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物語の続きをどうぞ  作者: TYOUKO
三、歴史の章 (然を知る)
82/207

支えてくれるもの

 朝。

 仕事に出掛けるレンブラントを見送った後、台所をハンナに任せたリョウが部屋に戻る。

 書き物用の机の上に、今朝身支度を終えてなんとなく持ってきて置いておいた小さな瓶が一つ。

「……前もって頼んでくれていたんだ」

 そう呟きながら手に取った香水の小瓶にはそろそろ無くなるんじゃないかという程度、底の方に少しだけ香水が残っている。

 昨日ヴィオラと少し話したところ、一度作った香りは記録(レシピ)が残っているので同じものを作る事ができるのだそう。

 その場で作ってもらったオーダーメイドで一点物かと思っていたリョウは残り少なくなってきた香水をなかなか使うことができなくてただ眺めている事が多かった。

「新しく同じのをまた作ってもらおうかな……」

 何気なく開けた瓶の口からふわりと香りが広がった。

 条件反射のようにリョウの口元に笑みが浮かぶ。

 ……ああ、やっぱり安心できる匂いだ。

 これを買ってもらった時のドキドキした感覚や、初めてこれをつけた時のレンブラントのとろけるような笑顔が一気に思い出されて思わず呼吸が深くなる。


「出掛けるのか?」

 玄関に向かうリョウにグウィンが声をかけてきた。

「あ、うん。ちょっと買い物」

 応接間の開いているドアに寄りかかるようにしてリョウの方に視線を向けるグウィンにリョウが答える。

 この部屋のドアはみんなが集まって使っているわけではない時は大抵開けっ放しだ。

「その買い物って、急ぎか?」

「え……っと、今すぐ必要ってわけでもないけど……?」

 まあ、香水を買いに行くのに急がなきゃいけないこともない。まだもう少し残っているし無くなったからって困るものでもない。次があると思えば。

「そうか……じゃあ……今少しいいか?」

 グウィンが寄りかかっていた背中をドアから離して顎で部屋の中を示す。

 ……なんだろう。

 なんだか深刻そうな雰囲気が漂っているような気がしてリョウの表情がちょっと引き締まる。

 ああそうか。

 変に緊張するな、と思ったらグウィンとこんな風に改まって話をするのは少し前のレイリーさんの話を聞いた時以来なんだ。それ以来、会話らしい会話はなく、挨拶やせいぜい食事の時のごく簡単な雑談程度。あとは仕事をしながら必要最低限のやり取りをするくらいだ。

 ほんの数日まともに話をしていなかっただけで、こういうときにどんな顔をしたらいいかさえ忘れてしまうなんて私もどうかしてる。

 そんなことを思いながら促されるままリョウがいつも仕事をしているテーブルではなく、低いテーブルを囲んだソファに腰掛ける。同じタイミングでグウィンは向かい側にゆっくり腰を下ろす。

「あ……そんなかしこまった顔すんな。話しにくいだろ」

 眉間にしわを寄せるグウィンに。

「悪かったわね、こういう顔なのよ」

 リョウはどうしていいかわからなくて視線をそらす。

「で、何よ?」と付け足すリョウにグウィンが「うーん」と小さく唸ってから。

「……お前の作った菓子が食べたい」

「は?」

 聞こえるか聞こえないか程度にぼそりと呟いたグウィンにリョウが速攻で聞き返した。

「だから! なんか甘いものを食べたいから作ってくれって言ってるんだ」

 思わず目の前の顔を凝視してしまうリョウにグウィンはヤケを起こしたかのような投げやりな口調で言い放った。

「お菓子ならハンナが毎日作ってくれてるじゃない」

 昨日だって仕事は休みだったけど午後にはお茶を飲む人用にハンナがクッキーを作っていたはず。私とレンは出掛けていたけどアルが来るかもしれないから、と甘いものは切らさないようにしていたはずなのだ。……ただ、アルは昨夜ハンナに聞いた話だと私たちがいないと分かったらお茶もしないで帰ったようだったけど。

 それにハンナの作るお菓子は美味しい。「甘いものが食べたい」なら幾らでも、お腹も心も満たされる上質なお菓子が常時あると言っても過言ではない、はずなんだけどな。

 そんなことを思いつつリョウが首をかしげる。

「そうじゃなくて、お前が作ったやつがいいんだ」

 グウィンが不貞腐れたように腕を組んで、視線を逸らした。

「……え……だって……」

 言わんとしている事がわかりかけてきたものの、一応、作るのをやめた理由がグウィン本人にあるので何と言っていいかわからなくなってリョウが言葉を濁す。

「……俺の話を聞いたせいで作るのやめたんだろ?」

 そっぽを向いたままグウィンがボソッと呟いた。

「あ……うん。……え、あ、いや! そうじゃなくて……!」

 しまったここは何か違う理由をつけないといけないところだった!

