婚約
陽が傾きかけた頃、エマは父親と、アンダクス侯爵家に来ていた。 テルセオのタウンハウスは初めて来たように思う。
しかし、彼の両親の話では、幼い時に亡き母と訪れていたそうだ。
父に尋ねるが、「覚えていない」とはぐらかされた。
侯爵夫人に案内された庭園に、ヒマワリが咲き乱れていた。よく見ると複雑に入り組んでいて、迷路のようになっていた。
聞けば、幼い頃にテルセオと、よく、この迷路で遊んでいたのだとか……。
隣を歩くテルセオにも尋ねるが、やはり覚えていない。と言われた。
庭に明かりが点り初め、よりヒマワリの黄色が引き立つ。
(―――ヒマワリは、嫌いだわ)
なぜか、恐怖を感じていた。
テルセオに優しく背中を押され、ヒマワリの恐怖から逃げ出した。
※※※
食事を頂きながら、ゆったりと時間は流れる。
エマがテルセオとの婚姻を承諾してくれて、こんなに嬉しい事はない、と何度も言われる。
テルセオの兄は、まだ領地にいるので「狩猟大会で会えるのを楽しみにしている」と手紙を頂いた。
どうやら、魔通信で届けられたようだ。
エマは、アンダクス侯爵家に喜ばれ受け入れられる事を、心から嬉しく思っていた。
一つ心残りなのは、レオナルド王子の命で、一年間婚姻が遅れる事だった。
そう、話は伝わっているはずだったのだが、侯爵が司祭を呼んである。という。
公表しなければ、婚約宣言はしても良いはずた、と。
夫人も、口約束ではなく、キチンと書類に残すことが大切だと譲らない。
テルセオも、「こうなったらうちの両親は頑固だから……」と、婚約宣言に署名する事を提案してくれた。
エマの父も、反対する理由は一つもないと快諾した。
エマとテルセオは、家族が見守る中、司祭の前で宣誓し署名をした。
司祭からの祝福を受け、『テルセオと婚姻する』という事実が急に現実味が帯びた。
テルセオとの式は、来年のシーズン終了前、狩猟大会の前に執り行おう。と、話がまとまった。
「それで、レオナルド殿下の件なのですが……」
テルセオが言いにくそうに、ベニドニア伯爵に切り出した。
「殿下の婚約者候補に、エマ嬢の名前が上げられたのは、もう、ご存知でしょうか……」
みるみる父の顔色が変わる。
「その件は、断った」
「えっ? ついさっき言い出した事よ?」
エマは、驚いて聞き直す。 つい数時間前に開かれていた、王子のお茶会で言われた事だ。
断られた、なんて言っていなかった。
「あぁ、正確には今夜、断るだな」
父が言うには、今夜、王子の枕元に断りの手紙を縫い付ける予定になっているそうだ。
「ちゃんと代替案も伝えるぞ? エマは、社交に疎いのでパウラの付き添いとして、社交を学ばせてくれ。とな」
ようは、エマは婚約者候補にはさせないけど、パウラの付き添いとしてお茶会に参加させる。という事だ。
―――まったく、代案に成っていない。レオナルド王子の誘い損だ。
「それで、シーズン終了後の事が聞きたいのだろう?テルセオ殿」
「えぇ、お茶会に定期的に参加するとなれば、領地に帰るのは如何なものかと……良ければ、我が家で……」
ニヤリと笑って、父はテルセオの提案を打ち砕いた。
「もう、サラマス伯爵家に頼んである。申し訳ない。それに、グレタ騎士団の強者が警備にあたってくれるからな」
聞けば、副団長のディラン・グリフィス侯爵が残るそうだ。
分かりやすく、うなだれたテルセオをからかうように父が言う。
「たった一年だ。あっという間ですよ」
※※※
ベニドニア伯爵が、一足先に自宅へと戻っていき、エマはテルセオの私室にお邪魔していた。
侍女が紅茶を入れ、隣室に控えている。
柑橘系の香りがする……爽やかな香りだった。 まるで、テルセオのような。
書類机の上には乱雑に書類が積み上げられ、書棚は難解な題名の本が並んでいる。
「仕事を持ち帰る事があって……」
恥ずかしそうに、書類を束ねだした。その仕草を微笑ましく見守った。
「テルセオ……」
「なに?」
呼べば、柔らかく微笑み、顔を上げ私を見つめる。二つの翠玉が、私だけを映す。
(あぁ……好きだなぁ……)
彼の仕草、一つ一つが好ましい。
「渡したい物があって……」
エマは侍女に頼み、荷物を届けてもらった。 受け取った包みをテルセオに渡す。
「初めてにしては、上手く出来たと思うわ」
―――パブロが、王都に滞在している間に相談した。 テルセオに『剣帯』を贈りたいと。 そこで、騎士団で利用できて、アンダクス侯爵家に恥じない商品を探してもらった。
直ぐにパブロは調べてくれたのだが、「ちょっと問題があって」と言われ、隣町まで出掛けたのだ。
「王都は、僕に厳しいね」
と笑っていた。パブロの商団が出入りするには、利権関係で、いろいろ不便があるのだろう。 そんな話を、昔、家庭教師に聞いた気がする。
彼の髪色に近い、明るい茶色の革の中から『火に強い』という商品を選んだ。 まだ、流通していない革のようで、「テルセオに流行らせてもらうつもり」とパブロが言っていた。
そして、『剣帯』にまじないを掛けるための図案を選んだ。
色々悩んだ挙げ句『毒』にした。




