錯綜
ハズキが怒っていた。 最近怒りすぎなのではないか?と、エマは心配する。
原因はわかっている。あの噂のせいだ。
『テルセオには、想い会っている令嬢がいる』
よくよく観察してみると、テルセオに近しい令嬢は否定するが、遠くなるにつれ、噂を信じているように感じた。
―――ということで、私の中ではデマだと決定づけた。 ただ、身の回りには注意していた。
今日も、騎士団の医務室でハズキと二人、留守番をしている。
怪我人が出ないのは良いことなのだが、手持ち無沙汰だった。 正直に言えば、暇だ。
仕方なく、薬品棚の整理をしていたところ、幾つか足りない薬草を見つけた。 仕事が見つかった。
「ハズキ、ちょっと薬草園に行ってくるわ」
エマは、ハズキに断り、意気揚々と薬草園に向かった。
騎士団の訓練所の横にある、薬草園に向かう通路を歩いていると、長い黒髪を高い位置でひとくくりにした、一人の女性騎士がこちらに歩いてくるのが見えた。
邪魔にならないよう、端に避け歩いていると、すれ違いざまに声をかけられた。
正直、話したくなかった。 なぜなら、あの夜会でテルセオと二人でテラスにいた女性騎士だったから。
忘れられる訳がない。長い黒髪を緩やかに巻いて、深紅のドレスを纏っていた。とても妖艶な雰囲気を出していた。
報告を受けていただけ。皆、そう言っているが、彼女にそれ以上の何かを感じていた。
思い出すだけで、不快感が込み上げてくる。
気のせいだといい。そう思いたかったが、期待通りにはいかなかった。再び、呼び止められた。
「婚約は継続するのですか?」
清々しい程に透き通るブルートパーズの瞳が、エマを射抜く。
「それが、何か?」
「隊長を解放してください」
―――テルセオは、王宮騎士団で隊長をしているのか。 初めて知ったわ。
「解放……ねぇ……」
少し前の私ならば、婚約破棄するから心配しないで。と、嬉々として答えていたのだろうか。
「隊長とは、話すわけでもなく、顔も合わさないそうじゃないですか。」
確かに、いつも彼はそっぽを向いていた。 会話は、帰りがけの一言、二言……。でも、今は違う。
「悪いけど、その予定は無いわ」
底知れぬ碧い瞳に、宣言をする。 宣戦布告といったところだろうか。悪くない。
そのまま、彼女の側を離れようと歩き始めると、震える声が追いかけてきた。
「私は、あきらめないっ」
※※※
勢いのままに薬草園の扉を、乱暴に開けた。
今頃になって、怒りがフツフツと沸いてくる。あの場で怒鳴り散らさなかった自分を誉めてあげたい。
―――隊長と呼んでいた。ということは、四六時中テルセオと一緒にいるのではないか?
胸の奥がチクリと痛む。 恋とはなんと面倒な物だろうか。 頭では理解しているつもりが、心はそれを否定し、拒む。
テルセオに近づかないで。 二人で会わないで。
そんな事を言える訳もなく、ただひたすらに薬草に八つ当たりをしていた。
ブツブツ言いながら、薬草を引っこ抜く。
「ずいぶんと乱暴な採取だね」
声の方向に顔を向けると、黄昏色の瞳に射すくめられる。怒っているのだろうか。
「ごめんなさい……」
「薬草に当たるのは良くないよ。僕たちを助けてくれる相棒だからね」
テオドロスは、エマの隣にしゃがみこみ、優雅な手付きで、薬草を一房引き抜いた。
「エマ……聞こえちゃったけど……大丈夫?」
先程の女性騎士との、言い争いの事だろう。
「なかなかに、キツイです」
フフッと寂しく笑うエマを、テオドロスは、ただただ見つめていた。
肩が触れ合う近さで並んで座っている二人は、無言で薬草を採取していた。
もう、籠に入りきらないほどで、これ以上は必要ないのだが、テオドロスは何も言わない。
ポツリポツリと、エマは苦しい胸の内を吐露する。まさか、恋敵が彼の部下だとは思わなかった。
令嬢ならば、彼と逢う機会は限られているから、それなりに牽制できるが、同じ騎士団の隊で、部下だなんて……。手の打ちようがない。耐えるしかない。声が震える。
「エマ……僕と一緒に、エルギ公国に来るって手もあるよ?」
冗談なのか本気なのか……テオドロスは優しく微笑む。
「今度エマと会う時には、僕は公人になっている。今までみたいに、気軽に会うことは出来なくなる」
テオドロスは、薬草が溢れている籠を手に、立ち上がった。
「だから、テルセオが信用出来ないなら、僕と一緒に公国に来てくれないか」
驚いたエマの手が止まる。
「何を言っているの? 」
「僕の気持ち、気付いてない?」
今まで見たことが無い、冷たい表情で見下ろされていた。
「―――無理よ。彼が好きだもの……」
「そうか……」
テオドロスは、エマの頭を軽く撫でると、そのまま薬草を詰め込んだ籠と一緒に、薬草園から出ていってしまった。
「いったい、どうしてしまったの?」
エマは薬草を手にしたまま、唖然として薬草園の入口を見つめていた。




