ズレの微調整(1)
朝、身支度を終えたリョウが灯りを手にそっと下階に降りて客室の様子を伺う。
レンブラントから釘を刺されていることもあり、ドアを開けることはせずにそっとドアの外に立つにとどめて。
……うん、眠ってる気配がする。
安堵のため息をつきながらそっとその場を離れて台所に向かう。
昨日の夕方に一度休むように促したアイザックはそのまま起き上がるのも辛そうになり、顔色はさらに悪くなっていた。
こうなると仕事を切り上げさせられても、帰らせるというのは難しそうでそのまま客室を使ってもらうことになったのだ。
とはいえアイザックの性格を考えると、一晩休んだからと言いながら翌朝からまた普通に仕事をしそうな気がしてならないリョウは夜のうちに朝食の仕込みを終わらせた。なので、アイザックが起き出して来そうな時間を見越して先に起き出して台所に入り、朝食の支度を終わらせて、できることなら昼食の仕込みもしてしまうつもりだ。
「よしっ……!」
台所を一回り、見回して作業に取り掛かる。
取り敢えず、アイザックが食べやすそうなメニューを優先。
別に風邪をひいているとか、消化器系に問題があるわけではないから胃に優しいものとかにする必要はない。むしろ体力はつけたほうがいいだろうからちゃんと食べてもらわなきゃ。
とはいえ、昨日の感じだと起き上がった姿勢を保つのは大変だろうから短時間でしっかり食べられるもの。
……やっぱりサンドイッチにして色々一度に食べられる方がいいわね。
ああ、お昼にはおにぎり作ってあげよう。こないだ使い切ったお米の代わりに昨日新しいお米が届いたんだっけ。
パンは昨夜のうちに仕込んであるからもう焼くだけになっている。
大きめに成形したパンはスライスして具材を挟めるようにしよう。
アイザックの分は適当に挟み込んだ状態で持っていけばいいとして私たちが食べる朝食用は各自が好きな具材を挟めるようにして出そうか。
なんて考えながら手を動かしていく。
数種類の野菜を細かく刻んで軽く炒めて味付けして、溶いた卵を流し込んで具沢山のオムレツを作る。パンに挟む前提なので中身トロトロのオムレツではなく、中までしっかり火を通して。
数種類の野菜を切って盛り付けて、塩漬け肉を薄くスライスしておく。あとはチーズもスライスして。
野菜と肉の腸詰めでスープを作って、アイザックの分は具材を刻み直してカップに入れて持っていけるように小さな鍋で別に作る。
果物は一口サイズにカットした方がいいだろうな、と思って林檎を手に取って……つい睨み付ける。と。
「……リョウ、無理して薔薇なんか作らないでくださいね」
……はっ!
思いを見透かすような一言にリョウが肩を震わせ、我に返ったところで振り返る。
「あ……ら、レン、早かった、わね」
えへへ、と笑ってしまうのは照れ隠し。
今、昨日の見事な薔薇を思い出して「私にも出来ないかな」なんて思っていたところではあった。
「一人で支度するなら手伝いますって言ったでしょう。なんで起こしてくれなかったんですか」
ふと気づけばレンブラントは白い前掛けをしている。
そういえば昨夜、アイザックについて話した後しばらく客室を使うことをレンブラントに了承させて、さらに翌朝は家事を自分でするから彼を休ませるようにとも頼んだ際、レンブラントはそれなら朝食の支度は手伝う、と言ってくれていた。
夜寝る前にも起きだす時には自分も起こすように念を押されたのだが……一日ハードに働いているのだから朝は少しでもゆっくり寝て欲しいと思ってしまうリョウはやっぱり一人でそーっと起き出してきていたのだ。
「……だって気持ちよさそうに寝てたから」
つい上目遣いで食い下がる。
静かな寝息を立てながら眠る彼の顔を見るのはなんとなく心が休まる。髪と同色の睫毛が意外に長いことに気づいたのも寝顔をしみじみと見るようになってからだ。起きている時にそんな風に「観察」しようものなら絶対に気付かれるし上から目線で何か恥ずかしいことを言われそうな気がして出来ない。
よく眠っていると思うと遠慮もなく見つめていられるので朝のひと時はちょっと、気に入っていたりする。
そんなことを思い返してリョウの頰が赤くなった。
「ふーん……」
レンブラントの視線が不満げなものから一転して楽しそうなものになり、それはそれで突き刺さるので。
「あーっと、アイザック! 下手に起き出してこないように見張ってもらわないと!」
「アウラがドアの前に張り付いてますよ」
楽しそうにレンブラントが告げる。
「あ……そう、なの?」
……気まずいからレンに行ってもらって体良く追い払おうと思ったのに!
