旅行の挨拶
「リョウ、いるー?」
玄関方面で、懐かしい叫び声が上がった。
聞き慣れない客人の声に条件反射のように真っ先に顔色を変えたのは、朝食の後、特にやることもなくお茶を飲んでいたアウラ。最近特に用事がなければリョウが昼食の支度に入るまでの間アウラとリョウが食堂や応接間でたわいもないお喋りをしているのにグウィンが付き合う、ということが時々ある。
そら来た! と言わんばかりにニヤッと笑って立ち上がったリョウがグウィンとアウラに軽く目配せして食堂のドアをそっと開けて廊下に顔を出す。
レンブラントは仕事に出かけた後。
最近は屋敷の中でも割と奥まった食堂での朝食で、こんなところまで声が届くザイラの声って……うん、彼女なりに屋敷中に響かせる気満々での発声なんだろうけど、ホントにいい声をしている。最近流行りの音楽ホールでの独唱なんていうのも出来るんじゃないだろうか。なんて思いながらリョウがそそくさと玄関に向かう。
途中、ハンナとすれ違ったので食堂に残っているグウィンとアウラが無事に部屋に戻れるよう手引きをそれとなくお願いして。
「ザイラ! 久しぶりね!しかも今日は随分早いんじゃない?」
玄関ホールで、周りに飾られている花や絵なんかを眺めているザイラがこちらを振り返るなり笑顔になる。
「ああ、リョウ! 良かった。なんだかここ雰囲気変わったわねえ! すっごくいい感じ。まぁ、前の素朴な感じも良かったけど……やっぱり『守護者の館』っていうくらいなんだからせめてこのくらいにしておかなきゃねぇ」
……ああ、会話が噛み合ってない。
ザイラのマイペースさ加減にリョウの頰が緩む。
褐色の肌に笑顔が似合う口元は相変わらずで、今日はなんだかちょっと可愛らしい出で立ちだ。
普段のザイラはシンプルなワンピースに簡単な上着やエプロンを合わせて、長袖でも袖をまくって動きやすそうな格好。
今日はシンプルなワンピースとはいえ薄いピンク色の生地に織模様が入っていて、いかにもよそ行き。そして近くまで行っていつもより視線が高いな、と思ったら……これは珍しい!
「ハイヒール?」
リョウが改めてザイラの肩に手を乗せて足元を覗き込むように視線を下げた。
「うふふ。……どう?」
ザイラがリョウから一歩離れてくるりと回ってみせた。
「か、可愛い! ……何? お出掛け?」
「そうなの! 父さんとね、南にちょっと旅行するの。だからその前にリョウに挨拶して行こうと思って。昼前に出ることになってるからちょっと早めにこっちに顔出しにきたってわけ」
「わ! そうなんだ! ……昼前ってことは」
リョウがポケットから小さな時計を出して目をやる。
昼までまだ三刻以上ある。
「うん! リョウのいれたお茶が飲みたいわ!」
悪びれることなく満面の笑みになったザイラにリョウもつられて笑顔になり、いつもの台所の隣の部屋に連れ立って歩き出す。
ちょっと前にヴィオラから分けてもらった薔薇の実で作ったケーキ。
今日の午後に出すつもりで今朝ちょっと多めに作っておいた。なにせ、一度に大量にしかも競うように消費してしまう人たちがいるのでちょっと作っただけでは物足りない。
その他にもハンナが昨夜作ったカップケーキもあるので多少食べてしまっても大丈夫。
リョウが新しい紅茶の茶葉をティーポットに入れて沸かしたての湯を注ぎ、ケーキと一緒にトレイに乗せて台所から隣の部屋に戻ると、いかにもお客様!という出で立ちで待っていたザイラと目があってどちらともなく笑い出す。
「……美味しいわねえこのケーキ。こんなのを毎日食べられるなんてレンは幸せねっ!」
早速ケーキを頬張りながらザイラが絶賛してくれるので。
「ありがと。……で、なんで急に旅行なの?」
リョウがつい照れ隠しに話題を変える。
「ああ、そうなの、それね。ほら最近の流行りに乗っかってみようかなって」
「え……? 流行り?」
リョウが目を丸くした。
「そ。ここ最近すっかり平和になったじゃない? 都市に定住した人たちもね少しずつ以前住んでいたところに帰省も兼ねて旅行する人たちが増えているのよ。……面白いわよね、人って定住先を一度決めてしまうと出てきた故郷が懐かしくなって様子を見に帰りたくなるのよね。うちもね、父が以前から母と出逢った故郷を懐かしんではいたのよ。自分で捨ててきた土地を懐かしむなんて変なのって子供の頃は思っていたけど……なんだか最近それも分かるかなって思えてきて。まぁ……帰ってみたところでまだ町が残っているかもわからないらしいんだけどね」
楽しそうに話すザイラが最後に少しだけ笑顔を曇らせた。
「ああ……そっ……か」
そういえばレンブラントともハンナやコーネリアスが休暇を取って旅行することについて話していたのだった。
そしてコーネリアスは「昔いた事がある土地に行ってみても知り合いはもういないかもしれない」なんて話していた。
確かに以前住んでいた土地を離れて他所に移住する者の大半の理由はそこが襲われて壊滅した、とか、近隣でそういう事があって自分が住んでいるところまで危険が及びそうだと考えたから。という人がほとんどだった。