 そう思い当たったリョウが慌てて、うっかり肯定してしまった言葉を取り消そうと思考を巡らせようとすると同時に。

「やっぱりそうか。……あのな、変な気ぃ遣うな。むしろ俺が居心地悪くなる」

 困ったような笑顔になってグウィンがリョウと視線を合わせてくるのでリョウは続けようと思った言い訳の言葉を飲み込んだ。

「お前がそんな風に気を遣う必要はない。俺の話はもうずっと昔の話だ。お前が今気にするようなことじゃない」

「う……あの……ごめんなさい」

 そうか、気の遣い方が押し付けがましかったかな……でも、何も考えないで私が作ったお菓子を「はいどうぞ!」なんて出すのはさすがに気がひける。

「俺は、普通に、お前が作った物は好きだぞ」

 少し声のトーンを落としたそんな言葉が投げかけられてリョウが視線をあげるとまっすぐこちらを見つめているグウィンと目が合った。

「俺とあいつのことでお前が気に病む必要はない。そもそもお前が気にしたところで何かが変わるわけじゃないだろ」

 むう。

 リョウが無言で再び視線を落とす。

 分かっている。

 私が何を気にしようが気にしまいが、レイリーさんが生き返るわけでもなく、時間を巻き戻すことができるわけでもない。ましてや私がレイリーさんの代わりになれるわけでもなく、出来ることなんて何もない。それはとても理性的な、正論。

 聞き様によっては突き放されるようなセリフなのにそんな風に聞こえないのはグウィンの落ち着いた柔らかみのある表情と声のせいなんだろうな。なんて思う。

 決して突き放されているわけではない。

 むしろ私を気遣っての、言葉だ。


「それから……俺がお前に言った事、ちゃんと覚えてるか?」

「え?」

 リョウが一度落とした視線を再び上げるとグウィンが少々前のめりになってこちらの様子を伺うように声をかけてきていたのがわかって思わず背筋を伸ばしてしまう。

「お前の周りにある心地よく思えるものを思い出しておけ。って言っただろ」

「あ……うん」

 そういえば、そんなことを言われたっけ。

「ああ、忘れてやがったな……。あのな、俺が最初にそう言ったのは、俺の置かれていた状況とお前が今置かれている状況を、きっちり区別するためだったんだ」

 グウィンが小さくため息をつきながら言葉を続ける。

「俺があんな経験をしたのは、それこそまだ若かった頃だ。恋愛なんて実質的にはよく分からないような、自分の感情優先で物事を考えちまうような、そんな……言ってみりゃまだ内面は子供だった。だから色々失敗したんだ。失敗は誰のせいでもない、俺のせいでそのおかげで俺は成長できたんだと思ってる。……だからといってあいつが命を落としたのはその当然の代償だなんて考えたりはしないがな」

 一度眉をしかめたグウィンは……おそらく亡くした彼女への心残りに想いを馳せたのだろう。

 リョウは口を挟むことなく食い入るように、そんなグウィンを見つめる。

「つまり、俺は俺の中でもう過去を消化済みなんだ。……いや、消化できたんだよな、お前のおかげで」

 途端にグウィンの瞳が優しくなった。

 優しく黒い瞳が細められて口元に柔らかい笑みが浮かぶ。

 リョウは思わず目を見開いた。

「俺は自分の気持ちに片をつけるために、今まで過去を記憶の中に押し込めることばかりしてきたんだ。だから押し込めきれない記憶の断片が時々何かの弾みで沸いてきて自責の念に駆られるのが辛かった。……お前に言われて、改めて自分の記憶と向き合って……色々整理がついたような気がする。確かにあいつは絶望して自殺するような女じゃなかった。俺が最後に見たあいつは絶望なんかしてなかった。だから……きっとお前が言った通りなんだ。そう考えたら色々辻褄があってきてな……おかげで俺はかなり楽になれた。だから……その……ありがとな」

 そう言って笑顔になったグウィンは。


 素直に笑うグウィンを初めて見た……ような気がする。

 なんだこの笑顔!

