風の民という過去
「で、レン。……仕事、は?」
グウィンを見送った後、その場で抱きすくめてきたまま動こうとしないレンブラントから逃げるようにして家の中に入ったリョウが改めて声をかける。
声をかけられた当事者、レンブラントといえば。
こういう光景を見るのはちょっと新鮮では、あるのだが。
「……ああ、はい……そう、ですね……」
リョウの問いかけに答えはするものの、完全に生返事。
昨日の会議で使ったと思われる書類の束を見直すように数枚めくっては溜め息を吐き、視線を宙に彷徨わせてから何かを思いついたかのように今度は窓の方に歩いて行って外を見る。そして思い直したように手元の書類の束をめくり始め……。
そんなことをずっと繰り返しているのだ。
寝室を兼ねて造られた部屋は広さがあって、奥のベッドのスペース以外に、窓際にはソファや低めのテーブルがあって、さらに壁際には書き物机と椅子があり、簡単な本棚もある。
そんな部屋の中でかれこれ一刻近くレンブラントはウロウロと歩き回っている。
リョウにしてみれば。
ここ最近の騎士隊の勤務体制はリョウが騎士として働いていた時とはかなり変わっている。
あの頃は戦いに出る事を前提にした勤務体制だったが、今は都市の復興や安全維持の為の警備が主な仕事内容。なんなら変則的なこともほぼない決まりきったパターンが続くような勤務体制だ。
そんな毎日を繰り返していると思われる騎士隊の仕事内容や、隊長の仕事のパターンは……ある程度想像できるとはいえ口出しできるものではない。もはや自分が関わることが出来る範疇でもないわけで。
とは言え。
さすがにここまでいつもと違う行動を繰り返しているレンブラントを目の当たりにした上、さらに言ってしまえば、いつもならとっくに家を出ている筈の時間なのにいまだに部屋の中をウロウロしている彼にリョウは思わず眉を顰めてそっと近寄ってみる。
「あの……レン……?」
声をかけたところで全く無反応で窓の外を見ているレンブラントの、書類を持つ手にリョウが自分の手をそっと重ねる。
……あ。
これは……やっぱり変、だ。
リョウの動きが止まった。
レンブラントの手にある書類の束は……上下が逆。
まさか、逆さまの書類を読むとかいう何かの訓練をしているわけじゃ……ないよね。
一応そんな確認を頭の中でしてみる。
「リョウ」
「……はい」
思いの外真剣な声音で名前を呼ばれたリョウは、つい神妙な面持ちで顔を上げた。
そこには真っ直ぐこちらを見据えるブラウンの瞳。
「今日は休むことにします。ちょっと待っててもらっていいですか?」
「え……? 休むって、仕事を? そんなことして大丈夫なの?」
確かここ最近隊長職についている者たちは、今後の都市のやり方の変更についての会議に明け暮れていた筈。スケジュールの過密さは半端ないと聞いていた。
それに仕事を休まなきゃいけないほど体調が悪いようにも見受けられない。……あ、書類を逆さまに読むという奇行は別にして。
「大丈夫です。今日の会議は僕が出なくてもどうにかなるものですし、今日を逃すとリョウと一緒に時間を過ごせる日なんて当分作れそうにない。休みの届けだけ出してくるので……少しここで待っていてもらっていいですか?」
「う……ん、わかった」
なに? 私と過ごすために仕事を休むの?
