研究所
エマは、テルセオとの間にあった『行き違い』が無くなり、気分が晴れやかだった。
世界が美しく見える。こんな気持ちは、初めてだ。 いつのまにか、鼻歌も出てしまう。
気持ちが通じ合うとは、こんなにも良いものなのか。想い想われるとは、こんなにも幸せなものなのか。
そこで、ふと気付く。いったいテルセオはいつから……、いつから私を?
研究所で鍋をグルグルかき混ぜながら、百面相をしているエマを、職員達は不思議に思いながら見守っている。
「彼女、大丈夫なの?」
「心配事も解決したみたいなので、問題ないですよ」
所長は心配そうにテオドロスに尋ねるが、彼はクスクス笑っている。
(パブロが任せてくれって言っていたけど、上手く行ったみたいだな)
テオドロスは安心すると共に、寂しさを感じるのだった。
「そういえば、そろそろ帰国の時期ね。寂しくなるわ」
「そうですね……。お世話になりました」
―――そうなのだ。テオドロスの留学は一年と定められていた。正しくは、エマの婚約が決まるまで、社交シーズンの終わりまでだ。
(テルセオと上手くいかないようだったら、連れて帰ろうと思っていたけど、あんな話を聞いたら諦めるしかないよね)
初めてテルセオに会ったエマは、確かに言っていた。
あれは、どれくらい前だろうか。カルタシア侯爵のタウンハウスで、同じ派閥の貴族達が子供達を連れて集まっていた。
テオドロスもカルタシア侯爵の遠戚を理由に、その集まりに顔を出していた。
まだ、国政の事は習い初めてたばかりで、良くわからなかったが、交流を深めておくのは『国益』になると、侯爵に教えられた。
辺境に領地のある侯爵家、また騎士団に力をいれている、いわば国軍に関わる家柄の集まりだった。
子供達の顔合わせもあったのだろう。
そこにエマも来ていた。 基本人見知りな彼女は、真っ直ぐテオドロスの席へと向かったのだ。
テオドロスの円卓は、第二王子、テルセオ、ルーカスがいた。 今思えば、錚々たるメンバーだ。
エマは、当たり前のようにテオドロスの隣に座った。確か、右側にテルセオが座っていたと思う。
許可も求めずに勝手に座った事を、侯爵に怒られていたなぁ……。そんな事を、テオドロスは思い出す。
面白そうに眺めていた第二王子、動じることなくお茶を飲み干したルーカス、エマが気になって仕方ないのに、こっちを見ることが出来なかったテルセオ……。
―――あぁ、この時にはもう、エマを気に入っていたのか。
「ねぇ、テオドロス。彼、横顔がとても素敵なの。ずっと見ていたいわ」
テルセオの横顔を頬杖を付きながら、ずっと飽きずに眺めていたっけ。 あの言葉を何年も、大切にしていたのか。
(テルセオ、君には敵わないや)
クスクス笑いだすテオドロスに、所長がギョッとしていた。
※※※
エマが、グルグル混ぜていた鍋の回復薬が出来上がった。 ハズキと一緒に瓶詰をし、騎士団へ持っていく準備が出来た。
今日ほど、騎士団でテルセオに逢いたいと思ったことはない。 最後に逢えるだろうか、いつ頃帰ってくるのだろうか……
――恋心とは、面倒なものだ。
「―――ねぇ、聞いてる?」
唐突にハズキに言われ、ふと、我に返る。
「ごめん、ボーッとしてた」
申し訳なさそうに微笑んだエマに、ハズキはすねる。
「本当に驚いたんだから。心配してたのよ」
「聞いてる。毎日、顔を見に来てくれたんでしょ?」
ハズキには感謝している。彼女が普通に接してくれるので、研究者は妙な雰囲気にならないですんだ。
思えば、なぜペーパーナイフなのだろうか。そんなもので、お腹を刺してみたところで、なにもならないのに。
「で、ちょっとお願いがあるんだけど……」
彼女が、立ち止まり言いにくそうに頼んできた。何だろうか、出来ることであれば叶えてあげたい。
「これを渡したい人がいるの……」
「それは……何?」
組紐みたいに見えるそれは、何かの飾りなのだろうか。
「騎士様の御守りにって、遠征の前に渡すのが人気なのよ。私も……ちょっとね」
ハニカミながら教えてくれる彼女は、とても愛らしく見えた。
「……かわいい」
組紐を手に取り、ハズキを見つめる。
「でしょ? エマも仲直りしたなら、今度作ってあげなよ。教えてあげる」
「ハズキが、可愛い」
キョトンとしたハズキが、意味が解ってきたようで照れ出した。
「もうっ、他の令嬢に先越される前に会いに行くの。研究所の特権なんだからっ」
少し顔を赤らめたハズキは、駆け足で台車を押す。エマも負けじと駆け足になり、王宮の廊下を笑いながら駆けていた。
いうまでもなく、直ぐに王宮付きの役人に怒られた。




