意外な展開
仕事に出掛けたレンブラントを見送った後、リョウは午後の仕事に備えて台所に入る。
やはりハンナの存在は大きい。
彼女がいないとなると、午後から仕事に取り掛かるために夕食の支度の時間が取れなくなることを踏まえて午前中のうちにある程度済ませなければならない。
もちろん、その前に昼食の支度もあるのだ。それに……定例と化している午後のお茶用のお菓子。
しかもレンブラントとリョウの二人分だけを作るわけではなく食事に関してはグウィンと、かなりの量を食べてしまうアウラもいて……お菓子となるとやはりかなりの量を食べてしまう人がもう一人増える。
こういう作業をハンナはほとんど引き受けてくれていたのだ。そしてリョウは出来る範囲で気の向くままにしかやっていなかったから……全部やるとなると結構な仕事量になる。
さらに、掃除や洗濯といった日常の仕事も……あるといえばある。
洗濯は、小さいものだけならさほど時間はかからないので、それ以外は洗濯屋が来たら渡すことにして、掃除は……もはや手抜き決定だ。人の出入りがある以上はやらないわけにはいかないので、目立つところだけやる。一週間くらいならどうにかなる!
「……ハンナたちの休暇、一週間で良かった……」
リョウがポツリと呟いた時、不意に玄関の呼び鈴が鳴った。
「……ああ、びっくりした。滅多に鳴らないものが鳴ると焦るわ……」
使用人がいないこととザイラも都市に不在であることを踏まえてドアは施錠するように言いつけられている。
なので来客時にはこうなるのだ。というのを改めて実感しながらリョウが応対に出る。
で。
「……!」
ドアを開けたリョウが固まった。
「……あの……突然の訪問、申し訳ありません」
目の前にいたのはこちらと視線を合わせることなくうつむいた、というより項垂れた、アイザックだった。
そして、その後ろには改まった表情のグリフィスと、若干むすっとしたレンブラント。
……来た! ほら来た! やっぱり来た!
このメンバーがわざわざうちに来るということは、もう先日の件以外何もない筈! そしてこのアイザックの様子からして私が力を誇示するような事をしたから思いっきり畏怖の念を抱いているのも疑いようがなく。
そんな事を心の中で確認しながらリョウがドアを開いて一歩下がり。
「……中に、入りますか?」
引導を渡される覚悟を決めたせいで、すっかり血の気の引いた顔色のままそれだけ言った声も暗く沈んで抑揚が無い。
なんとなく中に入るのを渋るようなそぶりはあったが、アイザックは後ろに控えている二人に背を押されるようにして応接間に通された。
「えーと……お茶を」
「いえ、今は結構です! 守護者殿、おかけになってください」
一応お客様なんだし何も出さないというのはどうかと思うのでリョウが部屋から出ようとするとアイザックが緊張気味に声をあげた。
そして低いテーブルの周りにあるソファの前で、レンブラントを含む男三人は座る様子も見せず……今の言葉からしてリョウが座るまでは自分たちも座らないつもりなのだろうことが窺える、ので。
「……ああ、はい。それじゃ……」
小さくため息をつきながらリョウが腰を下ろすと、タイミングを見計らったように三人も腰を下ろした。
正面にアイザック。その隣にグリフィス。リョウの右隣に置いてあるソファにレンブラント。そして、腰を下ろしたリョウが、何を言い渡されるのか覚悟を決めて顔を上げたその瞬間。
「先日は、大変申し訳ありませんでした!」
緊張しきった面持ちだったアイザックが、いきなり頭を下げた。
「……え?」
リョウが訳がわからず呆然としている間にも、アイザックは一度下げた頭をそのままもっと深く下げていき……両膝に手を乗せた状態で深々と下げられた頭はついにはその膝と膝の間に納まってしまうのでは無いかというほどだ。
「わたしからも謝ります。部下の教育がなってませんでした。これがあなたに大変失礼な事を言ったようで本当に申し訳ない。司として心から恥ずかしく思っております」
そう言ってグリフィスまでもが頭を下げる。
その言葉が耳に入ったせいかアイザックの膝の上に乗せられていた両手がぎゅっと握りしめられた。
意味がわからない。
とリョウは思った。
なぜこの二人が謝るのだろう。それもわざわざうちまで出向いて来て。
しかも、いつもなら回廊に続いている裏口から入ってくることが多いというのに、今日はわざわざ正面玄関から入ってきた。それは、こっそり済ませられる用事ではなく公式の用事だから、という事なのだろう。
