§1-2. 続・窮地1: プール裏と水着と翼
ウチのクラスの子ではないが、彼女にはしっかりと見覚えがある――というかむしろ、見覚えのないヤツはいないのではないだろうか。
――『学園の天使』、立待月瑠璃花。
容姿端麗。才色兼備。端的に言えばそんな四字熟語がぴったり来るタイプ。それに加えてつややかな金髪を風に泳がせるようにしている可憐さが、彼女にそんな二つ名を1年生にして付けさせたらしい。
それにしたってベタな称号がついたモノだとも思うが、実際にその姿を見れば誰もが納得するはずだ。何せ、ウチの学校の男子で子の名前を聞いたことがないヤツなんていない。どんな交友関係を築いていたとしても、どこからか彼女の名前とその二つ名を耳にしているのだ。
ただ、その二つ名は飽くまでも「彼女とタイマンで会話をしたことのない男子が言っているだけ」という説も、同時に実しやかに話されている。
いろいろと想像は付く。
何せあれだけの容姿だ。彼女に愛の告白をした結果ものの見事轟沈した輩が彼女を貶めるために流したウワサか。あるいは神にいくつものギフトをもらったことを僻んだ輩が彼女を貶めるために流したウワサか――そのあたりが相場だろう。
正直、どうでもいい。
隣のクラスだし、女子だし。しかも(あまりこういう言い方はしたくないのだが)学園カースト上位層だし。同じクラスの女子ともそこまで会話するわけでもない俺にとっては、関わり合いにはなりそうもないタイプの女子だし、何らかのきっかけが無ければお近づきにもならないタイプの女子でもあった。要するに、勝手に騒いでいてくれ――なんてことを思っていた。
プールは静かだ。まだ残っているのは彼女だけなのだろうか。先生の姿は見えないが、油断はできない。さっきクラスの男子が何人かしょっ引かれたばかりだ。
なにはともあれ、あちらからは気付かれていないらしい。
小さく深呼吸――をしたところで、ふと気付く。
――なぜ彼女はまだ水着姿なんだ。
不意に心臓が高鳴る。
いや、何考えてんだ俺。そういう場合じゃないだろ俺。
しかし、今ここから動くのもマズい。何せここは砂利が敷き詰められていて、少しでも動けば音が立つ。息を潜めていることしかできない。
校舎の陰、ちょうど陽射しが入ってくるところに彼女はいる。まるでスポットライトを浴びた歌劇団のスターのようにも見える。風に泳がせているロングヘアーは金髪にも近い明るい色合いで、殊更につややかだった。
そして、白磁の肌に赤い水着もまたよく似合う――――。
――ん?
上から下への視線を止める。
冷静になる。
もう一度見てみる。
彼女が着ているワンピース型の水着は、紺色ベースだった。
何度が見直すが、間違いなく水着は紺色だった。
じゃあ、あの赤いモノは何だ。
彼女の上半身を――というか胸元を覆い隠しているように見える、アレは何だ。
目を凝らす――。
彼女はそれを手入れするように優しく撫でている。
ときおりそれをロングヘアーと同じくやや暑い風になびかせる。
それは彼女の背中から前の方に伸びてきているように見える。
――喩えて言うならば、それはまさしく、翼。
そうだ、翼だ。羽根だ。
深紅の大きな翼を愛おしくケアしている姿。
それがいちばん適切な喩えだろう。
――え。いやいや、ちょっと待て。どういうことだ?
天使とかいう話って、実はガチのマジだったって話?
でも、天使の羽根ってふつうは純白だろう。
深紅ってことはないだろう。
いやいや、待て待て。冷静になれ。
そんなバカな、って話だ。
そんな非現実的な話なんて、有るわけ無い。
あれはきっと陽の入り方の関係で、たまたまそういう風に見えただけで――。
「あっ」
失礼な視線を向けながら余計なことばかりを考えていた罰なのか。
単純に腕の力が抜けたせいなのか。
そもそも無理な持ち方をしていたのが原因か。
――抱えていたボールが、ひとつ逃げていった。
思わず、一歩踏み出す。
足下の砂利が鳴る。
ボールを追っていた視線が彼女に向く。
――目が合う。
「(やばっ)」
もうダメだ。どうしようもない。
即座にダッシュして転がったボールを拾い上げる。
「ゴメンッ!!」
出来る限り、最大の声で謝罪。
駆け出した勢いそのまま、体育倉庫の方へと走った。
〇
そんなこんなで窮地を脱して、放課後を迎える。
教室の掃除当番に当たっていた俺は、じゃんけんに負けて集めたゴミを集積所に持って行く役目を任されてしまった。
そうして俺は、本日2度目の窮地に立たされることになった。