした。 アリスは衝立の裏に待機している。
テルセオの髪を指で鋤く。 フワリと柑橘の香りが立ち上がった。 懐かしい彼の香りだ。
テルセオの手を取る。 剣ダコのある美しかった手指は、ただただ細く骨張っていた。
ここまで触っているのに、テルセオは身動ぎ一つしない。寝込んでいる、というレベルではない。
彼の手を握りながら、ゆっくりと回復魔法をかけていった。 身体のケガは回復するだろうが、精神には効かないとわかっている。
わかってはいるが、試さないではいられなかった。
「ねぇ……本当は、何があったの?」
エマは、閉じられたままの瞳に問いかけた。
―――しばらく魔力を流し続けたが、やはり回復している様子はなかった。 彼の身体に手をかざしてみるが、違和感もない。どこも悪くないのだ。
考えられるのは、心因性の病だ。 こればかりは原因を取り除く他ない。
私が思うに、グロリア・クルーズへの罪悪感だろう。 結果はどうあれ、彼女に対して後ろめたい気持ちがあれば、罪悪感に苛まれるだろう。
(私より、あの女に看病してもらった方が回復するんじゃないかしら?)
割と本気でそう思った私は、セシリアを通してルーカスに話してみようと考えた。
急に部屋の中に、茉莉花茶の香りが漂ってきた。
振り返ると、アリスがお茶の準備をしている所だった。
「お嬢様みたく、茉莉花茶で目を覚ますと楽なんですけどね」
そう言いながら、ベッドサイドに紅茶を運んでくれた。
「テルセオの好きなものって、何かしら? 甘いものが好きって言ってたけど……」
「あれはどうですか? パンケーキ。 お嬢様と一緒に食べたっていう」
「また、クリームを口元に付けたら、驚いて起きるかしら?」
「試して見ますか?」
何もしないで寝顔を眺めているよりは、いろいろ試してみようと思い、アリスに『ナッツとシナモンのパンケーキ』を買ってきてくれるよう頼んだ。




