閑話 神託
その日、神殿の長たる神官長には重大な任務があった。
それは、今王妃の腹に眠る国王の嫡子の運命を神に尋ねることである。
神殿中でも神官長と国王しか入室を許されない最深部で、神官長は壁に刻まれた天女の像と向き合っている。天女の右手部分には水晶が埋め込まれており、その水晶は常に不思議な白い光を灯していた。
最深部は入り口の正面に天女像が、左右の壁に竜と麒麟、天井には鳳凰の像が刻まれており、部屋の中央に質素なござが敷かれている。
神官長は国にとって重大なできごとに対する神託を受けるのだ。
神託が降りるのにかかる時間はまちまちで、今回はこの部屋にこもって三日が経とうとしていた。
(こんなにも長い間、神託が降りてこないとは…)
高齢である神官長の体力は限界に近づいていた。
その時、神官長が突然目を見開いた。しばらく天井を見上げて硬直していたが、やがて目を閉じると手を合わせて祈りを捧げる。その皺が刻み込まれた目元からは止めどなく涙が流れていた。
「ああ、神よ。感謝いたします。この老いぼれたる私にこのような素晴らしい神託をお伝えする役割を与えて下さったこと、身に余る光栄にございます。これを生涯最後の仕事と心得、必ずや国王陛下にお伝えいたします」
その言葉の通り、神官長は国王に神託を告げた半年後に亡くなる。
そして、その一月後についに予言の子が生まれた。
「この子が、甲王の生まれ変わり…」
国王は震える手で生まれたばかりの男の子を抱きしめた。
『この後、二百日後に、背にあざを持つ男子が生まれる
その者は、この地に国を開いた甲王の魂を持ち
この国に訪れる危機を救う、明けの明星となるだろう』
***
それから数年後、新しい王妃が子を授かったため、代替わりした神官長は神託を得るため神殿の最深部に足を運んだ。
「そんな…!」
驚く神官長の目線の先には女神像、正確には女神が持つ水晶がある。この国を守るために輝いていると言われる水晶は何の光も灯していなかった。
(六年前の水害の時は変わらず灯っていたというのに…)
数年足を運ばないうちに、水晶の光が消えてしまったというのか。今まで数百年間絶えたことがなかったというのに。
神官長は己の責任だと顔を青くしたが、やがて別のことに思い当たる。
(まさか、舞姫様も現世にお戻りになられたのか…?)
甲王と共に国の始まりを築き上げた、奇跡の力を持つ天女。その魂が、この国を守るために天女像に眠っているというのが、神殿に古くからある伝承だ。
(探さなくては…。甲王と天女様の力で、この国に安寧を…)
***
『私はどうしても行かねばならないのです。この地の民を守るのが私の役目ですから』
そう言ってその女性はこちらを安心させるように微笑む。
その背中に手を伸ばしたいのに、体が全く動かない。
(行っては駄目だ、行かないでくれ)
「待ってくれ!」
叫びながら飛び起きた青年は体中にべっとり汗をかいていた。荒い呼吸を整えながらぐしゃりと髪をかく。
(また、この夢か…)
繰り返し見るのは後悔の夢。人は幸せな記憶より辛い記憶を覚えているものだというが、この夢ばかり見るのはそのせいか、それとも別の意味があるのか。
(彼女が、この世にいるとでも言うのだろうか)
仮にそうだったとしても、探し出すのは砂漠の中から一粒の砂金を探すようなものだ。
(私にはやるべき事が山ほどある)
そのためにも早く寝てしまおうと、青年は目を閉じたのだった。