そう思ったら、無性に嬉しくて思わず勢いで返事をしてしまったけれど。
……多分、本来なら隊長の妻としては仕事を優先するように励ますところだったのだろうな……うわ、これ、ザイラだったらきっとそうするわ……と、思い至ったのだけど。
二つ返事で了承してしまったので今更撤回もできずに目が泳いでしまったリョウをレンブラントが抱きしめる。
「……ここに、いてくださいね。僕が戻ってくるまでどこにも行かないで」
「……う、ん」
動きが取れなくなったリョウを、レンブラントは窓際にあるソファに連れて行きそこに座らせた。
リョウが何事だろうと思い悩んでいる間に、半刻も経たないうちにレンブラントは戻ってきた。
いつもより勢いよくドアが開けられてリョウがびくりと肩を震わせると。
「ああ良かった! ちゃんとここにいてくれたんですね!」
真剣な表情で入ってきたレンブラントはリョウを見るなり安堵の表情になった。
「え、だって、ここにいてって言ったの、あなたじゃない」
リョウが目を丸くして答える。
レンブラントはそんなリョウの返事にはお構いなしで、上着を脱ぎながら大股でリョウの隣まで歩み寄ると、シャツの胸元を緩めながら勢いよく隣に座り。
「ちょっとでも目を離したら……グウィンを追いかけて行ってしまうのではないかと思って……気が気じゃなかったんです」
そう言うと、リョウの肩に腕を回してぐいと引き寄せる。
「あ……」
そういうことか。
ようやく彼の行動の意味がわかってリョウが小さく声を上げた。
……私、そんなにグウィンに着いて行きたそうにしていたかしら。
「やあね、そんなことするわけないじゃない」
リョウが笑って隣の夫の顔を覗き込み……そこで真顔になる。
なんとなれば、レンブラントは今にも泣き出すのではないかというような顔をしているので。
「……僕は、あいつほどあなたをまだ知らないのかもしれないし、あいつの方がよっぽど頼りになるのかもしれない。でも、リョウを思う気持ちは絶対あいつには負けない。例え……種族の違いがあるとしても、だ。僕はリョウがいないと……もう生きていけない」
「分かってる。私だってあなたがいないと生きていけないんだから。それに……私の夫はあなたなのよ?」
言い聞かせるようなリョウの言葉にレンブラントの必死な目が少しだけ和らいだ。
「でも……さっき、グウィンを追いかけて行こうとしたでしょう?」
う……。
リョウの視線がすいと逸らされた。
「あれは……その……多分、ちゃんと目を見てさよならを言いたかったんだと思う……」
「適当な事を言わないでください」
レンブラントがリョウの顎を片手で掴んで上を向かせる。
……しまった。お見通しか。
リョウは諦めたように頼りなく笑う。
自分でも実のところ、よく分かっていなかったのだ。
ついて行きそうになったのは、事実。引き止めてもらわなかったらそのまま着いて行っただろう……でもどこまで? 敷地の境目までだろうか。都市の出口までだろうか。東の森の入り口だろうか……?
でもきっと、そのどこかでグウィンはいつもの苦笑を浮かべながら「お前、どこまでついてくる気だ?」とか茶化してくるのではないかと思える。
そもそも、私がここを離れようとなんか思うわけがない。
「……だいたい、私がレンを置いてどこかに行く筈ないじゃない……んっ」
結論だけを言葉にしたところでリョウの唇が塞がれた。
逃げ場がない。
物理的にも……精神的にも。
必死な想いが伝わってくるので、リョウは観念して体の力を抜いた。
気がつけばリョウはソファに押し倒されていた。
どちらともなく深く息が吐かれて。
「……僕は今まで……こんなに何かに執着したことがなかったんです」
リョウに覆い被さったまま、レンブラントが情けない顔でそう呟いた。
「多くを望まなければがっかりすることはない……だから、自分が欲しいものをどこまで主張していいのかわからない……」
見下ろされながら聞くその言葉は、リョウの胸に雨のようにゆっくり染み込む。
それは……おそらく、子供の頃の彼に起きた出来事に起因するもの。
彼は、親を失ってこの都市に来た。そしてここでの暮らしはそう楽なものではなかった。
普通の子供が親に何かをねだるように、欲しいものを主張することなんかできなかったのだろう。
生きる場所を確保するために。
きっとそういう意味だ。
「初めは結婚してあなたを妻にしてしまえば満足できるのかと思った。でも違う。……あなたの心が変わらないように……あなたをこの家に閉じ込めて僕以外の誰とも接触できないようにしてしまおうかとさえ思ってしまう」
そう吐き出すレンブラントの瞳には羞恥の色が浮かぶ。
そしてリョウには、その言葉もその表情も……心地よいのだ。
