アルフォンスへの気遣い
数日、リョウの仕事の休みが続いている。
グウィンは「人間」という評判を定着させるために、まだ体が弱っているということにして部屋に閉じこもらせている。
レンブラントは午前中は普段通りの仕事をして、午後はリョウのために仕事を切り上げて来ようとするのでリョウが笑って断った。そういつまでも甘えているわけにもいかないだろうと思うので。
アルフォンスにはその後、リョウは会ってはいなかったがレンブラントから聞く話ではいつも通り診療所で仕事をしているという。
あの後、グリフィスとアイザックがわざわざリョウが在宅している時間を狙って新しい文献を届けに来た。
いつもはリョウではなくコーネリアスが受け取っていつもの本棚に納めていてくれていたのだがこの度は「たまには一緒にお茶でもしませんか」なんてアイザックが言うのでちょっとかしこまってリョウがその招きに応じると、処刑に立ち合わせてしまった事への謝罪が目的だったらしい。
間近で人が処刑されるところを見せられたような格好になった事にグリフィスが心底心配そうな顔で謝罪してくるのでリョウはむしろたじろいでしまったくらいだ。
そして意外にも、リョウは元気だった。
……これは……レンのおかげ、なんだろうな。
なんてリョウはそっと思う。
不安定にならないように常に気を回してくれるだけでなくて、その事に自分が気を遣わなくていいように先回りした優しさまで示される。
幸せ、とか、安心とか、そういうものには縁がなかったのになんだか少しずつ慣らされていくようでそれもまた心地よい、と思える。
「あれ? やだ! リョウじゃない!」
ザイラの声にリョウがふと目を上げる。
休暇を持て余し気味だったリョウはレンブラントが仕事に出かけた後、昼食を一緒にしようと思い立って、作った料理をバスケットに詰めて診療所に持ってきてみたのだ。
だいたい午前中の仕事が終わった後は診療所に顔を出して昼食をとり、いつもだったらアルフォンスを伴って守護者の館に戻って来る、という感じだったと記憶していたのでここに来れば合流できるのではないかと思えて。
「ああ、ザイラ! 元気?」
診療所の庭で洗濯物が入っていると思しき大きなカゴを抱えたザイラと行きあってリョウがパッと笑顔になった。
「元気に決まってるじゃない! なあに? そのバスケット! なんだかいい匂いがするような気がするんだけど!」
にまにまと笑顔でわざとらしく鼻をくんくんと鳴らしながら近づいて来るザイラにリョウが思わず吹き出しながら。
「お昼ご飯をね、作ったの。レンと合流できたらいいなと思ったんだけど……よかったらザイラも一緒にどう?」
えー! とかわー! とか歓声をあげるザイラにリョウが中身をちらりと見せる。
実はリョウの計画を聞いたハンナが参戦してくれたので二人分とは到底思えない量の食料が入っているのだ。
「じゃあ、この荷物片付けて来るわ! ついでにレンが来てたら連れて来るわね! その辺で待ってて!」
勢いよくそう言い残してザイラが早足で去っていく。
「その辺……か」
くるりと周りを見回してみて。
以前とはだいぶ様子が変わった診療所の庭は、程よく樹や花が植えられてちょっとした散歩にもうってつけな景観になっている。
そろそろ朝晩の寒さも和らいでくる季節で、植えられてしっかり根付いた木は若葉を盛大に繁らせ始めている。まだ若干細い若木の下には成長の早い低木の植え込みがあり香りのいい花を付けている。暑いくらいの日差しではまだないがそれでも日向に長時間いるよりは木陰の方が気持ちよさそうで。
ちょうど木の脇に据えられたテーブルと椅子を見つけてリョウはバスケットをテーブルに置いた。
……うん。ここなら程よく日差しも遮られて気持ちいいかもしれない。
なんて思って思わずにんまりしてしまう。
「……おや、リョウ……?」
意外な声がかけられた。
「あれ? アル……?」
木陰から姿を見せたのは白衣を羽織ったアルフォンスだ。
白衣の裾についた小さな葉っぱの切れ端をパタパタと叩いて落としているところを見ると……ちょうど植え込みの後ろあたりに座り込んででもいたのかもしれない。
なんて思ってリョウが目を見開いた。
「すみません。人の足音がしたので……。脅かすつもりはなかったんですが」
アルフォンスがはにかむように笑った。
……うん。知ってた。この人、素で笑うとめちゃめちゃ素敵なのよね。
うっかり不意打ちを食らって顔が熱くなってしまったリョウが思わず目を逸らしながら口元を引き締めた。
「昼食、ですか?」
笑顔のままテーブルの上のバスケットに視線を移して、良いですねえ、なんて言い残しながら立ち去ろうとするアルフォンスの背中をうっかり見送りそうになったリョウが。
