恋慕・1
結局、私は王都にもいかず、テルセオに会うこともしなかった。
ようやく、左手薬指の軽さにも慣れ、胸を覆う空虚感とも、折り合いをつけられるようになったのに、テルセオに会うことで、再び絶望感を味わいたくなかった。
皆が手紙で、テルセオが婚約破棄を申し出た裏側を事細かに伝えてきたが、本人からは何も言われていない。テルセオからは、言い訳も聞かされていないし、手紙すら届いていないのだ。
本当は、どう思っているのか、何を考えていたのか……私にはわからない。 何も言ってこないということは、そういうことなのだろう。
期待して裏切られるのは、もう、たくさんだ。
※※※
『神託下る。エギナ公子勝訴』
裁判の結果は、ベニドニア街の自分の屋敷で知った。
グロリア・クルーズと父親の訴えは、すべて虚偽だった上、騎士団員を脅迫していた罪は重い。 また、神前で国王を欺こうとした事が、王族の逆鱗に触れた。
結果、男爵家は取り潰しとなった。
転じて、テルセオ・アンダクス侯爵子息とエマ・ベニドニア伯爵令嬢との悲恋が話題に上っているようだ。
『グロリア男爵令嬢により、引き裂かれた二人の行方は』
(行方も何も、ほっておかれたままですけど……)
チクリと、まだ、胸が痛む。
自分のゴシップ記事を、ソファーに放り投げ、アリスを呼んだ。 気分転換にパブロの店に行こう。
「半年以上、商船から離れちゃったから商人の勘が鈍ったかも」
パブロはブツブツ文句を言って、海に戻っていった。
彼ほど、潮風が似合う男性はいないのではないか?
と、最近思う。
マントを羽織った私は、マルガ海の見えるパブロの店へと、馬に跨がり颯爽と駆け出した。
※※※
クルーズ家が牛耳っていた王都の物流は正常化し、パブロの商団も出入り出来るようになって、パブロから直接、王都の話を聞く機会も増えた。
商人の勘が戻ってきたらしく、日々忙しく過ごしているようだ。
いつものように、パブロの入れた茉莉花茶の入ったティーカップを両手で持つと、かじかんでいた手指がじんわりと暖かくなる。
パブロは今日も、王都の話題を提供してくれる。 彼の話しはいつも楽しいのだが、私は一人、取り残されたような気分になる。
このまま、何もせず誰の役にも立たないでいいのだろうか……。
「エマに相談があるんだけど……」
カウンター越しにパブロが、言いにくそうに切り出した。
「騎士団に卸す回復薬、作ってみない?」
聞けば、研究所に卸していた薬草などは、半数近くがクルーズ家の商品だったようで、薬品などが品薄なのだそうだ。
それで、以前エマが作った回復薬の効き目が良かった事を覚えていた騎士がいて、パブロに相談してきたそうだ。
「気が乗らなければ、断っていいよ」
空になった私のカップに新しい茉莉花茶を注ぎながら、何の気なしに、それも、独り言のように言う。
その気の使い方がおかしくて、クスリと笑みが漏れる。
「大量には作れないけど、それでもいいなら」
そう伝えると、ホッと安心したようにパブロの顔が綻んだ。
何もしないで悶々としているよりは、仕事があった方が気が紛れる。
『アンダクス侯爵子息、体調を崩す』
視線を反らした先の、カウンターに置いてあった大衆紙の見出しが、エマの心を揺さぶっていた。
―――寒さも一段と厳しくなり、外に出るのも億劫になってきた頃、パウラから急ぎの手紙が届いた。
《サラマス家の一大事よ。力を貸して》
サラマス伯爵は、王宮騎士団の建て直しのために尽力していてのだが、テルセオが体調を崩す事が増え、勤務出来ない日々が続く事に、ほとほと困っていた。
彼が本調子にならないと、王宮騎士団の再生は難しい。
そこで、エマに薬を調合して欲しい。と要請があった。 王都にパブロも出入りしているのだから薬草の調達も調合も、ここサラマス家で行えばいい。
すでに、部屋も用意した。
―――とあった。
また、次の社交シーズンが始まるまでサラマス家で過ごしたらどうかしら。 サラが喜ぶわ。
とも書かれてあった。
なるほど、サラマス家は王都に住んでいるし、サラも王城で王子妃教育を受けている。 お茶会の話もあった。
(それに、テルセオの具合が悪い。というのは、少し……イヤ、かなり気になる)
サラマス伯爵に頼まれたから。という、言い訳も出来るし、これを口実にテルセオに会える。
ムクムクと恋慕の情が沸き上がる。
「ダメダメ……」
目を閉じ胸に手を置いて深呼吸をする。 ゆっくりと恋心に蓋をする。
パウラからの手紙を手に、エマは父の執務室へと向かった。