そんなふうに感じてしまう自分はいかがなものかと思う。
でもやはり、そこまで自分に執着してくれる夫が愛おしくて仕方ない。
「……そう……してみる?」
肯定の返事をしてしまったのは出来心かもしれない。
この家に引きこもって、他の誰とも接触せず、仕事から帰ってくる彼だけを待ちわびる生活を一瞬脳裏に描いてみる。
それは果てしなく、甘美な、でもどこかに狂気の入り混じる日々だ。
でも、それもいいかもしれない。とも思えるほどに……目の前の彼の不安を払拭してあげたい気持ちが勝る。
ゆるい笑みを浮かべたリョウは、覆い被さってきているレンブラントの前髪に手を伸ばし、ゆっくりと梳いてみる。ブラウンの瞳に窓からの光が当たって一段明るくなり……眩しかったのか目が細められた。
「……本当にそんな事をしたらあなたは二度と笑わなくなってしまうでしょう?」
そう言って浮かべられる笑みは、自嘲のそれだ。
なのでリョウもそれに合わせて笑う。
おそらくそれは、狂気と正気の境目。
彼は自分の欲求の為に正気を手放すことはない。踏みとどまる人だ。そこにどんな痛みが伴っても。
それがはっきりしているから、この人を信頼できるのだ。とリョウは思う。
「あなたの過去の話を……ちゃんと聴きたいわ」
リョウがブラウンの瞳をまっすぐに見上げてそう囁くと、その瞳が一瞬大きく見開かれた。
レンブラントの視点で世の中を見たことがない。
それはリョウにとって踏み込んではいけない聖域のようで今まで自分から聞き出すことができずにいたことでもあった。
彼がそれを望んでいるのかどうかもわからない。
でもなんとなく、今なら聞いてもいいような気がした。
そして、レンブラントは。
「ちゃんと聴きたい」と言うリョウの言葉に一瞬息を呑んだ。
話してもいいのだろうか。
時折、夢に見るあの光景を……彼女に話しても大丈夫なのだろうか。
彼女自身、背負っているものは沢山あって、時々潰されそうにさえなっているから話すのは躊躇われていたのに……。
そんな思いを抱きつつも、そろりと身を引くとそれに合わせるように起き上がってくるリョウが、まるで自分から離れまいとそうしているように思えて内心嬉しくなり、改めてソファに座り直す。
隣にぴたりと寄り添ってくるリョウの体温が心地よく……つい確かめるように腰に手を回して力を込め。
そして。
忘れようとしても忘れられなかった記憶は、順を追って話そうとすると案外欠落しているところもあるように思えて、つい眉間にシワがより……自分の中の最も古い部類の記憶を引っ張り出す。
「風の民」と呼ばれる一族を自覚したのは物心ついた頃からだ。
どこにも定住せず各地を旅して回る、その生活様式から付けられた呼び名だと認識している。
元々、風の民は各地を回って芸を売る誇り高い一族だった。踊りや歌や音楽、細工品や染め物、薬の調合や特定の医術など、一流の腕を持つ者たちでなる一族は古代においてはその訪問が待ち侘びられていた。
でもレンブラントの子供時代。
その頃になるとそういう認識はもう廃れており、物好きな人たちや田舎の一部の村などの需要のある人たちが辛うじて彼らを利用する程度で、世間一般からは蔑まれる一族に変わり果てていた。
なぜなら。
敵の出没が日常茶飯事な時代に旅する都合上、安全を確保する為に用心棒としてレンジャーたちを雇うという習慣。
レンジャーと呼ばれるのはどこの都市や町にも属さない自分の腕だけを頼りに生計を立てる者たちだ。彼らの報酬は法外である事が多く時には女性が有無を言わさず奪われる事もあった。
そんな非道な習慣に加えて。
供物の習慣。
レンブラントにとっては物心つく頃から当たり前のように行われていたので特になんとも思っていないことではあったのだ。
今思えば怖い話だと思う。
定期的に何人かの子供達が集められて連れて行かれる。
子供が死んだと嘆く大人がいなかった事を考えると、それは親を亡くした子供達だったのだろう。
気付くと昨日まで一緒に遊んでいた友達がいなくなっている、ということは時々あった。
「敵」の出没が当たり前になっていた時代に、風の民の不安定な生活は危険だった。用心棒を雇っていても命を落とす人は定期的にいたのだ。
そんな中、次の土地に旅立つ前に行われる前夜祭では無事に旅ができるようにと供物が捧げられていた。
おそらく、怖がって逃げ回る子供たちに「敵」の気が逸らされている間に大人たちは移動する、という意味合いの「供物」だ。
そんな事を思い出しながら淡々と話すレンブラントがふと気づくと、隣のリョウが自分の膝の上にある手を上から握っており、その手に力が込められている。
ああ、声の調子があまりに淡々としていたからかえって心配させてしまっただろうか、と思い直し。
