閑話 四領の主
その日、王宮勤めの文官達は全員がどこか緊張した面持ちで忙しなく動き回っていた。
理由は明白である。四家当主達が久方ぶりに王宮に集結することになったからだ。
「栄家当主、栄陽仙様、ご到着です」
部屋の外から響いた声に部屋の中にいた者達は一斉に入り口の方を見た。ゆっくりと開かれた扉から現れたのは、豪華な銀糸の刺繍の入った藍色の衣に身を包んだ人の好さそうな壮年の男だ。
「おや、皆さん揃っておられましたか。お早いですね」
「陽仙殿はいつも最後に来られる」
陽仙の言葉に、素っ気なくそう返したのは地味な茶色の衣を纏った白髪交じりの黒髪の男。彼は、北領を統べる斉家当主の斉玉義である。
「東の方は相変わらずおおらかだな」
皮肉っぽく玉義に続いたのは、鱗家当主鱗怜廉。立派な顎髭を蓄えたいかにも武人らしい見た目で、声も話し方も相手に威圧感を感じさせる。
「お座りください、陽仙殿。殿下がもうすぐおいでになりますよ」
柔らかい口調でそう言った耀家当主雲栄は、目で空いている席を示した。
陽仙は微笑むとその席に腰掛ける。
玉義と怜廉はまだ嫌味を言い足りない様子だったが、現国王から最も信頼の厚い雲栄が納めた場を荒らす気にはなれなかったので、口を閉じる。
「そうだ。雲栄殿、怜廉殿、ご息女が選姫の儀の本選に進まれたとお聞きしました。おめでとうございます」
思い出したかのように口を開いた陽仙だが、こうして四家が集まる機会にこの話をするつもりだったのは、透けて見える。
「ありがとうございます」
雲栄は朗らかに応じ、怜廉も仏頂面ではあったが礼を述べる。
「詩琳様が王妃候補でありながら、選姫の儀にも参加されたことには驚きましたが、本選まで進まれるとは流石です。私の娘にも見習わせたいものだ」
陽仙はあくまで社交的に詩琳を称賛しながら、雲栄に探りを入れる。
雲栄はどこまで本気で詩琳を王妃にしようとしているのか、それについては陽仙以外の三人も気になっていた所だ。
「褒めすぎですよ。陽仙殿の姪である胡家のご息女も本選に進まれたとか。明麗様も素晴らしいご令嬢だと評判ですし、東は才気豊かな女性が多いのですね」
雲栄はさらりと褒め言葉を交わすと、相手への賞賛で話題を逸らした。
内心がっかりしつつも、陽仙は玉義に話を振った。
「北からは風家のご息女が残ったとか。失礼ながら、初めて名前を耳にした令嬢だったのですが、玉義殿はお知り合いなのですか?」
玉義は珍しく小さく笑った。
「知り合いではありませんが、風家の現当主はなかなかの野心家でして。彼曰く百年に一人の天才だと」
玉義の言葉に陽仙は大層興味を持った様子で口を開く。
「それは大きく出ましたな。名前に神獣の名を冠すだけのことはある」
「風家当主は少々変わり者でして。風家は家紋が鳥を模しているので、代々鳥に関する名を付けるのですが、長男は紫に霊鳥の鸞で紫鸞というのですよ」
鸞は鳳凰が歳をとった姿とも言われる神獣の一種である。鸞にしろ鳳凰にしろ、実の子につけるには畏れ多い名前なのは間違いない。
「不遜な男ですが、私はその大胆不敵な所を買っていますよ」
玉義の言葉に怜廉と陽仙は警戒心を高める。
北領は四領の中で最も環境が厳しく作物が育たないため、貧しく権力も弱い。
そのため、現国王とそしておそらく甲覇が目指している楼華国の全域を王家の統治下とする計画には大賛成のはずだ。
現在の楼華国は四領の統治をほぼ全て四家が取り仕切っている。王家は四家にそれぞれの領地の税収を報告させ、そこから国に収めさせる税収を決めている。
そのため、交易が盛んな東領では商売に関わる税を低く設定し商業をより活性化させたり、軍費が嵩む南領では領民に高い税を課していたり、各領地で方針がかなり異なる。そして、この状態では国が各領地への口出しが非常にしずらいのだ。例えば、国全域が飢饉に見舞われた際に、備蓄の豊富な西領や東領から南領や北領に備蓄を配分しようとしても、そのためには四家との交渉が必要になってくる。