「だいたい作る工程は終了といったところですか。じゃあ洗い物でもしましょうか」
拍子抜けしているリョウを横目にレンブラントが楽しそうに腕まくりをして使い終わった器具を洗い始める。
ありゃ、せっかく手伝いに来てもらったのに「作る」方じゃなくて「洗い物」なんて……なんだか下働きをさせてるみたいで申し訳ないな。
なんて思いながらリョウが仕上がった料理、というほどでもないものたちをざっと眺める。
……多分、本当は一緒にお喋りでもしながら料理をしたかったんだろう、なんて思うので。
ああ、そうだ。
さっき作った具沢山のオムレツ。味見用に端っこを切り落として冷ましているのがそのままだ。
「レン」
洗い物をしている横から顔を覗き込むように声をかけるとレンブラントが手を止めてこちらを向く。ので。
「はい、あーん」
強制的に口元に一切れつまんで持っていく。と、レンブラントが意味がわからないまま条件反射のように口を開けた。
……餌をもらう雛鳥だ。
思わずリョウの頰が緩む。
「んん? ……ん!」
レンブラントが咀嚼しながら目を輝かせた。
「味見。どう? それ、美味しい?」
「美味しいです! 何ですか? これ……トマトと、卵……?」
飲み込んでしまったものを思い出すように思案顔になりながらレンブラントが返す。
「うん。オムレツを具沢山にして作ってみました。パンに挟んだら美味しいかなと思って。こないだアウラがだし巻き卵をパンに挟むって言い出したのを思い出してね、ダシは無いけど野菜とかで味付けしたらいいかなと思って」
中に入れたものは玉ねぎとジャガイモを細かく切ったものとトマトだ。玉ねぎは炒めると甘みが増すし、トマトはサラダにしようと思ったら思いのほか完熟に近くて切りにくかったのでこっちに入れてしまった。濃いめに味もつけたのでオムレツ全体にいい感じに味がついたんじゃないかと思っての、自信作だった。ちなみにまだ青いトマトもあったので、そちらはスライスして両面に焼き色をつけて出してある。
「……もう一つ欲しい……」
洗い物の手を止めたままレンブラントがリョウに甘えた声を出す。
「味見を食事にする気?」
リョウがクスクス笑いながら却下して盛り付けた皿を取り上げ、ワゴンに乗せる。
隣の部屋は男三人いることを考えるとちょっと窮屈なので食堂へ、というのはもう定番。隣の部屋のテーブルは小さいとはいえ一応四人座れるがアウラくらいのひょろっとした若者が三人ならともかく、グウィンやレンブラントみたいにしっかり幅も丈もある大人の男達が並ぶとなるとゆったり食べるという感じではなくなる。
さて、あとは沸かしたお湯とティーポットと……。
と食後のお茶の用意も詰め込んで。
「おい、リョウ、なんか手伝うか?」
一通り片付いたところで声がかけられる。
リョウが顔を上げると開けっ放しの入り口からグウィンが入ってくる。
「僕が手伝っていますから、もう手は足りてますよ」
リョウが答えるより早く手を拭きながらレンブラントがそっけない口調で返した。
途端にグウィンが小さく舌打ち。
なので。
「ありがと、グウィン。折角だからこのワゴン、食堂に運ぶの手伝ってくれる? 私、アイザックのところに朝食を届けに……」
「それは俺がやる」
言いかけたリョウにグウィンがすっと歩み寄り、ワゴンではなくリョウが持ち上げたトレイの方をひょいと取り上げた。
「え? そっち? ……いいの? あ、でも私あの人の様子見て来ようと思ってるんだけど」
慌てるリョウにグウィンがニヤリと笑う。
「お前は行かなくていい。様子は後で教えてやるから。ついでにアウラに食事ができたって伝えてくればいいだろ?」
