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物語の続きをどうぞ  作者: TYOUKO
三、歴史の章 (然を知る)
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早朝のアイザックとハナ

 翌日、朝早くに目が覚めたリョウは、気になって仕方ないので台所に様子をうかがいに行って開けっ放しの入り口から半分身を隠すようにして中を覗いてみている。

 

 中では白い前掛け姿のアイザックがオーブンに成形したパン生地を入れ、洗って水切りしたと思われる果物の脇を通り過ぎて鍋の様子を見ている。その流れでカゴに入っている卵を片手で3個ずつ手に取りボウルに次々と割り入れる。

 ……嘘でしょ。卵、片手で割ってる。

 そう思いながらリョウが目を丸くした。

 

 昨日、グリフィスに押し切られるようにして決定した「アイザックがうちで雑用をする」という話はレンブラントが終始嫌な顔をしていたが、グリフィス曰く「みんなから歓迎される場所での仕事ではかえって罰にならない」とのことでリョウはもう承知するしかなかった。

 アイザックの場合、通いで仕事をしてくれるということで……住み込みをレンブラントが全力で否定したのでそうなったのだが、朝のうちに朝食の支度をしに来てそのまま一日家の雑用をしてくれるらしい。

 昨日はそれまでの仕事の引き継ぎがあるというので一旦帰ってもらったが今朝はどれだけ早く来るつもりなのだろう、そして初めて入る台所での作業なんてそう簡単に出来るものではないだろうと思ったリョウが、いつもより早い時間に様子を見にきてみたところなのだが。

 

 ……捗ってる。

 職人のようにテキパキと。

 しかも、彼、相当な怪我をしているはずなのに……動きに乱れがない。

 今までこちらに来る時は都市の色である青を濃くした上着を着ていて、その立ち居振る舞いでさえなんとなく身分を感じさせるものだったが。

 今日はシャツに灰色のベスト。しかもコーネリアスに言わせれば「薄い灰色は使用人でも一番立場の低い者が着る色です」というまさに薄い灰色のベストにズボンだ。ちなみにコーネリアスも最初はそんな色の服装だったのがリョウがその意味を聞いてやめさせた。ハンナも最初は薄い灰色のワンピースだったが今は黒に近い濃紺にしてもらっている。大きな屋敷では色の濃い服は下働きの使用人を束ねる責任ある立場の使用人を表すらしいので。

 

 で、リョウの方はといえば……。

 こちらは中に入るタイミングをすっかり無くしてしまっており、しかもことの流れからして怖がらせてはいけないと思うからいきなり声をかけたりするのは良くないだろう……なんて考えるとただただ気配を消して見守るしか出来なくなってしまっている。

「何やってんだ、リョウ?」

「ひゃあああああああっ!」

 背後で、しかも耳のすぐそばで普通の声量の声がかけられてリョウが思わず叫ぶ。

 その視線の先でアイザックの肩もびくりと跳ね上がった。

「グ、グウィン! やだもう! びっくりするじゃない!」

「なんか珍しいもんでもあるのかと思って……ああ、ある意味珍しい光景でもあるのか」

 どうやら台所に入るでもなく中を窺っているリョウに気づいて同じ視線で中を見ようとしたグウィンが、リョウに密着するようにしながら中を覗き込んだところだったらしい。この人もまた気配を殺して人に近づくなんていう器用なことができる人物で。

 アイザックのことはグウィンやアウラにも昨夜のうちに話してあるので台所でアイザックが働いているといってもグウィンが驚くことはない。

「なんか覗き見してるみたいでいやらしいぞリョウ」

「な……っ! そんなんじゃないわよ! 急に声かけたらびっくりさせちゃうと思ってタイミングを計っていただけよ!」

 グウィンのからかうような口調にリョウが食ってかかる。

「おはようございます。守護者(ガーディアン)殿。フェルディナンド殿」

 静かな声にリョウがグウィンから目を戻すと作業の手を止めたアイザックがこちらに向き直って頭を下げている。

「ああ、俺はグウィンでいいぞ」

 グウィンがめんどくさそうに告げると。

「いえ、外部と関わることの多い者が複数の呼び方をしていると、いざという時に間違える可能性もありますので」

 アイザックがきっぱりと拒否した。

 リョウの隣で「めんどくせー奴だなおい」と小さな声で呟きながらグウィンがくるりと踵を返す。

守護者(ガーディアン)殿、食事の支度ならもう少しで終わりますが、何か必要なことが他にありますか?」

 グウィンの背中を見守っていたところに声がかけられてリョウがハッとした。

「あ、ああ……そう。特に何もないんだけど……台所の使い方とか、わからないことがあったら教えた方がいいかなと思って見に来ただけなの。大丈夫?」

「ええ。一通り見て回って使い方は理解したつもりです。何かおかしなところがあれば指摘してください」

 ……うん。大丈夫みたい。きっと大丈夫。

 リョウはにっこり微笑んで頷いて見せてから、食堂に用意される朝食に備えて一旦くるりと踵を返した。

 アイザックの表情も口調もとてもサバサバと、感情のこもらない事務的ものでそんなやりとりをしていると自分が作業の邪魔をしているような気がしてきてしまう。……いや、きっと、本当に邪魔なのかもしれない。あれだけきびきびと動いていたことを考えると、きちんと計画を立てて時間通りにそれぞれの作業をこなそうとしているのだろう。ちょっとの立ち話でその計画が崩れでもしたら怒られるかもしれない!

