危機的状況
「リョウ、そのお茶、こちらと取り替えましょう」
リョウがカップを手にした瞬間、向かいの席からアルフォンスが声をかけてきた。
「え……」
一瞬リョウが固まった隙に手元のカップがアルフォンスのものと取り替えられる。
「へえ。毒入りだとでも? まあ、そんなものはここでは取り寄せられないんですが……ちなみにアル、竜族に効くほどの毒を人間が飲んだら即死ですよ?」
リョウの隣でセイジが面白そうに声を上げた。
「そうですね。でも利益優先の君が僕が死ぬようなことはしないだろうと思いましたのでね。もし本当にこれにそんな毒が入っていたら君の反応でわかるかと思ったんですよ。……でも、そうですね……守護者殿の身代わりならそれもいいかもしれません」
う、うわわわわ! なんでアルまで好戦的なの!
リョウが内心焦るくらいにアルフォンスが冷たい視線をセイジに送っている。
「ちょ、ちょっと! もう! いい加減にしてよ! だいたい毒なんてこんなところに持ち込めるわけがないじゃない!」
なんだってみんなして私のこの場の空気を和めようとする努力に片っ端から水を差すのかなあ……!
リョウが眉を寄せながら手元のカップに手を伸ばして口にする。
で、ほう、と一息。
「……あ、ら。美味しいじゃない」
芳ばしい香りの中の甘味が口に広がり、優しい味わい。なんだかほっとする味だ。
「おや。守護者殿にはお気に召したようですね。なかなか好みの味に調合するのは難しかったんですよ」
セイジが軽く目を細めて口元に笑みを浮かべた。
そんなセイジとリョウの様子を見てアルフォンスがカップを口に運ぶ。
「……相変わらず君の薬茶の調合の腕はいいですね」
カップの中をまじまじと見つめながらアルフォンスが呟き、それに反応するようにレンブラントがカップを取り上げて。
「薬茶……また妙な薬ですか?」
アルフォンスにそう言い返しながら身を乗り出してリョウの顔を心配そうに覗き込んでくる。
なのでリョウが「大丈夫だってば!」という視線を送って見せて。
「ああ……いや。これはリラックスさせる系の薬茶ですね。癖のある味の薬草を使うからほかの薬草との味の調和が難しいんです」
そう言いながらアルフォンスが改めてもう一口飲んで見せるのでレンブラントが肩の力を抜いて座り直し、カップを口に運ぶ。
……うん。そうそう。みんなもう少しリラックスしたほうがいいわよ。
なんてリョウが内心ほっとしながら。
「この手のものなら上手くすると取り寄せられるんですよ。面白いでしょう。環境が変わったせいで神経が休まらないから、と申告したらね、結構色々差し入れてもらえました。守護者殿、お気に召したようなら少し差し上げましょうか?」
にっこりと笑いながらセイジがリョウに提案してくるので。
「あ、うん。そうね。……美味しいし少しもらって帰ろうかな」
場を和める雰囲気の方向に少し近づきそうなやり取りにリョウが微笑み返す。
隣でレンブラントが鋭い視線を送ってくるのは……うん。「こんな奴から物なんかもらうな」っていうあからさまな視線で……ああ、なんだか心が折れそう。
「……こんなに美味しいお茶を作れるのになんで人を殺そうとなんかしたの?」
お茶のせいか少し肩の力が抜けて、リョウがポツリと尋ねる。
「はい?」
セイジが面白そうに聞き返してくるので。
「だって、あなた医者でしょう? 他の人を健康にするためにここまでのことが出来るのに、生きている元気な人を殺すような計画にどうして加担しようとなんかしたの?」
「そういえば君が政に関心があるなんていうのも初耳でしたよ」
リョウの言葉に便乗するようにアルフォンスも言葉を加えてくる。
そういえば彼は軍総司令部相談役によそ者を採用するということに異議を唱えてもいた。あれは医学の研究者にはあまり関係のない、政に関わる分野だ。
