グウィンの看病
なんとなく、神妙な面持ちでリョウが客室の前に立つ。
手にはパン粥のトレイ。
……もし、ちょうど眠ったところとかだったら起こしちゃ悪いわよ、ね。
なんとなく、ハンナに任せる気にはなれなかった。とはいえ、いつもの調子で遠慮もなくドアを開けて入って行くのもどうかと思えて。
……コンコン。
控えめにドアをノックしてみる。
うん。起きていれば返事があるだろうし寝ていたら気付かないはず。
そんな程度の小さなノック。
「……ああ、どうぞ」
中からちょっと改まった声がして「ああ、起きていた」という安堵と共に「そうか、まだドアの外に誰がいるのか気配で察するほどの竜族の健康状態に回復していないのか」という当たり前といえば当たり前の現実に喪失感を感じながらそっとドアを開ける。
「起きてたの?」
リョウがそっと声をかけながら中に入ってドアを閉める。
「……ああ、リョウか。さっき起きたところだ。……なんだ湿っぽい顔して」
ベッドの中でこちらに顔を向けたグウィンがニヤリと笑う。
「……別に。パン粥作ったけど食べられそう?」
心配していたのが伝わってしまうのも申し訳なくて、はぐらかすようにちょっと明るめに声のトーンを上げてベッドに歩み寄る。
「ああ、ありがとな。……なんか食べないと力がつかないだろうな」
後半のセリフは心持ち小さかった。
……恐らくそれが本音。つまり、本当のところ食欲はない、ということなんだろうな。
そんな風に思えるのでリョウがサイドテーブルにパン粥の皿を起き、食べさせる決意を固める。
「起きれる?」
そもそも起き上がる力があるだろうか?と思えるので確認すると「当たり前だ」と短く答えたグウィンが体を起こすので枕の位置を変えてもたれ掛かれるように整える。
それでも眉間にしわを寄せて息を詰めるところを見るとその動きも辛いらしい事がわかってリョウも思わず眉間にしわを寄せてしまう。
言葉にしたら「心配するな」の一言で片付けられるのは目に見えているのであえて言葉には出さず、そっとパン粥の皿を差し出しながら。
「食べられそう?」
とだけ聞いてみる。
グウィンの膝の上にトレイに乗せたまま皿を置いてスプーンを手渡す。
リョウがふと目を上げると窓際でレジーナがこちらをじっと見ている。
腰の高さの位置にある窓の窓枠には人が軽く腰かけられるくらいの厚みがあるのでそこに落ち着いたらしい。
「ああ、レジーナがさっきから外に出たがってるんだ。窓を開けてやってくれ」
グウィンがリョウの視線に気がついて告げる。
「え、もう出ていっちゃうの?」
「ああ、俺の無事が分かったから満足なんだろ? ……まぁ、この分だとニゲルも心配してそうだからな。厩舎を壊す前にレジーナが伝えに行ってくれれば安心だ」
くすくす笑いながらグウィンが言葉を続け、レジーナが催促するように羽を震わせる。
なのでリョウもちょっと納得して窓に歩み寄り「今開けるわね」と声をかけて窓を開ける。
で。
「あれ? グウィン、ニゲルを厩舎に入れてるの?」
眉を寄せて振り返る。
「え? あ、ああ。立場上、馬を連れていないと不自然だって言われたからな」
グウィンのなんでもないことのような返事に。
「それじゃない! 竜族だって疑われたの! あんな目立つ馬、厩舎に入れたりしたら『風の竜』が乗っていた馬だって疑われるわよ!」
リョウが思わず叫んだ。
都市の外で戦った時、距離は置いていたとはいえ私たちの戦いは都市の軍の目の前で繰り広げられた。その後、グウィンはニゲルに乗ったまま都市に入ったはずだ。あんな大きくて美しい馬は人目につくだろう。厩舎には世話係が定期的に当番制で入る筈。ニゲルが馬に興味のある者の話題に上らない訳が無い。
「ああ……そう言えば……そうだったな。……まぁ、ああいう馬は探せば他にもいるだろうからそこまで気にしてはいなかったが……そこから疑いのタネを撒かれたという可能性もあるか……。ま、今回のことで俺は人間だっていう評判は固まった筈だからもう大丈夫だとは思うが……」
