影の残り香
「昔ね……この力が嫌で嫌で仕方なかった時に、この力を肯定してくれた人がいたの」
暖炉の炎に目を向けたまま、リョウがポツリと話し出した。
グウィンがリョウの方に向けていた目を細めて耳を傾ける。
「炎を操る力は決して悪いものではない。それは人を害するための力ではなく人を豊かにするための力なんだ、って。だからそんな力を持っている私には価値があるって。……ふふ、私、自分は人にとって邪魔でしかなくて存在することに意味はないって思っていたから……自分を肯定してもらえたのが嬉しくてね。……この力ごと全部ひっくるめて私の存在を初めて受け入れてもらえたことが嬉しくて……その時初めて、ああ、私、生きていてもいいのかなって思ったの」
ああそうか、リョウにもやはり俺の知らない時間を生きた思い出がある。
そんなことに思い当たってグウィンは少し背筋を伸ばした。
体はいつのまにかだいぶ楽になっており、息をするたびに苦しかった胸も思う存分息を吸い込めるようになっているし、体勢を変えるべく腰や背中に力を入れるだけで刺すような痛みが全身を走っていたのもいつのまにかなくなっている。腕の上げ下げも全く痛みがなくなっているようで……ああ、さすがに竜族。回復し始めるとあとは早いんだな、とグウィンは思わず少々目を丸くしてしまう。
試しに膝の上に乗せっぱなしだった空の皿が乗ったトレイを持ち上げてベッドの脇に足を下ろして体勢を変えながら、サイドテーブルに移す。
「……え? あ! やだ! 私がやるのに! ……大丈夫、なの?」
音に気付いたリョウが振り向いて、慌てて駆け寄ってきながら声をあげ、サイドテーブルにまだ伸ばしたままのグウィンの腕に手を添えて顔を覗き込んでくる。
ので。
「ああ、大丈夫だ。……どうやらもうほとんど回復してるらしい」
リョウを安心させるために口許に笑みを作ってみる。
と、リョウがあからさまにため息をついて肩の力を抜いた。
「よかった……」
そう言ってグウィンと目を合わせるリョウの目は今にも泣き出すんじゃないかというくらい一気に潤んできており、グウィンは思わず息を飲んで、ついその頭に手を置いて少し勢いよく撫でてしまう。
「……お前にも、良い思い出があるんだな」
心配させて悪かった、と言うつもりがそんな言葉がぽろっと出た。
でもかえって良かったのだろう。リョウの涙が一気に引いたようでいつものようにふわりと笑った。
この笑顔が好きだとレンブラントが言っていた。……先に言われて俺は言えなかったが……俺だってリョウの笑顔が好きだ。ころころ変わる表情も見ていて飽きない。
グウィンがそんなことを考えている間にリョウがベッドのふちに腰かけたようになっている彼の隣にすとんと腰を下ろした。
いくら「もうほとんど回復した」とは言っても完全に回復したわけではないだろうし、そう急激に再びベッドの中に戻るように体勢を変えさせるのは酷だろう、と思ったのだ。
「私ね、その人のことが好きだったんだけど想いは通じなかったのよ。……だからね、グウィンはちゃんと想いの通じた人がいたなら良かったなって思ったの」
リョウが真っ直ぐにグウィンの目を見てそう言った。
なので、グウィンはちょっと皮肉めいた笑みを浮かべて。
「なんだ……お前。お前にはちゃんとレンブラントがいるだろうが」
「そう、よ。……今は、ね。でもあの頃は辛かったんだから。想いが通じないまま相手がいなくなっちゃうのは、辛いわよ。それに……相手の気持ちを理解してあげられなかったって……気がついちゃったら後悔しか残らないわ……」
リョウがグウィンから目を逸らして、まるで自分に言い聞かせてでもいるかのような口調で呟いた。
「……理解してやれなかった……か……」
なんとなく思い当たるものがあってついグウィンがリョウの言葉を反芻する。
確かに、俺はあいつの気持ちを本当の意味では理解してやれなかったのだ。だから……きっと最期は寂しい思いをさせてしまった。
「ああ! でもね!」
リョウが突然声のトーンを上げてグウィンの顔を覗き込んでくる。
