目覚めと不安
リョウの意識がゆっくりと浮上する。
瞼が重くて目が開けられなくても目の前に大好きな温もりがあるのがわかって口元に微かな微笑みが浮かぶ。
反射的に擦り寄ると、こちらもきっと反射的な動きなのだろう、背中に温かい腕が回って抱き寄せられる。そのせいで少し掛け布から出ていたリョウの体がすっぽり中に入った。
シーツの上を滑る体が微かな音を立てるのも心地よく、ゆっくり息を吸い込みなんとなくリョウの鼻先がちょっと上を向く。
レンブラントの胸に引き寄せられた形でそっと上を向くとその喉元に鼻先が近づく。あとほんの少し擦り寄れば首筋に顔が埋められる。そんな動きを察してか掛け布から出ていて冷たくなっていたリョウの肩を温かい手で包み込んだレンブラントがくすりと笑った。
くすぐったいのかもしれない。
「……起きてるの? リョウ」
まだ薄暗い寝室では、掛け布の中にほぼ頭まで入っているリョウの目が開いているかなんて判断できない。なので、眠っていることも考えたのか囁くような声で問い掛けられる。
「……ん……」
実のところ、まだかなりぼんやりしているリョウはやっとの思いで微かに声を出した。
昨夜は遅くまで……というより多分最後に意識を手放したのはきっとまだ数刻前だ。気を失うように眠りについたと思ったら新たな刺激に起こされて悪戯っぽい瞳と目が合って……というのが何度となく繰り返され。
そういえば体に触れるシーツの感触が新しい。あのあとレンが替えてくれたんだろうか。それにやけに身体がさっぱりしている。……恥ずかしいな、きっと私が眠ったあと体も拭いてくれたんだ。
そんなことを考えながらも再び意識が薄れそうになる。
「無理に起きなくていいですよ」
すぐ近くで囁くような声が聞こえて、どうにか反応を返したくてリョウが再びレンブラントの首筋あたりにすり寄ってみる。
……今動ける範囲でこれが限界。でも、レンのいい匂いがする。
そう思うとゆっくり息を吐きながら再び口元に微笑みが浮かぶ。
「……僕の匂い、好き?」
優しい、柔らかい声がした。
あ、しまった。本能的に動いてたから匂い嗅いでたのバレちゃった。いつもは気付かれないようにやっていたのに。
そう思ったらちょっとだけ意識がさらに浮上した。
で、目を開けると、案の定レンブラントの悪戯っぽく笑う顔が目の前に。
「ん。好き」
この顔をされると隠し事ができない。穏やかに眠っていたかったのに胸の奥がドキリと音を立てたような気さえした。
「レンの匂い……私に居場所をくれた時の匂いなの」
照れ隠しに白状した声は消え入りそうで、でも、まだぼんやりしているせいかリョウは思いついたことを話し出してしまった。小さな声で話しながらうっとりと目を閉じて、過去の思い出を懐かしむ。
「最初にレンが私を抱きしめてくれたのは……私が力を使ってしまって……ここから出て行こうとしたときだわ。すごく、嬉しかった……ここに居ていいって、言ってくれる人がいるなんて思いもしなかった。……それに、次に抱きしめてくれた時も、レンは……引き留めてくれたのよね」
「でもあなたはあの時、僕の手からすり抜けていってしまったんですよ」
拗ねたようなレンブラントの声もなんだか心地いい。
リョウはそう思えて小さく笑う。
だってあの時は仕方なかったんだもの。なんて聞こえるか聞こえないかの声で呟きながら。
「レンが抱きしめてくれたから、その度に……私、自分には本当は居場所があるんだって思えたの。自分にも価値があるのかもって思えて……嬉しかった」
いつのまにかリョウは眠気との闘いから抜けて、力が入るようになった手でレンブラントの寝間着にしがみついていた。
おそらく、リョウの身体を拭いて自分はシャワーでも浴びたのであろうレンブラントの寝間着はただ袖を通しただけのようで胸がむき出しのままだがその襟元をリョウの手が掴んでいる。
当時の心境を思い出すとなんだか胸の奥がずきりと痛んで不安になる。
そんなリョウをレンブラントの腕がさらに強く抱きしめ、くすりと小さく笑いが漏れた。
