薔薇の実
なんだかひと段落したような気が、する。
賑わう街をふらりと歩きながらリョウは安心したようなため息をついた。
グウィンのお陰でお菓子作りは再開できた。
お菓子を作るのに台所に入ることが自然に出来るようになったので、朝食の支度や昼食の支度も心置きなく出来るようになった。
……作るのを控えようと思っていたのはお菓子の類だけだったんだけどな。
リョウが思わずくすり、と思い出し笑いをする。
お菓子作りに後ろめたさを感じるようになった流れで、それが食事の支度であろうとも台所にいること自体が後ろめたくなってしまってグウィンがいる時に台所に入ることができなくなっていた。
ハンナの仕事を増やしてしまうのは申し訳なくて「自分が散らかした他の部屋を掃除するので」とか「自分が汚したものを洗濯するので」なんて見え透いた言い訳をして食事の支度を代わってもらっているうちにハンナが食事の支度を手際よく、そして気持ちよくしてくれるようになっていたのだ。
ハンナがそれとなく気遣ってくれているのも割とわかりやすくて「夕食の支度のついでに朝食の下ごしらえができてしまったんです」とか「コーネリアスが珍しい食材を仕入れて来たので今日はわたくしが。いえ、ただの好奇心ですよ」とか毎回何かしら理由をつけて……そのうち当たり前のように台所に入ってくれるようになった。
……うん。あれは本当に申し訳なかったわ。
ハンナにも何かお礼しなきゃ、ね。
久々に台所を使うようになってからの一週間はあっという間で、今日は仕事はない。
レンブラントはあいにく仕事があるそうで、リョウは一人で買い物でもしようと出かけて来ているところ。
考え事なんかしながら歩いているとあっという間に目的の店の前に辿り着いた。
木造の小さな店。
店の入り口に面した側には所狭しと鉢植えが並び、あふれんばかりに薬草が茂り、花をつけている。それもこぢんまりと手入れをされた風ではなく、植えっぱなしの状態で特に刈り込んだり見た目をよくするために植え替えたりなんかはしていないようで、鉢植えといってもかなり自然な感じがして、その気の抜けた手入れ加減がなぜか安心する。
入り口の脇にある小さな花壇には薔薇が枝を伸ばしており、こちらも一見延び放題になっているように見受けられる。ただ、薔薇の木というものは、そもそもがきちんと手入れをしていなければここまで見事に花をつけることはない。葉には虫も付いておらず艶やかで、きちんと手入れをした上でこういう形にあえてしているのが分かる。
よく見ればドアの近くにはこれまた上から吊るした鉢植えで隠れかかっている木製の小さな看板があって「ヴィオラの店」と書いてあった。文字の周りには花を象った彫り込みがあって可愛らしい。
「こんにちは」
小さく声をかけながらそっと扉を開けると入り口付近に漂っていたのとはまた別の甘い香りがリョウを包む。
「あら、いらっしゃい!」
小さなカウンターからヴィオラが律儀に声をあげて、そこで話し込んでいたらしい女性客が振り向いた。
しまった、邪魔をしてしまっただろうか、と小さく肩をすくめたリョウにヴィオラはゆったりと微笑みかけて。
「ああ、守護者様。お急ぎじゃなければゆっくり見ていってね」
なんて言いながら親しみを込めて目配せしてくる。
守護者の上着はこういう時にちょっと役に立つ、気がする。
お得意さんと話し込んでいる店主の気がそらされても相手がこういう身分のものだと思うと客も気を悪くすることなく「わー、あんな方もこちらに来られるのね!」なんて上機嫌になってくれているようで。
自分には不相応な格好だといつも気が引けていたリョウだったがこんな時ばかりはその格好に安堵したりしてしまうのだ。周りがこちらに気を遣い過ぎたりしなければ、だが。
最近、守護者の館に納品された新しい上着は柔らかい生地でできていて体のラインに少しだけ沿うようになっている。改まった場所に出向くのでなければ柔らかい印象が出てとても都合がいい。
一見すると街の人たちが普通に着ている上着のようだが、規定通りの色と都市の紋章を袖口と裾に小さくぐるりと縫い取ったデザインなのでやっぱり守護者の上着だ。
最近は職人たちもリョウの気質を把握してきたようでどこまで規定内で崩した物が作れるか挑戦するような熱意さえ感じられる。
カウンターでの雑談らしき会話を背にリョウが店内をゆっくり見て回る。
前回来た時は店の大半を占める香水の棚しか見なかった。
でも改めて見ると店の隅にある棚にはそれ以外の品も並んでいた。
小さな瓶に入っているのは化粧品のようだ。
薔薇の香りの化粧水に、クリームは……ハンドクリームらしい。小さな容器に入った万能クリームというのもある。これは指先のお手入れにも唇のお手入れにも使えるということらしい。
形ごとに香りの違う石鹸も数種類あってカゴに山積みになっており、髪につけるオイルも数種類ある。
「今日は何かお探しもの?」
うっかり夢中になりすぎて商品を片っ端から熱心に見つめ出したリョウにそっと声がかけられた。
ハッとして振り向くリョウの肩越しに人懐っこい笑みを浮かべたヴィオラが手元を覗き込んで来ている。
「っあ! ごめんなさい……お客様は……もう帰られたの? 私、邪魔しちゃったかしら?」
我に返ったリョウがすかさず謝ると、ヴィオラが一瞬目を見開き次の瞬間けらけらと声を上げて笑い出した。
「守護者様って面白いわねー! なんでそんなに低姿勢なの? あなただって立派にお客様でしょうが!」
「え……あ……うん、そう言われればそうなんだけど」
あまりにあっけらかんと笑うヴィオラの勢いに呑まれてリョウがついおどおどと答える。
いや、なんとなく、こんな出で立ちで来られたら……普段の商売の邪魔なのではないか、なんて事も多少なりとも考えるわけで……こんなデザインではありますけれど、この上着って威圧感ありますよね?
