休憩とグウィンの肩書き
……どうしろっていうのよ。
リョウが微妙な視線を目の前のアルフォンスに向ける。
「……グウィン、読む本の順番が違います。こっちが先ですよ」
アルフォンスはというと、リョウの不満たっぷりの視線にはおかまい無しでグウィンに仕事の手順を説明中である。
「え、あ……そうか。でもこのリョウがまとめた資料だとこっちが先の方が時系列的に論理的に進むんじゃないのか?」
「ああ、どれ……ふ……む、なるほど。書かれた時期は前後しますが内容の時系列から行けばそっちが先ということになるんですね。……それなら間でこの本のいくつかの章を参照する必要があります。そちらに出ている専門用語の解説が載っていますから」
……だから何をしろというのよ。
リョウが視線にちょっと力を込めてさらにアルフォンスを見つめる。
「……ああ、リョウが作ってくれた資料ですがそれぞれの本のための脚注のリストがありましたね。その本は実は少し厄介でしてね、独特な言い回しが多いんですよ。筆者がそういう言い回しをする背景がどの本のどこに載っているかも注記してくれていますから参照してくださいね」
「うわ……そんなもんまでまとめたのか……」
グウィンがアルフォンスに答えながらちらりと隣のリョウに視線を向け、ふ、と口元をゆがめた。
「……グウィンからも何か言って」
リョウがだんだん「睨みつける」くらいの勢いになっていた視線をそのまま隣のグウィンに向けて小さい声で囁く。
「……聞こえてますよ」
途端にアルフォンスが視線をこちらに向けることもなくリョウに答える。そして小さくため息をついて。
「あなたには、休憩という仕事を割り振ったはずですよ。……これだけの仕事をこなしたんです。暫くは何もせず、ちゃんと休んでください」
「むーーーーー」
リョウは両手で頬杖をついたまま頬を膨らませて視線を落とす。
テーブルの上の自分の目の前。
いつもなら読みかけの本があるべき場所にも、読み終えたら次に読む本が積み上げられている場所にも、さらに言えば読みながら作成していた資料があった場所にも、何もない。
艶々の、テーブルの天板。
甘やかされすぎている……だいたい……休憩するって何をしていろというのよ。
本日何度目だろうという同じ不平を心の中で呟いてみて。
そろそろと、テーブルから少し離れたところに立っているレンブラントに視線を向けてみる。
……にっこり。
ああダメだ。
アルフォンスの言葉を思いっきり肯定するかのように微笑まれてしまった。
「……私、ハンナのお茶の偵察に行ってくる」
そんなこんなで数日。
やる事がないというのは、しかも他のみんなは気ぜわしく働いているというのに自分だけやる事がないというのは苦痛以外の何物でもない。
ので。
「……リョウ、それ……何を作っているんですか?」
ほぼ完成間近になってきた物をようやく認識したのかそっと後ろに歩み寄ってきたレンブラントが声をかけてきた。
ちなみにグウィンとアルフォンスは読むべき本と、リョウがまとめた資料に沿って確認のために言葉を交わすことに集中している。
「んー……飾り紐」
リョウが手元に集中しながらレンブラントに答える。
だってやる事がないんだもの。
仕方がないのでいつも座る場所より少し外れた位置に席を取りアルフォンスとグウィンの邪魔をしないようにしながら、最近覚えた飾り紐を組む材料を持ち込んでみている。
アルフォンスは特に意見してくることもなく「ああ、いいですね。何かを作るという作業は精神衛生上とてもいいですよ」なんて言ってくれた。
レンブラントに作ってあげた飾り紐のお陰でだいぶ組み上げる腕が上がったような気がする。
組んでいる手の動きが規則正しく同じリズムを刻むようになった。
はじめのうちは定期的に手を止めて組み終えた部分を確認しないと組み間違いが酷かったものだ。
手元に組み上がってきたのは焦げ茶色の飾り紐だ。
黒に近い焦げ茶色と、少し明るい焦げ茶色の糸を使っている。所々に金糸が見え隠れするのは、レンブラントのために組んだ時に混ぜた銀糸よりもかなり少ない量の金糸を混ぜているからだ。
「……それ……誰に、ですか?」
少々うろたえたような声でレンブラントが訊いてくるので。
「あなたにはもう作ってあげたでしょ」
今集中を解くと手元が狂いそうなので手短に答えてみる。
「……え?」
レンブラントの弱々しい声が聞こえたところで、組んでいる手をふと止める。
うん、いい感じでひと段落。もう一息といったところよね。これ、今日中に出来上がりそう……!
