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雨降って


 侵入者騒ぎから一夜明けたものの、花の館にはまだ騒がしく兵士が出入りしていた。

 結局、塀の外を警備していた兵士も逃げる侵入者を捕らえることはできず、花の館に残る犯人の痕跡とウキと凰架の証言だけが手がかりとなっている。


「侵入者は女?それは本当か?」

「間違いありません。かなり接近して戦いましたから。というか、この事は昨日も報告した気がするんですが…」

「細かい事は気にするな」


 ウキの報告にライは顎に手を当てた。


(そうだとすると内部犯の可能性が高まるな…)


 元々、内部犯の可能性を考慮して護衛兼候補者達の見張りとして護衛を置いたのだが、監視を強化するよう通達した方がよさそうだとライは考える。


「納得できないわ。二度も不審者の侵入を許しておいて、貴方たちを信じろと言うの?」


 良く通る凛とした声がライの耳に届いたので声のした方を見ると、宋夜が春麗に詰め寄られていた。春麗の後ろには凰架もいる。


「二度とないように、警備を強化しますから」

「結構です。胡家から護衛を呼び寄せた方が安心できるもの。どいて、この際だから五色院に抗議しに行くわ」

「春麗様、落ち着いて下さい。白月殿から出たら失格ですから」


 春麗の侍女である鈴蘭が春麗の方に手を置いて宥めるが、春麗はその手も振り払った。


「失格でも構わない。友達が二度も命を狙われたのよ。これで黙ってる方が人間として間違ってるわ」


 意外な言葉にライは目を丸くした。胡春麗は高慢で、他者のことなど気にかけない自己中心的な令嬢だと聞いていたからだ。


「春麗様。私は警備責任者のライと申します。どうか一度落ち着いて私と話の話を聞いていただけませんか」


 ライは春麗の前に進み出ると、跪いてそう申し出た。


「まずは、その仮面を外すのが礼儀では?」


 春麗の冷たい声が頭上から降ってくる。


(おっかないねえ…)


「申し訳ありません。昔、ある病にかかって顔が爛れてしまったのです。これ以上春麗様のお気を悪くしないためにも、どうかこのままで」

「そう…無理を言って悪かったわ。お詫びに話は聞きましょう」


 春麗はどうやらライの触れてほしくない事に触れてしまったと思ったらしい。実際のところ、仮面を付けている理由は真っ赤な嘘で、仮面のことを言われるのは痛くも痒くもないのだが、せっかくなのでライは春麗の同情を利用させてもらうことにした。


「春麗様もご存じでしょうが、凰架様は二度何者かに狙われています。この選姫の儀で候補者が狙われるとしたら犯人は同じ候補者である可能性が高いと考えております。ですから、他の候補者を見張る意味も込めて護衛をつけたのです。今、貴女に私的な護衛を連れてくるのを許可してしまうと、他の候補者が護衛に見せかけた刺客を白月殿に入れる絶好の機会になってしまいます」


 春麗は眉を釣り上げた。


「詩琳様も翠廉様も、舞姫の座を手に入れる為に暗殺に手を染めるような愚か者ではないわ。平民の二人には刺客なんて雇えないでしょうし」


 ライは頷いた。


「勿論、詩琳様と翠廉様が黒幕だと言っているのではありません。誇り高き耀家や鱗家がそんなことをするとも思っておりません。ですが、権力を持つ家の周りには、そのおこぼれを貰おうとする卑しいハエが群がるものです」


 春麗は少し言葉に詰まる。


「警備はより一層強化しますし、ここにいるウキと宋夜は私が最も信頼を置く優秀な部下です。どうか、信じていただきたく…」


 そこまで言ったところで、ライは一度下がりかけた春麗の溜飲が再び上昇していることに気づいた。


(あれ、俺何か変なこと言ったか…?)


「信頼できる部下、ですか。ライ殿はそこにいるウキ殿が凰架と旧知の間柄であることを知っていましたか?」

「え」


 ライが慌ててウキの方を見ると、ウキは気まずそうな顔をして「すみません」と小さく口を動かして伝えてきた。


(お前…ふざけんなよ!)


