敵か味方か
久しぶりに三人だけで食卓を囲んだ。
三人。つまり、ハンナとコーネリアスと、リョウ。
ハンナはご丁寧にも「仕事でもないのに奥様をお一人になさるなんて!」と口を尖らせて不満を漏らし、コーネリアスが上手く宥めた。……そのコーネリアスが口許を不自然に歪めていたのをリョウは見逃さなかったが、最近コーネリアスのそういう表情が見られるのが楽しくなりつつもある。
「リョウ様、あとはわたくしがやりますよ」
台所の片付けを手伝っているリョウにハンナが声をかける。
「あ……うん、ありがとう。でも今日はレンもいないし、たまには手伝うわよ? ハンナこそたまには休んだらいいじゃない」
リョウが笑顔で答えると、「先に休むなんてとんでもない!」とハンナが首を振り、リョウは改めて笑顔を作った。
……なんとなく、落ち着かない。
そんな気がしていたので、誰かと何かをやっていた方が気がまぎれる。と思ったのだ。
落ち着かないのは……きっと、いつもと違うレンの行動パターンのせいかもしれない。仕事でもないのに出かける、という。それに、グウィンの様子が気になっていたところでもあったから。
「……ねえ、ハンナ。このパンって……」
台所の隅に焼きっぱなしのパンがいくつか放置されているのに気がついてリョウが尋ねる。
「あ……ら。見つかってしまいましたわね」
ハンナがちょっと決まり悪そうに目を泳がせた。
「実は、今日の夕食に……うっかり少し作りすぎてしまいまして。明日、パンプディングにでもしようかと思っておりますのよ」
「え、珍しいわね……って、あれ? もしかしてあの二人、夕食いらないってちゃんと言って行かなかったの?」
リョウが眉を寄せてハンナに目をやる。
「ああ、いえ。教えていただきました。……ただその前に……早めにわたくしがパンの用意だけしておりましたので」
ハンナが決まり悪そうに答えてくれるのだが……これは、知らせるのが結構ギリギリだったってことなんだろうな。なんてリョウが思う。
だいたい、食事の仕込みなんて結構前から始めているものだ。
私だって昨夜聞いたばかりだったけど、あの話の流れにならなかったら夕食の場になって初めて知る、くらいだったんだと思う。
……きっと、出かける直前とかに「そういえば今日は……」みたいな感じで言われたんだろうな。
「もう……! ほんっとに男の人ってこういう事情がわかってないわよね! 予定がわかってるんだったらもっと前もって言ってくれなきゃ困るわよねぇ!」
リョウがため息をつきながら手を腰に当てる。
「大丈夫でございますよ、このくらい。パンはいくらでもどうにでもなりますから」
ハンナがくすくすと笑いだした。
……そうは言いながらも、ハンナのことだ。明日の朝用はこれとは別にちゃんと焼きたてのパンが食べられるように用意するのだろう、なんてことは予想がつく。
明日は仕事は休みだから……パンプディングにすると言ってもそう沢山はいらないだろうし。
そんなことを考えている矢先。
「奥様!」
台所の入り口からコーネリアスが駆け込んで来た。
「え? ……何? どうしたの?」
普段、何があっても穏やかな物腰のコーネリアスのこの様子は、珍しい。
珍しいというより、確実に何かの緊急事態だ。
咄嗟にそう判断したリョウが顔色を変えてコーネリアスの方に駆け寄る。
「グウィン様が……運ばれてまいりました」
廊下の方に目をやりながらコーネリアスがそう告げる。
「え? 運ばれるって……どういうこと?」
リョウの背筋に一瞬、悪寒が走る。
と同時に、リョウはコーネリアスを押しのけるようにして台所から飛び出す。
今日の食事会は穏やかな内容のものではない。
それは知っている。
でも、グウィンは竜族だ。だから、何があってもグウィン自身に危険が及ぶという考えはなかった。でも。
はたと、彼が自分の身分を隠している身であることに思い当たる。
例えば私がセイジに捕らえられた時、最終的には「力」を使って結界だの炎だのを出したから事無きを得た。
でも、そういう力を使わない、もしくは使っちゃいけない状況だったら。
ふと、嫌な光景を思い出した。
昔、クロードが人々の攻撃にさらされて命を落とした光景。