「大丈夫ですよ。この都市に来てから本当に身内と言えそうな人たちには話したことなんです。リョウにはちゃんと聞いてもらいたい」
そう言って彼女と目を合わせると、自分でもびっくりするくらい自然に笑みが浮かんだ。
ああ、この人に聞いてもらう、という行為には全く緊張が伴わないのだな、と自覚する。
そんな気持ちが伝わったのかリョウの表情からも緊張が消えて真剣な眼差しだけが残った。
レンブラントの意識は両親が死んだひと月後の記憶に戻る。
初めのひと月は親戚の間をたらい回しにされた。
そんな時代だからどの家族も裕福ではなく生活に余裕はない。親がいた頃は親切だった親族もどことなくよそよそしくなってどこにいても居心地が悪かった。
……あれは、もしかしたら親を亡くした子供の行く末を知っていたからかもしれない。
ふと、そんなことに思い至る。
変に愛着を持つと、供物にしにくくなる。だからあえて短期間ずつ、子供を生かしておくだけの最低限の世話だけをする。子供の方も、理由はともあれそんな空気は察するから大人に懐くようなこともない。
そして。
供物という目的は知らされないまま、旅立つ準備をしている大人たちの中から連れ出された。
一人ではなかったし、有無を言わさぬ雰囲気があったので、意見したり質問したりする事もなく他の子供について行っただけだった。
案の定、夜中に敵が現れた。
隣にいた男の子はあっという間に腕や足を無くして、血だらけになって悲鳴を上げ続けていた。最終的に頭を食いちぎられるまで声が途切れなかったから、最後まで意識はあったのだろう。
近くにいた女の子は逃げようとして走り出したがすぐに転んだ。そして悠々と追いかけてくる敵に真っ先に精神を喰われた。そして、叫びながら自分の喉を搔き裂いて死んだ。
それを間近で見ていたせいか、そこからの記憶がない。
おそらく、気を失ったのだろうと思う。
次に気が付いた時はこの都市で、当事騎士隊隊長だったグリフィスの部屋にいた、と記憶している。
そこまで話した時。
「レン……」
ふと自分の名前が呼ばれて我に返ると、隣のリョウが見開いた目に恐怖の色を浮かべてこちらを凝視していることに気付く。
ああしまった、怖がらせてしまっただろうか、と改めて自分の口元に笑みを作ると、頬の強張りが再認識される。
「大丈夫ですよ。もう過去の話です。……それに今までたくさんの人たちがそういう怖い経験をしてきた時代だったんです。別に僕だけ特別だったわけじゃない」
「でも……! 守ってくれるべき大人に守られずに意図的に放り出されるなんていうのは普通じゃないわ!」
安心させる為に言った言葉に食い下がるリョウの目に浮かんでいるのは、怒りの感情だ。おそらく当時の僕の周りにいた大人への。
彼女は他人のことになると本当に捨て身の優しさを表す。
そう思うと、ふ、と。本当に、ふっと自然な笑みがわく。
彼女自身、そういう理不尽な扱いを受けたじゃないか。殺されそうなほどの仕打ちを……死なないのをいいことに何度も受けた。しかも僕のように仕方なく、ではない。あえての敵意を向けられたのだ。
それは夜毎飲み交わしたグウィンからの情報でもあった。
それも断片的な。
「詳しいことは本人から聞け」と、彼は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
それはつまり、リョウは、余程でなければその事は話せないであろうという意味だと思った。話さないのではない。話せない、のだ。
……彼女は、そのくらいの経験をしてきている。
なのに、自分のことはさておき、他者に対してここまで本気になるなんて。
そう思うと今まで過去に囚われて凍りついていた自分の心がゆるゆると溶け出すのを感じる。
ふわりと温かくなる胸の奥に直結するのは……目の前の愛おしい、人。
「それでもね、この都市でたくましく生きていくように鍛えられたのはそんな経験を乗り越えたおかげ、みたいなものなんですよ」
温かい視線を向けながら話すせいか声の調子もかなり和らぐ。
つられるようにリョウの体からも力が抜けたようで肩が下がって、目元がふにゃりと和らいだ。
都市に移ってすぐ、身元がバレてしまって同年代の子供だけではなく大人からも嫌な目で見られるようになったのを思い出す。
それ自体はそう大変なことではなかった。
グリフィスが父親のように自分を受け入れてくれていたので。
三級騎士にパスしてからは上級生からの本格的ないじめの標的にされて、稽古という名目で怪我ばかりしていたのも……まぁさほど気にすることでもなかった。
「……そういえばアルには散々世話になりましたね……」
「え? アル?」
