つわものどもが夢の跡
翌朝、エマはアンダクス家の客室で、アリスからテルセオの情報を聞いた。
早朝、夜が開けきる前に、半裸のテルセオがグロリア・クルーズを抱えて離宮に現れた、と。
テルセオは上半身傷だらけで、グロリア・クルーズの着衣は乱れ、テルセオの上着が掛けられていた、と。
エマと揃いで作った、あの乗馬服の上着だ。 よりにもよって、なぜ、あの女なのか。エマは臍を噛む。
―――そして、今だ。
エマは、アンダクス家の談話室で、血の気の無いテルセオと、神妙な面持ちの彼の両親に囲まれていた。
張り積める空気に押し潰されそうになる。エマの頬を涙が伝う。
「申し訳ありません。もう一度、仰ってください」
エマは、嗚咽が止まらない中、かすれる声を絞り出した。
「エマ・ベニドニア嬢。私、テルセオ・アンダクスとの婚約を解消して頂きたい」
彼の、テルセオの声も、涙でかすれていた。
この時、世の中には自分達の力では、どうしようもない事象が有る事を知った。
「了承いたします」
エマはそう言って、左手に鎮座しているテルセオの指環を、震える指で外そうとした。
侯爵夫人が、「それは、貴女が持っていて頂戴」と、エマの手を押さえたが「アンダクス卿の奥様に成られる方に失礼だから」と断った。
せめてもの意地だった。
本当なら、そのまま左手に残しておきたかった。
その後の記憶は曖昧だが、迎えにきた父と馬車に乗り、タウンハウスへと向かっているのは、わかっていた。
※※※
グロリア・クルーズの名誉の為
それだけの為に、エマとテルセオの婚約は白紙になった。
―――あの夜、本当は何があったのかは、二人にしかわからない。
行方不明になった令嬢、あの失礼な令嬢だったのだが。 彼女が、足を踏み外して窪地に落ちた所、足首を挫いて動けなくなっていた。
それを見つけたグロリア・クルーズとレジー・キッシンジャーが引き上げようとした所、グロリアも窪地に落ちた。
グロリアが令嬢を窪地から押し上げ、キッシンジャーが彼女を抱えて離宮に戻り、指示を出していた隊長のテルセオに、グロリアの事を伝えた。
二人は、窪地に戻るがグロリアの姿が見当たらない。
そこで、テルセオが窪地に降りて……
その後、テルセオが言うには、グロリアが川に入り
―――彼女は「令嬢の落し物を取りに川に入った」と言っているそうだが。
そのまま流されてしまったので、慌てて助けに入ったが、一緒に流され滝壺へ落ちてしまった。
気が付けば、隣にドレスの裾が破れたグロリアが横たわっていたので、そのまま抱き抱え、記憶を頼りに離宮までたどり着いた、と証言した。
家名に誓って、グロリア・クルーズには指一本触れていない。婚約者のエマ・ベニドニアを悲しませる事はしていない。と誓約して、王家にも認められたのだが……。
クルーズ男爵が黙っていなかった。懇意にしている上位貴族を抱え込み、『グロリアの名誉が傷ついた』と騒ぎ立てたのだ。
一晩、男性と二人きりで過ごした娘に、良い縁談がくる訳がない。責任を取れ。
そう言って、離宮に乗り込んで来た。
そして、テルセオは、グロリア・クルーズの名誉を守るため、彼女と婚姻する事になった。
―――タウンハウスまでの長い道のりで、ベニドニア伯爵は、淡々とエマに説明をしていた。 時折、涙で言葉が詰まったが、事実のみを感情を交える事無く話していた。
「誰も悪くない。誰も悪くないんだよ、エマ」
全て話し終えたベニドニア伯爵は、声を殺して泣いた。
※※※
エマはわかっていた。 テルセオは本当に、グロリア・クルーズに触れていない事を。
ただ、任務を遂行しただけの事。それを、逆手に取って既成事実にしてしまうなんて、なんて汚いんだろう。
でも、優しいテルセオは、彼女を見捨てられない。
―――私を、見捨てるのにね。
乾いた笑いが漏れる。
私を見捨てたテルセオは、優しい人なのだろうか?
わからない。何もわからない。
なぜ、私が婚約破棄されなければならないのか。
私の名誉は?私の婚姻は?
「私の方こそ傷物だわ」
エマは、やり場の無い怒りを感じていた。
21時




