二人の気分転換
グウィンの話を聞くに及んで、リョウが影響を受けなかったということは、まずない。
だからこそ、ここ数日、なんとなく気分が、おかしい。
おかしい、というのは。
自分でも、自分の心の状態が分からないのだ。
グウィンに対する同情。哀れみの気持ち。亡くなった彼女への同情、哀れみ。
それらの感情が、彼らに対して抱いていいものかどうかもよく分からない。もしかしたら自分のような部外者が抱くには失礼な感情なのではないかとも思う。だから表には出せずにいる。
そんなリョウの様子をグウィンはおそらく察しているのか、向こうからもなんとなく距離をおかれているような気がしてならなかった。
それに、自分に重ねてしまう傾向もまた避けられない。
私は、守護者としての契約を終える時、どうするのだろう。
なんてことも考えてしまう。
グリフィスとの間で交わされた契約は、彼がいずれ歳をとって死んでしまったら満了と見なされる。そうしたら私は、いわゆる自由の身だ。
その時に、レンブラントはどうするのだろう。
役目を終えた私を……都市から追い出すだろうか。
私は所詮、「西の都市の守護者」であって、騎士隊隊長という夫があてがわれているのはその役職から離れてしまうことがないように、ここに居るための枷が必要だったから……なのかもしれない。なんていう、久しく忘れていた考えがここ数日頭をもたげてきている。
さらには。
レイリーさんが、グウィンを自由にするために命を捨てたということも。
グウィンを絶望から助けたくてあの時はそう思ったものの、本人がいないわけだから本当のところは分からないままだ、なんて卑屈なことも考えてしまう。
本当は……長い、地下牢での生活の中で……心を病んでしまったのかもしれない。本気で長い時間「待つ」ことに疲れて、グウィンと共に生きることを諦めてしまったのかもしれない。なんていう、卑屈な考え。
だとしたら、レンブラントだって、それはあり得ることで。
私一人がいつまでも老いることなく都市を守るために動ける身だとしても、彼は確実に老いていくのだ。退役軍人となり、老人となり、死んでいく身。
その中で同じ痛みを分かつこともなく、自分だけ弱って行くのを寂しく思わないはずはない。今はまだ良いとしても、そのうち同じ痛みを分け合える伴侶が欲しいと思うこともあるだろう。
そう思うようになった時、敬愛するグリフィスも居らず、私を都市に留める必要も無くなっていたとしたら……私は捨てられるかもしれない。
こんな風に考えていることなんて本人に相談するわけにもいかない。
そして幸か不幸か、あれ以来、レンブラントからもグウィンについての話題は出てこないのだ。
恐らく話を立ち聞きして、事情を知ってしまったので気を遣っているのだろう。と、リョウは考えている。
気遣いや気配りは今まで通りだが、踏み込んだことを聞き出そうとはしてこない。
リョウとしても自分の気持ちが自分でもよく分からなくなっているところなので何かを聞き出そうとされても的確に答えられそうにないからそれでいい、と思えてしまうのだが。
いろんな思いや考えが頭の中でぐるぐる回る。
午後の仕事に備えて、午前中のうちにやっているお茶請け作りも実は最近ハンナに任せてしまっている。
まぁ、これは、自分が作るお菓子の類をグウィンが昔の彼女のケーキと重ねてしまっていることに気づいて、申し訳なくなってしまったから、なのだが。
なのでなんとなく手持ち無沙汰で午前中の時間を持て余し、家の外、城の敷地内にある雑木林を歩いてみたりしており。
「あ……アウラ?」
散歩にうってつけの小径を歩いていると前方の少し開けたところに見慣れた人影を見つけてリョウが声を上げた。
仕事の時と同じ騎士服姿のアウラが剣を構えて意識を集中している。
一見して誰かと対峙しているわけでもなく、素振りか何かかな、とわかったのであまり近くまで行きすぎる前に声をかけてみた。
……集中してる時に近くで声をかけたりすると……うん、危ないもんね。
なんて自分の過去の経験をとっさに思い浮かべてみたりして。
「え……あ! リョウさん! ……えーと……散歩、ですか?」
慌てて剣を下ろしたアウラが振り向くと同時に笑顔になり、周りを見回しながら駆け寄ってくる。
