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物語の続きをどうぞ  作者: TYOUKO
三、歴史の章 (然を知る)
73/207

仕事の再開とアルフォンスの言葉

「つ……次の資料はこちらです、風の竜……っ!あ……いや、グウィ……じゃなくて……フェル……えーと……?」

 アウラのたどたどしい言葉にリョウがまず、耐えきれなくなって吹き出した。

 吹き出してしまってから「あ、しまった」と我に返って開いた本で自分の顔を隠すようにしながらそろそろと視線だけ周りに向けて目の前のアルフォンスとグウィン、それに斜め後ろのレンブラントの様子を伺う。

「……ああ、もう! グウィンでいいって言ってんだろ! いちいちめんどくさい奴だな!」

「すんません……」

 軽くイラっとした様子で言い放つグウィンにアウラがしょんぼりしながら手に持った分厚い本をそっとグウィンの前に差し出しながら謝り。

 

 いつもの応接間。

 仕事が再開されたテーブルにて。

 そんなやり取りを見守るように目で追うのは一度吹き出してしまった都合上、緩んでいる顔を開いた本で隠しているリョウと、笑いを嚙み殺そうとしている微妙な表情のアルフォンス、それに半分既に呆れ返った表情のレンブラントだ。

 

「……今度の文献はまたやけに堅苦しいな……」

 グウィンがぼそりと呟いた。

「内容が一変しましたからね……」

 アルフォンスが小さくため息混じりにそれに答えた。

 二人がげんなりするのも無理はない。

 文献の内容は『医学』を終えて『歴史』に変わっているのだ。

 医学に関しては専門分野だったアルフォンスもジャンルが変わったところで好みに由来した集中力が途切れ始めた。

 リョウとしてはアルフォンスの専門分野ではないのだから彼が関わるのはこれで終わりかと思っていたところだったが、意外にアルフォンス本人が手伝いの続行を申し出たことと、医学者イコールあらゆる分野に通じる研究者、なんていうイメージの定着からその申し出は上にも受け入れられ……まあ、歴史といっても大部分を占めるのは人の都市における戦いの記録でそこに竜族がどう関わって来たかなんていうものだから、アルフォンスの場合軍関係の知識があることもあって歓迎されているのだが。

 それにしても。

「……これ……一回全部一通り頭に入れてからじゃないと整理できないかも」

 膨大な量の資料の目録と、実際に届けられたその中の一部の現物を目の当たりにしてリョウが小さく呟いた。

 何しろ時代と地域がバラバラ。

 ある地域で起こった出来事を、それに関わったいくつかの都市の文献が説明している場合、大抵はどちらも自分の都市に都合のいいように内容が微調整されているのだ。同じ出来事に関して記録されているものをまず全部ひとまとめにしてからでなければ記述の信憑性が確立できない。一方で竜族が残虐な悪者として記録されていても他方では慈悲深い英雄になっていることもあり、また別の文献ではその件に関わったのが竜族を騙る人間の働きによるものだったと記録されていたりもする。

 ほんのちょっと読み進めただけでそんな内容の食い違いを発見し始めてリョウは早速途方にくれた。

「一回一通り頭に……うえ、まじか……」

 丸いテーブルを囲むように座っているグウィンがリョウの斜め左前方で悲鳴をあげ。

「そうですね……とてつもない作業になりますが……最終的にはそれが一番効率が良いんでしょうね……」

 アルフォンスが認めたくないというふうに首を横に振りながらそう答える。そして。

「自分の好みに合わない文献だとここまで辛くなるとは……リョウ、今まで本当に良く頑張ってくれましたね」

「え? ……私?」

 思わぬところで名指しで褒められたのでリョウがきょとんとしながら顔を上げると目の前で優しく微笑んでいるアルフォンスと目が合った。

「そうですよ。リョウにとっては医学書だって元々馴染みのあるものでもなければ、関心のある分野でもなかったでしょう? 僕は医学には馴染みがあるし興味を持って研究している分野だからいくらでも夢中になれましたが……言ってみれば僕がこの歴史書に対して持つのと同じような感覚で今までリョウはあれだけの資料をこなしていたんですよね……分かっているつもりではいましたが……理解が足りませんでした」

 そう言って微笑むアルフォンスの瞳にはちょっとした尊敬の念もこもっている。

「おい、それなら俺だってそうだぞ。もう少し敬え」

 横からグウィンが口を挟んでくる。

「あなたは後からの参加でしょう? リョウがこなした仕事量はあなたの比じゃないんですよ」

 リョウとグウィンの中間、その後方で作業を見守るレンブラントが冷ややかな言葉を寄越すので。

 ふん、と鼻を鳴らすようにしてわざとらしく不貞腐れるグウィンに一同がつい吹き出す。

 

 そしてリョウは。

 予想外の言葉に胸がどきりと高鳴った。

 

