レジーナ
「……?」
あれ? なんだろう?
リョウがふと目を覚ました。
ほんの少し明るい部屋はいつも起き出す時刻、日が昇り始める前の空が白んでくる頃であることを示している。
それはいいとして。
今、なにかの気配がした、と思った。
感覚を研ぎすまそうと、じっと動かずに集中してみる。
あ、外、だ。
窓の外。
「……レジーナ……?」
人の気配ではない何かの気配は、知らないものではなく、よくよく考えたらレジーナのものと思われた。
思わず小さな声で呟いてしまってから自分の上にかぶさっているレンブラントの腕をどけようとそっと身じろぎする。
起こしてしまうのは申し訳ないと思って。
「……あれ……?」
つい小さく声が出た。
レンブラントの腕が、外れない。
もっと言えば足まで絡みついていて……抜けられない。
……レン……起きてるわけじゃないよね?
そう思えるくらいしっかり抱きかかえられている……というか抱きつかれているので思わず顔を覗き込むのだが、やはりレンブラントは眠っているようで。
「えーと……」
ちょっと考えてから、もう少し力を入れて腕を外そうと試みる。
と。
「……リョウ? ダメです……行かないで」
寝ぼけた声ではありながらもどこか必死な口調でレンブラントが声をあげた。
「えー、だって……レジーナが」
絶対、寝ぼけてる。と思うので、リョウがわざと不服そうな声で訴える。
「……え? レジーナ?」
ほらね。わけがわからないって顔して目を覚ました。
そう思いながらリョウがくすくす笑いだし。
「そ。レジーナ。……窓の外でさっきから落ち着かない様子なのよ。多分、グウィンの気配を察して昨夜からグウィンの部屋の外に張り付いていたんじゃないかな。……中に入れるから離して?」
「……え? 離すって何を?」
レンブラントがまだぼんやりしたまま呟く。
うーん、話についてこられてない、みたいね。ちゃんと寝てないのかな……?
なんて思いつつ。
「だーかーらー! 私を離してって言ってるの! これじゃ窓まで行けないでしょ? 腕と足、どけて?」
そう言いながらリョウがレンブラントから身を離そうとレンブラントの胸に当てた手に力を入れる。
「え? あ、ああ……すみません。そういうことか……え? レジーナ?」
ようやく意味が通じたらしいところでリョウが笑いながらレンブラントの唇に軽くキスをして起き上がり、ベッドを抜けて窓に歩み寄る。
考えてみたら、レジーナは私やグウィンの気持ちの動きに敏感だ。
昨夜からきっと一階の客室の外あたりをうろついていたかもしれない。きっと私もグウィンも気付いてあげられる余裕はなかった。
そもそも、人間並みに体力を落とした彼の体を思えばレジーナを入れたところでいつでも出ていけるように窓を開けっ放しにしておくなんてことは出来ないだろうから仕方がないことではあるのだ。
現に昨夜はグウィンの部屋の暖炉には火を入れてあったし、室温を保つためにはそのまま今朝まで火が絶えないようにコーネリアスかハンナが様子を見てくれていると思われる。
「はい、レジーナ。おはよう」
窓を開けるなりためらうこともなく中に入ってきてすぐそばのソファの背もたれに止まったレジーナは……なんとなく不服そうな雰囲気で、リョウが小さく肩をすくめた。
「ごめんね。昨夜は心配だったのよね? グウィンの部屋、入れてあげるわけにいかなかったのよ。多分、もう大丈夫だとは思うから一緒に行こうね」