彼も、本気で戦えばその程度でやられる筈のない剣の腕を持つ人だった。でも、私が感情に動かされてあの剣を握ることがないように、そういう事態に発展させないように、敢えて、剣を取らずに命を落とすことを「選んだ」のだ。
あの場で、クロードがもし本気を出して人々と戦うことを選んでいたら、そして、クロード自身は基本平和主義だったから単に人々を無力化する目的で戦うに決まっているのだが、私がその場に戻ってきてその状況を目にしたら、確実にクロードに必死で加勢してしまっただろうから。
そして私の剣はその私の心に確実に応えただろうから。
だから彼は、大勢の死を回避するために、私が戻って来る前に全てに片をつけるべく、自らの命を差し出した。
人は、そういう風に自分の力を、使える筈の場面で使わないという選択をすることがある。
それは守りたいものがある者なら竜族だって同じこと。
グウィンなら、この度の大義名分のためならそういうことをやりかねない。
そんな気がした。
だって、古き友であるグリフィスから頼まれての仕事。
そして、自らの意思も交えて結んだ条約にも関わる仕事。
それを成功させることを、彼は願う筈だから。
「グウィンが運ばれたって、どういうことっ?」
叫ぶと同時にリョウが客室のドアを勢いよく開ける。
と同時に、目の前の光景に思わず体が動かなくなった。
部屋の中ほどにあるソファには三人の男。
手前の二人はこちら側に背中を向けたレンブラントとアイザックだ。
その二人に介抱されている、といった感じでグウィンがソファに深く座り……ひどく苦しそうに前かがみになって俯いている。
そして、グウィンの服の前面は……血がべったりついて、いる。
「……リョウ!」
勢いよく開けたドアに反射的に振り向いたと思われるレンブラントがまず声を上げてリョウに駆け寄る。
その勢いと表情にリョウは咄嗟に幾つかの判断をして差し出されたレンブラントの手を逃れるように身を交わした。
いくつかの判断。
つまり、駆け寄るレンブラントの意図は、おそらく自分を退室させること。少なくともグウィンから遠ざけようとしているのであろうということ。
そして、レンブラントがそうしようとするくらいだから、グウィンの状況は、ただ事じゃない。ということは、あの服についた血は、たまたま近くにいた「誰か」のものではない、グウィン本人のもの、ということなのだろう。
「待ちなさい、リョウ!」
伸ばした腕が宙を掻くと同時にレンブラントが声を上げるが、リョウはお構い無しでグウィンの前に駆け寄り、膝をつく。
「グウィン……! なんで? ……何があったの?」
アイザックが呆気にとられたようにリョウのために少しスペースを空けるが、よく見ると前屈みになったグウィンの手はアイザックの肩を掴んでおり、自分の上体を支えていたようでリョウは真正面に座り込むことはできない。
でもとにかく、グウィンの顔をアイザックの隣から覗き込んで……息を飲む。
苦しそうに息をするグウィンの瞳は薄くぼんやりと開かれてはいるが、焦点が合っていない。そして、服についた血の出所。
拭った跡はあるが、グウィンの口元にこびりついた血は……どう見ても、吐血の跡。
「……毒を、盛られたんです」
リョウの肩が強く掴まれて、耳元でレンブラントの声がした。
「……は? 毒?」
どういう事?
なんで、毒? それに、なんで、その毒が「効いて」いるの?
リョウが混乱のあまり固まった。
「……リョウ、か?」
苦しげな息の合間を縫うように、グウィンが声を出した。
「グウィン! ……なんで……ううん、そんなのどうでもいい……どこか痛い? 苦しい? どうしたらいい?」
竜族の体のつくりは知っている。でも、こんな風になってしまった場合にどうしたらいいかなんてわからない。
取り乱したリョウがたたみかけるように言葉を繋ぐ。
「……ああ、大丈夫だ。心配すんな。……少し休めばどうにかなる」
力のない声で紡がれるグウィンの言葉には全く信憑性がない、とリョウは思えて苦しげな顔をただ凝視してしまう。
「……リョウ、離れて。僕が来たから取り敢えず安心しなさい。後は僕が診ます」
新たな声が聞こえてリョウの肩を掴んでいたレンブラントの手に力が入り、リョウの体をグウィンから引き離す。
「アル……?」
コーネリアスが呼んできたのだろうか?