話がそんな風に発展し始めたのでレンブラントはリョウの隣でおとなしくお茶を飲んで耳を傾けている。……ただ、若干の視線の鋭さは……もはや隠す気もないのだろう。
「ああ……そうですね。政自体にはさほど興味はありませんよ。僕は研究ができればいいんです。この都市は今のところ才能のある者には援助を惜しまないでしょう? でも……そうですね、もし体制が変わって才能ある者を排除する動きが今後でてくるとも限らない。僕みたいな優秀すぎる人材には考えられることです。そういう変化は好みませんね。だから今のうちに動いておこうと思ったんですよ」
セイジがお茶のカップに口をつけて軽く息をつく。
まるでたわいない世間話でもしているかのような口調だ。
「変化を起こしかねない人材の……排除、か?」
レンブラントが問いただすように口を挟んだ。
「嫌だなあ。僕が自らそんなことを考えたわけじゃないですよ。でも、そういうことを考えている人たちがいるんですよね。で、彼らとの利害が一致したので手を貸したんです。……そうそう、アル。僕のこと利益優先って言いましたよね」
笑みを作るセイジの表情はなんだか冷たい。
貼り付けたような笑顔というのはこういうものだろうか、なんてリョウは思う。
「確かに利益は優先しますよ。僕は自分の研究がしたい。それが僕のライフワークだ。言ってみれば人生の全てです。だいたいあの場で処刑されずに今日まで僕が生かされているのはこの都市にとって僕が失うには惜しい人材だからでしょう? ……ああ、あなたに僕が手を下すことはない、みたいなことを言ってましたけどね、アル。確かに以前ならそうだったかもしれない。僕の才能や技術や可能性を見抜けるのはあなただけでしたからね。本当に良き理解者だった。でも今となってはそのあなたが認めた、という肩書きのおかげで結構信頼されてもいるんですよ。診療所を出ても研究は続けられる、くらいにね。なので自分の利益を固めるためには邪魔者は早めに排除してもいいかな、と思ったんです」
……とても拘束されていて刑の執行を待っている者とは思えない、セリフ。それに態度。
まだ、何か裏がある、なんてことは恐らくリョウ以外の二人にも察しがついているようでアルフォンスとレンブラントが小さく目配せをした。
「それに、守護者殿。僕に医者としての倫理で揺さぶりをかけようとしておられるようだからはっきりさせておきますが、僕は世界の全ての人を健康にしたいなんて夢物語のような理想は持っていませんよ?」
相変わらずセイジの視線は冷たい。口元に作られた笑みは薄く、形ばかりだ。
「だってそうでしょう? この世の中、毎日のように何処かで誰かが苦しんだり死んだりしているんです。僕の知らないところで僕の知らない誰かが苦しもうが死のうが僕の知ったことじゃない。それで僕に利益があるなら感謝こそすれ思いとどまる必要はないでしょう?」
淡々と話すその言葉に。
「な……! 何言ってるのよ! そんな身勝手な理由で彼に毒を飲ませたのっ? そんな理由で人を傷付ける事に加担したって言うのっ?」
リョウが思わず声を上げた。
「へえ……それ、あなたみたいな人が言えるセリフでしたっけ?」
意味ありげなセリフにリョウが息を飲む。
過去における自分の行動を示唆しているその言葉にリョウは返す言葉もない。
「貴様! 黙っていれば……っ!」
リョウの隣で声が上がった。
が。
「え? ……レン?」
リョウの視線がレンブラントに向いたまま固まった。
掴みかからんばかりのタイミングと勢いで声を上げたレンブラントが椅子から立ち上がるでもなく、もっと言えば両手をテーブルについたまま今にもテーブルに突っ伏してしまいそうに項垂れたような姿勢になっている。
そして。
「ああ、隊長殿。あなたはやっぱり体力がもともとおありなんですね。それだけの声があげられるなんてたいしたものです」
とても楽しそうなセイジの声。
セイジの異様な雰囲気に、はっとさせられたリョウが勢いよく立ち上がった。