「あーっと、そうなの! 昼食! アルも一緒にどう? ザイラがレンを連れて来てくれるみたいなんだけど!」
つい声を上げるとアルフォンスが足を止めてゆっくり振り向いた。
「いいんですか?」
どことなくそわそわしたような態度でアルフォンスが聞き返して来るのでリョウは「論より証拠」とばかりにバスケットの中身を見せて笑って見せた。
「ねえ、アル。……あの……余計なお世話かもしれないんだけど……大丈夫?」
「え?」
ザイラとレンブラントを待ちながら、小さめの四角いテーブルを挟んで向き合うように座ったリョウがアルフォンスにおずおずと話を切り出すとアルフォンスがちょっと真顔になって聞き返して来る。
「あ……えーと、アルにとってセイジって、ちゃんと……繋がりのある人だったわけでしょ?」
こんないいお天気の、昼食を控えたテーブルで話すことではないというのは重々承知。
でも、楽しく和やかに昼食を始めてしまう前に……なんとなく聞いておいた方がいいんじゃないかという気がして。
そんなリョウの言葉にアルフォンスは一瞬だけ目を見開いて、それから軽く目を伏せて視線を逸らしながら腕を組んで小さくため息をついた。
「……そんなに……参っているように見えますか?」
ああ、しまった。やっぱり立ち入られたくない話だったかな。
なんてリョウは一瞬で察してしまって。
「あ、ううん。大丈夫! 私が勝手に気にしてるだけなの! レンも『アルはいつも通りに仕事をしている』って言っていたし……その……ごめんなさい。余計なお世話だったわね」
これ以上言葉を重ねてはいけない、と思ってリョウは口を引き結び目を逸らした。
「……もしわたしが本当に参っていたとしたら……何をしてくれるんですか?」
ちょっとだけ間をおいてアルフォンスがゆっくり切り出した。
ふと目を上げたリョウの目の前でアルフォンスが薄く笑っている。
「あ……ああ、そうね。……私に出来る事なんて限られているわね……でも」
アルフォンスの薄い笑いは拒絶の中にも、助けを求めるような色が見えるような気がしてリョウは「でも」という言葉をつい強調してしまう。
「話をね、聞くことはできると思うの。話すだけで気持ちが整理できるようになることってあるでしょう? ……ああ、これはね、私の話だけど。レンがね、私の話をよく聞いてくれるのよ。そうしたら昔のことを思い出してもそんなに辛くならなくなったの。アルは……きっとアルは、お医者さまだし自分の感情の整理なんて人に頼らなくてもちゃんとできるんだと思うけど……でも……アルは今までいろんな人の体だけじゃなくて心も支えて来たでしょう? だからね……もし……疲れた時があったら話くらい聞くわよ? たまには他の人に寄りかかってもいいと思うのよ。……それに、私は……ほら、そこそこ長く生きてるからちょっとやそっとの話を聞いたくらいじゃどうってことないから!」
そこまでようやく言い切って、最後にちょっと笑顔も作ってみてから改めて目を上げたリョウがハッとする。
アルフォンスの表情が一変していたので。
優しい、微笑み。いつものような自信にあふれた笑みではなく、ただ、優しい、微笑み。
あれ、この人、こんな風に笑ったりするんだ。
なんてリョウが目を見張る。
半分日陰に入っているとはいえ、アルフォンスの短く整えられたプラチナブロンドの髪は陽の光を受けてキラキラして、その濃い灰色の瞳は優しく細められている。いつもは笑うと年より若く見えると思っていたのに、いろんな人生経験を隠すことなく背後から映しこんだような落ち着いた、笑顔。いつもより肩の力が抜けて自然体なようにさえ見える。
「……今回の刑執行はね」
ゆっくりと目を伏せながらアルフォンスが話し出した。
「僕の当然の任務でもあったんですよ。……もともと彼を採用した時から彼の危険性は分かっていたんです。でもここで採用せずによそでああいう危険な思想のもとに仕事をされたらいつどこで誰に利用されるかわからないし、監視の意味も込めて採用したんです。うちで働いてもらいながら考え方を変えさせることができたらいいとは思っていたんですが……ちょっと無理がありましたね。採用を決めたのは僕でしたから責任を取って排除する役もかって出たんです」
淡々と話すアルフォンスだが、内容はただ事じゃない。
……それってつまり最初からこの結末をある程度予想した上でセイジを手元に置いていたということで……思いに応えてくれず考えを変えないセイジに、どんな気持ちを日々抱かざるを得なかったかなんてことを考えると。
「……それって……相当長い間辛かった、ってことじゃない……」
