アイザックという人
「アウラ、どうかしたの?」
夕食の後にお茶を入れながらリョウが訝しげに尋ねる。
「……え?」
慌てたようにアウラが顔を上げた。
ああやっぱりなんか変。
午後のお茶の後、アルフォンスを案内してアイザックの部屋に行った二人は結局そのままこちらの作業が終わる時間まで戻ってこなかった。
アルフォンスがレンブラントの護衛をつけて帰ったあとアウラはずっと微妙な面持ちだった。
「やけに静かだな、と思って」
「え……っあ! そう、ですか? いやその……今日の夕食もすごく美味かったですよ!」
「あら、それはありがとう」
そういうことを聞きたかったわけでもなかったんだけどな、と思いながらリョウが頷くと。
「ああ、アウラ、お前アイザックんとこの食器下げに行ってくるか?」
なんてグウィンが声をかける。
と、アウラの肩がびくりと震えた。
「え! お、俺?」
名指しされていきなりアウラの目がおどおどし始める。
その反応を見てレンブラントがため息をつき、グウィンも苦笑。
「え……何? どうしたの? え……っと私、行こうか?」
アイザックに何か問題でもあるんだろうか? でもアルは今日とってもやりきった感のある清々しい顔で帰って行ったわよね。
結局、そろそろレンブラントも止めには入らなくなったのでリョウがアイザックの使っている部屋に。
「具合、どう?」
きちんとノックしてから中で返事があるのを確認してドアを開けたというのにリョウが声をかけた途端ベッドのアイザックが慌てるように姿勢を正した。
「……っ!」
で、しかめっ面になる。
そりゃそうだ。
「やだもう! 無理して起きなくていいのに! 大丈夫?」
急いで歩み寄るリョウにアイザックはベッドの上で最大限縮こまり、表情を硬くする。
……こういう反応、知ってるんだけどな。
これ、私の「力」を知ってしまった人たちが私に向ける「恐怖」なんだけど。
先ほどまでちょっと気が抜けていたので改めてこういう反応を目にすると現実に引き戻されたようでちょっと辛い。
もう。皆んなして「歓迎」とか「感謝」とか「敬意」とかそんな言葉を使うもんだからうっかり覚悟決めないで入ってきちゃったじゃない。
そう思いつつ、リョウが小さくため息をつく。
で、もうこの際、とっとと用事を済ませて退室しようとサイドテーブルにある空の皿が重ねられたトレイに真っ直ぐ近づき手を伸ばす。
「あの……っ!」
トレイに手が触れる直前に声がかかり、リョウの手がびくりと震えた。
視線を上げるとアイザックがこちらを凝視している。
「はい?」
まぁ、きっとご馳走様でしたとかなんとか最低限の挨拶くらいはしてくれるのかも知れない。それでもきっと早くいなくなって欲しいと思っているだろうと思うので、リョウはトレイに伸ばした手を引っ込めることなくそれを持ち上げて一歩下がる。
「少しだけでもいいので……かけて頂けませんか?」
アイザックの口から出たのは意外な言葉だった。
それでもその目は会話を楽しもうとか、そういう余裕が表れているようなものではなく緊張しきったものだ。
ずっとベッドにいた割に薄い金色の短い髪は乱れておらず、後ろに撫で付けたままで……ああもしかしたら横にならずにずっと立てた枕に寄りかかって座っていたのだろうか、とリョウは思い至った。
レンブラントのために用意してあった新しい寝間着を着せられた彼の胸元には白い布がぐるぐる巻きに巻きついているのが隙間から見える。下手に動かないように固定してあるのかもしれない。
痛みのせいなのか、目の前にいる「恐怖」の存在のせいなのかアイザックの顔からは血の気が失せていて、切れ長の灰色の目は眉間に寄せられたしわでさらに厳しい顔つきの印象を作っている。
怪我人をこんなに緊張させちゃいけないわよ、ね。
罪悪感を感じながらリョウがトレイを一度サイドテーブルに戻してベッド脇の椅子に腰を下ろす。
威圧感を与えないようにさり気なく椅子を引くふりをしながらベッドから少し離して。
気まずいな、なんて思ってしまうのでつい小さくため息が漏れた。
「……わたしは軍人が嫌いなんです」
リョウのため息に触発されるようにアイザックが口を開いた。
「は?」
話の方向性が全く予想できないリョウはなんとも間抜けな声を出してしまう。
思わず目を上げたリョウの視線を捉えたアイザックが、ふ、と小さく息を吐き、目を細めた。
「子供の頃から兵士や騎士が力に物を言わせて弱い者を蔑ろにするのを見てきたのでね。……ああ、昔はこの都市もそういうところだったんです。それが変わったのがグリフィスの代です」
苦虫を噛み潰したように話し出したアイザックを見るに、もしかしたらこの人は幼少期に相当理不尽な思いをさせられたのかもしれない、なんてリョウは思い、言葉を控えることにした。
