夢を売る国
旅先での楽しみは、観光と食事に集約される。
人見哲太はそう考えていた。
その日の目的は、廃墟探索だ。とある地方都市の隅っこにあった遊園地、もう十年も前に閉園したその遊園地が、風情よく寂れてきている。そう聞いた哲太は、たまの休みで観光旅行に出てきたのだ。
最寄りの駅を降りれば、駅のロータリー。そこから放射状に伸びていくいくつかの道路を見れば、どれもシャッター街となって廃れた町を演出していた。
一昔前までは、これでも観光都市だったのだ。
だがそんな面影はとうになく、道に倒れた錆びた看板だけが、ただ昔の栄光を物語っていた。
いい雰囲気じゃないか。哲太は思った。
昔の繁華街。建物の壁は手入れもされず汚れひび割れ、過去にすがる住人たちの現状を表していた。今時少なくなったアーケードの屋根の上には電線が張り巡らされ、灯りは裸電球だ。
横丁は、きっと夜には暖簾街が忙しくなるのだろう。シャッターもなく、まだ生きていると感じられるのはこの街ではきっと珍しい。
遊園地は少し遠い。歩いて十五分はかかるだろう。
すりばち上の地形の一番下に位置する駅である。どこに向かうにも坂を上らねばならず、日頃歩き慣れている哲太にもその遊園地に向かうのは骨が折れそうだった。
今が夏、炎天下であるのもそれに拍車をかける。アーケードの影の中であろうと容赦はない。
汗が滴り胸元が濡れた。後れ毛をかきあげれば、まるで水でも被ったかのようにびしょ濡れだった。
ぬるいペットボトルの水を飲み干し、口許を拭う。
飲料水だけでは限界だ。
一度どこかで休まなければ。
そう考えてシャッター街を見回した哲太の目に、一つの食堂が止まった。
昼には少し早い時間だが、そこそこ客は入っている。
何でもいい。冷たいものでも食べて涼んで行こう。看板には、『定食・珈琲・蕎麦』とある。
蕎麦か。ちょうどいい、たしかこの地域の名産だったはずだ。
ガラガラと、砂混じりの感触の戸を開き、足を踏み入れる。
冷たい麺が喉を通る感触を想像し、乾いた口内に唾が湧いた。
「ごめんねぇ、昔はやってたんだけどねぇ……」
「あ、いや、……そうですか」
老婆に近い年増の女性は、申し訳無さそうに眉をひそめた。
その食堂に、哲太が所望した蕎麦は無かったのだ。
蕎麦というものは手間のかかるものである。水回し、菊練り、伸ばして切る、その他熟練の作業を淀み無い手つきで行わなければいけない。そうしなければ、生地が風邪を引いてしまう。
以前はその女性の旦那が作っていたらしいが、老齢のためにもう店には立てず、惣菜をまとめた定食を女将が出す、そういう店になってしまっていた。
仕方がない。哲太は腹を括った。
他の店で蕎麦を食べるという手もあるが、もう席についてしまったのだ。もう席を立つのも失礼だろう。
そうして店内を見回し、結局哲太が注文したのは何処にでもあるコロッケ定食だった。
ソースを浸すように回し掛け、しょっぱくなったコロッケとキャベツ、それと少しのご飯を口に入れ咀嚼する。安定して美味しい。
だが、やはり土地のものが食べたかった。そう哲太は一人ごちた。
哲太が隅に置かれたテレビを眺めていると、その横の扉が開き男が入ってくる。
普通の客だ。だが、妙な男だった。
店内に入り、一言女将に海老フライ定食とクリームソーダを頼んだその作業着の男は、定食を口に放り込む哲太をチラリと見るとズケズケと歩み寄ったのだ。
テーブルを挟み、前に立ったその作業着の男は、哲太の顔を覗き込むと虫歯だらけの歯を剥き出しにしてニッと笑った。
「ここ、いいか?」
「え?」
いきなり話しかけられ、返事をする間もなく座られた哲太は面食らう。
首にかけた手拭いでゴシゴシと顔を拭う男に文句を言おうと口を開いたが、ちょうどその時女将に置かれた水にその機会を逸し、また黙々と定食を処理し始めた。
定食が運ばれてくるまで暇なのだろうか。
男に話しかけられた哲太はそう思った。
「あんちゃん、見ねえ顔だな。観光客か? つっても、この町に見るもんなんかねえけど」
言って、男は自分の発言にゲラゲラと笑う。汗を拭うために作業着を動かす度に、哲太の鼻に汗の臭いが届いた。
「観光、みたいなものですね。遊園地を見に来たんですよ」
「遊園地……? ああ、裏野ドリームランドか。俺もガキの時分によく行ったなぁ」
嘘だろう。もしくは、勘違いだ。そう哲太は確信した。
裏野ドリームランドの開園は二十年前、そして閉園は十年前だ。わずか十年しか営業していなかったその遊園地は、目の前にいる五十過ぎの壮年の男性の子供時代と全く噛み合っていない。
小さな矛盾。だが、それを指摘して場を荒立てるのは賢明ではないだろう。そう考えた哲太は、ただ曖昧に頷いてそれを見逃した。