唖然としながらリョウが呟いた。
「まあ……そういう言い方もできますけどね。ああでも、これでもグリフィスが司になってからこういう仕事は格段に減ったので今はかなり楽なんです。以前は都市の中のいろんな役職の者たちの中にいわゆる危険人物がいてね、軍の相談役なんていう立場と医学の技術も兼ね備えた立場上、汚い仕事は結構回ってきていたもんです」
軽い思い出話しでもしているような口調なのにその表情は、思い切り苦虫を噛み潰したようなしかめっ面。
こんなにアンバランスなアルフォンスは初めて見る。
そう思うとリョウはただただ言葉を失ってしまう。
意に沿わない仕事をし続けなければならなかったのは時代ゆえなのかもしれなくて、自分を納得させながらやってきたことなのかもしれないけれど。
「アルは……医師としての仕事は、好きなの?」
ポツリとリョウが呟くように訊く。
「え……ああ、好きですよ、もちろん。弱っている人が元気になっていくところを見るのは楽しいですしね。それに自分の力でそれを助けられるというのは、やり甲斐がある」
一瞬目を見開いてから、聞かれたことを改めて認識したというような顔でふっと笑ってアルフォンスが答える。
その答えには、自信と落ち着きが滲み出ていて……ああ、彼の本心なんだな。とリョウにもすぐ理解できた。
なので。
「じゃあ……アルはやっぱり立派なお医者さまだわ。よかった!」
「……え?」
アルフォンスの返事を聞いてまずリョウが笑顔になり、リョウの質問に答えたものの彼女が笑顔になるなんて想像していなかったアルフォンスが今度は目を見張った。
「だって、私、アルのお陰でいつもたくさん助けられているのよ。アルみたいに、診療所に来る患者さんだけじゃなくて周りの人の小さな不調にも対応できるお医者さまって他にいないと思うの。それをちゃんと好きな事として自覚してやっているんでしょう? そういう人って誇りをもって仕事ができるから……より沢山の責任が任せられる立派な人なのよね。その任される仕事が……酷く重いことだってあるくらいに。……でも……ねえ、アル」
リョウが少し背筋を伸ばしてアルフォンスを正面から見つめて一旦言葉を切る。
「やりたくない仕事を、それでもやらなきゃいけない仕事だと理解して取り組むのって難しい事よね。でもあなたはそういう仕事を受けるかどうかさえ自己本位な基準で決めたりしない。……あなたは自分の好きな仕事だけして生きていくにしても十分やっていける力があるのに……やりたくない仕事でも自分を制して、ものすごい責任感でやり遂げているのよね? それってすごいと思うわ」
心からの尊敬。
そんな思いを込めて正面の医師を見つめて。
「……なるほど……そう、来たか」
少し間をおいて、ちょっと唖然としたような表情でアルフォンスが呟いた。
「は?」と聞き返すリョウにアルフォンスは素直な笑顔を作る。
「あ……いや……迂闊にも、なんだか一瞬気持ちが軽くなりました。やっぱりあなたは只者じゃないですね」
「え? ……なんの話?」
リョウが眉間にしわを寄せながらさらに聞き返す。
……しかも今「迂闊にも」って言った?
アルフォンスの反応についていけなくなったリョウに「レンは果報者だっていうのも頷けるなと思っただけですよ」と、穏やかに答えたアルフォンスはくすくすと笑い出し。
笑いながら、胸の奥で目の前の「竜族」の女性に尊敬の念を抱いている自分に驚いていた。
本当に、迂闊にも、一瞬本気で癒されてしまった。
そんなことを思う。
つい最近まで、彼女への認識は「火の竜」である者への学術的な興味が先行していた筈だった。
まぁ、子供の頃から気にかけていたレンの大切な人でもある訳だから単なる研究対象のように考えるのはやめなければ、程度には「気をつけて」いたが。
それにしても。
医師として、自分が常に他者に与えてきたものをこんな形で受けることになるとは思わなかった。驚きすぎて……涙を出さなかっただけ褒められるべきなんじゃないかとさえ思う。
リョウの笑顔が好きだという者は多い。ザイラなんてしょっちゅう「あの子が笑ってくれると嫌なことが全部ちっぽけに思えてくる」なんて言っている。
正直なところ、今回は処刑が一任された時より実行した後の方が後味が悪くて毎日のように仕事に専念して気を紛らわせていた。仕事が切れる昼の時間は自室に一人でいると参ってしまうのでこうやって外を歩きでもしないとやってられないくらいだった。
今の役職と医師としての仕事をしている限り付いて回るこの「余計な仕事」を回避したいと久しぶりに本気で考えるようになって……それでも結局他の誰かがやるくらいなら自分がやったほうがいいのではないか、とか、もし医師としての立場を退けばもうやらなくて済むだろうか、とか考えていたところで。
