二次試験(2)
二次試験の審査員は貴族と豪族の当主十人程と楽舞局の各寮の主任が務める。そのため、一次試験では神経を張りつめて審査をしていた五色院たちは多少くつろいだ気持ちで二次試験を見物していた。
観客や審査員の邪魔をしないよう舞台の前に設けられた席ではなく、舞台と向き合う形で建っている東の館の二階にいるため、いつもとは違う見え方がして白院には新鮮に感じられた。
「やはり、どの候補者も観客がいたほうがいい舞をしますね」
「一次試験を通るような者は最初からそのつもりで二次試験の方に力を入れて準備しているだけでは?」
黄院の言葉に蒼院がそっけなく返した。黄院は苦笑する。
二次試験の課題曲は合否の通知の際に初めて候補者に通達される。というのは建前で、大抵の貴族や豪族、毎年選姫の儀に人を出しているような有名な芸館は楽舞局への伝手で予め情報を入手しているものである。二次試験まで進めるのは大抵そのどちらかの出身なので、不公平ということもないだろうと現状楽舞局は目をつぶっているのだ。
「ですが、次の彼女は準備できてないのではないですかねえ」
のほほんとした紅院の言葉に、白院も頷いた。
今回選姫の儀史上初めて、踊り子以外の平民が二次試験に進んだ。一次試験で神秘的な『月湖』を舞ったセンナという少女だ。
「彼女は黄院の知り合いだろう」
「私が彼女と知り合ったのは、一次試験の前日ですよ」
黄院は困ったように眉を下げた。真面目な黄院のことだから、旧知の相手だったとしても課題曲の情報を流したりはしないだろう。そう考えながら白院は何気なく紅院を横目で見ると目が合ってしまい、紅院に二コリと微笑まれる。
(この人は確実に胡春麗に情報流してるだろうな)
春麗が披露した『薫風』は舞を習った者なら誰もが知っているであろう普遍的かつ基本的な舞曲なので、事前情報はなくてもそれなりに形になっただろうが。
今のところ課題曲三曲のうち『紅葉』を選ぶ者が圧倒的に多かった。『紅葉』は比較的新しい楽曲で高度な技術を必要とするため、それだけ実力を主張しやすいと考えたのだろう。それに、華やかな『紅葉』なら衣装も幅広く美しいものが選べる。
反対に、特別な技術を要さず、衣装も凝ったものが着づらい『薫風』は人気がない。なので、胡春麗が『薫風』を選んだのは正直意外だった。
舞台上に現れた彼女は深緑の内衣に白地に金糸で模様の入った奏衣に、深緑の裳という落ち着いた色合いの衣装で現れた。しかし、内衣のも奏衣も上等な生地であることは遠目で見てもはっきり分かる。裳は恐らく異国の特殊な技術で染めたようで、上は深い藍色だが裾の方へ行くにしたがってだんだんと白くなっている。それだけでなく、風の動きを表現するように惜しげもなく金粉が散らされていた。よく見れば、簪には大粒の翡翠らしき石が輝いていた。
(あれ、いくらしたのかしら…)
元舞姫であり、現役時代はそこらの貴族とは比べ物にならない程、衣装に金を使った白院だが、春麗の衣装にかかった額を想像して顔を青くしてしまった。
しっかり『薫風』の雰囲気に合わせた派手ではない、それでも技巧を凝らした美しい衣装を用意した春麗は、舞でも他を圧倒する存在感を放っていた。春麗の『薫風』は難しい振りを披露しなくとも上手い者とそうでない者の差は歴然であると主張するに十分な出来だった。そして『薫風』という無駄な飾りの無い曲だからこそ、春麗の持つ華やかさや美しさがより引き立っていた。
(今のところ『薫風』を選んだのは胡春麗だけ。同じ曲を選んで対等かそれ以上に渡り合える子が何人いるか…)
白院はセンナが『薫風』を選ぶのではないかと考えていた。彼女が一次試験で見せた清廉な空気は良く合うだろうし、『薫風』は事前に情報を知ることができない者のための救済措置として用意した誰でも舞える曲なので、まさにセンナのために用意されたようなものなのである。
「え、紅葉…?」
舞台に箏と笛の奏者が現れたのを見て白院は目を丸くした。舞曲は曲によって楽器の編成が変わる。笛と箏の両方を使うのは今回は『紅葉』だけである。
他の五色院も意外だったらしく、舞台に好奇の視線を注ぐ。
舞台上に現れたのは深い紺色の内衣に同じ色の裳を身に着けたセンナだった。一次試験の時のようなくたびれたものではなく、生地もしっかりしていて、内衣の袖には水色の糸で刺繍も施されている。
(きちんと衣装が用意できたのね)
白院はほっと息をついた。センナが二次試験でも一次試験と同じ衣装を着てくるのではないかと心配していたのだ。
舞が始まり、センナが赤橙の扇を翻すのを見て、白院は衣装の意図に気づいた。
(夜の水辺か)
センナの裳は最近都で流行りだした、普通の生地の裳の上に羽衣と同じ素材の薄い生地を重ねるという形のもので、その素材の性質上、日の光を僅かに反射する薄い布が揺蕩う水面を思わせる。
センナの舞の雰囲気も落ち着いたものであり、視界を覆いつくすような群生する紅葉はなく、月灯りに照らされる一本の紅葉の木の美しさを描いているように感じられた。
奏者もセンナの意図に気づいているのか少しだけ曲の速度を落としている。
『紅葉』としては珍しい解釈だが、それを邪道だと感じる者はいないだろう。田舎出身の平民でありながら、センナの舞には不思議な説得力があった。
センナの舞を支えているのは足運びだと、白院は一次試験でセンナが部屋に入室してきた時点で気づいていた。舞が始まる前、ただ舞台中央に進み出ているだけなのに、雑草の生い茂る草むらに一瞬で道が出来るような、高貴な者のために群衆が道を開くような、侵しがたい神聖さがそこにはあった。
舞の基本は足運びにある。元々は神を迎えるための儀式であり、舞の足運びは邪気を祓い神聖な空間を作り出すために生み出されたものなのだ。
それを平民であるセンナが知っているかどうかは分からないが、彼女はきちんと舞の原点を抑え、それを最上級の形で体現して見せた。
だから、きっかけさえあれば更に伸びるだろうと白院は思っていたのだが…。
(一皮剥けたどころの騒ぎじゃないわね)
一次試験の時は朧げだった『舞で表現したい情景』というものを今回しっかり持ってセンナは挑んでいた。そのおかげか、一次試験よりも舞に感情が乗っていて、表現力が各段に増している。
(まあ、衣装の力もあるのでしょうけど…)
舞の表現に合わせた濃紺の内衣と裳は着方によってはセンナには少し大人っぽすぎるが、奏衣が白に近い薄い黄色なので雰囲気が中和されて、良く似合っていた。簪が年相応の愛らしい小花なのも衣装を重く見せない理由の一つだろう。
(この衣装を選んだ人は、彼女の魅力をよく理解しているわね)
センナが自分で選んだのかもしれないが、恐らく違うだろうと白院は考えた。高級品ではないが、それでも上品で洗練された組み合わせの衣装を見繕える者なら、一次試験のセンナの衣装を許容しなかったはずだ。
(都の貴族にでも見染められたのかしら…っと、こんなことを考えるのは良くないわね)
思わず下種な勘ぐりをしかけた白院は慌てて自重した。
五色院は本選でも審査員を務める。候補者への余計な感情は公平な審査を妨げかねない。
舞を終えたセンナに拍手を送りながら、彼女が本選に残ると自分が確信していたことに気づいて白院は思わず苦笑した。




