入居者
「……そこまで怒らなくてもいいじゃない」
リョウが拗ねたように口を尖らせる。
「怒ってませんよ。別に」
平坦な、ほとんど棒読みに近いレンブラントの返事。
……絶対、嘘だ。
明らかに、どこからどう見ても、完璧な、絶賛大不機嫌中。
仕事上がりにグウィンに飾り紐をプレゼントしようとしたあたりからレンブラントがうろたえ始め、リョウが自らグウィンの髪にそれを結びつける頃には……まぁ、言葉もろくに出ないくらいの有様だった。
帰り際のグウィンに声をかけたあたりではちょっとした殺気さえ纏っていた。
で、夕食の時はびっくりするくらい無口で無表情。
給仕のハンナがちょっとうろたえて……下がる時にも二度見して行った。
で、只今。
バスルームから出てきたリョウに背を向けるように、レンブラントはベッドの縁に腰を下ろしており。
サイドテーブルには……うん。なんか見覚えのある光景だ。あれ、結構強めの蒸留酒の瓶。
リョウが小さくため息をつく。
……本当はお風呂、入ってくるんじゃないかと思っていたのよね。
今日ばかりはなんとなく私も悪かったかなとか思ったから、結界張ったりしないで……ええい、認めてしまうけど、ちゃんと期待して待っていたのに!
それでもなんとなく隣に行くのもためらわれて、リョウはソファに沈み込む。
と、レンブラントの背中がピクリと反応して、前屈みになっていた頭が上がる。
あ。
隣に来ると思っていたのに来なかったからちょっと焦ってる……?
リョウがそんなことを思いながらソファの肘掛けに肘をついて軽く頬杖をつきながらレンブラントを観察する。
一瞬こちらに顔を向けかけたレンブラントは再び前を向いてしまって、そのまま手にしていたカップの中をあおり、それから深く息をつきながら空になったカップをゆっくりサイドテーブルに置いた。
ああ、これは……このままふて寝しちゃうかな。
なんてリョウが思って見ていると。
おもむろに、レンブラントが立ち上がった。で、そのままゆらりと歩き出し……。
あれ、この感じ、一杯飲んだとかいうレベルじゃないかも。私がお風呂入っている間にもしかしてボトル空けちゃってる?
自分の方に歩いて来るレンブラントの様子にリョウが少々目を丸くして固まっていると。
どさり。
そんな音を立てながらレンブラントが勢いよくリョウの隣に腰を下ろした。
隣、といってもいつものようにぴったりくっついて来るような距離感ではなく少し間を空けて。
「……レン、どれだけ飲んだの?」
確かこの人、お酒強かったと思ったんだけど。
そう思いながらリョウが小さな声で尋ねてみる。
「ああ……何本空けたかな……ハンナが台所で見張ってて、一度に一本しか渡してくれなかったから……何回か往復しましたけど……」
げ。
だって、私がお風呂入ってた時間って……そりゃ上がってから髪を乾かしたりなんだりで時間はかかっているとはいえ……そんなに何本ものお酒を飲めるような時間じゃないはず。そんな短時間でそんなに飲んじゃったのか……。
リョウが唖然としていると、レンブラントがソファに腰を下ろしたまま前屈みになって両肘をそれぞれの膝の上に乗せて組んだ手の上に顎を乗せ。
「……今度ルーベラに何かプレゼントしようと思うんですけど」
なんてポツリと呟く。
……は?
えーと。
いきなりの話の流れにリョウが頭の回転を上げてみる。
ルーベラに、プレゼント?
ああそうか、彼女一級騎士だものね。何か功績でもあげたのかな。それともよくうちに来てくれていたから何かお礼でもしたいってことだろうか。
「……え、と。何か一緒に選ぼうか? どんなものが喜ぶかそれとなく調べてみようか?」
リョウがちょっと姿勢を正して体ごとレンブラントの方を向いて訊いてみる。と。
「……そうなるのか……!」
ものすごく盛大なため息とともにレンブラントが頭を抱え込んだ。
え……? あれ……?
リョウが目を瞬かせてさらに頭の回転を上げようとしていると。
「……え、うわわわ!」
レンブラントが勢いよく身を起こして一気に間を詰めてリョウに抱きついて来た。抱きつく……というより、抱きすくめる。
リョウが身動きができなくなってさらに硬直する。
「嘘です。しません、そんなの。……リョウにやきもち妬かせたかっただけです」
小さな声が耳元でして抱き締める腕の力がさらに強まる。
「え……あ、そう、なの? ……え……やきもち……!」
ようやく意味がわかってリョウが今更ながら赤面する。
そういえばしばらく前にルーベラが「可愛い」ことを肯定したレンに「そういう言い方しないで」って言ったことがあった。
で、今日、私がグウィンにレンとお揃いの物をプレゼントしたものだから……その発想か!