「自己本位で仕事をしないところが凄い」のか。
彼女の言葉につい笑ってしまった。
そういう風に見てくれる人がいるのだ、と思っただけで悩んでいた気持ちが軽くなった。それを本気で、大切な言葉を紡ぎ出すようにゆっくり噛み締めながら伝えてくるリョウの表情に心が揺れた。
表情だけじゃない。声の調子や高さも、醸し出す雰囲気も……自分は今まで仕事上、考え抜いて計算してやっていた事を……彼女は自然にやっているんだうと思えるからさらに驚く。
しかも。
彼女の場合、精神的に安定しているとは言い切れないはずの時なのだ。
あの塔の部屋での出来事は例え竜族であろうとも女性なら、正常な精神状態を保てという方が無理なくらいの出来事。最後まで事が進まなかったとはいえ、夫の前で行われた行為ともなれば、こんな風に他者を気遣うゆとりなどなくて当たり前の筈なのだ。
本来ならその場にあった物も、その場に居た者も、思い出すきっかけになりそうなものは視界から排除したいと本能的に思うはずなのに。
そこまでの、自分を犠牲にしてでも他者を思いやる気持ちが、よりによって自分に向けられるとは。
……そして、それがこんなに心地よいとは。
こんなにも、自分からは何も計算せずに近くにいられて、少しでも長く一緒にいたいと思える人は久しぶりかもしれない。
「あーーーー! アルもいるじゃない! これは分け前が減るわね!」
アルフォンスの思考を、後ろ頭を殴るような勢いでぶった切るザイラの声が飛んできてリョウとアルフォンスがそちらに目を向けると。
満面の笑みで駆け寄ってくるザイラと、なぜか微妙に無表情なレンブラント。
「あら、お疲れ様! え……レン? どうしたの?」
あれ、私、来ちゃいけなかったのかな……と我に返ったリョウがおどおどしながら上目遣いでレンブラントを見上げると。
「あー、レンのことは気にしちゃダメ! リョウを独り占めしようとしていたのよ。このあたしに帰れって言うんだもの! でね! あたしが『リョウのことだからあたしを追い出したところで今頃は他のメンバーが増えてるから無駄よ!』って言ってやったの! あたしの勝ちね! バスケットの中身に最初に手をつけていい権利を頂きました!」
ザイラがとっても楽しそうに椅子に座りながら説明して……説明しながらバスケットをまず抱え込む。
「ほう、そんな賭けをしていたんですか……勝手に人を賭けに使った代償として、二番目に手をつけていい権利は僕がもらいますね」
アルフォンスが楽しそうにザイラが抱えているバスケットを覗き込むので。リョウは「なにそれ」と少々呆れながら中身を取り出すのを手伝う。
なにせ品数は結構ある。サンドイッチはパンの種類と挟むものを変えて四種類。ハンナ特製のミートパイはスパイスの効いたものと野菜が多めのものの二種類。バター多めのケーキに、林檎のパイ、チョコレートのカップケーキ。それに揚げパンがあって、その下に筍の皮で包んだおにぎりと卵焼きが小分けになっていくつか並んでいるのだ。
「……重くなかったですか?」
次々に出てくる中身に圧倒されたレンブラントがリョウに囁く。
「うん。結構重かった……!」
リョウがくすりと笑いをこぼしながら囁くようにレンブラントに耳打ちするとレンブラントがリョウの右手をすくい上げるように取りその甲にキスをする。その目はうっとりと細められていてやたらと色気が漂っており。
リョウがうっかり一瞬見惚れてしまった後、突き刺さる視線を感じて顔が赤くなっていくのを自覚しながらそろそろと視線を向けると……正面のアルフォンスが唖然とした顔で固まっておりその左隣のザイラは呆れたような冷ややかな視線を向けている。
「何か?」
レンブラントがどこか挑戦的な口調で二人に視線を送ると。
「……さすがにそれは恥ずかしくない?」
ザイラがリョウに目を向けながら答えちゃうあたり……彼女の勇気はただ事ではない、と思える。
「そうですか? なんならお二人は退席していただいてもいいんですよ?」
「わーーーー! レンっ!」
相変わらず口元に不敵な笑みを浮かべているレンブラントにさすがにリョウが声を上げた。
どんなにかっこよくてもね、恥ずかしいのには変わりないから!
そしてここで二人がいなくなったらレンの行動はエスカレートするに決まってるから!
「リョウのためならどこまでも邪魔してやる……!」
なぜかザイラの闘志に火がついたようだ。
「僕はそのケーキを全種類制覇するまでは退席はしませんよ」
アルフォンスの視線が何気に鋭くなった。