リョウがそう言いながら羽織った大きめのショールを巻きつけた腕を差し出すとレジーナがそちらに飛び移ろうと身構える。
「っ! リョウ、ちょっと待ちなさい!」
そこにすかさずレンブラントが声を上げるので、リョウが振り向き、そのせいで腕が下ろされたのでレジーナが軽くつんのめる。
「その格好でグウィンの部屋に行く気ですか?」
ベッドを出たレンブラントがガウンを羽織りながら思いっきりしかめっ面でこちらに歩み寄る。ので。
「え……、だって、レジーナが早く行きたいって。それにショール羽織ってるから寒そうじゃないでしょ?」
リョウがきょとんとして答えると、レンブラントが片手で顔を覆って脱力した。
「ダメです! そんな格好で部屋から出ちゃ! ちゃんと着替えてからにしてください!」
「……むー。別に長居する気はないんだけどな。レジーナを入れてあげるだけでいいのに……」
「絶対ダメです!」
そんなやりとりをレジーナは首を傾げながらおとなしく見守っている。
「そんなわけで、レジーナ連れてきたわよ」
レンブラントに言われ通り、きちんと着替えたリョウは、レジーナを腕に止まらせる必要上袖の部分に刺繍が入っていて地厚になっているワンピースにさらに大判のショールを羽織って腕に巻きつけた状態でレジーナを連れてグウィンの部屋に来ていた。
髪にはレンブラントに貰った髪留め。
これをつけるとレンブラントの機嫌が良くなるのでこの際これは欠かせない、というリョウの計算。
グウィンの部屋の前まで来たらちょうどコーネリアスが暖炉の火を調整したところらしく部屋から出て来たのでそのタイミングでリョウたちは部屋に入った。
「……ああ、悪いな、レジーナ。心配かけて悪かった、ありがとな」
ベッドの上に身を起こしたグウィンのおろした手の上に器用に止まるレジーナは、心なしか嬉しそうに見える。
リョウはベッドの脇に置いたままになっていた椅子に座って、グウィンの方に身を乗り出すような姿勢。
なるべく近くで顔を見ていたいという思いから、なのだろう。
「で、お前まで見舞いか?」
グウィンが意味ありげな笑いを浮かべて見上げる視線の先には。
「……別に心配はしていませんよ。リョウに変なことをしないか見張りに来ただけです」
憮然とした様子のレンブラント。
リョウが着替え始めるのを見届けて、ものすごいスピードで身支度をしたレンブラントはリョウに張り付くように下階に降りて来た。
「するか馬鹿。……そもそもまだ身動きも取れん」
そういえば。
二人のやりとりを見ながらリョウが眉をしかめる。
グウィンがこんな近くに寄って来ているレジーナを撫でもしないなんて珍しい。
腕を上げるのも辛い、ということなんだろう。
「グウィン、夜はちゃんと眠れたの? 食事は出来そう? 食べられそうなもの作って持ってくるけど」
リョウが心配そうに声をかける。
「……あ、ああ。そうだな。……少しゆっくり休ませてくれ。食事は後でいい」
「……寝てない……んですか?」
グウィンの返事にすかさずレンブラントが口を挟む。
珍しく本気で心配げな声なのでリョウがさらに眉をしかめてグウィンの顔を覗き込んだ。
「あ、いや。大丈夫だ。……こんな早くから食事をしようなんて気にならないだけだ。それに……お前たちの邪魔するわけにもいかないだろ?」
そう言うとグウィンがニヤリと笑ってリョウの頭に手を伸ばし、そっと撫でる。
……絶対無理してる!
