夢の懸け橋
センナが選姫の儀の本選に進んだという事実はあっという間に宿の近隣に知れ渡った。様々な店から食べ物や着物が宿に届けられ、宿の主人は宴会まで開く始末である。
「御爺様、どうして皆さんこんなにお祝いしてくださるんでしょう?」
宴会の席で歌い踊る人々を呆気に取られて眺めながらセンナは首を傾げた。集まっている人の中には顔見知りもいるが、大半は知らない人たちで、なぜ見ず知らずのセンナの本選進出を喜んでいるのか皆目見当もつかない。
「舞姫は貴族や高級芸館の踊り子しかなれない高みの存在だからのう。同じ平民出身の舞姫が出るかもしれないと思えば、それが知らない少女でも嬉しいのだよ」
センナはその言葉に少しだけ嬉しくなる。
(そうだ、私は人々を幸せにしたくて舞を…)
「ほら、センナさん。これはうちで一番いい肉だよ。どんどん食べて!」
「ありがとうございます」
飯屋の主人が料理を勧めたのをきっかけに、次々とセンナに声をかける人が現れて、センナはあっという間に宴会に来ていた人々に囲まれてしまった。
センナがたじろぎながらも、楽しそうに話している姿を見てムジナは安心したように微笑んだ。
***
宴会がひとしきり大盛り上がりし、中には酔いつぶれて眠りこける者まで出てきたころ、センナは外の空気を吸いに外に出た。
春とはいえ、夜の空気はひんやりと冷たく、それが心地よい。センナは両手を上に上げて思い切り伸びをした。
「ずいぶん賑やかだな」
暗がりから聞こえた声に、一瞬びくりとしたセンナだが、月明かりに照らされた男性の顔、正確には仮面をみて表情を明るくした。
「ライさん!」
思いもよらない偶然にセンナは嬉しくなって来に駆け寄る。
「私、二次試験に合格したんです!ライさんのおかげです」
センナの笑顔にライは仮面の下で微笑んだ。
「いや、君の努力と才能の賜物だろう。おめでとう」
真っ直ぐな褒め言葉にセンナは照れて俯いて髪を耳にかけた。
その仕草をライがあまりにも凝視するのでセンナは首を傾げる。
「ライさん?」
「あ…その、実は私は二次試験を見に行けなかったんだ。君の舞が見たかったんだが」
ライが申し訳なさそうにそう言うのでセンナは慌てて両手を胸の前で振る。
「そんな、気にしないでください。お忙しいことは分かってましたし…」
そもそも、数回会っただけなのに晴れ姿を見に来てほしいなんて厚かましい望みだったのだ。
「そ、そうか」
二人の間に沈黙が訪れる。
「…少し歩かないか?」
ライの提案にセンナは小さく頷き、二人は無言のまま歩き出す。
宿のある辺りの通りをまっすぐ歩くと、紫麗段に行く時にいつも渡っていた橋に差し掛かる。
都の中心に入るためには必ず渡らなければならない橋なので、同じような橋が少し距離を隔てて並んでおり、その全てに小さな灯りが灯っている。
川面に灯りが映る美しい景色にセンナは小さく息を吐いた。
「変な話なんですけど、私この橋を渡ると都に入ったなってすごい思うんです」
今センナがいる場所も橋の向こう側も都なので、ライには笑われるかもしれないとセンナは思っていたが、ライは意外にもセンナに同意した。
「その感覚はある意味間違いじゃない。この橋から先は限られた者しか住むことは許されない区域だからな」
王宮に近い区画は店を構えるにも住むにも厳正な審査と許可がいるのだ。センナはそんなことは知らないだろうが、感じ取れる雰囲気がこの橋の向こう側にはあるのだろうとライは苦笑する。
「無論、出入りは自由だが、外の者を歓迎しない貴族もいる。私の知り合いは『受け入れる気がないなら門でも構えておけばいいのに嫌味な橋だ』と文句を言っていたな」
ライはそう言うと橋を渡り始めた。センナは慌ててその後ろをついて行く。
「私は、この橋好きですよ」
センナの言葉にライは橋の真ん中で立ち止まる。センナは何となく橋の欄干にもたれ掛かると夜空を見上げた。今夜は良く晴れていて、星が良く見える。
「この橋を渡った先に、私にとっては夢みたいな世界が広がっていたんです。美しい衣装を纏って、大きな舞台で踊れました」
そして、センナの夢はそこで終わらなかった。
ライは「そうか」と言うと、センナの隣に立って夜空を見上げる。
「君はすごいな。自分の力で道を切り開いて進んでいる」
ライの声色が少し変わった気がして、センナはその横顔を見上げたが仮面のせいでその表情は分からない。
「そんな、私は助けて貰ってばかりです。御爺様が居なければ試験に参加もできなかったし、一次試験でも親切な方が助けてくれて、それにライさんがいなかったらきっと二次試験で終わってました」
ライは優しい目をしてセンナを見た。
「私がしたことなんて微々たるものだが、力になれたのなら良かった」
その声があまりに穏やかで、心臓の鼓動が早くなったセンナは、ライの顔から目を逸らして夜空に目線を戻した。
「そ、それにしても二次試験で見た他の方々の舞は本当に美しかったです。貴族の方って皆あんなに綺麗なんですかね。ライさんは武官様だから、あんな綺麗な方々と日頃顔を合わせてるんですね」
取り繕うようにセンナは慌てて話題を変えた。
「そんなに大げさに褒める程か?君も負けないくらい美人だろ」
センナは顔に体中の熱が一気に集まるのを感じた。
「いや、それは、お褒めにあずかり…」
センナが混乱しているのを見てライは小さく声を出して笑う。からかわれたと思ったセンナは少し冷静になって言い返す。
「そんな変わったお面を付けてるライさんに美人とか言われても、どこまで信じていいのか分かりません」
「これは俺の趣味じゃない」
ライはあっさりセンナに言い返すと、尚も笑いをこらえる様に肩を揺らす。
「もういっそ思い切り笑ってください。その方がまだ気分がいいです」
センナの言葉にライは笑うのを止めて、固まった。ライの様子にセンナは怪訝な顔をして、ライの顔を見上げる。
「突然、変なことを聞くが…君は妙な夢を見るときはないか?」
その脈絡のなさにセンナは内心首を傾げたが、ライの顔が真剣そのものなので真面目に答えようとする。
「変な夢って、どんな風に変な…」
センナの言葉にライは何かの考えを振り払うように首を振った。
「いや、なんでもない。変なことを聞いてすまない」
ライは「そろそろ宿に戻った方がいい」と言うと、センナを宿まで送ってくれた。
「ではな。本選も上手くいくことを願っている」
宿の前でライはそう言うと元来た道を戻ろうとする。
「私、全力で舞姫を目指します」
センナの言葉にライは振り向いた。
「だから、舞姫になったら今度こそ私の舞を見に来て下さい」
ライが小さく笑ったようにセンナには見えた。
「期待している」
その一言で、体の奥底から力が湧いてくるような気がした。




