窯の村の少女
南領の山間に陶芸を生業とする集落がある。家よりも窯の数の方が多いその集落は端的に『窯の村』と呼ばれていた。
小さな山がたくさん並んでいるように見える窯だらけの作業場から少し離れた場所に、村人達の家は集まっていた。大人たちが作業に明け暮れる時間、子供達は家に残って家事をしたり赤ん坊の面倒を見たりしている。
幼い子どもや赤ん坊が昼寝をしてしまい、作業場の喧噪が嘘のように静まり返った家々の一軒を覗き込んで、30代後半の闊達とした女性が声をかける。
「センナ、いないの?」
返事はない。
「またあの子は、抜け出して踊りにいったのね。困るわ」
***
村を見下ろせる小高い丘にセンナは立っていた。
肩口で切りそろえられた胡桃色の髪は落ち着きなくふわふわと広がり、大きな黒目はどこか夢見がちな光を宿している。
目を閉じて思い浮かべるのは昨日こっそり手伝いにいった芸館で見た踊り子の姿。
スッと一歩足を踏み出せば、自分の纏っている簡素な麻の着物も、足元の朝露の残る草も、微かに香る土を焼く匂いも気にならなくなる。
頭の中に流れるのは昨日初めて聴いた舞曲。『月露』という曲だと店の見習いの子に教えてもらった。
(月から零れる雫はきっと冷たいと思うなあ)
腕を頭の上に掲げ、そのまま回転する。センナの麻の着物は何の広がりも見せないが、彼女の頭の中では昨日見た踊り子の藍色の袖が翻っていた。身をかがめ、さらに一歩踏み出す。驚いたことに、この少女は一度見ただけの舞を完璧に覚えて、再現していた。
(ここで笛の音が高く跳ね上がるのだから、もっと大胆に)
そして、昨日の踊り子の動きを自分なりに変えていく。
緩やかにセンナの口元に笑みが浮かんだ。
舞っている自分の姿など、当然センナには見えないにも関わらず、彼女は自分がどんな風に動いているのか恐ろしいほど客観的に見えていた。鏡という高級品などない田舎育ちの少女はそれでも自分の手足の長さを直観的に理解し、正しく動かす術を知っていた。
物心ついた時から、誰に言われるでもなくセンナは舞を舞っていた。
窯の村では、年に一度火の神様に祈る儀式が開かれ、年頃の娘が神に奉納する舞を舞う。簡素ながらも、村の娘からすれば立派で美しい着物に身を包み、都の娘のように化粧をして舞台に立つ。村の女の子はほとんどが目を輝かせて見ていたので、センナが奉納の舞を真似て遊んでも両親は大して気にした様子もなく「上手だね」と微笑んでいた。しかし、センナの舞好きはおままごとだけでは終わらなかった。
十になったばかりの頃、皿を届けに近くの町の芸館に行ったセンナはそこで初めて本職の踊り子を見た。すぐにその舞に目を奪われ、芸館への届け物をする役には必ず立候補した。何度も踊り子の姿を目に焼き付け、一曲を空で踊れるようになるのに一年もかからなかった。
そして昨年、センナは初めて奉納の舞を舞った。
その時の舞台を踏みしめた感触を、センナは今でも鮮明に覚えている。
(踊り子になれれば良いのに)
芸館で働きたいと両親に願い出たことはあったが、顔を青くして反対された。芸館はあくまで歌や演奏、踊りなどの芸でお客を楽しませる店なのだが、店によっては不純な行為をさせていることもあるので、裕福でなくとも金に困っていないセンナの両親が反対するのは当たり前だろう。
考え事をしていたせいで舞が疎かになってしまったとセンナが舞を途中で辞めると後ろから味噌団子のような甘じょっぱくて重い声がした。
「おや、邪魔をしてしまったかい?」
「御爺様」
センナは目を丸くする。
声の主は村の長であるムジナだった。白髪頭に笑い皺がしっかりと刻まれた、人好きしそうな温和な雰囲気のこの老人は、なぜか都の役人とも縁があったり、他の村の長たちに一目置かれていたりする、ちょっとした大物だ。
近くの茂みにかがんで身を隠していたムジナは「よいしょ」と声をあげてゆっくりと立ち上がった。
「素晴らしい舞だったからね。こっそり見せてもらうつもりだったんだが、中断させてしまってすまないね」
「いえ、御爺様に気づいたのではなく、上の空になってしまっていたので仕切りなおそうかと思ったのです」
「そうかい」
ほほ笑むムジナの真意は読めない。
「御爺様はなぜここへ?」
「おんしに話があってな。センナ、舞は好きか?」
いつも糸のように細められているムジナの目がうっすらと開き、深い青に見つめられたセンナはたじろぐ。
「は、はい。好きです。私はたぶん、踊るために生まれてきたのです」
「それは頼もしい」
ムジナの返答にセンナはますます困惑する。
「センナ、舞姫になる気はないか?」
「舞姫ってあの舞姫ですか?」
センナは目を丸くする。
楼華国の舞の頂点。国中から集められた踊りの名手がしのぎを削って舞姫になることはセンナも知っていた。
「私のようなただの小娘にそんな…」
「おや、先ほどの言葉は嘘だったのかい」
ムジナの先ほどと変わらないほほ笑みがとても意地悪なものに見えてセンナは思わず言葉を返した。
「そんなことはありません。本当に私は踊ることが好きなのです」
「なら、遠慮する理由はあるまい。実はな、私もおんしと同じ考えなんだよ」
ムジナはゆっくりとセンナに歩み寄り、横に立つと村を見下ろした。
「同じ考えとは?」
「私もセンナは踊るために生まれてきたと思うのだ。長く生きてるがな、おんしのように舞う者を見たことがない。奉納の舞を見た時、この子は神童だと鳥肌が立った」
センナは感激で目を潤ませた。奉納の舞は複数人で踊る。その中で一人だけ際立った動きをしたセンナにいい顔をした村人はいなかった。両親も立派に成長したと喜んでくれただけで、センナの才能を認めてはくれなかった。
「御爺様…」
「無理強いはしないがね。都へ行けば間違いなく田舎者だと蔑まれるだろう。選姫の儀のための着物も最低限のものしか用意してやれない」
センナの心はもう決まっていた。こぶしを握りしめるとまっすぐにムジナの目を見つめる。
「やります。私は舞姫になりたいです」
踊るために生まれてきたと豪語するこの少女は、自分に待ち受けている運命をまだ知らない。
ただ、何かを予感させるかのように一陣の風が丘を吹き抜けた。