「それまで世襲制だった制度を廃して軍人が力を誇示して歩き回る社会のあり方を正して、全てを合理的に取り決めるようになった」
「……でも、そのグリフィスだって元は軍人よね?」
言葉を控えるつもりだったのについリョウの口をついて出た疑問。
グリフィスはもともと騎士だったし騎士隊隊長だって務めていた。
「そうですね。だからこそ、その誇り高い騎士が『風の民』の子供を引き取って養子にしたなんて事にどれ程驚いたか。あの人はそういう世の中の固定概念を軽々と無視する強さを持っていた。それにそういうことを合理的に行う行動力も。だからわたしの軍人に対する概念が覆されたんです」
ああなるほど。
そういえば、レンブラントが子供の頃周りから受けた仕打ちは結構酷いものだった。それをグリフィスの立場で考えたら、そうなることを見越して彼を引き取るというのは相当な覚悟と信念がいることだろう。
「あんな規格外な人は他にはいないと思ったんですよ。それに考え方が規格外なだけじゃない。行動力と才能もある。司として申し分のない人材だ。だからわたしはあの人について行こうと思った。……あの人を支えてあの人のやる事が全て滞りなく成功するように尽力しようと決めたんです」
言葉の通り、アイザックの目は宙を見つめたままではあるが力強い意思を映した目だ。
「……だから、その、邪魔をするものは徹底的に排除するつもりでいました。例えそれが竜族で力のある守護者だとしても」
「……え?」
ふと、その力のこもった目が自分に向いてリョウが狼狽える。
私が、グリフィスの邪魔をする? 何のことだ?
「だってそうでしょう。この西の都市はちょっと前まで駆け出しの、新しいやり方を定着させ始めたばかりの都市だった。そのやり方で都市としても繁栄し始めていたし近隣都市からも僅かながら羨望の目で見られ始めてもいた。こんな都市を乗っ取るには今は最適な時期です」
「ちょ、ちょっと待って。乗っ取るって……誰が何を? 何のために?」
何か激しい誤解が生じていないだろうか、と思える話の流れにリョウが焦って話を遮ろうとする。と。
「でも、違ったんですね」
……え?
アイザックの灰色の瞳が急に力をなくした。力をなくすと同時に眉がへにゃりと下がって……。
……ええ?
リョウが思わず目を丸くする。
この人……こんな顔できたんだ。
というくらい、情けない表情になった。
「だいたい、そんな力のある竜族の、しかも『火の竜』の名を持つ者が都市を牛耳る気もなくただ呑気にこんな館でお茶淹れたりしてるなんて誰も想像しないでしょう! それこそ規格外だ!」
……すみませんね、呑気にお茶なんか淹れてて。なんならお菓子なんかも作っちゃいますけど。
リョウが口元を歪めながら視線を泳がせた。
「しかも使用人と一緒に食事をするとか、ありえないでしょう! 単に味方を地道に増やす為の頭の悪い作戦の一つかと思いましたよ」
……悪かったわね、頭悪くて。……って!
「違うから! そんな大層な作戦なんか立てませんからね! ハンナとコーネリアスは……かっ、家族みたいなものなんだから!」
うわ、言っちゃった!
ごめんなさい。コーネリアス! ハンナには家族認定受けてたけどコーネリアスまで巻き込むのはさすがに失礼だったかな!
咄嗟に心の中で謝りつつも、リョウは前言撤回する気など毛頭なく。
だって作戦で仲良くするとか、そんなの言いがかりも甚だしい。
「……家族、ですか」
少しだけムキになっていたアイザックが再びへにゃっと笑う。
「本当に、そういう事、なんですね」
そう言いながらアイザックがため息を吐いた。
「あんな風に、気遣いがこもった食事を作ってもらえるなんて思わなかったんですよ。本当に驚いた」
「……え?」
アイザックのやんわりした口調にリョウが勢いをなくして思わず顔を覗き込むように聞き返す。
「わたしはわたしで、グリフィスから課せられた仕事は完璧にこなすつもりだった。でもあなたに媚を売る気なんて一切なかったからあなたからしたらわたしはいつだって追い出せる対象だっただろうし親切にする謂れもないただの厄介者だった筈だ。こんな風に部屋を使わせてもらってただ休ませてもらったり、この寝間着だってレンブラント隊長の物なんでしょう? ……それに、もし親切にする体裁が必要だったとしてもあそこまで気を遣った料理を出す必要はなかったでしょう。……わたしがあなたの立場なら多分そこまでしないと思いました」
「あ……あの料理……」
そうか、食べやすくしてあげようと思って用意したの、全部ちゃんと伝わった、ってことなのかな? うわ、なんか、そう思ったらめちゃめちゃ恥ずかしくなってきた……!