「でもよぉ、あの遊園地って、とっくの昔に閉園してんじゃねえか」
「はい、無人になったその遊園地が見てみたくって」
哲太の言葉に、珍しいものを見るような視線を向けて、男は水を一口飲む。
「ふうん」
そして一言呟き、それから目の下のほくろを引っ掻きながら厨房の方を向いた。
「あそこも怖え噂がたんまりあったからなぁ。今じゃ地元の人間は寄り付かねえってのに」
再び男が口を開いたのは、クリームソーダが運ばれて来た直後だった。
ストローから吸って、そして息を吐く。ブクブクと泡が緑色の水面に上がり、クリーム混じりの濁った泡となり弾ける。まるで幼稚な少年が行うようなその仕草に、哲太はバレないように溜め息を何度も吐いていた。
「入った子供がいなくなるだの、城に拷問部屋があるだの、観覧車のゴンドラから子供の声がするだの、ガキたちの想像力はすげえよな」
「どこもあるような噂ですけどね」
合わせるように、哲太は笑う。意識は、三分の一ほど残ったご飯に向けられている。
「ガキがいなくなったらいくらなんでもわかるよなぁ?」
「普通に警察沙汰ですし、ねぇ」
子供に夢を売る遊園地、そこにも怖い話は当然生まれるものだ。
裏野遊園地で代表的なものが、それだった。
入園した子供が、忽然と消えてしまう。
よくある噂話でもある。消え去った子供が後に外国で発見されたり、遊園地内の食堂に食材として出されたりと、そのオチのバリエーションもどこぞの都市伝説のように多様だった。
いわゆる『ブティック』系の都市伝説。それを聞いた子供が面白がって作ったのだろう。哲太も多くの人と同じように、そう考えていた。
それに、その話は間違っているという証拠まである。
当時、面白がって確かめる連中までいたのだ。
生憎『子供』の定義がその時定められず、人数を数えるだけに留まってはいたが、十日間入園者と出園者の人数を比較したというデータ。ミステリー好きの大人が子供の自由研究を巻き込んで行ったというその観測結果は、探せば今でもネット上に残っているはずだ。
そのデータによっても、比較した人数はピタリと一致。入った人数と出た人数は一人も違わなかった。当然のことではあるが、それを行った根気強さに皆は一様に拍手を行ったという。
「ま、いいところではあったけどよ。あんな噂がなきゃあ、まだ営業していたかもな」
「面白いところだったらしいですね」
哲太はそう軽く返す。噂に聞くところの遊園地自体は、特に悪いところも無い。アトラクションは豊富で、園内は清潔。ピンク色の兎のマスコットが園内を盛り上げていたという。
そんな面白いところが突然潰れる。
だからこそ、人々はその原因を好奇心のままに作り出すのだ。人が消える、拷問部屋があった、水槽に謎の生き物がいた。何の根拠も無いそんな噂が、まことしやかに信じられてしまうのだ。
男はエビフライをハフハフと囓りながら、ぼやくように言う。
「閉園したときは子供心にショックだったぜぇ。張り紙があってよぉ。『夢を売ってきた我らが裏野ドリームランドは、売るべき夢が無くなってしまいました。申し訳ありませんが、今月いっぱいで閉園となります』ってさ。俺がそんな文句を覚えてるくらいだもの」
もごもごと口の中で海老を噛み砕きながら、男は懐かしむように眼を細めた。
哲太も裏野ドリームランドの場所を調べたときに、その画像はたまたま目にしていた。よくある工事中の看板のように、兎が頭を下げたイラストが印象的だった。
「売るべき夢が無くなった、っていうのも何かおかしな表現です」
「本当だよなぁ。無くなったんならどっかから仕入れてくれば良いのになぁ!?」
冷めてしまった味噌汁を一息に飲み干し、男は笑う。
わかめと豆腐のその味噌汁は、哲太のコロッケ定食にも付いていたものだ。
「ま、あんちゃんも楽しんで来なよ。もう遊具は動かねえし、遊ぶことは出来ねえけど。その分、入っても誰も怒らねえしよ」
「はは、ありがとうございます」
男の早食いは、哲太の食事を追い越した。
クリームソーダをずるずると音を立てて飲み干すと、もう男の前に置いてある器は空になっている。
男は立ち上がり、レジに向かって小銭を叩きつけるように置いた。
「勘定置いとくぜ!」
「はいはい、毎度ありがとう」
きっといつもそうしているのだ。男と老婆の間に交わされたその短い言葉の応酬で、男の会計は終わった。
男の出て行く後ろ姿を見ながら、哲太は冷めてしまったご飯を口に放り込む。
目当ての物は食べられなかったが、それなりに美味しい店だった。
こだわりも無く、手作りを売りにしているようなところでもない。出来合いの総菜を盛り付けただけだろうが、哲太にとっては特に問題が無い昼食だった。
「ごちそうさまでした」
