冷めたお茶会
『憂い』は『うい』と読んでください。
水を打ったような静けさの中で、ティーカップとソーサーの、重なる音だけが聞こえる。 豪華な調度品に囲まれた室内は、紅茶の香りに包まれている。 これは、遠く東の国からやって来た『茉莉花茶』だ。 とても爽やかな香りで、癒される。
この冷えきった室内で、暖かい紅茶とさわやかな香りだけが救いだ。 耐えきれない。
「―――はぁ……」
(しまった! うっかり、ため息をついてしまった……)
私は上目使いで、正面に座る不機嫌な彼を盗み見た。
彼は、斜め横を見ながら、手持ちぶさたの様子で、襟足にかかるハニーブロンドの後れ毛を、クルクルと指で回していた。
彼の名は、テルセオ・デ・コルセーナ。 アンダクス侯爵の次男で、私、エマの婚約者だ。一応。いまのところ。
我が伯爵家の領地、ベニドニアは、港と街道を所有する、物流の要の街があり、かなり裕福である。資金援助が目的か?
または、武神と謳われる祖父のカルタシア侯爵と、縁を結びたいのであろうか。
とにかく、一年の交流期間を設けた後に、お互いの意思を確認し、婚姻を結ぶ事になっていた。
窓から差し込む暖かい日射しに照らされ、彼の髪は金色に煌めいている。 高い鼻筋、形のよい薄い唇、物憂げなエメラルドグリーンの瞳。 完璧だ。 最高に美しい。 見惚れてしまう。
遠くで観賞する分には、最高だったのだが……。
「さて、そろそろ失礼するよ。 またね」
今日一番の笑顔で、彼は、そそくさと部屋を出て行った。 私も、やっと解放される。 今日のお勤めも、これで終了だ。
私は伸びをして、まだ暖かい紅茶を飲み干した。
「ねぇ、このお茶が届いたって事は、パブロが来てるの?」
私は、片付けをしている侍女に問いかけた。
「はい、今朝ほど見えました」
「ありがとう」
私はスカートの裾を翻し、部屋を出た。
※
エマは、港の市場にある、パブロの店に向かった。
元々は、船で運んできた商品が並んでいるだけの、簡素な店舗だったのだが、私がその商品、特にお茶とお菓子の味見がしたくて、駄々をこねているうちに、簡単なキッチンとカウンターが出来た。
店内に入ると、カウンターに見覚えのある背中があった。
「テオドロス?」
ゆっくり振り返る彼は、祖父の友人の息子で、隣国の薬草学者で私の家庭教師でもあった。 淑女の嗜みとしての家庭医学だけではなく、幅広い知識を習った。
「エマ、久しぶり。元気だった?」
そして、その知識を生かして、私は、治療院の手伝いをしている。地域奉仕だ。
「今日は、婚約者様と会ってたんだろ?」
パブロが、茉莉花茶を入れてくれる。
彼は、世界を教えくれる。世の中の情報や珍しい薬草、書籍なんかを貰っていた。 彼の話を聞いていると、自分も旅をしているような気分になる。
二人とも、私には兄のような存在で、大切な友人だ。
「えぇ。 一言も話さないで、ずっーと横顔を観賞していたわ」
パブロが、声をあげて笑う。
「エマは、会話をする努力はしないの?」
テオドロスが心配そうに尋ねてきた。
「彼は、私をバカにしているのよ? 必要ないわ。 そのうち婚約解消されるわよ」
私には夢がある。 婚約解消が叶った後は、より高度な薬草学を学たい。 もう一つは……たぶん、叶わない夢だ。
「ねぇ、破談になったら、助手にしてもらえる?」
ふと思い付いて、テオドロスに尋ねてみる。
「それは無理だよ。 僕もまだ、助手の立場だからね」
「私も王立研究所で働けるかしら?」
彼は、私の家庭教師の契約が終わったのち、祖父のツテで、この国の研究施設に交換研究生として働いている。
「―――ん……、どうかな? それより、婚約者殿との関係を良くする努力が、先じゃない?」
この世には、薬草から抽出したエキスを利用し、様々な薬が作られている。
一般的な回復薬、魔力のみ回復させる魔力回復薬、これらを合わせた特別薬。 魔力が高く適性のある者は、回復薬や他の薬を作ることができる。
テオドロスの働く研究所は王都にあり、薬の開発を行っていた。
ここ、ベニドニアには固有の薬草が自生していて、彼は時折、その薬草を採取に来ているのだった。
「お嬢様?」
侍女が入口のドアから、顔を覗かす。
「侯爵さまが、お呼びだそうです」
「お祖父様が?」
いったい何の用なのだろうか、ワザワザ領地から出てくるなんて。
祖父の領地カルタシアから、ここベトベニアまでは、どんなに急いでも一週間程かかる。
「侯爵がみえているなら、僕も挨拶に伺おうかな」
テオドロスも席を立つ。
※※※
港が一望できる高台にそびえ立つ堅固な城壁に囲まれた城館が、ベニドニア伯爵邸だ。
カルタシア侯爵家の流れを汲み、上流貴族によくある豪華絢爛な邸宅ではなく、質実剛健な城館だ。
侍従に案内され応接室に入ると、祖母が椅子から立ち上がり、両手を広げ出迎える。
「エマ! 元気だった?」
「お祖母様、ごきげんよう」
「カルタシア侯、ご無沙汰しております」
「おぉ、これはテオドロス殿下」
そう、私の先生、テオドロス・クラニディ・エギナ殿下。彼は、隣国エギナ王国の第二王子なのでした。