 っていうくらい……うわぁ……! 認めてしまうけど、素敵すぎる! この人こんな顔できたんだ! ていうか本人はこれ自覚してるかしら、このびっくりするくらい爽やかな色気! 色気が爽やかってどういう事? と自分に突っ込みたくなるけど、でもまさにそんな感じ。髭が無いってだけでかなりスッキリ爽やかな美男子だったけど、普段はせいぜい皮肉っぽい笑顔や口調なことが多すぎて……こんな風に素直に笑顔になることなんて……まず無かったもんだから……うわ、胸がドキドキしてきたし!

 リョウが声も出せずにグウィンを凝視していると、グウィンがおもむろに眉をしかめた。

「……おい、リョウ……口、空いてるぞ?」

「んあ……っ!」

 リョウが反射的に手を口に当てて、同時に変な声が出た。

 途端にグウィンが笑い出す。「相変わらず面白い奴だな」なんて言いながら。


「まあ、俺のことはそんなわけで気にしなくていい。だから問題はお前だ」

「は?」

 一通り笑い終わったグウィンはいつも通りちょっと皮肉っぽい笑みを口元に浮かべた顔に戻って話を切り出した。

「俺が……あいつの生涯に寄り添ってやれなかったからと言って、お前が人間であるレンブラントと添い遂げることができないとは限らないだろ?」

 途端にリョウの表情が強張る。

 そんなリョウの変化を見てグウィンが小さくため息をついた。

「やっぱり、そういう風に思い詰めてたんだな」

「え……あ……いや、別に、そういうわけでは……」

 考えを見透かされるようなグウィンの言葉にリョウはなんと答えていいか分からなくなり、つい誤魔化すような返事をしてしまう。

「隠さなくていいぞ。お前はものすごく分かりやすいからな……ああいう話をしたら変に落ち込むんじゃないかと思っていたんだ」

 決まり悪そうにグウィンが視線を逸らして忌々しげにこっそりため息をついた。

「……ごめんなさい」

「ああ、違う、謝るな。お前は悪く無い。こうなるだろうと分かっていて話しちまった自分にイラついてるだけだ」

 リョウが視線を落としてつい謝るとグウィンが少し慌てたようにリョウの方に顔を向けた。

「今お前の周りにあるものは、今までお前を裏切ったりしなかっただろ? レンブラントも、お前の友達も。そうだな……この都市だってお前のことを大事にしてる。違うか?」

 優しく言い聞かせるような口調にリョウがそろそろと目を上げながら小さく頷く。

 それを見てグウィンは優しく目を細めた。

「だな。それに俺だって、お前を裏切ったりしない。何かあったら絶対にお前を助けてやるし見捨てたりしない。……俺はあの頃は独りだったが今のお前は独りじゃ無い。それはたまたま偶然そういう環境にお前が転がり込んだんじゃなくて、お前が努力して築いてきたものだ。スイレンやセイリュウがお前を慕うのも、偶然じゃ無い。お前があいつらと関係を築くために努力した結果だ。だからこれは簡単に崩壊するようなものじゃ無い」

「……セイリュウが私を慕っているとは、ちょっと思えないけど」

 優しく言い聞かせるように語りかけてくるグウィンの眼差しが照れくさくなってきてリョウが視線を逸らしながら口を尖らせた。

「あ? ……そうか? あれは信頼する相手を不器用に慕う弟分、みたいな感じだと思ったんだけどな。でもまぁ、もともと周りを許容するのが難しい奴だったから……仲間として認めたっていうだけでも相当な進歩だ」

