グウィンとチョコレート
「……で、今度は何を始めたんですか」
アルフォンスが向かい側に座るリョウの方に目をやりながら今にも吹き出すんじゃないかという微笑みを浮かべている。
「んーーー……」
リョウの耳にアルフォンスの声は届いているのだろうが、集中のあまり質問されているという認識にまでたどり着かない。
リョウの前には数枚の紙。
ペンで一生懸命何やら書きつけているとはいえ、山積みにされた文献には一切手をつけていない。リョウの隣にはもっと軽い本が数冊。開かれたページにはなんとも微笑ましい挿絵があり。
「……美味しそう、ですね」
しばらく前からすぐ後ろに立って離れないレンブラントがボソリと呟く。
「なんで膨らまないのかわかった気がする……」
リョウが腕組みをして頷きながら呟いた。
ほぼ無視されたレンブラントの「美味しそう」という感想が述べられたのは開いたページに載っている何種類かのケーキの挿絵に対してだ。
そして、リョウは先程から本に載っているお菓子の「レシピ」をいわば「研究」している。
本来の仕事を休むように言われたとはいえ、この場にいる事は良しとされている……というより表向きは仕事をしている身なので街をふらつくとかいう気晴らしは出来そうになく、そもそも、リョウが作った資料を参照しながらグウィンとアルフォンスが話し合いをしているので不明な点があればリョウも多少は加わらざるを得ない。なので、必然的に同じ部屋にいなくてはいけないわけで。
手持ち無沙汰なので、最近チョコレートを練り込んだケーキを作ってみようと思い立ったものの上手く膨らまずに固くなってしまったのでその原因を探ろうと考えてコーネリアスに頼んでお菓子のレシピ本を数冊取り寄せてもらったのだ。
「……うん。なるほど。卵の泡だて方とチョコレートの分量が問題、なのね」
リョウが、小さく何度か頷きながら新しく紙に何かを書きつけていく。
「……チョコレート……」
今度はグウィンがわずかに反応した。
「……え、ちょっと! アル! グウィン! 仕事してください、二人とも!」
背後で上がったレンブラントの声にリョウが驚いて顔を上げると、いつのまにかテーブルの向こうで椅子から立ち上がって身を乗り出しているアルフォンスと少し離れた隣の席からわざわざ席を立って隣まで歩み寄ってきたグウィンがリョウの手元を覗き込んでいる。
「……グウィン、チョコレートは好きなの?」
ハンナのお茶までもうすこし、という時間帯だがあまりにもリョウのやっていることにレンブラントを含めた三人が集中してしまったので目の前に積まれた文献はひと段落させる方向で片付け始めた二人にリョウが申し訳なさそうな視線を送りながら聞いてみる。
「え……? あ、ああ。チョコレートは好きだが……別に他のもんも嫌いなわけじゃないぞ。チョコレートは……昔から少数民族の間では薬として扱われていたから馴染みがあるんだ。今みたいな菓子になったのは最近だろ」
「あ、なるほど」
リョウがちょっと納得する。
グウィンは昔からあちこちを旅して回っていたから持っている知識量も半端ない。こういう嗜好品の類の歴史も知っていて当たり前だ。
「……じゃ、今度チョコレートのケーキ、成功したら試食してもらうわね」
リョウがにっこり笑って答えると。
「なんでグウィンなんですか!」
アルフォンスとレンブラントのセリフが見事に重なった。
「意外な強敵ですね」
「だからあいつは入れたくなかったんです」
ハンナのお茶の偵察に追い出したグウィンの背中を見送った後ぼそりとこぼすアルフォンスとレンブラントは……恐らくお互いのセリフに若干の論点の違いがあることには気づいていない。
「えー、なんでよ。いいじゃない、好みがはっきりした人って作る側としては助かるんだけど」
リョウが頰を膨らませる。
「好みならハッキリしてますよ!」
……なんでこの二人、こういう時に綺麗に意気投合するんだろう。
と、リョウが目を丸くするくらい、二人が同じセリフを同じ表情で訴えてくる。
「……わかってる。アルは甘いものなら基本なんでも好きでしょ? ちなみにレンは私が作るものならなんでもいいとか言うんでしょ?」
リョウが半眼で二人に視線を送ると、途端に二人とも一斉に目を泳がせた……。
「……まぁ、チョコレートケーキは置いておくとして、ですね」
アルフォンスがこほん、と咳払いをして意外に真面目な声で話を切り出す。
「リョウ、グウィンがこちらに移ったことで何かしらの動きがあるかもしれないので少し注意していてもらえますか?」
「アル……その話はリョウにする必要ありますか?」
アルフォンスの言葉を遮るようにレンブラントが口を挟む。
リョウが何か返事をする間もなかった。
