一任されていた処刑
「刑の執行……?」
リョウが混乱気味にレンブラントの言葉を口の中で繰り返すように呟いた。
「説明してあげるから……ちょっと移動しますよ」
レンブラントがそう言うと、リョウの体を抱き上げて歩き出した。
先ほどまで自分が座っていた椅子のところまで来て、自分の方に椅子の向きを変えてリョウをそこに座らせる。そしてリョウの顎をすくい上げてまじまじと顔を覗き込み、その視線がゆっくり確かめるように下に降りる。
その視線をたどってリョウが「あ」と小さく声を上げた。
すっかり忘れていたけど、服が切り裂かれて前がはだけてしまっているんだった。
ワンピースの前部分は取り繕いようが無いくらいに裂けてしまっているとはいえ、下着はなんとか無事なようだった。
その下着の下に傷がないかを確認するようにレンブラントがそっと体に触れてくるので。
「……あ、あの。……レン、大丈夫よ。怪我はしてないから。どこも痛くないし」
わずかに身をよじりながらリョウが囁く。
レンブラントが小さく安心したようにため息をついて「よかった」と呟くと上着の前を合わせ直してくれる。
守護者の上着はその下に帯剣していた都合上、前の釦は留めずに袖を通して羽織っていただけだった。なので、その釦を全部留めてしまえば服が裂けているのはだいたい隠れる。
長めの丈の上着の釦を上から順番に留めていくレンブラントをぼんやり眺めているリョウの視界の隅でアルフォンスが二つの死体を確認するように動き回っている。
死体を確認し終えて隣の部屋に入ったアルフォンスはシーツを手に戻って来てそれを二つ並べた死体の上にかけた。
……確かに血を流して横たわる体が部屋の中に剥き出しで放置されているのはさすがに気分が悪い。
それからリョウの剣を丁寧に拾い上げ、鞘に戻し、そのあと死体の背中から引き抜いてあったレンブラントの剣の汚れも丁寧に拭き取る。
そんなアルフォンスがゆっくりリョウとレンブラントの方に歩いて来て、滑らかな動きで手にしていたリョウの剣をそっとテーブルに乗せて、床に転がっていた鞘を拾い上げてこちらにもレンブラントの剣を納めてテーブルに乗せる。
それからリョウが先ほど倒したままになっていた椅子を起こし、そこに座った。ちょうどリョウの座っている椅子に向き合うような角度。
「……無事、なようですね。ああ、でもちょっとショック状態か……まあ、当然でしょう。驚かせてしまいましたね……それに、かなり怖い思いもさせてしまった」
「……なんで……二人とも動けてるの?」
リョウの口からこぼれた言葉は抑揚が乏しかった。
無意識に、隣に立っているレンブラントの上着の裾を握ってしまいレンブラントがそっと肩を抱いて優しく撫でてくれる。
……ショック状態……ってこういうことなのかしら。なんてリョウは自分の声を聞きながらぼんやり考える。
とにかくレンもアルも無事で、自分もあれ以上酷いことをされなかったのは、良かった、と思う。
でも、なんだか……何が何だかわからずに頭が混乱している。
なので、まず一番の疑問をぶつけてみようと思ったのだが……なんだか感情が全く乗ってこなくてほぼ棒読みな声が言葉を紡いだ。
「そうですね。ちゃんと説明しますね」
アルフォンスがにっこりと微笑んだ。
いつも通りの笑顔にリョウの肩の力が少し抜けた。
「一応これでもあれの上司なのでね、僕なりにあれの研究は把握していたんです。で、ここに来てからの動向にも細心の注意を払っていました。つまり、取り寄せた薬草の種類とか薬の種類、とかもね。検閲を潜り抜けやすいように考え抜いた物を取り寄せている事にも気づいていましたのでね、ここに来る前にあれが作っていると考えられる薬物に合う解毒剤を調合して二人でそれぞれ持って来ていたんです。正確な効き目はさすがに計算できなかったので一か八か、というところではありましたが」
「……まったく。効きが遅くて、本当にどうなることかと焦りましたよ」
レンブラントが視線を泳がせながら口を挟んで来る。
「仕方ないでしょう。あんなに強い効き目のものに仕上がっているとは思わなかったんですから。まあ、リョウのカップと取り替えたときの反応で上司である僕をも手にかけるつもりでいることがはっきりしたのでその後の方向性があっという間に決まりましたね」
「方向……性?」
リョウがちょっと眉をしかめる。