 グウィンがくすりと笑う。


 そう言われるとそうかもしれない。

 一緒に行動する間に彼らとは本当に打ち解けたような気がする。

 竜族の頭たる者がここまで交流を深めるなんてことはもうここ数世代に渡って無かったことだろう。

 そんなことを思いながら彼らとのやりとりを思い出すと、いつの間にかリョウの肩の力が抜けて体が軽くなってきたような気さえした。


「今のお前には、お前を確実に支えてくれる存在が沢山あるんだ。過去の俺とは違う。……そして、これは俺にも言えることなんだ」

 リョウに微笑みが戻ってきたので少し安心したようにグウィンも肩の力を抜いて言葉を続ける。ふとリョウが視線をグウィンに戻して首を傾げた。

「俺もな、昔の俺じゃないってことだ。今はまともな絆で結ばれた奴らに囲まれてる」

 その視線が真っ直ぐに、あまりにも真っ直ぐに自分に向かっているのでリョウは思わず頰を赤らめながら頷いた。

 ……やだな。今、グウィンは「奴ら」って複数形で言ったんじゃない。別に私一人を特定して言ったわけじゃないのに。

 そう思えるのでリョウは小さくこっそり咳払いなんかしてみたりして。

 それでも、そう思いながらもその対象に自分が入っていることが嬉しくて、誇らしい。

「そんな訳だから」

 グウィンが少しだけ声のトーンを上げた。

「お前には沢山味方がいる。何も不安に思う必要はない。悩むことがあったらいつでも相談しろ。レンブラントなんか喜んで聞くだろ? なんなら俺だって相談くらいいくらでも乗ってやるから。一人で悩むな、落ち込むな」

 最後はちょっと標語みたいに言って自分でくすくす笑うあたり……うん、これは私に余計な気を遣わせないための配慮と見ておこう。

 そう思ってリョウが軽く失笑する。

「ああ、もしレンブラントに愛想が尽きたら俺がお前を引き受けるぞ。いつでも出戻ってこい」

「えー……」

 リョウが失笑のついでにじとっと睨みつける。

「まあ、あれだ。お前には帰ってくる場所もあるってことだ」

 グウィンはそう言うと、ふいと横を向いてため息をついた。よく見ると顔が赤い。

「わかった。……ありがとう」

 これはあれだな。深く考えずに慣れないことをうっかり言ってしまって照れている感じ。

 そう思えるのでリョウは言葉の意味なんかに突っ込みを入れるのはやめて、ただ素直にお礼だけ言ってみる。


 なんだか本当に父親みたいだ。

 うん。きっと父親というのはこんな感じなのかもしれない。

 娘を大事にする父親。私には縁のなかった存在。

 そんな風に自分を扱ってもらえることが嬉しくてたまらない。

 自分が、そんな風に扱ってもらえるような存在であることが嬉しくてたまらない。

 そう思えて……あ、グウィンが向かいの席に座ってて良かったかも。今、私、ものすごくグウィンに抱きついてそのまま抱きしめたい衝動に駆られてる。


「で?」

 思わずリョウが自分の膝の上から浮き上がりそうになった両手をぎゅっと握りしめて、とっさに湧き上がった衝動を抑えると同時にグウィンが声を上げた。

「え?」

 あ、びっくりした。違うよね? いくら私が分かりやすいといっても「抱きついてこないのか?」という意味の「で?」ではないよね?

 リョウが勝手にドギマギしていると。

「今日の午後の菓子。そろそろ作り始めないと間に合わんだろ? 良いのか?」

 当然、とでも言いたげな顔で催促してくるグウィンに。

「えーーー! 今日から作るの? しかも今からって……すぐ作れるようなものじゃなきゃ間に合わないじゃない。それにハンナがすでに何か作ってると思うけどなぁ」

「ハンナの作るもんも美味いがお前の作るもんがないと正直物足りないんだ。大量に作らんでいいからなんか作れ」

 グウィンが拗ねたような声を出す。

「何かって……じゃあ、何食べたいの?」

「チョコレートのケーキ」

 立ち上がりかけたリョウが「えっ」と一瞬動きを止めてグウィンの方を伺うように確認する。

 チョコレートのケーキって……しかも今からだと簡単に作れるグウィンが教えてくれたケーキしかないわけだけど……レイリーさんとの思い出ど真ん中のケーキじゃない……。

「リョウが作るあのケーキは美味い。レイリーが作っていたやつほどじゃないけどな」

「……じゃ、目指せレイリーさん、てことで……?」

 いいのかな、心の傷に塩塗ってないかな……。と思えてしまうのでリョウのセリフも心なしか覇気がない。

「いや、打倒レイリーくらいの気持ちで行け。あいつの腕は一流だった」

 ……心の傷は完治しているのかもしれない。


 私のお菓子だってアルが「お店に出せるんじゃないですか」って褒めてくれる程度には美味しいはずなんだけどな。

 皮肉っぽい笑いを浮かべたグウィンを微妙な表情で睨んでからリョウは応接間を後にした。


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