剣舞(1)
『君の力は神様がくれた恩恵だよ。それを君の意思で使えるようになれば、きっと自分を好きになれるはずだよ』
(私なんかに、そんなこと出来るわけがない)
そう思って俯いた女の頬を男は両手で優しく包み込んで、顔を上げさせた。
澄んだ瞳に真っすぐ見つめられると、男が嘘や慰めを言っているのではないことが伝わってくる。
「わたし、は…」
そう呟いた自分の声で、センナは目を覚ました。
見慣れない天井に、ふかふかの寝具。
(あ、そっか。ここは白月殿だ…)
寝ぼけた頭でそんなことを考えながら、外の空気を吸おうと庭へと続く引き戸を開けると、戸の目の前には長身の男が立っていた。
「ひゃあ!」
思わず悲鳴を上げたセンナだが、よく見てみるとその男は昨日護衛として紹介されたセイだった。
「すみません。ちょっと寝ぼけていたもので、驚いてしまって」
セイは灰色の髪を短く刈り上げた色の白い青年で、美しい紺碧の瞳をしている。まるで人形のように整った顔からは一切の感情が読み取れず、センナにはセイの瞳がとても冷たいものに感じられた。
セイは無言で頭を下げるとセンナに背を向けて去って行った。
「センナさん、おはようございます!」
隣の部屋に続く扉が開かれ、元気のいい挨拶と共に果梨が顔を出した。
「お早いですね。すぐに身支度の用意をしますので」
自身はきっちりと楽舞局の女官服を身にまとった果梨は、にっこり笑うと顔を洗う為の水瓶と桶を部屋の中に置くと、センナの着物を取りに再び部屋を出た。
(相変わらずしっかりしているなあ)
センナは昨日果梨が自分より年下だと知ったのだが、とてもそうは思えない働きっぷりである。
「昨晩は良く眠れましたか?昨日あんな事故があったので、寝付けなかったんじゃないですか」
果梨の言う事件とは、舞姫候補が二階の廊下から転落した事だ。通りかかった武官のおかげで怪我などはなかったそうだが、候補者達の心に衝撃を与えたのは間違いない。
「大丈夫、ちゃんと眠れましたよ。朝から緊張していたからその反動で良く眠れたのかもしれません」
センナの言葉に果梨はほっとしたような顔をすると、センナの背後に回り内衣を広げた。
人に着替えを手伝ってもらうという経験を昨晩初めてしたセンナは、未だにこれには慣れない。
「私なんかが、こんな貴族のご令嬢みたいな扱いを受けていいのでしょうか」
袖に腕を通しながらセンナが呟いた言葉を果梨は聞き逃さなかった。
「良いに決まってます。センナさんはこれからこの国で王族に次いで尊い立場になろうとしている人なんですよ」
内衣の襟を整えながら果梨は力強くそう言った。
果梨としては自分に敬語を使うのも止めて欲しかったのだが、センナには慣れるまで待ってほしいと言われていた。
(普通の平民がいきなり舞姫候補になったんだから、戸惑うのも当然か)
果梨は少しでもセンナが気を遣わなくてすむよう、明るく構えすぎないで接しようと思った。
「さて、朝食は大殿から運ぶんですが、もう用意してしまっていいですか?」
「はい。今日は紅莉さんが剣舞を見てくれるそうなので、早めに準備しないと」
「そうでしたね。すぐお持ちします」
昨日、果梨が主任にセンナに剣舞を教える許可を貰いに行ったのだが、五色院の判断を仰ぐことになり、更に風凰架の転落事故があったため、結論は出ないままになっている。
センナの剣舞を紅莉が見てくれるという話を聞いて驚いた果梨だが、敵の様子を知るという意味では紅莉にとっても悪くない話なのだろう。
(でも、二次試験で見ただけの黎明をもう自分で再現できるって、センナさんは本当に天才なんだなあ)
***
センナの舞の稽古のため、紅莉と彼女が連れてきた芸館の踊り子の二人が雪の館にやってきた。二人についてきた紅莉の護衛である暁明は今はセイが立っているのとは反対側の部屋の隅で待機している。
「春鈴です。よろしくお願いします」
紅莉の後輩にあたるという春鈴は、豊かな栗色の髪を持つ紅莉とはまた違ったタイプの美人だ。
(踊り子って綺麗な人ばかりなのね)
センナは感心する。
「じゃあ、早速だけど黎明を見せてくれる?」
紅莉の言葉にセンナが頷くと、果梨が剣と横笛と鈴を用意し始める。
「果梨さん、横笛は春鈴が演奏してもいいかしら?この子、楽器の腕も立つのよ」
「勿論です。春鈴さん、こちらへどうぞ」
果梨は紅莉の提案に愛想よく応じる。元々、一人では笛と鈴の演奏は無理なので頼もうと思っていたのだ。
当の春鈴は少し困惑した様子だったが、先輩である紅莉の言うことなので、反論はせずに箏の試し弾きを始める。
センナは三人の様子を横目に見ながら、手に持った剣の重さや感触を確かめていた。
(意外と重いのね。刃は潰してあるみたいだけど…)
恐る恐る切っ先をなぞるが、当然手に傷はつかない。
「センナさん、準備が出来たら言ってください」
果梨の言葉にセンナは頷いて、部屋の中央に移動した。
「もう、大丈夫です。いつでも始めてください」
果梨は頷くと、鈴を構える。
目を瞑ったセンナの脳裏に浮かぶのは、二次試験で見た詩琳の舞。
(背筋は伸ばして、足取りは重く、丁寧に)
鈴の音と共に一歩踏み出せば、あとは自然に体が動き始めた。
初めて握る剣の重さが少し動きを鈍らせるが、その分一つ一つの所作を丁寧にすることをセンナは意識する。
(剣を軽やかに振るって難しいな)
同じく二次試験で見た翠廉の剣の動きを真似するが、彼女ほど自然に剣が踊るようには動かせない。
センナが舞にのめりこんでいると、あっという間に一曲が終わってしまった。
慣れない動きに息を切らしたセンナに紅莉は拍手を送る。
「すごいです!初めて舞ったとは思えないくらい素晴らしかったです」
果梨が目を輝かせてそう言う隣で、春鈴は信じられないものを見た顔で固まっていた。
「本当に、果梨さんの言う通りだわ。少し見ただけでここまでできるなら、剣の動きが複雑なものでなければ何でもできそうね。センナの舞の雰囲気に合いそうなのは、やっぱり剣舞の中でも神楽に近いものだと思うわ…『神宝』とか『星辰』とか…」
「それなら、『蒼天』はどうですか?」
「あら、流石は楽舞局の女官ね。良い感性してるわ」
楽しそうに盛り上がる紅莉と果梨を見て、センナは微笑ましい気持ちになるが、春鈴は「理解できない」という表情をしていた。
(そうだよね…。敵の手伝いなんて普通しないものね)
「あの、演奏ありがとうございました」
センナがおずおずと声をかけると、春鈴は蒼白な顔で「いえ…」とだけ返した。
「今から何曲か舞ってあげるから、自分で見てどれがいいか考えてみて」
春鈴との沈黙にセンナが困っていると、紅莉が声をかけてきた。
「いいんですか?」
「当たり前でしょ。乗り掛かった舟よ」
センナは驚きながらも、紅莉の優しさに甘えることにした。