と、アルフォンスがレンブラントに向き直って。
「あなたは一日中グウィンに張り付いていられる身分じゃないでしょう。少なくとも午前中は本来の仕事に拘束されている身だ。それにあなたが四六時中グウィンに張り付いているのは不自然ですよ。ここにいる間はリョウにも協力してもらわないと」
「……え、なんの話?」
全く話が見えないのでリョウが声を上げる。
「ああ、すみません、リョウ。レンはね、あなたを極力巻き込みたくないようなのですが……で、僕としてもそれには反対する気もないんですが」
アルフォンスが眉間にしわを寄せてリョウの方に向き直った。
「ここ最近、ちょっと危険分子といえそうな者たちの動きがちらほら確認できてきたんです。で、グウィンの存在に疑問を持つ者がどうもいるらしくてね。前にも言ったように立場上彼は周りから疑われるような要素は無いので表立って何かをする者はいないと思うのですが守護者のような者でさえ敵に回す事を考えているような輩かもしれませんから……どこから彼が『風の竜』だとバレてあなたの立場に揺さぶりがかかるかわからない」
そこまで言ってアルフォンスがちょっと息をつく。
そうか。
私が「仲間を集めて」仕事をしているという体にならないように、しているんだった。
リョウがゆっくりと、思考を巡らす。
多分、都市の政に携わる者達としては竜族を「自分たちの味方に引き入れた」という体でいたいのだろう。この場に「火の竜」だけでなく「風の竜」もいて人間の都合に合わせて丸め込むよりも竜族の都合に合わせて圧力をかけられている、というような印象を与えれば守護者として私を都市の中に置いているグリフィスのやり方にケチがつく。とか。
それも、おそらく、良くてその程度だ。
守護者である「火の竜」が女であることもきっと都市の側には都合がいい。女はいろんな意味で弱いから。そこに「風の竜」が加わるとなると、途端にこの組み合わせは「脅威」にもなりかねない。
人の社会にとって、竜族への恐れはあの条約一つで自動的に払拭できるほど軽々しいものではない。
仕事内容の重大性を考えれば「火の竜」としては一人で携わることはできないが、「風の竜」を引き入れていることを公にすれば、おそらく都市の中の「危険分子」と言われている者達によって都市全体に不穏な思想を植え付けられて……グリフィスの仕事は立ち行かなくなるだろう。
「……グウィン自身も自分の立場を理解していますからそれなりの立ち居振る舞いをしていますし、さすがに守護者の館にまで押し入って何かをけしかけてくる者はいないと思うので……形式上、程度でいいんですが一応リョウにも気を付けてもらえたら、と思いまして」
リョウの思考がある程度まとまるのを待ってくれたように少し間をおいてアルフォンスが言葉を続けた。
「あ……はい。そうですね。分かりました」
リョウが頷いて見せるとアルフォンスの表情が少し和らいだ。
と、リョウの肩に温かい手がそっと乗せられる。
「リョウの今までの働きのおかげで我々の仕事はかなり楽になっているんですよ」
リョウが振り返って顔を上げるとレンブラントがにっこり笑ってリョウを見下ろしている。
「いつも都市の中を出歩く時に、楽しそうにいろんな人に挨拶したり声をかけたりするでしょう? ああいう民への接し方は地味にではあっても民の心を掴むんです。守護者のイメージがとても好ましいものになっているので、誰かがそれに逆らう噂を流したり言い掛かりをつけてくるのを抑制できるし、そういう者を特定しやすくなるんです」
レンブラントの説明にリョウがふと、都市の中で出逢ういろんな人を思い出す。
そういえば、行きつけのお店の人やよく見かける人に挨拶をするとみんな笑顔で答えてくれる。……それが社交辞令的なものだと思ってしまったこともあるけど、それにしてもみんなとても親切に接してくれる。
そんなことで喜んでもらえるなんて思ってもいなかった。
「……役に立てて良かった」
リョウが笑顔になる。
普段何気なくやっていたことを褒められるのはなんだか妙に嬉しいものだ。
「皆さま、お茶になさいますか?」
ちょうど話が切れた頃、ドアがノックされハンナがワゴンを押しながら入ってきた。
ハンナが部屋に入るのをグウィンがドアを開けてやって見守る。
「今日はなんと、チョコレート、だ」
ちょうどハンナが自分の目の前を通過しきったところでグウィンがリョウの方に目をやりながらニヤリと笑った。
「……なんだかチョコレートの話をなさっていた、とかで。カップケーキに刻んだチョコレートを混ぜ込んだんですけど、残ったチョコレートもそのままお持ちしましたのでよろしかったらお召し上がりくださいませ」