「だから、グウィンはそういう対象じゃないって何度も言ってるじゃない。あの人は、お父さんとか、せいぜい兄、みたいなものだってば。……レンだってグリフィスに何かしてあげたりしてもらったりするでしょう?」
以前は定期的に食事を作って一緒に食べていたみたいだし。
「……あいつも同じように考えているとは限らない」
腕の力を緩めることなくレンブラントが囁く。
「んー、そうね。私が一方的に慕ってるだけかもしれないけど……やだなぁ、そんな寂しいこと言わないでよ……」
あ、なんか自分で言ってて自分で傷付いた。
一方的に私が慕ってるだけでグウィンからしたら鬱陶しいだけだったりして……なんて考えたら……やだ……笑えないじゃない。
咄嗟にレンブラントの寝間着の胸元をぎゅっと握りしめてしまう。
「……リョウ?」
抱き締める腕の力が緩んで顔を覗き込まれる。
「……私……本当はみんなから嫌がられてる……?」
あまりに周りが私に親切にするから、親切にされているような気がするから……浮かれていたけど、実は周りの人の本心って……。そうよね、さんざん嫌われてた者がそう簡単に周りに受け入れられるとは考えにくい、よね。
「……そんなわけないでしょう。……それに僕がリョウの事を愛してる。誰がどう思おうと、リョウが何者であろうと僕の気持ちは絶対に変わらない。ずっと、愛してる」
そんな言葉が紡がれる唇をリョウはぼんやりと眺めながら。
ああ、なんだか……私、いつからこんなに人を信じられなくなっちゃったんだろう。
なんて思う。
ぼんやりと眺めていた唇がゆっくり近づいて来てリョウの唇に重なった。
「……ん……!」
優しく、唇を撫でられるようなキスにリョウが我に返る。
温かい唇は一度優しく押し付けられ、唇の上をゆっくり優しく移動する。
下唇をやんわり撫でてそのあと上唇をなぞるように滑り、唇の端まで行って、ちゅっと小さな音を立てる。
その後、離れることもなく、深まることもない口付けにリョウが思わずちょっとだけ舌を出してその温かい唇を舐めた。
それを合図にしたようにレンブラントが舌を絡めてくる。
「……ん……レン……お酒臭いわ」
息継ぎがてらちょっと離れた隙にリョウが囁くように文句を言うと、優しく細められたブラウンの瞳と目が合った。
「……不安そうにしているリョウは……本当に美味しそうですね……このまま僕だけのものにして食べてしまおうか……」
くすりと、小さく笑ってリョウの腰に回った腕に力が入る。
「……何よ。さっきお風呂に入ってる時はちっとも来てくれなかったくせに……私、待ってたのに」
リョウがちょっとだけ拗ねてみせる。
「……ほんとですか? それ」
レンブラントが眉間にしわを寄せて顔を覗き込んでくるので、リョウが小さく頷く。
「……なんだか……また乱暴に抱いてしまいそうだったから……酒で紛らわしていました」
レンブラントが小さくため息を吐いた。
「レンにだったらそのくらい構わないけど」
そんなリョウの言葉にレンブラントが目を見張る。
「旦那様、夜分に申し訳ありません」
早速レンブラントがリョウの寝間着の胸元に手をかけた瞬間、ドアをノックする音とコーネリアスの声がして二人の息が止まった。
「……無視しましょうか?」
レンブラントが思いっきり悪戯っぽい視線を向けてくるのだが。
「ダメでしょ。こんな時間にコーネリアスが声かけてくるなんて緊急事態以外ありえないじゃない……レンが出ないなら私が出るわよ?」
とリョウがたしなめる。
そそくさと身だしなみを整え始めたリョウに、レンブラントもついに諦め、ドアへ向かう。
一応、寝間着姿なのでリョウはソファで大人しく待っているのだが。
ドアの外に出てボソボソとレンブラントとコーネリアスが話す会話の内容ははっきりとは聞こえてこない。
しばらくしてレンブラントが部屋のドアを開けてリョウのところまで急ぎ足でやって来て。
「リョウ、ちょっと先に休んでいてください。少ししたら戻りますが……時間がかかるかもしれない」
そう言うと腰をかがめてリョウの頰に口付けられる。
「え……何? 何があったの?」
不安げに見上げるリョウに。
「明日の朝には分かりますよ」
レンブラントが微妙な笑顔で答えるとリョウの頭を優しく撫でてから急いで部屋を出て行った。
そして、翌朝。
「……よう。おはようさん」
台所の隣の小さな部屋。
朝食の支度をしようとリョウが部屋に入ると、小さなテーブルには既に席についている者が一人。
「……なんでグウィンがここにいるの?」
あまりの衝撃にリョウが固まって動けなくなった。
「何も僕たちの朝食の時間に合わせて起きてこなくてもよかったんですよ?」
リョウの後ろからレンブラントが部屋に入ってきて声をかける。
「……まぁ、お前が仕事に出た後でリョウの手料理をゆっくりいただいても構わないんだがな。……だいたいお前ら、こんな時間に朝飯なんか食ってんだな……早すぎるだろ?」
グウィンがちらりと窓の外に目をやりながら言葉を返してくる。
窓の外はようやく朝日が昇り始めたところ。