という心の声はしまっておくことにした。
「前に作ってもらった香水を使い切ってしまったのでもう一度作ってもらおうかと思って」
一度小さく咳払いして気を取り直したリョウが話を切り出す。
「あら! ありがとう! ホントに気に入ってくれたのね。嬉しいわ」
ヴィオラはそう言うと華やかに笑った。「他にご用命はある?」なんて聞いてくるのでリョウは思わず先程から気になっていた石鹸やクリームが並んだ棚に視線を移した。
「ああそれね! 結構人気あるのよ。父さんのとこのミツロウを使ったクリームはオススメ!」
くすくす笑いながらもどこか誇らしげなのは……父親との合作というところが気に入っているのだろう。
なので、普段使いになりそうな石鹸を幾つかと、ハンナへのプレゼントに香りのいいクリームを選んでみる。
小さな容器で売られているのは日持ちしないという性質上、早めに使い切れるサイズにしてあるのだそうで気に入ったらまた買いに来ようという気持ちにもつながる。
「そうそう! 守護者様、今時間あるの?」
プレゼント用だと話したクリームを可愛らしく包み直しながらヴィオラが顔を上げた。
「え、あ……はい」
いい加減「様」はやめてほしいなぁ、なんて思いながらリョウが曖昧に返事をすると。
「ちょっとお茶飲んでいかない? うちで取れた薔薇の実をお茶にしたら結構美味しかったのよ」
「……薔薇の実?」
初めて聞くお茶にリョウが目を輝かせた。
「美容に良いのよー! ……はい!これ。プレゼント用はこれで完成!」
ヴィオラの声とともにリョウの目の前に差し出された包みは薄いピンク色のリボンが結ばれた生成り色の布の袋。サービスだというその袋は縁にレースが縫い付けてあって後で小物入れにでもしてもらえそう。
「わあ! 可愛い! ありがとう!」
リョウが受け取った包みを手に乗せて、あちこちの角度から眺めているとヴィオラは小さく吹き出すように笑ってから「ちょっと待っててねー」なんて言い残して店の奥に引っ込んだ。
しばらく経ってからティーセットの乗ったトレイを片手でキープしながら戻って来たヴィオラはカウンターにカップを二つ並べるとティーポットから赤い色のお茶を注いだ。
「わ、何? すごく綺麗!」
リョウが思わず食い入るように見つめながら感想を漏らした。
薔薇の実、というから薔薇の香りがするのかと思ったらそういうわけではなく、何より鮮やかな赤い色が目をひく。
「面白いでしょう? 薔薇の実からこんなお茶ができるなんて! ちょっと飲んでみて? 意外な味よ?」
得意げに微笑むヴィオラはとても楽しそうだ。
促されるままに一口飲んだリョウが目を見開く。
「え? これ……何か入れてるの? 檸檬、とか?」
ちょっと前に蜂蜜の店で飲んだレモネードを思い出すような酸味だ。
「こういう味なのよ。女性には嬉しい効能がいっぱいよ!」
「うわー、美味しい! ……薔薇の実……あのお店の入り口のところの薔薇?」
リョウがすっかり虜になったようにカップを口元から離すことなく尋ねる。
店の入り口に面した花壇にはピンク色とオレンジ色の中間くらいの色の薔薇が咲いていたのを思い出したので。
「ああ、あれじゃないの。あれは主に花を楽しむ品種ね。店の裏にね、ちょっと広い庭があるのよ、ここ。で、商品に使う植物を育ててるの。この店で扱うもの全部って訳には……さすがに行かないんだけど幾らかはね。で、薔薇はね、あんなにゴージャスなやつじゃなくて花びらも5枚だけのやつよ。原種に近いんじゃないかな。……あ、ねえ、気に入ったなら少し持っていく? 予想以上にたくさん出来ちゃって。さっきのお客様にも少し持って行ってもらったんだ」
……なんという魅惑的な申し出!