「ああほら、リョウもあいつの気持ちを宥めようと気を遣っていたでしょう? 一応、あの手のアプローチに彼がどう反応するかは見定めたかったところではあったんですが……なにせ周りが既に彼をここから密かに連れ出して研究を続けさせるように動いていましたのでね、その動きを彼自身がどう考えているかをはっきり知りたかったんですよ。結局、彼自身がそれを望んでいることが分かりましたし、その邪魔になるものは全て排除して……ついでのようにリョウのことも葬り去ろうとしていましたからね」
「彼が雇われる事になっていた組織は言ってみれば暗殺集団みたいなものだったんですよ」
アルフォンスの説明の合間にレンブラントが口を挟む。
「あ……なるほど」
なんとなく、言わんとしていることが、わかったような気がした。
リョウの頭がようやく二人の話について来た。
つまり、政を自分の思い通りに動かしたいと思う人たちがいて、セイジの医学の通じ方と研究心の方向性に目をつけた、と。
そういう人たちにとって邪魔者を効果的にためらう事もなく暗殺することができる人間がいるとしたら、そんな人材喉から手が出るほど欲しいだろう。しかもその本人が医者の倫理とか常識の範囲を超えてそれに諸手を挙げて賛成して来るなんて。
そして竜族に対する恨み、みたいなものもあって自分たちの側に付くことは疑いようがない。しかもその上、自分の、言って見れば恩師にもなりうる上司をもあっさり裏切れるような非情な人間だ。
「で、あのドアを見るに……ここでの協力者はあの兵士一人ですね」
アルフォンスがドアの方を振り向きながら呟く。
意味がわからなくてリョウがその視線の先を辿ると……。
あ。あのドア。
完全に閉まっては、いないみたいだ。隙間が空いている。
ドアは外から中に向かってしか開かないようになっている。そして手を離せば自然に完全に閉まる、はず。
それが少し浮いた状態で閉まりきっていないということは、なにかが挟んででもあるのだろう。
「ああ、なるほど。これ以上外に協力者がいないから内側から開けられるように何か挟んでおいたってことですね」
レンブラントがそう言うとドアまで歩いて行ってそのドアを大きく開け、下に挟まっている物を軽く蹴った。
それはこの塔の建築資材と同じようなちょっと大きめの石で、軽く蹴ったくらいではびくともしない。
「とりあえず、出ましょうか」
アルフォンスがそう言うとリョウの方に手を差し出した。
「あ……はい」
そう言ってリョウがその手を取ろうとしたとき。
「勝手に触らないでください」
二人の間にレンブラントが割り込んでリョウをひょいと抱き上げる。
「え……!」
リョウが慌てて何か言おうとしたのだが、アルフォンスはやれやれ、と肩をすくめてテーブルの上に置いた二人の剣を取り上げて、石が挟まれたままのドアに向かった。
どうやら異議を唱える気は無いらしい。
「レン……! 私、自分で歩けるけど!」
リョウの焦った声は完全に無視されて、後ろからアルフォンスが「足元にだけは気をつけてくださいね」と困ったように声をかけて来た。
家に戻ってまず、玄関先でリョウがひと暴れ。
「だからもう大丈夫だってば! ねえ、レン、降ろして?」
「ダメです」
「だってこのまま入るの、恥ずかしいじゃない!」
「誰も見てないから大丈夫ですよ」
上への報告はアルフォンスがするという事でレンブラントはリョウを抱いたまま自宅に直行したのだが相変わらずリョウを離す気はないらしい。
騒ぎを聞きつけたようでドアが開いてコーネリアスが出てきてまず目を丸くした。
「……あ! コーネリアス! ただいま! ……ほら、恥ずかしいでしょ! おろして!」
リョウが焦って声を上げるのだがレンブラントは相変わらず動じることなく、軽くコーネリアスに目配せして開いたドアから中に入り。
「大丈夫ですよ。使用人が主人をじろじろ見たりするわけないじゃないですか。誰も見ていません。だから恥ずかしくなんかないです」
そんなレンブラントのセリフの途中でこちらも騒ぎを聞きつけたハンナが奥から顔を出したがレンブラントの言葉を聞いてちょっと頰を赤らめて「あらあら」なんて言いながらコーネリアスと一緒に頭を下げた。
……だから、その、あからさまな「何も見ておりません」っていう態度が恥ずかしいんだってばーーーー!