リョウがそう思いながら、ちょっと離れた隣の席で本を読むのに集中しているグウィンに目をやる。
グウィンの髪を束ねているのは黒い革紐だ。少しだけ幅があるのでリボンのようにも見える。
しっかり結べていいのかもしれないが、最近彼がよく着ている仕立ての良い服装には少々似つかわしくないようにも見える。
「……リョウ、それ……もしかして……」
相変わらず弱々しい声にリョウが目を上げるとうろたえ切ったレンブラントの瞳と目が合った。
なので。
「さーってっと。ハンナのお茶の偵察に行って来ようかなぁっ?」
わざとらしく伸びをして首をぐるっと回してからゆっくり立ち上がる。
何もやることを与えてくれないから手持ち無沙汰なんだもん。私のせいじゃないし。
それに二、三日前から組み始めてたのに、今更気付くレンも悪いわ。
この色は明らかにレンに合わせた色じゃない。
……まぁ最初は私がおとなしく「仕事」に手を出さなくなったことに安心して、何をなんの目的で作っているのかなんて気が回らなかったみたいだけど。
台所に向かうリョウの背後で「グウィン、やはり髪は短くした方がいいですよ!」なんていうレンブラントの声が聞こえた。
「ねぇグウィン、その革紐って何か思い入れとかあるの?」
ハンナのお茶が終わって今日の仕事の後半を片付け、そろそろ夕刻、という頃にアルフォンス達の作業がひと段落するのを見計らってリョウが声をかける。
「……あ? 紐? ……ああ、これか。いや。軍人らしく髪をまとめておけと言われたから適当にまとめただけだが……変か?」
あ、良かった。
リョウが安心したように微笑む。
確認せずに組み上げてしまったけど、身に付けているものが本人にとって意味のある大切なものであることもある。そうだったらこれ、使ってもらえないものね。
つい今しがた組み上げた紐は、包みも何もなくプレゼントらしさのかけらも無いのだが。
「変ってわけじゃないけど。……それ、ちょっと外して?」
ずっと座って作業していたから肩が凝った。
なので椅子から立ち上がりながらグウィンの方にそそくさと歩み寄る。
「……ちょっと失礼?」
にっこり笑って「意味がわからない」という顔のまま固まっているグウィンの背後に回り、強制的に結んでいた紐を解く。で、今仕上がったばかりの飾り紐を結びつける。
「……うん。いい感じ。似合ってると思うけど……良かったら使って?」
向かいに座っているアルフォンスが「ほう」と小さく感嘆の声を上げた。
「……なんだ? しばらく静かにしてると思ったらこんなもん作ってたのか……」
感想は雑だがグウィンの耳が若干赤い。
「だって暇なんだもの。アルは……髪短いから必要ないわよねぇ……」
リョウが残念そうな視線を向けるとアルフォンスがちょっと複雑そうな顔をしている。
その視線に違和感を感じてリョウがその視線をたどるとリョウの背後で思いっきりうろたえまくっているレンブラントが目に入った。
うん。予想はしていたけど。
「いいの。レンにはもう作ってあげたんだから。……あれ、似合ってるでしょ?」
アルフォンスに向かってリョウが微笑む。で、アルフォンスが「ああなるほど」というちょっと意味ありげな視線をリョウとレンブラントに向けた。
「そういえばグウィンの肩書きって結局何になってるの?」
微妙な間が居心地悪くてリョウがグウィンの顔を覗き込む。先程まで髪に結ばれていた革紐を丁寧にまとめてテーブルの、グウィンの前にそっと差し出しながら。
「ん……ああ、なんだったけかな……軍総司令部……相談役、補佐、みたいな名前だったが……」
「は……?」
なんだ、その役職。
リョウの目が点になった。
途中まではカッコよかった。軍総司令部、なんて名前が付くということは軍関係のトップじゃないだろうか。……まあ、今のところ戦いはほぼ無いのでせいぜい近隣都市で「人間」同士のいざこざが発展して軍が動かなければいけなくなる、なんていう事態でも起きなければあまり用のない部署かも知れないが。
その、相談役……って、つまりその部署そのもので働く人って訳じゃない、のよね。しかもさらに……その、補佐?
「まぁ、必要なのは肩書きなので取ってつけただけの役職ですよ。その距離感だと直接軍関係者と密接に仕事をする機会があまり無いので正体がばれることがないんです」
アルフォンスがにっこり笑って説明をしてくれる。
「我々のようにある程度事情を知っている者からすれば、笑える肩書きなんですけどね。そうでない者の視点を考えると結構うまい肩書きなんですよ?」
説明を続けるアルフォンスの目が悪戯っぽく光る。
「……そう、なの?」
リョウが思わず食い入るようにして聞き返すと。
「もともと司殿は『適材適所』な人材の使い方で有名な人だ。そのためには相当常識破りなこともしてきましたがそれが今では高く評価されて定着している。……基本的に『相談役』という仕事には知識と経験がある上、司本人が信頼できる者が就いて、軍の最終決定にはかなりの影響力を与える事も出来る役職なんです。その人物が個人の意思で軍を牛耳ることがないように元老院が歯止め役にもなるんですが。……で、その補佐、となると少し話しが変わる」
なんだかアルフォンスの表情には……悪戯を企む子供のような……楽しげな雰囲気がにじみ出ている。
「実際に軍のことに口出しをするわけでは無いが、いずれ経験を積んでその役に就く者というイメージが強いので誰も迂闊な接し方ができないんです。しかもそういう役に就く者にわざわざこの都市の出身者ではない者を選んでいるあたり、周りからしたら『この男、司殿がわざわざ引き抜いてくるほどの切れ者か』とも思わせられる。密かに一目置かれることはあっても怪しまれることはまず無い、という立場です」
「ま、補佐なんていういい加減暇そうな役職だから、経験を積むために守護者殿の仕事に加わるなんていう事もごく自然な流れでできるわけだ」
アルフォンスの説明を受けて、ニヤリと笑いながらグウィンが付け足す。
……うわぁ……グリフィスって本当に、侮れない、かも。
リョウの笑顔が固まった。
「ああ、そういえばグウィン……」
帰りがけのグウィンの背中に向かってリョウが声をかけた。
「あ? なんだ?」
振り返るグウィンに。
「あなたの髪……あ、ううん。なんでもない。それ、案外似合ってるわ。良かったなと思って」
リョウが言葉を途中で切って言い直す。
ちょっと気になることがあったのだけど……帰りがけのグウィンに声をかけたせいで一緒にいたアルフォンスも振り向いて、さらにはすぐ後ろにいるレンブラントの視線が突き刺さるような気がしたので。
「おう。ありがとな。司殿には『守護者殿にうまく取り入ることができた』と報告しておいてやるよ」
先程の会話の続きのような、何かを企むような目をしたグウィンがニヤリと笑ってみせる。




