社交デビューに向けて
しばし、穏やかに歓談が続いたのだが、侯爵夫人がしきりに侯爵の脇をつついていた。
エマは、何かあるのだろうか?と不思議な面持ちで、二人のやり取りを眺めていたのだが……
「エマ、来月何があるかわかる?」
痺れを切らせた侯爵夫人が切り出した。
―――来月はデビュタントがある。 そして、王都での舞踏会の始まりだ。 私の社交界デビューだ。
「あぁ可愛いエマ。その様子だとテルセオから何も言われていないのね」
祖母が、少し寂しそうな顔をする。
「来月、王都で舞踏会が開かれるんだが、一向にドレスの注文が来ない、と連絡があったものだからね。 だから、私達からエマにドレスをプレゼントしようと思って」
「デビュタントのドレスなら、発注済みですが」
父と相談して、ユリをイメージした純白のドレスを発注してある。
「エマ、デビュタントのドレスだけで社交シーズンを乗りきるつもりかい?」
それまでニコニコしながら、やり取りを眺めていたテオドロスが、呆れたように口を挟んだ。
「やめてよね。僕が両親に怒られる」
――そう、私の母は、エルギ公爵の親族。そして、私が幼い時に、馬車の事故で亡くなった。私とテオドロスは、遠戚なのだ。
「僕からも、一着プレゼントさせてもらえる? エスコートは任せてよ」
「―――なんか、いろいろ面倒になりそうだから、遠慮します」
「師匠の言うことは、絶対じゃなかったかな?」
彼は、ニッコリ微笑むが、全身で『否』を拒む圧が滲み出ていた。
「―――ありがとうございます」
その時、父であるベニドニア伯爵が、隣室で採寸の準備が整った、と私を呼びに来た。
侍女に連れられ退室する私と入れ違いに、父が入室した。
隣室に入ると、正面にドレスが飾られたトルソーが目に入った。 そのドレスは、エメラルドグリーンを基調に作られていた。これは、テルセオの瞳の色だ。
「これって……」
「はい。テルセオ様からです」
侍女の答えに、思わずクスリと笑ってしまう。
Aラインのドレスの裾に、丁寧に刺繍されたユリが施されている。 これを見るに、気紛れで贈ってきた訳ではなさそうだ。 だいぶ前から準備をしていたのであろう。
「本当に、わかりにくい人ね」
私の事が気に入らないのか、義務なのか、そうではないのか……。
エマは、ドレスの刺繍を手に取り、しばし悩むのだった。
一年間、定期的に交流を深めるようと言われて、冷めたお茶会が開かれているが、それも、この社交シーズンの終わりと共に終了となる。
私の顔を見たくも無いだろうに、王都から毎月きちんと、我が屋敷を訪れてくれる、彼の事は評価している。
少なくとも、意に沿わない結婚をしてもいい。 と思える位には、考えてくれているのだろうか。
タウンハウスで過ごす数ヶ月の間に、もしかしたら、心が通じ合うことがあるかもしれない。
―――私達は、まだ、お互いを知らなすぎる。
テルセオは、王立騎士団に所属している。そして、その凛とした佇まいから『月光の貴公子』と呼ばれているらしい。
私に言わせれば、その冷たさからだと思うのだが。
とにかく、侍女達が言うには、女性から絶大な支持があるらしい。
※※※
採寸が終わり、応接室にもどると祖父と父が、今後の予定を教えてくれた。
「デビュタントのエスコートの権利は、僕がもらったよ」
テオドロスが、満面の笑みで得意気に伝えてくる。隣国とはいえ、王族にエスコートされたとなると、後が怖い。 ただでさえ『武神』が親族にいるのに。
しかし、皆が喜んでいるうえ、テルセオからエスコートの話は来ていない。 テオドロスの提案を、断る理由もない。
「そうね。お願いします」
「僕がプレゼントしたドレスを着る時も、エスコートさせてよ?」
上目遣いでお願いしてくる、その姿が可愛らしくて思わず笑いだしてしまう。
(テオドロスが婚約者だったら良かったのに)
そんな事を考えてしまうが、あり得ない。 それにしても、彼の時折ゴールドに輝く、ヘーゼルの瞳はとても美しい。 まるで、黄昏時の空の色のようだ。
それから、祖母を中心にカタログを見ながら、ドレスのデザインを選んだ。 数パターン、ベーシックなデザインを選び、後は王都の流行を見ながら、短期間で仕上げられるように準備するそうだ。
王都に行くのは初めてだ。 従姉が住んでいるが、会うのは、いつもカルタシア領の侯爵邸だった。
同行する予定の侍女達も浮かれていた。 王都というのは、そんなにも惹き付けられるものなのだろうか。
デビュタントの前に、従姉の住んでいるタウンハウスで、夜会を開くらしい。
カルタシアやベトベニアと親しい貴族令息、令嬢には、そこで前もって紹介されるそうだ。
いよいよ、私の社交デビューが始まる。