リョウがなすすべもなく赤面しながらレンブラントの首に腕を回したままその首筋に顔を埋める。
「さて、と」
ようやくソファに降ろしたリョウを軽く首を傾げながら眺めつつレンブラントが一つ息をつく。
「……う……あの……?」
意外にも真剣な眼差しが注がれるのでリョウが戸惑い気味に身じろぎをして。
……怪我はしてないわけだし……いやむしろ、出血は止まっているけどレンの首筋についた傷の方が気になるくらいなんだけど……どうしよう……。
あまりに真剣な表情で見下ろされている事に、何をどう切り出していいかわからなくなっているリョウの前にレンブラントがゆっくり膝をついて上着の釦に手をかけてきた。
「……あ! レン……! 大丈夫! 自分で着替えるから!」
リョウがつい慌ててレンブラントの手に自分の手をかける。
そうだ。この上着の下って……結構悲惨なことになっているんだった……!
そう思うからレンブラントの行為を阻止しようとするのだが、レンブラントが手を止めることはなくむしろ眉間にしわを寄せてますます真剣な表情で服を脱がせにかかってくる。
上着の釦が全て外されると、無残に切り裂かれた服が露出する。
なんとなく、こうなった過程を思い出してしまってリョウが顔を背けて眉をしかめた。
レンブラントの、目の前でされた事。
その気になれば自分の力で阻止できたのに、それすら許されなかった状況。
あのまま、事が進んでいたらどうなっていたんだろう、という恐怖。
「……ごめんなさい」
リョウの口をついて出たのは謝罪の言葉だった。
あんな姿を見られた事に対する嫌悪感と罪悪感。
そんな感情に飲み込まれそうで息がつまる。
「どうしてリョウが謝るんですか。リョウは悪くない。……むしろ謝るのは僕だ。ちゃんと守ってあげられなかった」
リョウの頰にレンブラントの手がそっと触れた。
その触れ方は、大切なものを愛おしむようにどこまでも優しい。
リョウがそろそろと視線を向けると心配そうにこちらを見つめるブラウンの瞳と目が合った。
「……私のこと、嫌いにならない?」
リョウの消え入りそうな声に一瞬ブラウンの瞳が見開かれ、次の瞬間その瞳に強い意志が宿る。
「なるわけないでしょう……! おいで」
レンブラントの腕が伸ばされてリョウの体が引き寄せられ、そのままリョウはソファから引きずり降ろされるようにして抱きしめられた。
レンブラントの腕に抱きしめられながらリョウは自分が小さく震えている事に気づく。
心配をかけてはいけないと思うから震えを止めたいのに意識すればするほど止まらない事に焦り、レンブラントの服の胸元を握りしめて肩に力を入れてしまう。
「大丈夫、リョウ……強がらなくていいですよ。怖かったですよね。……大丈夫、愛してる。僕はずっとリョウが好きですよ」
静かに紡がれる言葉は初めはリョウの耳に入ってもただの音としてしか認識されなかったがレンブラントはゆっくりと裂けた服を脱がせて、抱きしめながら肩や背中を優しく撫で続けてくれるので、少しずつリョウの体の力が抜けていく。
その間ずっと耳元で「愛している」「大丈夫」と繰り返されてリョウの心も少しずつ解れていくようだった。
「リョウ、一緒に風呂に入りますか?」
レンブラントの腕の中で体の力が抜けてぼんやりしているリョウの耳にそんな言葉が届き、ぼんやりしたままリョウが頷く。
ふわりと抱き上げられたところで「あれ、私、今何を承諾したっけ?」と、すぐ近くで微笑むレンブラントの顔を覗き込むと。
「あいつに触られたところ、僕が全部きれいにしてあげますね」
優しく細められた瞳にリョウは思わず赤面して硬直した。