 

 朝食の時間まではまだしばらくある。

 ……散歩でもしてこよう、かな。

 

 アイザックの様子を確認するために「朝」早く目が覚めたとはいえ、まだ暗い。いつも起きだすのは東の空が薄っすら白んで来る頃だ。それから朝食の支度を始めて、朝食を済ませて、日が昇り切る頃にはレンブラントを送り出す。

 食事の支度を任せてしまって大丈夫、ということなら時間的に余裕がある……というより、暇である。

 すっかり身支度も終えてしまっているから二度寝なんかできないし、まだベッドで休んでいたレンブラントを思うと今から部屋に戻っていつもより早く起こしてしまうのも申し訳ない。

 

 まだ暗い外は、それでも真夜中とは違う。

 空にはまだ星が出ており空気はひんやりしている。

 何が違うんだろう、と思って目を閉じるとリョウの感覚が研ぎ澄まされて……ああ、そうか、と口元に笑みが浮かぶ。

 空気の匂いが違う。

 そういえば、私、最近匂いに敏感になってきたかもしれない。なんて思う。

 昔は……鼻がきかないとかではないにしてもささやかな匂いに反応することはなかった。

 ここ最近、というよりレンブラントと一緒にいるようになってから色々な匂いに色々な想いを抱くようになっている自分に気づく。

 抱きしめられた時に微かに香る彼の匂いには反射的に肩の力が抜ける。ヴィオラの作った香水にはつい微笑みが漏れる。台所に立ち込めるパンの焼ける匂いにはついわくわくする。それに、朝の風の匂いには背筋が伸びる。

 こんな風に見えないものに心が揺れる感覚に自分でも驚く。

 きっと今までは、生きること自体に必死すぎてこういうことに気がつく余裕すら、なかったのかもしれない。身の危険を感じるような殺気とか人の気配とかには敏感だったのに、逆に今はそういう感覚が薄れてきているように思えるくらいだ。

 

 珍しく裏口から出たせいでいつも歩くカミレの花の中ではなく回廊沿いを城の裏手の方に向かって歩いていたリョウはふと走っていく若者に気づいた。

「……あら、おはよう。何かあったの?」

 何度か言葉を交わしたこともある厩舎の世話係だ。

「あ、守護者(ガーディアン)殿! おはようございます! いえ、特に……っていうかその……ご一緒しますか?」

「はい?」

 走っていた息を整える間も無く、さらには言葉の整理もつかないままに同行を求める世話係の若者にリョウが目を丸くする。

 とはいえその顔は満面の笑顔なので何か良からぬこと、というわけでもないのだろう。

 そのまま、どうぞ、とでもいうかのように厩舎の方向に右手を伸ばして歩きだすのでリョウはつられて歩き出した。

「いや俺も今、急遽呼ばれて駆けつけたところなんです。なんせあの馬は世話できる人間が限られていましたので」なんて主語を抜きにして話す若者は嬉しそうなので、きっと何かいいことがあったのだろう。


 で。

「……え? ハナ?」

「あ? リョウか? なんだ呼ばれたのか?」

 厩舎が見えるところまで来たところで見覚えのあるシルエットにリョウが声を上げて、さらにそこにいたもう一人が声をあげた。グウィンだ。

「あ! フェルディナンド様! いらしてたんですね。あれ、ニゲルも外に出てますか?」

 若者が慣れた様子でグウィンに駆け寄る。

「ああ、ニゲルなら厩舎に戻した。そろそろ当直の世話係が仕事を始める頃だろ。なんだ、お前が駆り出されたってことはもう知れ渡ってるのか」

 グウィンが微妙な笑顔で若者を眺める。……ああ、そろそろ辺りがよく見えるようになって来たと思ったら東の空が薄っすら明るい。

「え、何? どうなってるの? なんでハナ?」

 リョウはグウィンの後ろに佇んでいるハナから目が離れない。

「ああ、あれ以来明け方直前にふらっと戻って来ているみたいだぞ。まあ、遊びに来てるくらいの感覚だろうな。……もう帰るみたいだから悪いが厩舎の方にはお前が伝えておいてくれ」