どうにもトレイを返す気はなさそうなのでリョウが渋々頷く。
まぁ、ワゴンを食堂に持って行って食卓の方の準備をするのを私がやった方がよさそうだしね。
「看病ついでに食事を食べさせてもらうとか、ああいうのは俺だけで十分だしな」
片手でトレイをキープしてドアから出て行きながらもう片方の手をひらひらと振るグウィンはそんな独り言を呟きながら歩み去り。
「……は?」
残ったレンブラントが一瞬で殺気立った。
結局、昼食もグウィンがアイザックのところに運んで行き、リョウはアイザックのその後の容体を全く見ていない。
で、午後の仕事が始まり。
スピードが上がった作業の関係上、仕事中に余計な話をする者はなくあっという間にお茶の時間。
今回ばかりはリョウが自主的に立ち上がった。
「……アイザックは動けなくなってるんですか?」
当たり前のように立ち上がったリョウにアルフォンスが声をかける。
「え、あ。……はい、多分。私は見に行ってなくて……」
リョウがグウィンの方に視線を送ると。
「ああ。やっぱり場所が場所だからな。ま、いい薬なんじゃねぇのか?」
書き上げた書類をまとめてテーブルの上でトントンと揃えながらグウィンが呟く。
「ちょっと……怪我人になんてことを……」
リョウがグウィンの脇を通り過ぎながら眉をしかめてため息をつき、そのまま退室する。
レンが殴った、って言うからあんまり深く突っ込めない。というのもある。
レンの行動は明らかに私への過剰なまでの気遣いに起因する。
でも、その過剰さに誰も何も言わないのがなんだか怖い。
グリフィスでさえ、何も言わない。
だから変に問いただす事もできなくなっているのだ。
だからアイザックへの私の行動はほぼ謝罪が動機なのかもしれない。
私なんかに関わったせいで痛い思いをさせてしまってごめんなさい。
私なんかに関わったせいで好きな仕事を奪ってしまってごめんなさい。
私がこんなところでのうのうと生きているから……正常に反応しただけなのに、迷惑をかけてしまってごめんなさい。
「……熱っ」
突然の痛みにリョウが我に返った。
お茶の準備をしていて、ティーポットに熱湯を注ぐところをぼんやりしていて的を外した。
みるみるうちに赤くなる親指と手の甲を「ああ、火傷か」なんてぼんやり眺める。ティーポットの取っ手を持っていた左手はポットの口を外して流れ落ちた熱湯をもろに被っていた。
いつもはテーブルに置いてからお湯を注いでいたのになんで手に持ったままお湯を注ごうとしたんだろ私……。
などと考えているうちに赤くなった部分がヒリヒリしてくる。
うーん、直撃しちゃったし……体質的にすぐ治るとはいえちょっとは冷やした方が良いかなぁ……なんてのろのろと視線を彷徨わせ、でも先にお茶の準備を終わらせちゃおう。と思いなおす。
午前中のうちに作った今日のお茶菓子は揚げパンと、小さく焼いたパイだ。
昨日アイザックがたくさん焼いてくれたパンは小ぶりな手のひらサイズだった。残ったので今日は簡単に揚げパンとなる。
それからバターを練り込みながら作った生地を何度も折りたたんで作ったパイ生地。このパイ生地を薄く伸ばして一面に砂糖と甘い香りのスパイスを広げ、端からくるくると丸めて棒状にしたものをスライスして一つ一つを軽く伸ばして焼いたもの。
どちらも簡単ではあるが、さっぱりした紅茶に合うお茶請けだと思う。
種類は少ないけれど、数はある! もはや質より量!
大きめのお皿に山盛りにしたお茶請けと、準備が整った紅茶のセットを乗せたワゴンを押してみんながいた部屋に向かいながら。
あれ……?