「それでも、一緒に時間を過ごして、一緒に笑って、何かを学んだ時間は本物なのよ。あの人からもらったものは沢山あるの。そしてあの人も……あの人も確かに、笑ってくれていたの。だからきっと彼は彼なりに自分に満足していたんじゃないか……って思うの。……だってね、私に理解されないことが本気で嫌なら私のことなんか見放して他の人のところに行けば良かったのにそうしなかったんだもの。だから……きっと、自分が選んだ生き方に……満足して逝ったんだと思いたいの。……そう、思わなきゃあの人に失礼じゃない? あの人の……貴重な命を、生き方を、否定することになっちゃうもの」
途中から俯いて、自分のスカートを膝の上でぎゅっと握りしめるリョウは、グウィンを励ますために話しているのか、自分を納得させるために話しているのかわからないくらいの口調で力説してくる。
そんな様子にグウィンの口許がつい緩む。
……そうか。
そんな風に自分の中で、辛い経験を消化しながら、自分を納得させながら、生きてきたのか。
そしてその考え方は、グウィンの心にもすとんと落ちて馴染んだ。
確かにあいつと一緒に過ごした楽しかった時間は、幸せだった時間は、本物だ。その想い全てを否定してはいけない。彼女の生き方を否定してはいけないのだ。彼女は……最期まで俺の妻でいることを選び、他の男の元に走るなんてことはしなかった。その意思を、否定してはいけないのだ。
「……だからね」
リョウが再びゆっくり口を開く。
「そういう人が自分に関わってくれたということを、忘れないようにしたいと思うの。そんな出会いも……そしてその人を守りきれなかった過去の私もひっくるめて、きっとその全部が今の私を、作っているから。……だってね、グウィン。……あなたも沢山の別れを経験してるのに、それでも人と関わっているのって、やっぱりそこからいつも必ず何かを得ているからなんでしょう? 私もね……グウィンみたく強くならなくちゃって……思ったのよ。だから過去から目を逸らしちゃいけないし、今あるものもちゃんと見なきゃいけないって、思ったの」
俯いていたリョウが再びグウィンの顔を覗き込むようにしながら真っ直ぐにその目を見つめてくる。
「……お前こそ、強いじゃねーか」
くすりと笑いながらグウィンがこぼす。
ああもう、脱帽だ。完敗だ。
そんな風に真っ直ぐな瞳で、そんな風に言われたら、認めてしまうしかない。
俺は、リョウに、そう言ってもらいたかったんだ。きっと。
過去を肯定して、今の自分を肯定して、認められたかった。他の誰でもない、リョウに。
「……なんで、レンブラントなんだ」
「……は?」
聞き取れるか聞き取れないかくらいの、言ってみれば声には出さない口の動きだけ、くらいの言葉がグウィンの口から漏れ、リョウが首をかしげる。
「え? ……なになにっ? どうしたのっ?」
リョウが声をあげるのにはお構い無しで、グウィンが隣のリョウを力任せに抱きしめた。
「悪い……少しだけだ……」
リョウの耳元でグウィンが囁き、リョウが小さく息をついて体の力を抜いた。
「リョウ、ここですか? ……っ!」
ノックの音もなしにドアが開いた。
「へ? ……わわわわっ! レン?」
「……あ? レンブラントか?」
グウィンの腕の中でリョウが慌てたように声をあげ、グウィンは特に慌てる風もなくのんびりとドアを開けた主の方に目をやってその名前を呼んだ。
「何してるんですか。……具合が悪くて起き上がれなかった、と記憶していますが。グウィン?」
あからさまな殺気をむき出しにしながら、相変わらずリョウを抱きしめたまま離そうとしないグウィンにレンブラントが歩み寄る。
「ああ、こいつの看病のお陰でもうだいぶ良くなった。ありがとな」
ニヤリと笑ってグウィンが答え。
「ねえ、グウィン、ちょっと離してくれない?」
非常に気まずくてリョウがグウィンの腕の中で声をかけるのだが、しっかり抱きしめられているので声は明瞭さに欠ける。
「良くなったんならさっさとリョウを離してください」
レンブラントが頰を引きつらせながらグウィンの腕に手を掛けると。
「いいじゃねーか、もう少し貸してくれ」
グウィンが拗ねたような声を出して抱きしめる腕にさらに力を入れてリョウの首筋に顔を埋めた。
「グウィンーーーー!」
リョウがくぐもった声を上げるのと
「いい加減にしないと、殺しますよ」
びっくりするくらい冷ややかなレンブラントの声が降ってきたのはほぼ同時だった。