 自分の働きを評価されるというのは。

 自分の努力を認められるというのは。

 自分の存在価値を認めてもらったような、そんな感じ。

 ああそうか。

 そんな感覚に酔いながら、ちょっと自分を客観視してみる。

 昔はそういう風に周りに認めてもらいたくて、色々頑張った。

 剣の腕を磨いて騎士になったのも「恐ろしい力」ではなく「みんなが知っている剣の腕」という基準で自分を測って欲しかったからだ。

 クロードに喜んでもらいたくて料理の腕を磨いたのも「一般的な女の子」として可愛がってもらいたかったから。そういう努力をすれば周りの人も自分をクロードのお荷物ではなく、彼に釣り合う女の子として見てくれるんじゃないかと思ったからだ。


 そういえばレンが、私のそんな努力をなにも言わないうちから気付いて認めてくれたことがあった。

 思い出すだけで気持ちが高揚するくらいの出来事。

 あれは本当に、嬉しかった。

 そんな記憶と感覚がよみがえってリョウの頬が緩む。


 でもクロードといた頃は。

 結局そういう努力が認められることは無かった。

 もちろんクロードは何をやってもその努力を褒めてはくれたけど……周囲の人から認められることなんかなかった。……まぁ、努力して腕を磨いたところで火を操る力なんか使ってしまえば、そりゃ怖がられるんだけど。そんな事当たり前なんだけど。

 そしてその後もずっと……そんな風に誰かから認めてもらえるなんて事はなかったのだ。

 

「……リョウ?」

 アルフォンスの声にリョウがふと我に帰る。

「大丈夫、ですか? ……すみません。何か、気に触る事を言ったかな?」

 目の前のアルフォンスが心配そうな顔でこちらを凝視していることに気づいたリョウがはっと息を飲む。

 一旦高揚した気持ちが余計なことを思い出したせいで一気に下降して顔色が沈んでしまったのが見透かされたようだった。

「っ! ああ! なんでもないの! 予想外に褒められてちょっと舞い上がっただけ!」

 我に返ったところで思わず笑顔になる。

 そんなリョウを見届けたアルフォンスが安心したように柔らかく微笑んで……その笑顔はいつもの笑顔というより彼の素の、笑顔。

 ……やだな。顔が熱い。アルのあの笑顔は、ちょっと反則だと思うんだけどな……。

 そう思いながらリョウは目の前の本に改めて視線を落とした。

 


 夜。 

「……リョウ、大丈夫ですか?」

 そんなレンブラントの声にリョウの目が覚める。

 ……しまった。バスルームに入ったレンブラントを待つ間、ちょっとうたた寝のつもりがソファでしっかり眠っていたらしい。全く意識がなかった。

「……ん。ごめんなさい……ちょっと休むだけのつもりだったんだけど」

 ゆったりした肘掛け部分と背もたれでできた角に背中を預けるようにして、背もたれの方に頭を乗せ、膝を抱えた姿勢だったリョウの頰に手を伸ばしてくるレンブラントの瞳が優しく細められている。

 ああ、大好きなブラウンの瞳だ。

 と、リョウがぼんやり思う。

 明るい光の中ではちょっと黄みが強くなるが、こんな部屋の中では少し赤褐色寄りの落ち着いたブラウン。柔らかい色彩に見えるのは……彼の表情のせいなのかもしれない。なんて最近思うことがある。

 その瞳がただただ綺麗で、ずっと見ていたくなる。

 そう思いながら頰に添えられた温かい手にそっと触れるとレンブラントが隣にゆっくり腰を下ろして背中に腕を回してくる。

 軽く引っ張られるように促されて、リョウがレンブラントの方に重心を移動させると頰に添えられていた手がゆっくり頭に回って優しく撫でられる。

「……今日も随分な量の仕事をしていましたね。疲れたでしょう?」

 耳元で囁くようなレンブラントの声が心地良い。

「んー……大丈夫よこのくらい。それに今日はなんだか……アルに乗せられた感が半端ないの……」

 うふふ、と小さく笑いながらもリョウの瞼は重くなってきている。

 温かく優しく包むレンブラントの腕の中にいて、その声を耳元で聞きながら洗い立ての寝間着の胸元に顔を埋めるのはとても気持ちいい。

「……乗せられた……?」

 レンブラントがリョウの頭を撫でる手を止めて小さく聞き返してくる。

 ので。

 リョウがくすりと、つい思い出し笑いをしてしまう。

「ん。だって……あんな風に褒められたら調子に乗っちゃうじゃない。……気がついたら黙々と読み進めちゃっていたわ」

「……そう……でしたか。でも、あなたは本当に良く頑張っている。仕事だけじゃない。周りの人に向ける気遣いだって……。休めるときにはちゃんと休んでくださいね。……なんなら僕が強制的に休ませますよ?」

 レンブラントがそう言いながらリョウの顔を覗き込んで額に口付ける。

 リョウはもう眠りに落ちる寸前のようで目を開けることすら難しくなっている。

「眠っていいですよ」

 レンブラントがリョウの耳元でもう一度囁くとゆっくりその体を抱き上げてベッドに向かう。

 

 

