狩猟大会*四*封印された記憶
水の流れる音が聞こえる小川の畔で、エマはパブロの膝の中に座り、彼に背中を預けていた。 ホタルの光が幻想的にユラユラと揺らめいている。
先程まで、この数年分の涙を流していた。 見上げば、満点の星空が泣き腫らした目に映る。
「パブロ、忘れててごめんね」
何度目かの謝罪をする。謝っても、謝っても、まだ足りない。
「思い出してくれて、嬉しいよ。僕の姫様」
※※※
母は身体が弱く、ベニドニアの暑さが耐えられなかった。 私は母と共に、ほとんどの季節を山々に囲まれた、標高の高いエギナ公国で過ごしていた。
パブロが好んで着ている民族衣装が好きで「同じ服が着たい」と駄々をこねた。 見かねた母が、ここにいる時だけよ、と揃いの服を用意してくれた。
ルシアの凛々しい姿に憧れて、彼女の髪型を真似ていた。
ニオラオスの剣技に憧れて、一緒に剣技を習っていた。
テオドロスみたいに、薬に詳しくなりたくて、一緒に先生に学んだ。
そう、私はエギナ公国のフレン城に住んでいた。
ニオラオスとルシア姉様の結婚式の帰り、私はパブロと離れがたくて、彼の馬に乗っていた。
馬車の車列を追い越したり、また戻って母に手を振ったり……、風を切って走る馬の虜になっていた。
どのくらい経った時だったろうか。馬の嘶きが聞こえた。 複数の蹄の音も。
複数台の馬車が、いくらかの距離を取って走ってはいたが、様子がおかしい……と、慌てて車列に戻った私達が見たものは、盗賊らしき集団に襲われている馬車列だった。
母の乗る馬車の他に、式に参列した貴族の馬車も襲われている。
「逃げろ!」
叫び声がした。パブロが手綱を引き、全速力で駆け出した。 怒号が聞こえ、弓が追いかけてくる。
「大丈夫、大丈夫だから」
見上げると、シャープな顎のラインが目にはいる。 エマは、しっかりとパブロにしがみついた。
街道を外れ、森の中に逃げ込む。相変わらず怒号は聞こえるが、弓は追って来なかった。
巧みな綱捌きで、木々の間を滑るように駆け抜ける。木漏れ日が照らすパブロは綺麗だった。 ビーズがキラキラと煌めいていた。
「大丈夫だよ」
パブロの声が優しく響く。
※※※
その後、深夜の森の中で、私達はフレン騎士団に探しだされた。
エマは、母を亡くしていた。 母は、母が大好きだったという、ヒマワリの咲き乱れる崖の下で見つかったそうだ。
そして、エマは話せなくなった。 つねに、側にパブロがいないと、手をつないでいないと奇声をあげるようになった。
城内で、母を思い出すと気が狂ったように暴れた。
医者の提案でフレン城を離れ、カルタシア家に行くことになったが、エマは、パブロと引き離さる事を全力で拒んだ。
カルタシア領のグレタ城に入ったエマは、落ち着きを取り戻し、言葉も戻ってきた。
しかし、皆が安心した頃、事件が起きた。
「あなたは誰?」
ある日、目を覚ましたエマは、あれほど一緒にいたパブロを記憶から消したのだ。
そして『母は幼い時に馬車の事故で亡くなった』と、記憶を書き換えていた。
―――エマは、心の平穏を図るため、母と結びつき易かったパブロを始め、フレン城での記憶を封印したのだった。
いつか……成長した時、母の辛い思い出に耐えられる心が育った時、記憶が戻るかもしれない。としか、医者は言わなかった。
そして、パブロはグレタ城を、エマの元を去ったのだった。
※※※
「私、ずいぶんヒドイ女だわね。 命の恩人を忘れるなんて……」
本当だよ……と言いながら、パブロはエマの背中に体重をかけてきた。 首筋に温かい物が伝った。
「ごめんね、パブロ」
「……もう、いいよ……」
鼻声の彼は、エマに回した腕に力を入れる。
「エマ……お願い聞いて」
「聞ける事なら……」
「結婚するまで……やっぱり、ずっと側にいていい?」
そんな事……と思ったが、テルセオがどう思うだろか?
「テルセオなら大丈夫、エマの気持ちを教えて」
パブロが、涙で潤んだ瞳で、顔を覗き込んでくる。
「私は、ずっと良い友人でいたいわ、ずっと一生」
「やった……約束だよ? 忘れないでよ?」
彼の腕が、かすかに震えている。いったい、何年間辛い思いをさせてしまったのだろうか……。
「パブロ、ごめんね」
「エマのバカ」
二人でワンワン泣いた。これでもか、という位泣き続けた。ひとしきり泣いた後、どちらからともなく『ニオラオスとルシア姉様にも報告しないと』となった。
上手くいけば、まだ夜会に参加してるのでは?と考えた二人は、月が高く昇っている時間だったが、馬を走らせた。
人影もまばらになった会場に飛び込むと、ちょうど別棟へと渡っている、ニオラオスとルシア妃を見つけた。
「ルシア姉様!」
エマが叫んだ。 何事かと視線が集まる中、ルシア妃がエマ達に近付く。 泣き腫らした二人の顔を見て、ルシア妃は悟った。
「パブロ、もしかして……」
「はい、記憶が戻りました」
再び、エマとパブロが泣き出した。それを見たルシア妃も泣き出して……ニオラオスが慌てて、三人を自分達の宿泊棟へと誘導する。
誘導しながらも、ニオラオスは感極まって、涙が止まらなくなっていた。