 グウィンは後半は若者に向けてそう言うと厩舎の方向に顎で合図する。

「そうですか。分かりました。……良かった。ハナ、元気そうで! 守護者(ガーディアン)殿とまた会えて良かったですね」

 ハナに対して敬語で語りかけた若者は自分から近づくことはせずに優しい眼差しを向けただけでハナから距離を取り厩舎の方に駆け出していった。

 

「……あいつ、ハナが唯一自分に触るのを許した世話係らしいぞ。ああいう接し方がいいのかもな」

 走り去る若者の背中を見送りながらグウィンが呟いた。

 と、そこへ。

 一緒になってグウィンの隣で若者を見送っていたリョウの背中がいきなりどつかれる。

「うわ! 何? なんなのハナ!」

 振り向くと鈍色の光を纏ったハナがリョウに再び頭を擦り付けて来る。それと同時に翼が現れ、数歩後ずさるようにしながらリョウに頭を下げる。

 まるで挨拶をしているような仕草の後、まだ薄暗い空に駆け上ったハナはゆっくりと上昇して都市から離れた。

「そうか……お前が乗ってた時はもっと明るい色だったと思ったが、あれはお前の色と同化してたからなんだな」

 見守っていたグウィンがあっけらかんと感想を述べるので。

「え? なに? グウィン、なんでそんな平然と……え、ハナ行っちゃったじゃない……!」

 リョウの方が慌てる。

「あ……そうか、お前知らなかったんだな。ハナのやつ、あれだろ、お前がなんだかんだで大変そうだったから気でも遣ってるんじゃないのか? お陰で厩舎の奴らも大喜びで上に報告してたな」

「へ?」

「お前……酔い潰れるほど飲んだんだって……?」

 話についていけずにいるリョウにため息混じりでグウィンが問いかけてくる。

「あ……あれは……いや別に酔い潰れた訳じゃないわよ……ってなんで知ってるのよ?」

 訳が分からなくなって来たリョウは、もはやしどろもどろだ。

「レンブラントのやつが心配してたぞ。ついでにえらく落ち込んでた。……まあ、そういうのって聖獣は察するからな。ああ、いやレンブラントの心境じゃなくて、レンブラントでさえ狼狽えるほどのお前の状況をハナは察したんだろ」

「え……やだ……そんな……」

 リョウは自分の顔が熱くなるのを自覚して両手で両頬を包む。

 嘘……それでわざわざ自由になってからもこっちに来てるの? しかも私に会うためとかじゃなくて都市に自分の意思でいることを印象付けるためだけに。

 そう思うとさっきのハナの頭突きの意味がわかるような気がして居たたまれなくなる。

「ああほら、そろそろ食堂に行く時間じゃないのか?」

 グウィンが空を見上げながらリョウの背中をポンと叩く。

 一度日が昇り始めるとその後明るくなるのはあっという間で先程までの星空はすっかり明け方特有の空の色に塗り替えられている。

 

「なんでグウィンは知ってたの? ハナのこと」

 食堂に向かいながらリョウが尋ねる。

「ああ、俺は大体毎朝ニゲルに会いに行ってたからな。まあ朝くらいしか自由になる時間がないし、他のやつに邪魔されずにニゲルの様子が見れるのはこんな時間くらいだったからな。ニゲルを厩舎から出してその辺散歩させるついでにハナも一緒に連れ出したりしてたんだ……ああ、黙ってて悪かったな」

「え……あ、うん。いいの。……そうか。そうだったのね」

 リョウが視線を落としながら答えた。

 そうか。グウィンはちゃんと自分の馬のことを考えて時間を作ってあげていたのね。すごいな……。しかもニゲルだけじゃなくてハナのことまで考えてくれていたなんて。

 そう思うとただ甘えてばかりいた自分の行動が浮き彫りになったような気がしてついため息が漏れる。

「バカ。落ち込むようなことじゃねーだろ」

 グウィンの大きな手がリョウの頭の上にふわりと乗り、そのままくしゃっと撫でられる。

「リョウ、お前な。落ち込みすぎだ。……お前、今まで一度でも人の迷惑かえりみずに手を抜いて楽をしようとかした事あったか?」

「……ない、と思う」

 グウィンの問いかけの意味がよく分からなくてただ言われた事にだけ正直に答えてみる。

「それなら後悔する必要も落ち込む必要もないぞ。いつも一生懸命やってんだろ? その結果どこかに手落ちがあったとしてもそれは落ち込む事じゃねえだろうが。そういう時のために友達とか仲間とかがいるんだろ。お前はお前にしかできないことを精一杯やってんだ。もう少し胸を張れ。そのあるんだかないんだかよく分からん胸をもう少し張ってみろ」

「……う、ん。ありがと……って、今なんて言った?」

 なんだかすごく嬉しいことを言われていたような気がしたのに最後にめちゃめちゃ失礼なことを言われたような気がするんだけど?

 リョウは思わず隣を歩くグウィンを睨みつけた。

 

 

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