 ベッドに横たえたリョウの隣に潜り込んだレンブラントは、まだ薄っすら意識があるようで自分の方にすり寄ってくるリョウの体を改めて抱き寄せて、ゆっくり抱きしめながらその耳元に唇を寄せ。

「愛してる。……僕のそばから離れないで」

 聞こえるか聞こえないか程度の声でそっと囁く。

 彼女を起こしてしまわないように。

 こんなささやかな言葉の意味に、気を取られて眠りを妨げてしまわないように。

 それでも、言葉にしてしまわなければいつまでもくすぶり続けそうな切ない思いを、どうにか彼女の深層心理に植えつけてしまいたくて。

 リョウの、首筋に顔を埋めるとかすかに香水の香りがする。

 リョウがこれをつけてくれるのは何かから現実逃避しようとしている時か……僕のことを考えている時。

 ベッドではなくソファでうたた寝していたところを見ると、寝ないで僕を待っていようとしていたわけで……明らかに後者だ。

 そう思うとちょっとばかり優越感に心が安らぐ。

 優越感。

 

 昼間、アルからの褒め言葉を受けたリョウの表情はびっくりするくらい嬉しそうで……アルに思わず嫉妬した。

 あいつは人の心を掴むのが上手い。そういう仕事をしているからなおさらだ。

 グウィンが狙われた件の後アルフォンスを診療所まで護衛で送るなんていう形式上の仕事が増えたが、今日はその間つい大人げもなく「リョウに馴れ馴れしくしないでください」なんて言ってしまった。

 アルとのやりとりもずっと頭に残っている。

「別に馴れ馴れしくしているつもりはありませんけどね」

 そう言ってニヤリと笑ったあの顔は……絶対確信犯だ。

「でも……リョウをちゃんと労ってやってくださいね。あの子はすぐに自分を追い込んで無理をする。きっと今までそうやって生きてきたからその考え方が染み付いているんでしょう。そのまま放っておくといずれ心を病みます。……もし君がそれをやらないなら僕が彼女をもらいますからね」

 あの言葉には宣戦布告されてでもいるかのようで、一瞬で殺気が湧いた。

 無言で睨みつけた後「リョウに手を出したら許さない」と言ったらあっという間にいつもの「医師」の顔に戻って。

「冗談ですよ。だいたい夫のいる身である彼女に手を出すほど僕は馬鹿じゃない。……もちろん僕がその気になればリョウの心をこちらに向けるくらいのことは出来ますけどね。でも後で彼女が後悔して傷付くのは見たくありませんからね」

 なんて抜かすアルについ殴りかかりそうになったが、あいつの目を見てその気が失せた。

 ……恐らく、あれは本気だ。

 滅多に見ない目つきだった。

 寂しげな影を宿した、それでいて何か固い決意を秘めたような目。

 

 規則正しく寝息を立てているリョウの体を抱きしめてその首筋に顔を埋め、髪の匂いを吸い込む。

 微かな香水の香りと混ざる石鹸の残り香を嗅ぐと妙に安心する。

 この匂いを知っているのは僕だけだ。という妙な安心感と優越感。

 

「はああああああ」

 思わず盛大なため息が漏れて、しまった、リョウを起こしてしまっただろうかと慌てて顔を覗き込み……しっかり眠っているのを確認して安心する。

 

 本当に、リョウを妻にした後も敵が多い。

 アルだけじゃない。以前、グウィンからも似たような事を言われたのだ。それにハヤトからも。

 リョウと二人でいる時には安らぐ気持ちもそういう輩が周りにいるとたまにひどく緊張する。まるで見張られている気分だ。

 ……分かっている。

 リョウは周りの誰からも愛される存在だ。いつの間にかそうなった。

 分かっていないのは本人だけだろう。

 でもそんなリョウを最初に見つけたのは僕だ。リョウの魅力に最初に気づいたのは僕だ。

 

 リョウの愛情と関心を一身に受けている身としては……これはもはや自負していることでもあるが、ある種の覚悟もしている。

 この宝を絶対に手放したりしない。だからといって握り潰すようなことも絶対にしない。この手の中でもっと輝かせて……つまりは、リョウを幸せにする。

 そして、出来る事なら、リョウを幸せな笑顔に出来るのは僕だけだと周りに知らしめてやりたい。

 リョウとの関係を安定させるにはまだ慣れないことだらけで、器用に立ち回れないからもどかしい事も多々あるとはいえ……諦める気なんてさらさらない。

 

 そこまで考えたところで改めてレンブラントはリョウの寝顔を眺める。

 ぐっすり眠っている彼女の寝顔は安らかで、見ているこちらも心が和む。

 そっと顎に手をかけて上を向かせると微かに声が漏れた。ちょっとだけ開いた口にゆっくり唇を重ねてみる。

 全く起きる気配がないのでなんとなく唇をついばむように移動させて首筋にもキスをして、そのあと小さくて柔らかい耳たぶを軽く舐めてみる。

「……んん」

 くすぐったかったのかリョウが小さく声を漏らしたのでレンブラントは満足げにくすりと笑って改めてその体を抱きしめた。

 

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