あ。なんか、癒される。尻尾を振りながら駆け寄ってくる子犬、みたいだ。
とっさにそんな考えが頭をよぎり、リョウもつられて笑顔になり。
「うん。ちょっと、気分転換。こないだアルにも言われたしね。アウラは、素振り?」
「へへ。そうなんです。もう最近はなかなか剣なんか持つ機会がないからたまにはやっておかないと腕が落ちるんですよね。気分転換、です」
ニヤリと笑うアウラは、それでも素直な笑顔だ。
「ふーん。……なんなら相手しようか?」
リョウは思わず申し出てみていた。
「えっ? いいんですか? リョウさん直々に?」
アウラの、言葉こそ遠慮がちではあるが明らかに輝きを増した瞳を見て、リョウは「ちょっとまってて。剣、持ってくるわ」と言い残しくるりと踵を返した。
木々の間に小気味良い剣のぶつかり合う音が響く。
久しぶりに誰かを相手に剣を振るうとあってリョウもつい笑顔になっていた。
動きやすい格好に着替えて剣を持ち、相手にさほど気を遣うこともなく自由に動ける、というのはちょっと楽しい。
相手は竜族だし一級騎士だ。
目の前で器用に自分の剣をかわすアウラもなんだか生き生きしているように見える。
それに。
「……ねえ、その動きって北の都市の剣術か何か?」
動きがとても、興味深い。
ひらりひらりと剣をかわす動きは、大きく体をひねったり優雅にくるっと回ったりする舞踊のようにも見えて、一見無駄な動きなのではないかと思ったのだが隙は一切なく力の流し方や受け止め方のタイミングがとても綺麗。
「ああ、いや。都市の、というよりは俺たち風の部族の、と言った方が正確かな。元々は剣術を基にした舞なんですよ。実戦ではこんな事しませんけど……練習はね、こういうゆとりを取り入れつつ剣の扱い方の正確さを追求するんです」
明らかにリョウよりも動作量は多く、常に体の隅々に神経を行き渡らせた動きであるのにアウラの呼吸は一切乱れない。
「へぇ……よっ……と」
頷きながらリョウが出来心でちょと意地悪な斬り込み方をしてみる。
アウラの動きのリズムをわざと崩すような斬り込み方。
瞬時に、キン、という澄んだ音とともにリョウの剣はアウラのそれと切り結ばれ、ニヤリと笑うアウラと目が合った。
「へへ。結構もちこたえますよ?」
「……すごい」
リョウも思わずニヤリと笑い返す。
遠慮が全く要らない、ということが明らかに分かって胸の奥から楽しい! という気持ちが込み上げてくる。
リョウは一度深く息を吸ってから今までよりペースを上げて斬り込んでいき始めた。
アウラもその動きと意図を察したようで先回りして刃を止める。
「……っと、うわ。……すごいなリョウさん! さすが守護者殿!」
言葉の割に純粋に楽しそうな口調なのがリョウはちょっと悔しかったりして。
アウラも同じことを思うのかリョウの剣を受け止めて、その間で斬り込んでくるがリョウがそれを受け止めるとわずかに悔しそうに笑う。
そんなことの繰り返し。
息が上がっても楽しさの方が優って暫くやりあった後、どちらともなく手近な木にもたれかかって休憩に入る。
「このくらい動くと、いい気分転換になる……わね」
「……ほんとに。リョウさんて、もともと騎士だったんですよね?」
「……ああ、まあね。二級だけど」
「はああああっ? なんすかその中途半端な階級! どこの都市がそんな認定するんですか?」
アウラが絶叫に近い声を上げる。
「あ……いや、その。私が上の試験を受けなかっただけなのよ。生活できればそれでいいと思っていたから」
リョウが決まり悪そうに力なく笑いながら目の前の木にもたれて座り込んでいるアウラと目を合わせる。
そういうリョウもしっかり座り込んで足を伸ばしている。
「ああ……そういうことか……全くもって欲がないんですねー」なんて笑うアウラの胸元には緑柱石と思われるペンダントが下がっており。……恐らく動き回ったせいで服の中に入れていたものが外に出たのだろう。
「そのペンダントって……もしかして手作り?」
なんとなくリョウの視線が無骨なペンダントに固定されて、つい尋ねてしまう。
装飾品を扱う店に並んでいるとは思えないちょっと雑な作りのそれは、磨きかけの緑柱石の原石を銀色のワイヤーでぐるぐる巻いて革紐を通しただけというペンダント。でも、ワイヤーの巻き方はよく見れば丁寧で丈夫そうだし、なんとなく綺麗だ。多分作り手の気持ちがこもっているからだろう。