後ろで派手な音を立てて椅子が倒れたがそんな事に構っている場合じゃない。
そのままの勢いでレンブラントに駆け寄って膝をつき、俯いたままの顔を覗き込む。
レンブラントの、眉間にしわを寄せた苦しげな表情を見たリョウが慌ててセイジの方に顔を向けようとして、向かいの席のアルフォンスの異変が目に入る。
こちらもレンブラントとほぼ同様に体を支えきれなくなった、と言わんばかりにテーブルに突っ伏しかけている。
「セイジ……今のお茶、ですか?」
かすれそうなアルフォンスの声はようやく聞き取れる程度。
「ええ。皆さんのカップには最初から薬を入れておきました。カップを取り替えたところで意味はなかったんですよ、アル。薬の味を誤魔化せるように薬茶を調合するのって難しいですよね。ああ、毒じゃないからご安心を。意識がなくなるとかもないと思いますよ」
「ちょっと! どういう事よっ?」
睨みつけるリョウの瞳に気圧されることもなくセイジがとても楽しそうな笑顔になった。
「人間の体にはね、特別な物質が分泌される事によってその信号を受け取った筋肉が体に戦闘態勢を取らせることができるという仕組みがあるんですよ。それを阻止する薬を作ってみました。まあ、言ってみれば強制的にリラックスさせるようなものです。身に危険が及びそうな時にとても効果的に相手を無力化出来る方法だと思うんですが……さすがに守護者殿には効きませんね」
「そんなことして……どうするつもり?」
だいたい、こんな部屋で「私以外の」人間を無力化して何になるのだろう?
リョウが意味がわからずに眉間のしわをさらに深くする。
「そうですね。守護者殿は僕の言う事を聞いたほうがいいですよ。彼らを元に戻すために必要な薬の投与は僕にしかできませんから」
……え? これって、薬が切れるまで、とかいう問題じゃないのか……。
「まだ実験段階なのではっきりしたことは言えませんが放っておけば身体中の筋肉が弛緩して……そうですねぇ………半刻もすれば心臓も止まるんじゃないかな」
セイジの言葉と共にレンブラントの背中に回した手に、その体の力が抜けていくのが伝わってきてリョウの目に焦りが浮かぶ。
「……私に何をしろって?」
リョウが静かに問う。
「そうですねえ。先祖の仇は取りたいのでまずは死んでもらおうかな。そのあと用済みになったその二人は僕が処分しますね。守護者殿に大切な人を殺させるなんて酷いことはさせないから安心してください」
「そんなこと……そんな簡単に殺されてあげるわけないじゃない。それに……それってつまり私が言う事を聞こうが聞くまいが二人を元に戻す気なんてないって事でしょ?」
「ああそうか。計画を喋っちゃいましたね、僕。でも、結局同じ事ですよ。このまま彼らを放置しておくか早めに決着をつけてお互い楽になるかってことです。守護者殿は情に厚いですからね、大切な人が苦しむのを長引かせたくなんてないでしょう?」
一体何を、言っているんだろう。
リョウの頭が軽くパニックを起こしている。
レンブラントとアルフォンスがくずおれるのを目にしたことからくる動揺から気持ちが立ち直れずにいるのかもしれない。
でも、今動けるのは私だけなんだから落ち着かないと。
そう自分に言い聞かせてみて。
だいたい、外の見張りを呼べば済むはずだ。単に事を荒だてたくないから部屋の中で片付けてしまおうと静かにしていただけのことで。
そう思いながらリョウがドアの方に目を向けると同時になぜかセイジがそのドアに向かって歩き出した。
「……だいたいどうしてこういう薬物が検閲に引っかからなかったか、とか考えなかったですか? ……まあ、さすがにあからさまな毒物や麻酔の類いの持ち込みは引っかかるだろうから僕がいろいろ考えたっていうのもあるんですが、ね」
そんな事を言いながらセイジがちょっと変わったリズムでドアをノックすると。
そのドアがノックに応えるように外側から開いた。