と思えてしまうのでリョウはさっさと引き上げることにして椅子から立ち上がった。
「……ええ、グウィン様、おそらく一晩中眠れずにおられたと思いますよ」
食事の支度をしながらリョウがそれとなくハンナに訊くと、ハンナも心配そうに教えてくれた。
昨夜、帰り際のアルフォンスはグウィンが口にした毒の対処法について「医者にできることは概ね終わったのであとは本人の回復力を信じるしかない」と、かなり深刻な様子で告げていったそうだ。
そうは言っても、竜族の体。例の薬を飲むことをやめている以上これ以上は悪くならないであろうことはリョウには理解できる。
だから心配の程度は「現時点」でのグウィンの容体だ。
「……とりあえず、パン粥、かな」
「そうですわね」
幸い……と言っていいのか昨夜、作り過ぎたパンは沢山ある。
グウィンには後でパン粥を作って持って行くこととなり。
やはり、朝食用にハンナが用意してくれていたパン生地は、焼きたてパンとして食卓に出されるべくオーブンからいい香りを広げている。
根菜を色々煮込んだスープとサラダ、薄切りにして軽く焼いた塩漬けの肉と目玉焼きをささっと仕上げて、隣の部屋に運び始める。
「あれ? そういえば……レン、今日仕事なの?」
リョウが朝食の席について一緒に食事を始めたレンブラントに声をかけた。
グウィンの部屋に行くにあたって着替えたレンブラントは騎士服を着ている。
今日は週末。本来なら仕事は休みのはずだった。
「ええ……まぁ、あんなことがありましたからね。恐らく上への報告やグウィンの容体の説明、それに関わった人間の処分に関わる判断の材料提出なんかで今日は一日振り回されると思いますよ。帰りはいつになるかちょっと分からないですね……」
「あ、なるほど……」
スプーンを持つリョウの手が止まった。
「なるべく早く帰って来ますけど……リョウ」
「え?」
改まったようにレンブラントが姿勢を正すのでリョウが思わず顔を上げる。
「グウィンのこと、見ててやってくださいね」
神妙な面持ちで告げられてリョウが驚く。
まさかそういうことを面と向かって言われると思わなかった。むしろ「グウィンの部屋には近づかなくていいです」くらいの事を言われるんじゃないかと思ったくらいだ。
「いや……あんなに弱っているとは思わなかったんですよ。あいつ、あの様子だと昨夜はちゃんと寝られてすらいない感じですよね。盛られた毒の種類を聞いていないんですが……本当に殺す気で入れられた毒だったのかも知れない。人間だったら『竜族だと思っての手違いだ』みたいな理由をこじつけて亡き者にする、傷つけることが出来なければ『竜族を引き入れるとは何事だ』なんていう言いがかりをつけて失墜させる……どっちに転んでもあいつを都市から追い出してその後釜に別の者を据える……なんていう企みも可能性としては考えられるんです。……毒の種類についてはもちろん後でアルに確認をとりますが……」
ちょっと暗い顔でそんな言葉を続けるレンブラントにリョウが眉をしかめて。
「うん……分かった。しばらくはグウィンの周りには警戒したほうがいいの、かな?」
そういう人たちが周りにいると考えると、守護者の館まで何かの理由をつけて乗り込んで来ないとも限らない気がする。
「……そうですね。まぁ、ここにいる限りは安心だろうとは思っていますけど……だいたいリョウがどういう力を持っているか知らない者はいないんですから、ここにその手の明確な意図を持って乗り込んでくるというのは無謀すぎです。それでも……そうですね、一応注意しておいてくださいね」
レンブラントの言葉は重い。
今やここ守護者の館はそういう位置付けなんだ……。グウィンが自分の意思でここを出るとか何者かが誘き出す、とかしなければ公に彼をしっかり守ってあげられる、ということなのだろう。
そんな事を思うとちょっとした責任感に背筋が伸びる気がした。
「ああ、でもリョウが無理することはないんですよ」
レンブラントが思い直したようにふっと柔らかい笑顔になった。
なので反射的にリョウの肩の力が少し抜ける。
「うん。ありがと。……ふふ」
そして思わず、小さく笑ってしまう。
こんな時でもちゃんと私のことを気遣ってくれるんだ、なんて思ったらなんだかくすぐったい。
だってグウィンは深刻な容態で、そのグウィンのために気を引き締めていかなきゃいけないという時に、元気この上ない私を気遣うって……!
本当に甘やかされている、と思う。……そしてそれを心地いいとさえ、心のどこかで感じているのだ。
食事を再開しながら、あんな事があった後だというのになんだか妙に落ち着いた心持ちでいられるのは、やっぱりそばにいてくれるこの人が最愛の信頼している人だからなのだろう、とリョウは思ってしまう。