「あれは……僕にとってはあまりいい思い出じゃなかったんですけど、リョウがそう言うなら……いい思い出になりそうです」
そう言ってレンブラントがリョウの額に口づける。それから。
「そういえば、そのあとはリョウが僕が寝ているベッドに飛び込んできてくれたんですよね」
今度のレンブラントの声には明らかに楽しそうな響きが感じられた。
ああ、セイリュウのところで意識が回復したレンのベッドに飛び乗った事があったな、なんて思い出しながらリョウもくすりと笑う。
胸の奥の痛みは……今は不要なものであるはず。早く忘れてしまおう。
そう思うのに、一度思い出してしまった痛みはじわじわと胸の一番奥で疼き、握りしめた手にさらに力が入る。
「……リョウ?」
レンブラントが僅かに身体を起こしてリョウの顔を覗き込もうとする。
「……ね、レン。私……ここに居ていい?」
ああ、いつのまにか不安な影が、押し込めようとしていた胸全体に広がってしまった。今、こんな感覚を怖れる必要は無いはずだったのに。
「リョウ? 大丈夫ですよ。言っているでしょう。僕のそばに居てくださいね。ここがあなたの居場所ですよ。僕がリョウを愛している」
宥めるように一つ一つの言葉をゆっくり区切りながらレンブラントが囁く。
それでは足りないと察したのか握りしめたリョウの手を優しく握り込んだレンブラントはもう片方の手でリョウの顎を捉えてその唇に口づけする。
リョウの気持ちを安心させるための、すぐそばに自分がいることを思い出させるための軽い口づけ。
唇が離れて目を上げたリョウはレンブラントの心配そうな瞳と目が合ってハッとした。
ああ、この人にこんな顔させちゃいけなかった……!
よりによってこんな朝に、この優しい人に、こんな寂しそうな顔をさせてはいけない!
「ごめんなさい。……なんだかぼんやりしてて……変なこと言ったわね。もう大丈夫。おかげで目が覚めたし」
目の前の大事な人を安心させたくてちょっとだけ声のトーンを上げてみる。ベッドの中だから控えめに。そして、笑顔も、作らなくちゃ、と思うから口角を上げて目を細めて。
なのになぜか目の前の夫の表情は曇ったままだ。
なのでリョウはちょっと焦る。
「あ……そうだ。それに、あれよね。私、ここの守護者だから当分はここに居なきゃいけないじゃない? 居ていいも何もあったもんじゃなか……っ!」
セリフの途中でリョウの唇が塞がれた。
今度はやんわりとした優しいキスなんかじゃない。
無理やり思考を遮らせるような力尽くのキス。
息ができなくなるような深い口づけにリョウの思考が完全に中断され……その長さに息が続かなくなって一度抵抗するように手に力を入れるも、その抵抗も受け入れてもらえず……頭の中が真っ白に、なった。
「守護者の契約があるから……ここに居られるなんて思っていたんですか?」
ふと気づくとリョウはレンブラントに力一杯抱きしめられたままぼんやりとその声を聞いていた。
「ただ、僕のことを愛してくれていて……それでここにいてくれるんじゃないんですか?」
「……え?」
あ、ダメ。レンが泣きそうな声を出してる。
この人にこんな思いをさせちゃダメ。
そう思うのに、なぜか言葉が出てこなかった。
「リョウ……それならいっそ……僕と契約しませんか?」
悲しそうな瞳がリョウの目を覗き込む。
ズキリ、と。リョウの胸が痛んだ。
「僕と契約」……その意味を、私は知ってる。
最近学んだ過去の記録と、人と竜族の取り決め。
守護者は都市と二世代続いて契約を結ぶことはない。
それは、拘束力の強い契約で竜族を人の体制に縛り付けることに対して人がした譲歩の一つ。
無理やり契約を交わされる事が増えてきた人の体制で、この契約を竜族のために和らげたのが「二世代続けて同じ者を拘束してはならない」という規定だった。
二世代続けるのは守護者が契約から解かれるために契約した当の司を手にかけた時。つまり、契約違反の罰則として次の代の司に引き継がれるという場合のみ。
だからレンブラントの言う「僕と契約しませんか」という言葉は。