リョウは見開いた目を輝かせた。
なんとなくリョウが予想していた通り、午後のお茶の時間にはアルフォンスがやってきた。そしてレンブラントも。
「……レンも来たのね。仕事、大丈夫なの?」
応接間に入ってくるアルフォンスの後ろから続いて入ってきたレンブラントにリョウが声をかけた。
「アルが行くって言うからですよ。僕は自分の家にちょっと寄るっていうだけですからね。だいたいアルは仕事でもないのにわざわざこっちに来る必要はないでしょう?」
決まり悪そうに口を尖らせるレンブラントの様子にリョウはつい笑ってしまう。
「それ言ったらお前だって仕事の途中でいちいち家に寄る必要なんかねーだろ?」
グウィンがニヤニヤ笑いながら口を挟み、そんな様子を呆れたような視線で一瞥しながらアウラが席に着く。
レンブラントは一瞬、グウィンに食ってかかろうとでもするかのように鋭い視線を向けたが……どうやら返す言葉が見つからなかったようで「ふん」と小さく鼻を鳴らしてリョウの方に歩み寄った。
「手伝いますよ」
その声はいつも通り優しくて柔らかい。
リョウが「うん。ありがとう」と答えながらティーポットから、貰ってきたばかりの薔薇の実のお茶を注ぐ。
「……うわ、何ですか、これ? 凄く綺麗ですね!」
レンブラントがちょっとした歓声をあげたので全員の視線が集まった。
「ふふ。午前中、頂いてきたばかりの薔薇の実のお茶です!」
赤いお茶が入ったカップがレンブラントの手によって皆の前に配られると、各自が興味深そうな視線を目の前のカップに注ぐ。
「へえ! 美味いですね! これ、何かで味付けしてるんですか?」
アウラが一番に声を上げた。
なのでリョウがヴィオラから聞いた通りに説明をすると、聞いていた全員が深く頷きながら再びカップに口をつける。
……うわ。なにこのシンクロ率の高さ!
男四人が同時に同じ仕草なのは一度目にしてしまうと吹き出したくなる衝動を抑えるのに一苦労……!
咄嗟に笑いをこらえる方向に決意を固めたリョウが視線を彷徨わせて、ワゴンに残っている大皿を思い出した。
「あ、そうだ! 今日のお茶請けはこれなの!」
切り分けられたケーキには濃いピンクの欠片がたくさん混ぜ込まれている。
「これはなんのケーキですか?」
真っ先にアルフォンスが目を輝かせた。
「うふふ。これ、そのお茶と同じ薔薇の実よ。美味しいからケーキに入れたらどうかなと思って入れてみたら結構当たりだったの」
ヴィオラにもらった薔薇の実はお茶にしやすいように細かくほぐされていたので、ケーキに混ぜ込むにもサイズがちょうど良さそうだった。
ドライフルーツを扱う感覚で、少しの湯に浸けて戻した後ケーキの生地に混ぜ込んでみたところ、なかなか上手く出来たのでリョウは上機嫌だ。
「美味しいですね。酸味と甘みのバランスがとても良い。……リョウの手にかかると本当に全てが美味しくなるから不思議です。やっぱり店にでも出せるんじゃないですか?」
アルフォンスが早速嬉しい褒め言葉をくれる。
「リョウは何を作るにしても心を込めますからね。だから僕たちの心を和めるんですよ」
手にしたケーキを黙々と食べながら答えるレンブラントは、当然でしょう、とでもいうような口調だ。
「ああ、そうだな。……あ、でも売り物にするのはやめとけよ?」
グウィンがニヤリと笑ってリョウの方にちらりと視線をよこす。
ので。
「ふん。どーせ、レイリーさんには及びませんよー」
褒めちぎられていい気になっていたリョウがグウィンの一言で我に返った。
まぁ、いいか。
打倒レイリーさん。彼女には到底及ばない腕前。
そのくらいがちょうどいいのかもしれない。
そんなことをリョウはふと思う。
ただ楽しんで作ったものをこんな風に喜んで食べてくれる人たちがいて、笑っていられるっていうのは素直に嬉しい。
グウィンにとって「一番」であるはずのレイリーさんに敵わない私なら、こうやって色んな物を作り続けてもきっとグウィンを傷付けることはないだろう。