 平民の出である一介の武官と豪族のお嬢様を引き合わせるような真似をしてしまったのだから、春麗からの信頼が落ちるのは当然である。

 おまけに『信頼している』と言っておきながら部下の事情を把握していないことが露呈したのだから、ライの責任者としての質も疑われるだろう。


「ウキ殿は凰架の名前を呼び捨てにし、昨夜は直接手を握っていました。未婚の女性の手を握るなんて、平民ならともかく、豪族には許されませんよ」


(仰る通りです)


 ライはそう思いながら、何とか返す言葉を必死で探す。


「春麗、待って」


 そこで口を開いたのは、今まで黙っていた凰架だった。


「凰架、知り合いを庇いたいのは分かるけど、豪族なら豪族らしくちゃんと線引きをしなきゃ駄目よ」


 春麗の直球すぎる言葉にライは頬を引きつらせた。


「私、風家の正室の子でも側室の子でもないんだ。平民の踊り子から生まれた妾の子なの」


 凰架の言葉にその場が凍り付く。

 この国の上流階級の間では婚外子の存在は認められていない。法的に決められている訳ではないが、正室と側室以外から生まれた子どもはいなかったことにするのが慣例なのだ。


(馬鹿凰架…。柴鸞にそのことは言うなって散々言われてただろ)


 ウキは直接凰架にそう言ってしまいたかったが、流石に今は口を挟めない。


「春麗は、私との間に線を引く?」


 凰架の言葉に春麗が困ったように口を開け閉めする。


「そ、それは…今更そんなことしないけど」


 春麗の言葉に凰架は微かに微笑んだ。


「ウキはほとんど兄みたいなものなんだ。昔から何回も私を助けてくれてる。別に護衛が誰になっても文句言わないけど、私はウキ以外の武官は信用しない」


(何回も助けられるような出来事って何?)


 初めて知らされた様々な事実に困惑した春麗が真っ先に思いついた疑問はそれだった。しかし、今はそこに突っ込んでいる場合ではない。


「…一先ず、分かったわ。少し私が狭量だったかもしれない。護衛についてはライ殿に任せますが、警備は強化すると約束して下さい」


 春麗が折れたので、ライとウキと宋夜はほっと息をついた。


「ありがとうございます。警備は必ず強化するとお約束します。護衛については…」


 ライが少し考えていると、後ろと前からものすごい視線を感じた。後ろは恐らくウキだろうと思い前を見ると、凰架が灰色の目でじいっとライを見ていた。


(圧がすごい)


 ライがウキを信頼しているのは事実だし、都の武官は都会育ちで戦場を知らない生ぬるい者が多いので、実力的にもウキが適任であるのは間違いない。


「引き続き、ウキと宋夜に任せます。何か問題があれば直ぐに私に言ってください。ウキにも不用意な行動はしないようこれからきつく言い聞かせますので」


 特に後半の言葉に力を込めて、ライはそう言った。


「分かりました」


 春麗はそう言うと颯爽と踵を返す。後ろを向いた瞬間に、絹糸のような柔らかな髪が美しく靡いた。


(噂通りの美人だけど、人柄は噂とは違うな)


 ライは正直、春麗を最有力容疑者だと思っていたのだが、認識を改めることにした。


***


 ライがウキを引きずっていったので、宋夜が護衛として二人の側にいられるよう、春麗と凰架は同じ部屋にいることになったのだが、部屋の中は気まずい沈黙で満ちていた。

 その沈黙を破ったのは凰架だった。


「春麗、妾の子だって黙ってたの怒ってる?」


 凰架の言葉に春麗は首を振った。


「別に、そうじゃないけど…」

「でも、怒ってるよね?」


 ズイと凰架に詰め寄られた春麗は、心の中を見透かすような凰架の灰色の瞳から目を逸らした。


「怒ってるというより、凰架が凰架自身を私にあの武官のことを認めさせるために利用したことが気に入らないだけ」


(それに、私の考えの狭さを凰架に見抜かれてたみたいで恥ずかしい…)


 春麗は両腕で膝を抱え込むと顔を埋めた。


「そんなつもりはなかったんだけど…」


 凰架が珍しく困ったような声でそう言った。


「凰架はもっと自分を大事にした方がいいと思う。貴女は神様が地上に送った天才だもの」


 ふっと吹き出す声に春麗は顔を上げた。

 春麗の目の前では凰架がけらけらと笑っていた。


「それは私の台詞。初めて春麗を見た時、綺麗すぎて天女だと思ったもん。それに、もっと春麗の舞が見たいと思った。だから、私のために選姫の儀を失格になってもいいなんて言わないで」


 春麗は目を丸くしてから、凰架につられて笑った。


「分かった、私はなるべく五色院に歯向かわないように気を付けるわ。だから凰架も、危ない目に遭わないように気を付けて」

「善処する」


 二人の様子が和やかになったので、宋夜と侍女たちはほっと息をついた。


「でもね、昨日刺客に会ったのはむしろ良かった事だよ」


 首を傾げる春麗に、凰架は少しだけ口の端を持ち上げて告げた。


「次の曲目が決まったから」



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