守護者であるリョウが契約の当事者であるグリフィスを殺した場合にその罰則として課せられる、もの。
今、レンブラントはリョウに「父である司を殺しませんか?」と言ったも同じだ。
本気じゃないことくらいわかってる。
レンがどれほどグリフィスを敬愛していて、恩を感じていて、自分を犠牲にしてだってグリフィスのために働く気でいることくらい知っている。
それにこの都市は世襲制じゃない。グリフィスが死んだ後レンが継ぐとは限らない。もしかしたら、グリフィスの意向でもあれば彼は継ぐかもしれないけれど。
そんな可能性を考えてまでの言葉だなんてことはあり得ない。
そもそもが、レンがグリフィスの死を、思い描くことだってないだろう。何にも増して大事な存在であるはずの人なのだ。
そんなレンにこんなことを言わせてしまった。
そう思うだけでリョウの胸が潰れそうに痛んだ。
「……ごめんなさい」
口をついて出たのは謝罪の言葉。
「リョウ」
いつのまにか目が合わせられなくて逸らしてしまっていた視線を捉えるようにレンブラントの両手がリョウの頬を包む。
「……最近元気がないな、とは思っていたんですよ。グウィンの話を聞いてから、ですよね?」
ため息と同時に吐き出されたのはそんな言葉。
「……あ……」
そういえば。
今日に限ってのことでもなかったのだ。
ここ最近ずっとなんだか胸の奥がモヤモヤしてなんとなく落ち込んでいた。それは、やっぱりグウィンの話の影響なのだろう、と見当もつく。
「あの話は……グウィンを理解する上では役に立つ情報でしたけど……リョウが自分と重ねて考える必要はないんですよ?」
「うん……わかってる」
解って、いるはずだった。
自分の気持ちを筋道立てて分析したら、きっとどこかにほころびが見つかって、こんな不安な感覚がそもそも不当なものであることに気付けるかもしれない、なんてことも分かってる。
筋道立てて考えて、どこかおかしいところがあったら指摘してでももらえればきっと楽なのかもしれない。そうしたらもっと気持ちが楽になるのかもしれない。なんて思うけど、そのために今思っていることをレンに吐き出したりしたら、言わなくてもいい事まで言って傷つけてしまいそうで言葉にできない。
「……いや、分かってないみたいですね」
レンブラントがニヤリと笑ってそう言うと、リョウが視線を上げてちょうど目があった。
唇が近づいて息がかかる。
「僕はずっとリョウのそばにいる。リョウが不安になる必要なんかない。リョウの居場所ならここにある。……僕のこと信じられる?」
柔らかくて、優しい声。リョウは思わず涙が浮かんでしまい、目をそらす。
「こら。ちゃんと目を見て。……僕のこと、好き?」
「うん……好き……」
他に言葉を続けたいと思うのに何も思い浮かばなくて自分が嫌になる。
そんなリョウの気持ちに気付いたのか気付かないのか、レンブラントは小さく息をつくと再び唇を重ねてきた。
ゆっくりと、気持ちを確認するように重ねられる唇は、決して軽いキスではなく、かといって力任せの強引なキスでもない。
深い口づけにリョウの息が続かなくなってきた頃、ようやく離れたレンブラントの唇はまだ物足りないとでも言うかのようにリョウの頰に押し付けられ、そのまま耳元まで行って耳を軽くついばむ。
息を吐く間も無く、リョウは小さく声を上げさせられて背中が震える。
「……可愛いですね。この程度でも我慢できなくなるなんて……。これだけ正直に反応するなら……リョウのそばに僕がちゃんといるってことは、体に教えてあげた方が良さそうだ……」
レンブラントの唇は軽いキスの時とは明らかに違う熱い息を吐きながら、リョウの反応にはお構い無しで首筋を這い、リョウは断続的に声を上げながら仰け反った。
「僕はここにいる……どこにも行くな。……愛してる……僕のリョウだ」
そんなレンブラントの呟きにも似た囁きは、リョウに言い聞かせるためのものとも、自分に言い聞かせるためのものとも取れる、少し切ない響きを含み……リョウは少しずつ自分の身体を下に滑り降りていくレンブラントの頭をぎゅっと抱きしめた。