グウィンがそう言って軽い笑いを浮かべる。
なので、リョウもちょっと安心してほっと息を吐き、レジーナが出て行った後の窓を閉めて「それなら良いけど……」なんて呟いた矢先。
カラン。
という何かが落ちる音がしてリョウがグウィンの方に振り返る。
「グウィン?」
見ると、グウィンがスプーンをトレイの上に落として眉をしかめている。
「あ、ああ。大丈夫だ。……ちょっと手が滑った」
無理矢理笑ったような顔でこちらを見上げるグウィンにリョウが慌てて駆け寄る。
「もう! スプーン持つ力もないんじゃない! 食べさせてあげるから貸しなさい!」
「……いいのか? こんな事までしてて」
リョウの気迫に観念したグウィンが決まり悪そうにパン粥を一口ずつ口に運んでもらいながらむすっとした口調で聞いてくる。
「え? 何が? ……ほら、あーん」
何も私の前で強がる事は無いじゃない! と思うので、リョウはちょっとばかり怒ってみせている。
「いや……レンブラントが嫉妬に狂うんじゃないかと」
「そんなことありません。はい、あーん」
口に入れられたものを飲み込んで言葉を続けようとするグウィンにそれを遮るように次の一口を容赦なくねじ込みながらリョウが答える。
「だいたい、あなたのことはちゃんと見ててくれって頼まれてるんだから」
口に物が入っている時には絶対にグウィンが喋ったりしないのをリョウは知っている。そういう食事のマナーは何気にちゃんと守る人なのだ。なので飲み込む前にレンブラントに言われたことをそのまま告げる。
「……そう、なのか?」
「はい、あーん」
で、次の一口も強制的にねじ込む。とにかく食べさせないと体力がつかない。そう思えて。
竜族であれば内にあるエネルギーが常に体力の源となる。でも、それをわざわざ枯渇させるような薬を摂取してきたのだ。人間の生命力は常に体の外から取り入れるものに依存している。今のグウィンはそれと同じ状態なのだ。
「そうよ。レンだってあなたのこと本気で心配してるの。だからちゃんと食べて、それからちゃんと休んで、元気になってもらわなきゃ困るわ」
リョウの声がちょっとだけ震えた。
ああ、言葉を重ね続けると気持ちが高ぶって涙が出そうになる。
そんなことを自覚してリョウが言葉を切り、無言で次の一口を差し出す。
グウィンももう何も言わず、黙って差し出されるものを食べることに専念し始めたようだ。
「……グウィン、寒くない?」
暖炉の火は、太陽が高くなってきた頃から消えている。
温暖なこの地方では、日中まで暖をとる必要があるほどに気温が下がることはない。一般的に言っても暖炉を使うのは夜かせいぜい明け方だ。
先程レジーナのために窓を開けた時も外の空気は特に冷たくもなかった。
「ああ、大丈夫だ」
特に気を遣う風もなく答えるグウィンの様子を見る限り、寒そうでもない。
でも一応、ベッドの中に潜り込んでいるグウィンに掛け布をかけ直して。
「……ちょっと、部屋の窓、開けるわよ」
リョウが先程から気になっていたことがあった。
例の薬の匂い。
リョウにとってそれほど嫌な匂いじゃないので気にならないと言えばならないのだが、だいぶ部屋に染み付いている、ような気がするのだ。
最近ずっと読んでいた文献の影響で薬の使い方にも色々な種類があることを学んだ。
煎じて飲むものや粉にして飲むものなど、薬の代名詞的な使い方をする物の他に、揮発させたものを吸引させて使うなんていう薬もあった。
以前行った香水の店で店主とした雑談の中で、香油を嗅ぐことでリラックス効果が得られるというのは気持ちの問題だけではなくて実際に血管を広げて血流を良くするなんていうきちんと根拠のある薬効なのだ、なんて話も聞いたくらいだ。
で。
この部屋の匂い。
もしかしたら、直接口から摂取していないとしても、わずかなものだとしてもグウィンの体に影響を与えていないだろうか。と思えてしまうので。