「あ、ああ……はい。これ、貰いもんなんです……っと、あれ」
リョウの言葉に促されるように自分の胸元に目をやったアウラが片手で軽く石をつまみ上げながら答え、途中ではっとしたように手元を凝視した。
「やばい……切れかかってる……」
アウラの手元で不自然に傾く緑柱石を見るに、どうやら動き回ったせいか革紐が擦れて切れかかっているようで。
「あら……貰い物なら大事にしなきゃいけないわね。革紐じゃなくて鎖にしたらどう? ああ、今度近くの店に買い物に行くから何か見繕ってきてあげようか?」
リョウがにこやかに提案する。
「え……? いいんすか? ……あ、いやでも」
遠慮しているのか一度目を輝かせたアウラが視線を落とした。
「何? 今更遠慮とかするの?」
リョウはニヤリと笑ってみせる。
「いや……えーと、遠慮ではなくて、ですね……って、今更ってなんすか? 今更って!」
アウラが気になったのはそこだったのか、と思いつつ食い下がるアウラにリョウはあはは、と笑ってみせる。
「……いやね……これ、ルーベラに貰ったんですよね」
声を上げて笑うリョウに、気を悪くする風もなく、それでもちょっと声のトーンは落としてアウラがぽつりとこぼした。
……あれ、なんか、とても興味深い事を聞いてしまった!
とばかりに、リョウの目がキラリと輝き、控えめながらも食い入るようにアウラを見つめる。
「せめて紐が切れるまでは着けていようかと思っていたくらいだし……そろそろ、もういいかな、なんて……」
「え! ちょっと! なにそれ! 貰ったんでしょう? 大事にしなくていいの?」
アウラのセリフをリョウが途中で遮るように声を上げた。
この流れ、この子、貰ったものを捨てちゃうんじゃないかっていう勢いよね……?
なんて思いながらリョウが睨みつけるくらいの勢いでアウラとその手にあるペンダントを見つめる。
どう見たってその石に巻きつくワイヤーは「適当に作りました」という感じではない。身につける相手を思って一生懸命に作ったものだろう。それに対してそれをしげしげと見つめるアウラのいかにも「やれやれ」といった雰囲気はどうにも似つかわしくないように見える。
……もしかしてこの子、人の気持ちを思いやるとか大切にするとかそういう発想に不自由してるタイプなんだろうか。
そんなリョウの視線に気付いたのかアウラがふと顔を上げてへにゃっと笑顔になった。
「ああ……すいません。違うんです。これ、もともと俺のためのものじゃなかったんですよ。ルーベラが……好きだった男に贈った物で。そいつが死んじゃったからあいつ、これを形見みたいに後生大事に持ってて……なんか前に進めなくなってそうだったから俺が引き取ったんですよ。………でもねーーー!」
はああああっ、とため息をつくと同時に膝を抱え込んでそこに顔を埋めてしまうアウラをリョウはただ目を丸くして見守る。
「結局、俺のために作った物ってわけじゃないじゃないですか。いつまでも持ってるのもどうかなぁ、と思うんですよね。ルーベラの視線もね、気にならなくもないというか……」
だんだんアウラのセリフが消え入りそうになる。
「あ……そうか、なるほど」
リョウもつられてぼそりと相槌を打ってしまった。
……まあ、確かに、そういうことなら。アウラの気遣いって最初はありがたかっただろうけど会うたびに延々と身につけてくれているのを目の当たりにすると……そのこと自体が負担にならなくも、ないかな。
なんて思い当たってしまって。
ルーベラの性格を考えるとなんとなくそんな気がしなくもない。過去のものにいつまでも執着するような性格ではなさそうだし……かといって物を粗末にすることはできない性格、かも知れない。「いい加減捨てなさいよ」なんて言えないだろうな。
でも、あっさり「あれ、紐が切れたから捨てちゃったよ」なんて言われたら……傷付かないかなぁ……。
「ね、アウラってルーベラのこと好きなの?」
「へ?」
リョウの言葉にアウラが凄い勢いで顔を上げた。そして上げた途端、リョウと目が合って見事にゆっくり赤面して行く。
……わぁ。面白い! 凄いわかりやすい反応!