「はいよぉ」
会計も無事に終わり、哲太は振り返る。
先程までと変わらない、ガヤガヤとした店内。瞬きをする蛍光灯に照らされたテーブルと椅子。そこに座っている客達も、先程までと変わらなかった。
だが、何故だろうか。哲太は考える。
軽い違和感があったのだ。その原因が何かはわからない。恐らく気のせいだろう。そう思い、足を翻した哲太の視界にブラウン管のテレビが入った。
そこで、気付く。
ブラウン管のテレビが使われているのは、まあ珍しいが無いことではないだろう。このご時世、デジタル放送をアナログに変換して視聴している人もまだいるという。
だが、その内容が問題だ。
それもおかしなことでは無い。普通の放送だ。
哲太も先程まで気にせずに見ていた。
その内容は、子供達の夏休みに関して。
夏休みの行楽地の様子を映していたのだ。
哲太の見ていた場面は、海外に行く子供達だった。
しぼんだ浮き輪を片手にハワイへ行く子供や、スイス旅行の予定を語る幼児。舌っ足らずに語るその様子は微笑ましい物だった。
そこまではおかしなことも無かった。
それを、食い入るように見つめて話す、老人達の姿。それこそが違和感の元だった。
そして放送を見れば、遊園地の特集。次にどの遊具を乗るのか、インタビュアーが子供達に聞いて回っている。
元気に答える、目元にほくろのある少年。それに既視感を覚えたが、それはどうでもよかった。
それよりも、右上に出ているテロップにあった名前。それを見て、哲太の背筋が凍った。
「はい、裏野ドリームランドの子供達でしたー! それではスタジオにお返ししまーす!!」
ぷつんと一瞬映像が途切れる。
そして何事もなかったかのようにそれ以外の遊園地の感想が芸能人の口から流されていた。
行ってみたい、楽しそう、口々に語られ右下に出るワイプの映像。
哲太も画面に釘付けになっていた。
あれは、何だ。見間違いだろうか。今から行こうと考えている廃墟、その元気な様が、昼のワイドショーで流れたというのか。
周囲を見れば、老人達は談笑をしながら食事を続けている。聞き耳を立てても、そこに裏野ドリームランドの名前は無い。
では、テレビはどうだろうか。
哲太は注意しつつ見守る。だがそれでも、裏野ドリームランドの名前が出ることは無かった。
今の放送について、誰かに聞いてみようか。哲太はそう思った。
だがそこで一歩踏み出し、また微かな違和感に気がつく。
今度はすぐにわかった。というよりも、頭の何処かで不思議に思っていたのかもしれない。哲太の額に汗が垂れる。クーラーの効いた店内なのに、汗が止まらない。
夏休みの特集をやっている。つまり、今は夏休みなのだ。
ところが、どうだ。
この店内を見ても、今まで歩いてきた道を思い返しても、どうだ。
子供を、この街で一人も見ていないのだ。
哲太の身体がブルリと震えた。
この震えはクーラーのせいだ。哲太はそう思い込もうとする。
だが、老人達へ聞いてみるという選択肢は、淡雪のように脳内から消え去ってしまった。
優しげに微笑む女将さんの顔を見れば、歯の無い暗い口内が、やけにくっきりと見えた。
逃げ去るように、食堂を後にする。
何かの見間違えなのだ。そうに違いない。
哲太は白昼夢でも見ていたかのように、自分を騙そうとした。だが、内心それに反論する。
確かに見たのだ。子供達の大勢いる、裏野ドリームランドを。兎のマスコットも、確かに画面に映っていた。
考えていても答えは出ない。とりあえず行ってみよう。
哲太の歩みは何処か頼りない。暑いというのに、哲太の頬に流れているのは冷や汗だった。
食堂で出会った男の姿、それがまだ瞼の裏に残っている。
そこで話題に上がった噂話。それが、耳の中で反響していた。
子供が消える。そんなものは無い。
そう否定する哲太の脳裏に、その噂の”後部分”が反芻された。
子供が消える。その話には続きがいくつもある。
その内の一つが、哲太の背骨を擽るのだ。
『入園した子供が忽然と消えてしまう。出園した子供の数を数えると、入園した子供の数よりも減っている』
そんな噂話。そこに、ある日加わった一バージョン。
『入園した子供が忽然と消えてしまう。出園した子供の数を数えると、入園した子供の数よりも減っている。その代わり、出て行く大人の数が増えている』
ふざけた話だ。そんなこと、あるわけが無い。
哲太は震える拳を握り締め、悪寒を振り払う。
そう、今から廃墟の探索に行くのだ。今日の休みを無駄にしないためにも、楽しんでこなければ。
夢を売る国、裏野ドリームランドの残骸へ。
踏みしめた足の裏で、蝉の抜け殻が砕けた音がする。
“無くなったんならどっかから仕入れてくれば良いのになぁ!?”
男の声は、まだ耳の中に残っていた。