まず、部屋にあるいくつかの窓を片っ端から開ける作業に取り掛かる。
で、カーテンもこの際、一旦外す。
うん。布って匂いがつくものね。
外しながら確実にカーテンからも例の匂いがわずかにするのを確認しながらたたんで行き、部屋のドアも開けて風を通す。ついでにたたんだカーテンも部屋の外に出す。……これは結構かさばるからあとで改めて回収しよう。
「……うーん……」
リョウが目を丸くしているグウィンの方を振り返って軽く唸る。
ベッドのシーツや掛け布も変えてしまいたい。
「……あ、待て。これは、今んとこ大丈夫だ!」
どうやら何かを察したらしいグウィンが掛け布を抱きしめるように丸まりながら小さく悲鳴に似た声をあげた。
「……引っぺがしてやりたい」
リョウがわざとらしくニヤリと笑いながら近付くとグウィンの目つきが意外に本気になった。どうやら掛け布は死守する気らしい。
なので。
「問題はむしろこっちね」
わざとベッドすれすれまで近付いてからサイドテーブルの引き出しに手をかける。
中には相変わらずの薬の包み。
匂いの元凶を処分しなければ空気を入れ替えたって同じことだもの。
「ああ……それな。処分していいぞ」
ちょっと落ち着きを取り戻した声でグウィンが告げる。
「うん。……あ、ねぇ」
一つ取り上げてリョウが呟くように声をかける。
竜族の体を人間並みに劣化させる「薬」。なんとなく、気になってはいた。
これ、私が飲んだら……レンと同じ程度の寿命の命になれるんだろうか。なんて思いついてしまったので。
「お前が飲んでも効かないぞ」
不意にちょっと改まった声がしてリョウが顔を上げる。
「それ、オーダーメイドなんだ。竜族とはいえ体力にも体質にも個人差があるだろ。力の属性も違う。俺にしか効かない調合だから……お前が飲んでも効かないぞ」
考えていたことを見透かされたような気がしてリョウが言葉を失った。
そのかわり、ゆっくり振り向いてグウィンの目を見る。
と、グウィンが優しく微笑んだ。
「お前な、考えてることが丸わかりなんだ。それ……他の奴が悲しむからやめとけ」
「ずるい。自分はやったくせに」
「馬鹿。一時的なもんだからやったまでだ」
リョウが拗ねたような声を出すと、グウィンが呆れたように返してくる。それから「それに」と付け加えて。
「お前には『いい匂い』だったんだろ? 俺には嫌な臭いでしかなかった。嫌な臭いってことは体に合わない毒ってことらしい。いい匂いに思えるという時点で毒にはならん」
「え……そうなの?」
リョウが眉をしかめる。
ものすごくいい匂い、とはさすがに思わなかったけど、確かに嫌な臭いではなかった。
でも、嫌な臭いだと思うものを飲み続けるのってかなり辛かったんじゃないだろうか。
「……お前が『いい匂い』って言ってくれただろ? あのおかげで飲み続けられたようなもんだ」
ふっと笑みをこぼしながらグウィンが告げる。
「……なにそれ」
リョウが神妙な面持ちで尋ねる。
一回や二回じゃなくて毎日だ。生理的に好きになれないものをなんだってそこまで続けられたんだ……! と思えてしまって。
「まぁ、あれだ……お前がいいって言うもんだと思うと、なんとなくその気になれるってこと、だな」
少々歯切れの悪そうな言い方をされて、リョウが「は?」と聞き返すとグウィンは「知るか!」と言い放ってベッドの中でこちらに背中を向けてしまう。
うーん……。
よくわからないけど、なんか以前も食事してるだけで喜ばれたような気がする。
向こうを向いてしまったグウィンの耳が赤いのでなんとなくそれ以上声をかけるのはやめよう、と思いつつリョウが静かにサイドテーブルに置いていたトレイに手をかける。
「……じゃあ、またお昼くらいにくるわね。ちゃんと休んでね……おやすみなさい」
そう言ってからリョウは持ってきたトレイの空になった皿の脇に、引き出しの中に残っていた薬の包みを全部乗せて立ち上がった。