だから、自分に対する処分なり待遇の変更なりを公式に言い渡しにきたのだろうと思ったのだが。
確かにレンブラントが昨夜「リョウは何も悪く無い。礼を欠いたのはアイザックの方だ」と力説していたが……それは単に自分をその場でなだめるためのものだと思っていた。
そんな事を思いつつリョウがレンブラントの方にちらりと視線を向ける。
「ほら、言った通りでしょう? この二人、リョウが許してやらない限りきっとこのまま動きませんよ」
レンブラントがリョウに得意げに微笑む。
「え……いや、だって、許すも何も……私が悪かったのに……!」
「違います! 守護者殿は悪くない! わたしが勝手に、無思慮に動いただけで……っ!」
勢いよく体を起こしながら声をあげたアイザックが、その拍子に不自然に息を飲んだ。
「……何? どうしたの?」
リョウが慌てるのは、そのアイザックが膝に乗せていた片手で脇腹あたりを抱え込むようにしながら物凄いしかめっ面になったから。なんなら……額に汗まで滲んでいる。
と、グリフィスがちょっとだけ頭をあげて。
「ああ、お見苦しくてすみません。一昨日レンブラント隊長にかなり酷くやられたらしくて肋骨が折れてるんですよ。気にしなくていいです」
「肋骨がっ?」
呆れたような視線をアイザックに向けるグリフィスに今度はリョウが声をあげた。
「当たり前です。リョウにあんな思いをさせておいて無事でいられるなんてあり得ない」
すかさずレンブラントがぼそりとこぼす。
「ええ、もっともです。本来ならすぐに謝罪に出向かなければならないところだったのに昨日は一日中動けなくなっていましてね。まったく、デスクワーク中心の生活をしている者は軟弱で仕方ないですね。今日になってようやく起き上がれるようになったらしいので引きずってきました」
「え……」
追い討ちをかけるようなグリフィスの言葉にリョウが言葉を失った。
肋骨って折れてすぐにこんなに動き回って大丈夫なもんだったっけ? そもそもこの人たちの対応って……何が基準なんだ?
「リョウ、なんならこんな男、許さなくてもいいですよ。話は聞いています。守護者にあんな暴言を吐くような者をわたしの下で働かせるわけにも行きませんから早々に役を退かせます。それでも気が済まないようならそうですね……アルフォンスに頼んで……」
「ちょっと待って!」
淡々としたグリフィスの言葉にリョウが思わず声をあげた。
待って待って! アルに頼むって何を頼む気?
アルフォンスが陰でさせられていた「仕事」に思い当たってリョウがざっと青ざめて。
「アルは関係ないわよね? それに許すってなにをですか? 私、いつからそういう立場になったんですか?」
ほとんど無我夢中で答えていた。
頭のどこかで、昨夜レンブラントが言っていたことがちらりと思い浮かんだ気が、する。
リョウが自分の失態を後悔してどん底だった昨夜……いや昨夜と言わずもう一昨日からずっとどん底ではあったのだが……レンブラントは「リョウが気にすることはない」という主旨のことをずっと言ってくれていた、ような気がする。「悪いのは守護者たる者に暴言を吐いたアイザックだ」みたいなことも。「だからむしろリョウが牽制したのはいい薬になったんじゃないか」とさえ。
レンブラントはあの状況を見て私が単に権威者としてアイザックを牽制しただけなのだと、思ったのだろうか。
そんな事をリョウはぼんやりと思っていた。
その実は。
そういう事じゃなかった。
そういう事なら私にももう少し態度や口調にゆとりがあっただろう。
私の「あの態度」は明らかに、本気だったのだ。
この都市における自分の立ち位置を思い知らされて、本気で……怒りを抱いてしまった。そして……怒りを抱いてしまったということを恥じたのだ。そもそもが、恩義あるこの都市に対して怒りを抱くなんてことができる立場じゃないのに。そんなこと分かっている。
人の社会に受け入れてもらえるような存在じゃない、ましてや人から純粋に愛されるような存在ですらない私が、対等に扱われないことに腹をたてるなど、厚かましいにもほどがある。
思い上がるな、と、むしろ私が牽制を受けたのだと思うのだ。
だから、私に残るのは後悔だけで。
そりゃ、火の竜の力を持ってすれば人の都市の一つや二つ、脅しをかけることくらいなんて事はない。でも、それは一番やっちゃいけないことだ。力あるものがその力を誇示したらもう二度と受け入れてなんかもらえなくなる。