訊いた方がかえって恥ずかしくなるほどわかりやすい反応にリョウの頰が思わず緩む。
「べっべべべ別に! 好きとかそんなんじゃないですよ! それにルーベラだって……!」
「……へぇ? ルーベラの気持ちも確認済みなの?」
「えっ? いや別に! 確認とかそんなんじゃなくて! 」
うわー、なんだろう。この素直すぎる反応。
そう思えてしまうのでリョウの顔はにやけっぱなしだ。
「あーもう! 絶対楽しんでますよねっ? 絶対面白がってますよねっ?」
真っ赤になりながらも拗ねたような顔で叫ぶアウラにリョウは思わず笑顔で大きく頷いてしまった。
「嫌いとかじゃないですよ。どっちかって言えば好きですよ。友達としてじゃなくて、ちゃんと女の子として。……でも、やっぱり色々考えちゃうわけですよ。俺だって男だし、責任とかだって出てくるわけだから。リョウさんなら分かると思うけど……種族の違いって、やっぱりあるじゃないですか」
一呼吸置いてから話し出したアウラの言葉にリョウの胸がどきりと高鳴る。
「……まぁ、本気で好きになった者同士の間では種族の違いなんてそう大きな障壁にはならないだろうけど。でも、考えちゃうわけですよ。お互いが本気になる前に、あいつに相応しい男が現れるんならそっちの方が幸せなんだろうし……まぁ、でも、そもそも……ルーベラの場合恋愛とかする気は今のところなさそうだから……なんていうか……俺だけ空回りするのもどうなのかって感じで」
アウラのセリフはだんだん歯切れが悪くなってくる。
もしかしたら自分の中でもまだ整理がついていない段階なのかもしれない。
「……そういえば、アウラが離隊した理由って……」
リョウが思い出したように口を挟んだ。
「え、あ……ああ。そうですね……あ! 別にルーベラのことが原因じゃないですよ? あれは……なんていうか……まあ、隊の雰囲気みたいな物です。あの隊の隊長、ゴーヴァンっていうんですけどなんだか頭の固い奴で。しきたりだの伝統だのが大好きみたいな感じの奴なんですよ。ああいうのが好きな騎士もいるからそれが悪いとは言いませんけど俺は性に合わなくて」
へへ、と笑う素直そうな笑顔からしてその言葉に偽りはないのだろう。
「あら、そうだったの。……え、でもそれならルーベラだって同じなんじゃない?」
相槌をうちながらリョウはふと同じ隊にいたはずのルーベラの事が頭をよぎる。
ルーベラだってアウラのようにどちらかというと自由気ままな方が合っている性分だったと思う。
「ああ、あいつは隊内に守ってくれる仲のいい奴が沢山いるから大丈夫なんですよ。多分、居心地悪いなんて思う事もないんじゃないかな」
ため息混じりに視線を逸らして答えるアウラはなんだかやきもちを妬いている子供のようで。
「ふーん。それってもしかして全部男の人なの?」
思わずリョウが間髪入れずに訊いてしまう。
「ああ、そーですね。ハヤト副隊長とかスヴェン副隊長とか……。え……あれ? ちょっと、リョウさん! だからなんか勘違いしてますよね? 今の流れ、絶対俺の恋敵とかそういう流れですよねっ?」
途中からリョウの方に視線を戻したアウラが、思いっきり人の悪い笑顔のリョウに気付いて再び叫ぶ。
「いやいや。そんなに照れなくてもいいのに」
へー、ハヤトってそういえばルーベラが体を痛めていた間甲斐甲斐しくお世話していたっけ、とか、スヴェンってちょっと聞き覚えのある名前だなーとか思いながらリョウはついにやにやしてしまう。
「違う! 本当に、話の方向性が、全く違うんですってば!」
アウラがついに投げやりな感じの声を上げて天を仰いだ。
「あ! そうだ」
そんなアウラを眺めながらリョウがポンと手を叩く。
「アウラ、さっきのペンダント。あれ、やっぱり捨てたりしちゃダメよ。今度、鎖買ってきてあげる。あのね、多分ルーベラは物を粗末にする人は嫌いよ? それにそういうものを持っているというのは他の男たちより一歩近づけるチャンスかもしれないわ!」
リョウがにやーっと笑顔を作ってそう付け足すと。
「だからそーゆーんじゃないんですってば」
アウラががっくりと項垂れた。