思い出しながらリョウが顔を赤らめて俯いた。
と、軽く息を飲む気配がして、暫く沈黙があった後こほんと小さく咳払いが聞こえたのでリョウが顔を上げるとなぜか顔を赤らめて明後日の方を向いているアイザック。
「……あの」
なんとなく気になっていた事を聞いてみようかとリョウが声をかけると、アイザックの視線がそろそろとリョウに戻された。
「私の事……怖くない?」
「……は?」
意を決して言葉にしたのに、なぜかアイザックはきょとんとしている。
あれ? 言い方間違えたかな?
「あの……私、ほら力を誇示するような感じで凄んじゃったでしょ? それに『火の竜』だし。怖がらせるような事しといてこんなこと言うのはどうかと思うんだけど……もし怖すぎるとかだったらなるべく近づかないようにも出来るから言ってね?」
あんまり目を見据えて話すのも怖がられるかもしれないと思うのでリョウの視線は再び降下する。
「本当にお人好しですね……ああ、だから皆んなから大切にされるのか……」
何やら納得した、とでも言うようにアイザックが小さく呟いた。
「え? 何?」
あまりに小さな声だったので聞き取れなかったリョウが聞き返すもアイザックは薄く笑うのみで。
「……ああ、そういえばアルフォンスが診察の許可を得たと言って……ですね……おかげさまで診察も受けられました……」
ほんの少しの沈黙の後思い出したようにポツリとこぼされた話題に、今日のアルフォンスとのやり取りを思い出してリョウが視線を向けなおすとどうしたことかアイザックが目を泳がせたまま眉間にシワを寄せている。
診察を受けられて良かった、という顔には到底見えない。
「えと……診てもらえてよかったのよね? その……怪我の方はどうなの? ……って、ああ、私が言うことじゃないわよね。レンが随分酷いことしちゃったみたいでむしろ先に私が謝らなきゃいけないのに!」
しまった、私、考えてみたらまだ何も謝ってなかったじゃない! しかもこの顔からするに相当状態は悪いという事なのかもしれない。……二度と元の仕事に戻れない体になりました、とかだったらどうしよう!
と思いつつ、リョウがひしっと視線をアイザックに貼り付ける。
「いや! あなたが謝ることはないです! あれは私の失態であってあなたは全く悪くない! これ以上あなたに気まずい思いをさせると次は本当にアルフォンスに殺される……!」
「……へ?」
意外な言葉にリョウが目を丸くする。
殺される……? ああ、そういえば最初に診た時に「息の根を止めそうになった」とかなんとか物騒なことを言ってはいたけど……。
「いや、もう、本当に守護者殿が皆んなから大切にされているのは骨身にしみて良く分かりました。アルフォンスの診察はもう……本当に……死ぬ思いなんです! あの男、人の体のつくりを熟知しているからどうやったら一番苦しむかも知っていて……!」
「……は?」
「わたしが診察を受けている間、一緒に来ていたアウラ殿にも怖い思いをさせたことと思います……一応わたしは仕事柄、といいますか役職柄いつどんな目に合うか分かりませんから多少の苦痛には耐えられるようにしてはいますが、アウラ殿は思い切り不意打ちだったと思いますので……ああ、いや、彼が何かされたわけではありませんが……おそらくアルフォンスに対する彼の印象は相当変わってしまったのではないかと……」
何ですって……?
「ちょ、ちょっと待ってね。えーと、アルフォンスって腕のいいお医者さんで良いのよね?」
リョウがこめかみの辺りを片手の指先で押さえながら訊いてみる。
「ええ。都市で一番の……あ、いや、言ってみればこの近隣都市でも一番の腕利きの医師で間違い無いです」
遠い目をしながらアイザックが即答する。
「じゃ、その名医に診察してもらえるっていうのは悪いことじゃないわよね? 私、人選間違えたとかじゃない、わよね……?」
リョウの声は後半消え入りそうになっていて。
「ええ、守護者殿は悪くありません。……いいんです。わたしが単に自分の蒔いた種を刈り取っているだけです」
遠い目をしたままのアイザックが抑揚のない声で答えてくれた。
「明日も経過を見に来てくれるらしいですよ……」
付け足すように呟くアイザックの顔色はとても悪い。
そんなアイザックをリョウは半ば呆然と見守りながら。
……えーと。
アルフォンス、一体何をしたんだろう。そして、アウラ、一体何を見たんだろう……?