騎士隊隊長の仕事は朝が早いのでこれが日常だ。リョウも騎士隊にいた頃はだいたい朝日が昇り切る前に持ち場に着く、が習慣だった。
「えーと、レン……?」
説明を求めるようにリョウがレンブラントを見つめる。
そもそも、レンブラントがこの部屋に入ってくるのもいつもより少し早い。
いつもリョウがある程度朝食の支度を進めたくらいの頃合いを見計らうかのように入って来るのに。
「皆さま、おはようございます。今朝はわたくしが一通りお作りしてありますので、皆さまでごゆっくりお食事なさってください」
明るい声とともにハンナが入って来てテーブルに焼きたてのパンと、サラダの盛り付けられた皿をまず並べる。
「……え! ハンナ、作ってくれたの?」
リョウが慌てたように声を上げる。
そういえば今日は既にパンの焼けるいい匂いがする、なんて思いながら部屋に入って来た。グウィンを見てそんな思考が一旦吹っ飛んでいたが。
「はい。たまにはよろしいんじゃないですか? 奥様もゆっくりお掛けになってお召し上がりください。他のものもただいまお持ちいたしますね」
ハンナはそう言うとにっこり笑って台所へ戻る。
入れ替わるようにコーネリアスが部屋に入って来て珈琲を各自のカップに注いで、その間にハンナが湯気を立てている具沢山のスープや簡単な卵料理を運んできてあっという間に朝食の支度が整ってしまう。
「で……どういうこと、なの?」
とりあえず席についてからリョウがテーブルの角を挟んだ隣に座っているレンブラントに声をかける。
昨夜言っていた「明日の朝にはわかる」というのはこの事、なのだろうか?
「そうですね。……つまり、そういうことです」
不本意極まりない、という表情でレンブラントがまず一言。
……は?
思わずリョウがレンブラントを凝視してしまうと。
「悪いな。前に式典の打ち合わせをした時に顔を合わせた元老院のメンバーが、グリフィスのところに頻繁に出入りするようになっちまってな。一回目は上手くかわしたが流石に変なところから情報が漏れると厄介なんでこっちに拠点を移すことにした。……まぁ、予想していたことではあったんだが、最初からこっちで生活するより守護者殿に上手く取り入った頃っていうタイミングの方が表向きの印象付けが好都合だろうって事で」
グウィンがニヤリと笑って説明する。
「え……そうなの? ……それは……大丈夫、なの?」
リョウがグウィンの目を正面から見据える。
そういう計画なんて、全く聞いていない。
というより、この人たちの計画なんて実のところ何も聞いてはいないのだ。
「大丈夫ですよ。だいたいの事は想定して動いてますので。……リョウは何も心配しなくて大丈夫」
レンブラントがテーブルの上でリョウの右手を柔らかく握って微笑む。
その笑顔に負けてリョウの詳しい話を聞き出そうという気が一気に萎えた。
そういえばドア一つ隔てて台所にハンナがいるのにこんな話をしていて良かっただろうか、と思ってドアの向こうに意識を向けると、どうやらいつのまにかハンナは他の仕事に移っているようで台所には人の気配がない。
恐らくレンブラントが昨日のうちに三人で食事をする間、席を外すよう上手く話しておいたのだろう。
なんだかいつもと違うのに、いつもと同じように取り繕った朝食のようで変な気分だ。と、リョウは思う。
別に誰かに悪意があるわけじゃないのはわかっている。
でも、なんだか取り残された気分。自分の知らないところでいろいろなことが動いているのがちょっと怖い。
多分、今まではこういう事は無かったのだ。
例えば、騎士隊に入隊して仕事をしている間。
もちろん、隊長達にしか公開されない情報もあるが、そんなことで隊員が取り残された気分になることなんてありえない。必要な指示は与えられるし、その指示にどんな意味があるか、全体で何が成し遂げられようとしていて、自分がその中のどの部分を担っているかもちゃんと理解した上で働いていたものだった。
それから……例えば、クロードと生活していた時。
もちろん、子供だったからクロードの気持ちとか彼が背負っているものとか、理解できていないものもたくさんあった。でも、なぜ街を移動しなければいけないのか、とか、次の村ではどうしなければいけないか、それはなぜか、なんていう事は理解していた。いや、分かるように何度もクロードが教えてくれた。
そういうものがなくて、ただ「心配しなくていい」とか「大丈夫」と言われるのは余計に不安を煽られる。
でも多分、これは仕方のない事なのかもしれない、なんて思えるので口には出せない。
今までとは状況が違う。今まではもっとシンプルな生活だったのだ。今の自分が置かれている状況はきっと今までになく複雑で……そう、色んな人が関わっているから……私のような者にまで全体像を知らせる必要がない、という事なのだろう。
大きな都市の、政が関わってくるというのならそれはきっと仕方のない事だ。
そう思うとリョウは思わずため息をこぼしそうになり、慌てて口許に笑みを作って焼きたてのパンを頬張った。