ハンナがケーキを盛り付けた大皿をテーブルに乗せながら少し小さな皿に乗せた程よいサイズに砕いたチョコレートも添えたのでリョウとアルフォンスが真っ先に小さな歓声をあげた。
「……夕食が落ち着かなくなった」
夜、ベッドに入ったリョウを抱きしめながらレンブラントがわざとらしくため息をつく。
「……え?」
反射的に温かい胸元に擦り寄りながらリョウが聞き返すと、レンブラントが片腕でリョウの体を抱きしめたままもう片方の手でリョウの顎をすくい上げて上を向かせる。
息がかかりそうなくらいの至近距離でリョウが思わず目を細めると、レンブラントの口許が不機嫌そうに歪められている。
「朝だけじゃなくて夜まであいつと一緒に食事するなんて……」
「……もう……! いいじゃない。せっかく一緒に生活してるのに別々で食事するとか寂しいことさせないでよね」
グウィンのことを言っているのは明らかだ。
そして、レンブラントがグウィン一人で食事をするように指図するなんてこともあり得ないのは分かっている。
なのでそう言いながらもリョウの口許には楽しそうな笑みが浮かんでしまう。
「……一緒に生活してる、とか言わないでください。……忘れたい現実なのに……」
レンブラントがわざとらしく眉間にしわを寄せた。
「まぁ……リョウが楽しそうでよかった、ですけどね」
はああああっ、とため息をつきながらリョウの首筋にレンブラントが顔を埋める。
そう。
リョウはもう、ずっと楽しくて仕方ない、という様子なのだ。いや、様子も何も事実、楽しくて仕方ない。
グウィンと一緒に食卓を囲むなんて想像したこともなかった。
レンブラントとグウィンのやり取りをこんなに間近で、しかも毎日見れるようになるなんて思ってもいなかった。
憮然とした様子でありながら、どこか信頼した相手であるということが滲み出ているようなレンブラントの対応も、皮肉めいた雰囲気をまとわせながらもどこか穏やかさを滲み出させたグウィンの反応も新鮮で仕方ない。
……この二人、なんだかんだ言って絶対仲が良いに決まってる!
と思えるのでついついにやけてしまうのだ。
「レン、大好きよ」
首筋に顔を埋めたまま動かなくなってしまったレンブラントにリョウが声をかける。
と、レンブラントが急いで顔を上げてリョウの目を覗き込んでくる。
「……え、あ……!」
何かを思い出したように小さく声を上げるレンブラントにリョウがにっこり微笑む。
「愛してる、レン。……たまには私が先に言わなきゃね」
いつも、毎晩、レンブラントはリョウを抱きしめると同時に「愛している」と囁く。それはほぼ習慣と化している。
なので隙を見て自分から先に言ってみようと思っているのに、リョウは気付くとレンブラントに先を越されているのだ。
「……しまった。僕が先に言いたかったのに」
やっぱり、意図的に真っ先に言ってたんだ……!
そう思いながらリョウがレンブラントの首に腕を回す。
「あのね、今日、レンが私のこと褒めてくれたでしょう?」
レンブラントの反応が可愛く思えてくすくす笑いながらリョウが言葉を続ける。
「私が都市の人たちに挨拶するから良いイメージが持たれるようになって助かる、って。あれ、すごく嬉しかったの。……ありがとう」
ぎゅっと腕に力を入れて今度はリョウがレンブラントの首筋に顔を埋めながら囁く。
レンブラントの息遣いが伝わってきてちょっとくすぐったい。
リョウの背中に回った腕に力が入ってもう片方の手がゆっくり頭を撫でる。
「……そうか……ごめんリョウ、もっと早く伝えておけばよかった。本当にあなたの毎日の振る舞いには感謝してるんですよ。都市の人への接し方だけじゃない、ハヤトやクリスやザイラもそうだしハンナやコーネリアスへの接し方もそうだ。あんな風にみんなに親切に裏表なく接してくれるからリョウを知る人がみんなリョウを良く評価してくれる。僕が毎日気兼ねなく仕事にかまけていられるのはリョウのおかげなんですよ」
「仕事にかまけてるの……?」
途中からリョウの腕に手をかけて強制的に身を少し離したレンブラントがリョウの顔を覗き込みながら悪戯っぽい目で笑うので、リョウもつい言葉尻に反応してしまう。
「そう。おかげで僕はよく出来た守護者のお嫁さんをもらった果報者だって言われてるんです。……仕事に専念させられてますよ。リョウは仕事に専念してる夫は嫌い?」
「……嫌い」
もう、誘導されているのは分かってる。
そう思いながらも、楽しそうなレンブラントの瞳に完全降伏したリョウはくすくす笑いながらそう答えてしまう。そしてついでにその唇にちゅっと音を立てて軽いキスをして。
「だから夜は私のことだけ考えてくれるのよね?」
思いっきり甘えた声を出してみる。
レンブラントの瞳がとろけるように細められて、リョウはゆっくり組み敷かれた。