だからこそ、私は、あの時の「本気」を後悔しているわけで。
なのに、昨夜のレンブラントはそれを理解していないようだった。
……もしくは理解していないふりをしていたのか。
リョウとしても胸の内を全て話すわけにもいかず……話してしまったら彼との間に二度と取り繕えない溝ができてしまうのではないか、と思えて仕方ないので、ただ「もっと自分の立場をわきまえるべきだった」とだけ言ったのだ。
皮肉を込めるつもりもなかったがそれはつまり「傀儡としてでもこの都市に置いてもらっている自分の立場を超えた行動」を恥じている、という意味だった。
「リョウはね、ずっと悩んでいたんですよ」
一人混乱しているリョウの隣でレンブラントがアイザックに語りかけている。しかもその口調は滅多に聞くことがない冷ややかな口調だ。
「あの後、ずっと落ち込んで……昨日だって『もっと自分の立場をわきまえるべきだった』と。守護者として力を持つ者があなたのような弱者に怒りを表すなどあってはならかった、ということですよ。分かりますか? あなたの暴言はその場の自分の感情を満足させるには十分だったかもしれませんけどね、それに正当な反応を返したリョウを長く、深く傷つけてるんです。リョウは騎士隊隊長である僕の妻というだけではない、この都市の守護者ですからね。事の重大さをよく考えなさい」
……あれ、今、何かちょっと違った。
リョウがふと我に返る。
「そうですね。騎士隊隊長の妻を愚弄したということは夫に対する侮辱でもありますが……レンはわたしの息子ですからね。言ってみれば都市の司であるわたしを愚弄したも同然ですね。そうは言ってもこれは紛れもないわたしの部下ですから、わたしの失態でもある。それに……事によっては今後都市が完全なる守護を受けられるかどうかにも掛かってきますね」
レンブラントの言葉を受けてグリフィスがさらに言葉を続けた。
「大変、申し訳ありませんでしたっ!」
「いや、もうそんなの忘れてください」
次の瞬間、アイザックとリョウのセリフが重なっていた。
そして二人とも別の理由で顔面蒼白、といったところ。
「……は?」
アイザックがリョウの言葉を聞き取ったらしく、顔を上げた。
隣でグリフィスが困ったように口元を歪めてから。
「……リョウ。お人好しすぎます。それでは示しがつきません」
……なんの示しだ……。
毅然と言い放つグリフィスにどう答えたものかとリョウが言葉を失っていると。
「ああそうだ。それなら何か処分を決めてもらったらいいんじゃないですか? この家も含めて城の敷地内は出入り禁止とか。アイザックの仕事はいくらでも代わりがいるでしょう。なんなら都市からの追放でもいいんじゃないですか?」
レンブラントがめんどくさそうに提案する。
ただでさえ顔色が悪かったアイザックがその言葉を聞いてさらに顔色を悪くした。
……彼の場合、グリフィスのそばで仕事ができないというのは死に値するほどの厳罰なのかもしれない。
「え、いや、あの! そこまでする必要はないでしょう?」
あまりの話の展開にリョウはもはや物事を筋道立てて考えるというよりアイザックの減刑に注意が向き始めた。
「リョウは本当にお人好しですね」
グリフィスが困ったように微笑んだ。
「ではこうしましょう。今、こちらでは使用人が暇を出されてるんですよね? その代わりにここでの雑用をやってもらいましょう。彼らが帰ってきたら庭掃除にでも使ってください。しばらくはわたしの仕事は手伝わなくて結構です」
「はぁ?」
真っ先に声をあげたのはレンブラントだ。
「この期に及んでこいつと毎日顔を合わせるなんて……あり得ない」
眉間にしわを寄せてレンブラントが視線を逸らした。
その提案を決定事項のように受け止めているようなそぶりを見るに……グリフィスは言い出した事は必ずやる、という事なのかもしれない。
「あの……でも、怪我、してるんですよね? 雑用なんて無理なんじゃ……?」
リョウが恐る恐る、口を挟む。
「いえ、やってもらいましょう。その程度のことができないようではわたしの下で働くことだって出来ないんですよ。……ちなみに彼、家の中の雑務は一通り出来ますから是非こき使ってください。反省が感じられないようならいつでもこちらに報告してください。別の処分を考えます」
うわ。
それは……ちょっと厳し過ぎるのでは?
そう思ったリョウがそろそろとアイザックに目を向けると。
「よろしくお願いします」
アイザックが神妙な面持ちで頭を下げた。