この状況を打開するために、現国王は何年も前から四領という垣根をなくし、楼華国を一つにしようと動いてきた。しかし、各領地の豪族は反対する家が多く計画が難航する中病に倒れたため、その課題は息子である甲覇に引き継がれることになった。
そして、この王家の計画によって四領の中で最も得をするのが北領だ。土地が貧しく作物が取れない北領には税から多額の補助が期待でき、北方の異民族への防衛も国の仕事として押し付けることができるからだ。自領の兵力に誇りを持つ鱗家とは違い、斉家は争いを嫌っているのだ。
王妃や舞姫が斉家縁の者にになれば、王家と北の結びつきは強くなり、四領制度の撤廃が強行される可能性もある。
(いや、あの玉義殿が選姫の儀にとっておきの隠し玉を投じてきたのだ。舞姫を利用し、神殿まで抱き込むことも視野に入れた計画だろう。厄介なことだ)
怜廉は眉間に皺を寄せる。
「甲覇殿下が参られました!」
扉の外の声に全員が立ち上がる。
ゆっくりと扉が開き、深紅の衣を纏った甲覇が現れると軽く微笑んで口を開いた。
「待たせてすまない。早速、会議を始めようか」
今回の会議の目的は新王即位後の体制についてである。主要な役職の人間は既に決まっており、四家はそれを最終確認するために集められている。
「では、民部局の長には玄嶺殿を?彼は中央の貴族で民の暮らしを知りません。租税に関わる民部局を任せるのはどうかと…」
「問題ない。彼は帝国で遊学の経験もある優秀な官人だ。それに、周りに平民出身の官人を置いても文句を言わない数少ない貴族だからな。民を蔑ろにする奴は問題外だが、貴族や豪族とも対等に渡り合えないと務まらないだろう」
怜廉の指摘に淡々と返す甲覇に陽仙は面白そうに微笑む。
(臣下のこともよく見ているようで。中々隙を見せてくれんなあ…)
新体制についての話がひと段落したところで、甲覇が思い出したかのように口を開いた。
「そういえば、陛下が進めていた四領制度の廃止について、貴方方に各領地の豪族に根回しをするように頼んだと聞いているが、どうなっている?」
甲覇の澄んだ黒い瞳に見つめられ、困ったように口を開いたのは雲栄だった。
「それが、西領の豪族の当主にそれとなく話はしてみたのですが、反応があまり芳しくなく…」
西領は楼華国で最も土地が豊かで作物が豊富に採れる。耀家は自身が広大な土地を持つこともあり、税の取り立ては非常に緩やかな上に非常時は耀家からの支援がほぼ確約されている美味しい状況なので、現状を変えたくない豪族が多いのである。
「まあ、そうだろうな。東も難航しそうだが…」
甲覇の言葉に陽仙は苦笑した。
「ええ。うちは商いで成り立っている領ですから。そこの税を増やされるのは誰でも予想できます。一応、他領への関税が無くなるかもしれないと餌をちらつかせましたけどねえ…。それに、どうも一部の若者たちがこの話を聞きつけて反対勢力として立ち上がろうとしてるとか」
甲覇は眉を顰めた。
「念のため、その反対勢力についても調べてくれ」
「御意」
そのやり取りを見ていた怜廉が冷たい声を発した。
「殿下、はっきり言って私は反対です」
甲覇は気分を害した様子もなく、怜廉に理由を尋ねる。
「何故だ?南領が一任されている対帝国の防衛の負担を減らす目的もあるのだが」
「そのような気遣い不要です。南の豪族はこの国を守っていることを誇りに思っています」
怜廉はこの四領制度廃止の理由の一端に南領が極端に軍事力を持っていることがあるのを分かっていた。南が中央に攻め込めば都も落とせるだろう。
(謀反を起こす気などさらさらないが、そう疑われている現状は面白くない)
「…そうか。だが、南領の民は他領より厳しい税を取られている。そのことについて少し考えてからまた意見を聞かせてくれ」
最後に甲覇は玉義に目を向けた。
「北領には王家の意向に逆らう者はおりません」
(そりゃそうだろ)
予想通りすぎる答えに怜廉は内心でせせら笑った。
四領制度廃止は北には旨みしかない。
(やはり、王妃も舞姫も北の者だけは避けてもらわなければならん…)
それぞれの思惑が動き出そうとしていた。