そういえば。と、リョウが首をかしげる。
……アルって、アイザックが怪我をしていたことは知っていたのかしら。
グウィンとアウラは私が昨日言うまで知らなかった。ということを考えると……だって、レンだって自分が他人に怪我をさせたことを好き好んで言いふらすわけはないだろう。で、アイザックがいちいち言って回るというのもまずあり得ない。
でもさっきのアルの口ぶりだと、知ってるっぽかった……。
「リョウっ! 何したんですかその手!」
お茶の用意をしているリョウの左手がいきなり声を荒げたレンブラントによって掴まれた。
「え……ああ、びっくりした。ただの火傷よ」
リョウが目を丸くしてレンブラントの方を見やる。
色々と考えていたせいでぼんやりしていた。
ぼんやりと皆がいる応接間に戻り、ぼんやりと持ってきたものをサーブしようとしたところにレンブラントがいつものように「手伝いますよ」と声をかけてきて、ぼんやりとしたままいつも通り「ありがとう」なんて答えたところ。
「ただの火傷なんてレベルですかこれ!」
「……え?」
リョウが掴まれた左手に改めて目をやると……あら、ほんとだ。いつのまにかご丁寧に水ぶくれができて、どこかで擦ったな……それが破けて……炎症が広がってる。うん、そういえばさっきから痛みがひどくなってきたと思ってた。
「どれ……見せてごらん。……リョウ、これ、ちゃんと冷やしましたか?」
やりとりを聞いてアルフォンスが立ち上がりリョウの脇に近寄ってきてレンブラントが掴んでいる左手をそっと掬い上げた。
「あ……いや、あの……うっかり忘れました」
リョウが気まずそうに目をそらす。
「……うっかり忘れられるような痛みじゃないでしょう? 何を考えてたんですか。ずっとぼんやりしてましたよね」
やれやれとため息をつきながらアルフォンスが一度席に戻ると椅子の脇に置いてあった鞄を持って戻ってくる。
「竜族の治癒力を考えたら応急処置的な治療で十分かと思いますが……本来ならあとが残るような大火傷ですよ」
ちらりと見える鞄の中には薬品のようなものや簡単な医療器具のようなもの、包帯なんかが入っていて……あれ、この人こんな物を持ち歩いてるんだ。……っていうかこんな鞄、いつも持ってきていたっけ? なんてリョウはぼんやりと思う。
そして手際よく自分の手に白い包帯が巻かれていくのを、やはりぼんやりと眺めながら。
「……私の傷なんかすぐ治るもの。このくらい今夜までには元どおりになってるわ。……アイザックの方がもっと辛いのに」
そんな独り言とも取れそうな呟きにアルフォンスの手が一瞬止まった。
さらに隣で心配そうに手当てされているリョウの手を凝視していたレンブラントが軽く息を飲んでその視線の先をリョウの顔に移した。
なんならグウィンとアウラの視線までリョウの顔に向かう。
「……え?」
急に空気が変わってリョウが我に返った。
あ。
しまった。
だからそのアイザックに怪我を負わせたのは目の前のレンブラントだってば。そんな人の前で今の発言は酷過ぎる。しかもそのレンブラントは私の夫だ。言ってみれば私も同罪。しかもその原因を作ったのは紛れもなく私なのに、今の言い方……下手したら自分のことは棚に上げてレンブラントを責めるように聞こえたかもしれない。
「あの……! ごめんなさい! 違うの! 分かってるのよ、私が悪いのよね。私がこの件の元凶で……だから私は相応の罰は受けなければいけなくて……その……なんで放置されてるのかしら、ね。そろそろ何か言い渡されてもいいと思ってるんだけど。……もう、そういう価値もないってくらいに、完全に見放されてるの、かな……?」
あまりに周りが何も言わないのでその場を取り繕おうと出た言葉には微塵の力もなく、必死に言い繕ってみたものの、後半はただ自虐的な笑みを顔に貼り付けるしかなくなって、最後はちょっとおどけるように首を傾げてしまう。
「……大バカ者」
目の前で、包帯を巻き終わったリョウの手を軽く握ったままのアルフォンスが呟いた。
「ごめんなさい」
いつになく低い声で呟かれたアルフォンスの声にリョウが反射的に謝罪の言葉を口にした。
「違います。あなたじゃない。……レンブラント隊長、ちょっといいですか?」
リョウが呆気にとられている間にアルフォンスはレンブラントの肩を掴み有無を言わさずといった勢いで歩き出すとそのまま部屋の外に連れ出していく。
「え? ……え?」
おどおどしたままその様子を見送るリョウにグウィンのため息が聞こえた。
「……このお人好しが」
「……え?」
ため息混じりに吐き出されたグウィンの言葉に耳を疑いながらもリョウが聞き返す。
「お前な……今まで何読んできたんだ?」
脇に積み上げられた本の山がいくつかあり、グウィンはその一番手前の一番低い山の上に手を置いてトントンと指先でその表紙を叩く。
「え、何って……」
「守護者の都市における立場と役割。ちゃんと読んで知ってるだろ?」
「いや、それは……だって、過去の話だし」
リョウが言い淀むとアウラが小さく「謙虚を通り越したお人好しだ……」と呟いた。