「ああ、怪我が絶えなかったのと、食べ物に変なものを混ぜられることがあったのでその治療です。今思えばあらゆる治療を試せるせいか、アルはいつも楽しそうに僕にかまってきてました」
「……」
最後のリョウの沈黙はもはや失笑、に近いものだった。
そんな彼女の反応を眺めると、気分が凪ぐ。
そもそも、この都市での思い出はそう辛いものばかりではないのだ。
いじめられたこと自体は決して楽しくはないが理由が分かっているので、理不尽だと感じたことはなかったような気もする。
ただ、風の民出身だと分かった瞬間に向けられるあの視線だけは慣れない。
隊員たちからそういう目で見られると隊の統括が取れなくなるから苦労したものだ。
クリスやハヤトは、銀の矢の射手になる為に個人的に特訓していた頃から仲良くしていたから隊長になってからも色々気遣ってくれた。特にハヤトは何もなかったような顔をして手回ししてくれるありがたい存在だったし……クリスは……そうだな、あいつはすぐムキになるから宥めるのが大変だったが……それもまた楽しかった。
気分が凪いだところでしたそんな話に、リョウが楽しそうにくすりと笑みをこぼした。
「そう言えばリョウは最初に僕が風の民出身だという話をした時にあの目はしなかったんですよね。あれには少し驚いたのを覚えています。……思えばあの時からあなたのことが気になり始めたのかもしれない」
ふと出会った頃のことを思い出して口にする。
自分の出身を話す時にはいつも身構える癖がついていたのに、あの時は肩透かしを食らったような気分になったのを覚えている。
と。
「ああ、うん。そうね……だって私、昔の風の民を知ってたし。本来風の民は誇り高い旅する民よ。持っている技術も美しいものばかりで……子供の頃祭りに行った事もあったけど、みんな憧れていたと思うし……」
何を当たり前のことを。
そんな口ぶりにレンブラントの方が閉口する。
そして。
ああそうか。
自分の家系を恥じる必要はないのか。
と、気付かされる。
「それに……」
リョウはレンブラントの反応にはお構いなしで言葉を続ける。
今度は若干頬を染めながら。
「今の彼らの在り方も知っているけど、そんな背景で、こんな大きな都市で、しかも隊長をしているなんて……本当にびっくりしたの。凄い人だなって、思ったわ……」
ふと、お互いの視線が絡み合った。
小さな沈黙は心地良くて。
この都市で生きながらえたこと自体が、自分にとっての最高の幸運だったと思っていた。
自分の命の恩人であるグリフィスの役に立つことこそが自分の生きる意味だと思っていた。
だから隊長をしていたグリフィスがいずれ都市の司になって全てを合理化すると言ったときもそれを助けるつもりだったし、実際に司となった彼の役に立つならばと騎士隊を率いる立場になる事もやぶさかではなかった。例え出身ゆえに、目立つ事が自分にとって気分の良いことではなくても。
でも今は。
生きる意味が変わった。
彼女を、失いたくない。
両親が死んだ時その場に居合わせる事ができなかったせいか、ちょっと目を離した隙に大切な人がいなくなるという現象が怖かった。
この都市に来て、自分の居場所を確保する為には自分を主張してはいけなかった。大事なものを大切に扱うなんていう当たり前の行動は誰かの敵意にさらされたときに弱点になる。
だから何も大切にしない。何にも執着しない。
そんな生き方が身についてしまったせいか、失いたくない存在を見つけてからもそれを主張したらいつ失うかわからない、目を離したらいつ失うかわからない、という恐怖が心のどこかにあった気がする。
だから、リョウを失いたくないという気持ちは行き場を失うのだ。
レンブラントの話は時々ぞっとするような光景をリョウの脳裏に思い描かせ、そんな状況を一人で乗り越えた彼の少年期や青年期思うとリョウの胸は痛み、そして……理解した。
先ほどの「多くを望まなければがっかりすることはない。だから、自分が欲しいものをどこまで主張していいのかわからない」ゆえに「こんなに何かに執着した事がない」という言葉にどんな背景があったのか。
そう思うと、かけてあげられる言葉を探そうにも思いつく言葉はどれも薄っぺらいように思えて、喉まで出かかった言葉は声にはならずに細い息になって消え……仕方がないのでリョウは彼の頬に向かってそっと手を伸ばす。と。
レンブラントの方からリョウの方に身を委ねてくるので、伸ばした手は癖のある髪へと回り……最終的に胸元に頭を抱き寄せるような格好になった。
いつかこの人は私を置いて逝ってしまう。
そんなことは知っているけれど。
それでも。
その、ずっと先の自分を思って自己憐憫に陥っている場合じゃない。
この人を安心させてあげられるような存在になりたい、と思う。
もっと……強くならなければ。