そんな事を考えつつも、リョウがグウィンから離れまいとレンブラントの腕の力に逆らうように体に力を入れる。
「……だって……だって、アルに何が分かるの? グウィンはあなたのいつもの患者とはわけが違う!」
混乱したままリョウが声を上げるとレンブラントが力ずくで強制的にリョウの体の向きを変えさせ、抱きすくめてアルフォンスに軽く目配せしながら。
「アル、すみません。よろしくお願いします」
「え、ちょっと! レン、離してよ! 嫌よ! 私、グウィンのそばにいる!」
視界を遮られて身動きもできないくらい押さえ込むように抱き締められているリョウがレンブラントの腕の中でもがきながら叫ぶのだが。
「リョウ、大丈夫だから。いい子だから言うこと聞いて。ちょっとだけ部屋から出ますよ」
宥めるような口調のレンブラントだがその声には緊張がはっきり表れていて、リョウの不安は煽られる。
「リョウ! 落ち着いて! ……少なくとも僕は医者です!」
力強いアルフォンスの声がしてリョウが顔をそちらに向けると、アルフォンスがリョウの目をじっと見つめていて目が合った。
その医師らしい表情にリョウの体の力がふっと、抜けた。
「後は頼みますね」
すかさずレンブラントがリョウを強制的に抱き上げて歩き出す。
部屋の外へ。
「……リョウ、大丈夫。落ち着いてください」
耳元でレンブラントの声がする。
強制的に抱き上げられて、うっかり二階の寝室に運ばれるところだったのをリョウは抱えられたまま最大限抵抗して、どうにか一階の応接間に落ち着いた。
……少しでもグウィンの近くから離れたくなかった。
グウィンのあんな姿、初めて見たのだ。
あんな、弱り切った、危うく命の火が消えてしまうんじゃないかと思えるような、姿。
リョウの体はレンブラントが抱いた状態でソファに腰を下ろしてそのまま抱きしめてはいるが、下手をするとその膝から降りて再びグウィンの部屋へ向かってしまうのではないかと思えるのでレンブラントは両腕でその体を拘束するように抱いている。
でも、正直、今のリョウに立ち上がる力は残っていなかった。目に焼き付いたグウィンの姿を思うと体がガクガクと震えてレンブラントの背中に回した手でその上着をしっかり掴んでいないと自分を見失いそうになる。
「……何があったの? なんでレンが付いていて……あんなことになったの?」
レンを責めるつもりなんて毛頭ない。
でも、口をついて出た言葉にレンブラントの体が反応したのを感じる。
「……すみません……僕がついていながら……」
レンブラントが申し訳なさそうにリョウから少し身を離して謝るのだが、今のリョウにそんな様子に気を回す心の余裕は無く。
「言い訳を聞きたいんじゃないの……! 何があったのかを聞きたいの!」
かすれそうな声でもつい語気が強まる。
「グウィンが……自ら毒の入った食事を口にしたんです。止める間もなかった」
「え……?」
肩を落として、深く息をついてからようやく説明し始めたレンブラントにリョウが思い切り眉間にしわを寄せて聞き返す。
食事会は初めから剣呑な空気だったらしい。
集まったメンバーの中でグウィンが「風の竜」と疑いを挟む者が出て、都市の司をグウィンが騙しているのではないか、という話まで遠回しに出たとか。
そうは言ってもグウィンが竜族である事を証明できる者は一人もおらず、そこに出された食事に毒が盛られていた、と。
恐らくそれを口にしても無事である事を竜族の証として公にするつもりだったのだろうということだった。そこに居合わせた全員が証人になる。
で、グウィンは、給仕をする者やその食事会に出席していた数人の反応から、ある程度結果を予想した上でそれを口にしたらしい。
「……どうしてその毒が、効いたの?」
リョウが話を聞くにつれ、虚ろになっていく目のまま呟く。
だって、竜族。しかもその力も体質も「風の竜」なら単なる竜族に勝る強靭なものであるはず。私だって、人であれば致死量に相当する筈の毒を摂取したところで多少の効果は出てもあっという間に耐性ができて、具合が悪くなるというほどのことさえなかった。
なのに、グウィンはあんなことになっている。
「……僕にもわからないんです。竜族である事を考えても……僕もまさか本当にあんなことになるとは思わなかった。初めは演技かと思ったくらいです」
リョウと目を合わせることもなくレンブラントが呟く。
「でも……あのおかげで、グウィンが竜族だと言っていた奴らが黙ることになる。毒を盛るなんて大それた事まで企んだ奴らが明るみに出て今回のグリフィスの計画は成功したことには……なるんですが」
「そんな成功……って!」
リョウが絞り出すような声で訴える。
グリフィスは……どうやったかは分からないけれど、そこまで計算して計画を立てていたという事なのだろうか。
グウィンの命を危険に晒すような、そんな計画を立てていたという事なんだろうか。
そう思うとリョウの瞳に力が入る。
私は、グリフィスを、許せない、かもしれない。
「リョウ!」
力強い声がして、リョウの体が強く抱きしめられた。
瞳の色が、怒りのせいで紅く変化したリョウをレンブラントが改めて抱きしめたのだ。
「リョウ、落ち着いて。まだ何も分からないんです」
低い、レンブラントの声がリョウの耳に響く。
「……レンは……私たちの敵?」
リョウが呟き、それと同時にレンブラントの体が強張る。
力が抜けかけたレンブラントの腕からリョウがするりと抜けてその膝から立ち上がった。
「……レンは……グリフィスの計画のためならグウィンを見殺しにするの?」
紅い瞳が揺れた。