そうなると、戻ってみたところでもはや人は住んでいないとか、そもそも町や村が無くなっている、ということもあるだろう。
「多分ね、自分のルーツになる場所を確認……したいんじゃないかな。父ももう歳だし、遠出なんてそうできないだろうと思っていたんだけど最近の道路事情はかなり良くなってるみたいで旅行者用の馬車も出てるらしいのよ。それに最近、南方に行ってきた人から話をちらほら聞くこともあってね、もしかしたらまだ町が残っているか……そうでなくてもその近隣にその町出身の人たちがまだ残ってるかもしれないみたいなの」
静かな微笑みを浮かべながら話すザイラはいつになく大人びて見える。……というよりこういう表情が本当は年相応なのかもしれないのだが。
「何か……収穫があるといいわね」
リョウは紅茶のカップを口に運びながらそんな言葉を口にする。
自分のルーツ。
リョウはそんな言葉にちょっとだけ引っかかっていた。
自分がどこから来て、なんのためにここにいて、この後どうやって生きて行くのか、なんてことをやはり誰でも考えるのだろう。
生き抜くことに精一杯だった時ならともかく少しゆとりができて来たら、そういう、人としての本来の思考パターンが戻ってくる。
そんなことは容易に想像がつく。
でも、自分は。
なんて事もふと思ってしまったのだ。
自分のルーツを知りたいと……思うだろうか。……思っているだろうか。……必要だろうか。
「……あれ? リョウ?」
ふとザイラの訝しげな声にリョウが我に返る。
「え……あ、何?」
「もう! お土産何がいい? って聞いてるのに! ……大丈夫?」
テーブルに身を乗り出してこちらを覗き込んでくるザイラは心配そうな顔だ。
「あ! お土産! えっそんな! 気にしなくていいわよ!」
慌てるリョウにザイラがケラケラと笑いながら「じゃあ適当に何か見繕ってくるわね!」と言い放った。
しばらく雑談を楽しんだ後、ザイラを見送ってから昼食の仕度が始まったらしい台所に入ったリョウにハンナが「あら!」と驚いたように声をかけて来た。
「てっきりお食事もしていかれるかと思ったんですが……ザイラ様お帰りになられたんですか?」
あ、そうか。それで早めに支度を始めていてくれたのね、なんて思いながらリョウがにっこり微笑む。
「ああ、彼女はいいのよ。これから旅行に出かけるんですって。挨拶に来てくれただけだったから。……それに今旅行ってやっぱり流行ってるみたいね! これはハンナたちもこの流行りに乗ってしまわなければね!」
リョウがニヤリと笑いながらハンナの顔を覗き込むとハンナが照れたように笑った。
午後のいつもの仕事の時間。
テーブルを囲むいつものメンバー。
「……確かに……必要といえば必要ですね……」
まずアルフォンスがそう呟きながら本から離した右手で額のあたりをさする。眉間には深いしわ。
リョウの隣でグウィンが腕を組んだまま俯いて、やはり難しい顔をしている。
いつもなら少し離れたところに立っているレンブラントはリョウのすぐ後ろで心配そうに様子を見守っている。
グウィンの後ろで立ったままのアウラは不安そうに皆の様子を伺っている。
リョウが気になっていたことを「提案」したところだ。
つまり、ラザネルに会いに北へ行くべきではないかという提案。そして付き添いが公式に認められるのはアウラだけなんじゃないかということも。
「何もリョウが行かなくても向こうから来てもらえばいいんじゃないですか?」
レンブラントが少しイライラしたように口を挟んだ。
「いや……無理だろうな。相手は飽くまで水の部族だ。リョウ個人が困っている、ということなら喜んで来るだろうが、これは人の都市の問題だ。そもそもが人間に敵対心しか持っていなかった奴らがそこまで譲歩するとは思えん」
グウィンが腕を組んだまま思案げに答えた。
「そうですね。それに……この都市としても公式に受け入れができないと思いますよ。リョウは少なくとも守護者の契約があるから言ってみれば都市の側の者です。でもそれ以外の竜族で支配階級の者となると……また何が起こるかわからない。それにそんな事があった場合せっかく結んだ竜族と人との条約が反故にされる危険があるでしょうしね」
アルフォンスがグウィンの方をちらりと見ながら言葉を加えた。グウィンが毒を盛られたときのことを言っているのは明らかで。
「俺は構いませんけどね。リョウさんと北に行くの」
アウラが口を挟むが、それに伴う問題を察しているので口調は重い。
「正式な援護者を差し置いて守護者を都市から出すのは……前例がないんですよね」
アルフォンスがその問題を口にする。
そんな事はあり得ないけど、見ようによってはリョウが竜族として逃亡する行為にも見えてしまう。
「すみませんが、少し時間をいただきますね。上の責任者何人かと話し合いをした方が良さそうだ」
アルフォンスがため息をつきながらそう言うとリョウと視線を合わせてにっこりと微笑む。
心配しなくていいですよ、と言われているようでリョウはちょっと胸が痛んだ。
……多分、かなり無理をさせている。
そう思えてしまうので。




