気遣い
「……うわ、おい、マジか……こんな量の本を読むのか……」
部屋に入ったグウィンがテーブルに積み上げられたままの本の山を見るなり顔をしかめた。
「……そうよ。ちょっと凄いでしょ」
リョウがニヤリと笑って言い返す。
「まぁ、これはほんの一部ですけどね。読み終わったら次が来ますよ」
アルフォンスもリョウにつられるように人の悪い笑みを浮かべる。
監督役のレンブラントは立場上、テーブルから一歩下がったところで腕を組んだまま無言である。
早速うんざりしたような顔になったグウィンは、リョウの隣に座ってあからさまに嫌々という態度で人差し指だけで一番上に積み上げられている本の表紙を持ち上げてみて中を覗き「うえ……」と小さく呟く。
「今日のところは今までの様子と今後の方針についての確認だけにして、グウィンにも加わってもらうのは次回からにしましょう。リョウがまとめている資料にも目を通してもらった方がいいでしょうし……リョウには少し休みが必要ですから」
アルフォンスの説明にグウィンが「助かった」と言わんばかりにため息をつき、それからリョウの顔を覗き込む。
「なんだリョウ、休みが必要って……大丈夫なのか?」
「え? あ……ああ、大丈夫よ。ちょっと疲れただけだから」
えへへ、と笑ってみせるリョウにグウィンが眉を寄せて「ふーん」なんて相槌をうちながらちらりとアルフォンスの方に目をやる。
アルフォンスは意味ありげに一瞬眉をあげてみせてから。
「リョウ……ハンナのお茶の偵察に行って来ますか?」
なんて分かりやすい言い方をするので。
「えー、別に私がいるところで話したって構わないんだけどな」
なんて言いながら席を立つ。
アルフォンスの気遣いなんだろう。
それはよくわかるので、素直に席を立ち部屋から出る。
台所に向かいながらリョウは。
それでもなんだか気持ちが少し軽くなっているのがわかる。
と、改めて自覚した。
自分でも無自覚だった不快感を察してくれていた人がいたこと、理解して気遣ってくれる人がいたということ、解決策を提案してもらえたということ。
そういう事がなんだか嬉しい。
一緒にいるメンバーがそうやって守ってくれるということに胸が温かくなった。
「あら、今日はリョウ様が偵察役ですか?」
台所に入るなりハンナが笑顔で尋ねてきた。
「そ。私、仲間はずれなの」
そう言うとリョウが悪戯っぽく笑う。
「……なんでございますか? ……仲間外れ?」
一瞬ハンナが眉を寄せ、聞き捨てならない、という顔をするので。
「ああ、なんでもないわ。なんかこの偵察、ゲーム化してるわね。次は誰が部屋から追い出されるのかしらね」
なんて誤魔化しながら、リョウがハンナの手元に用意されているクッキーの生地に目をやる。
今朝、大量のスープを煮込んでいる間にリョウが用意したものだ。
「ちゃんと馴染んだかしら」
「大丈夫、のようですわよ。せっかくですから最後までリョウ様がお作りになります?」
心配そうに覗き込むリョウにハンナがくすりと笑って場所を空けてくれる。
グウィンが参加するという事で、彼の好みがよくわからないからいろいろ考えた挙句、用意したものはドライフルーツとナッツをたっぷり混ぜ込んだクッキーだった。
なんとなく、彼との旅の間で一緒に食べた物を思い出してしまうので。
北へ向かう旅の間、グウィンとは保存食のようなものを食べることが多かった。
それは干した果物や木の実が沢山入ったパンのような少量でも栄養価の高いもの、水分を少なく加工した保存食。通る土地柄そういうものしか手に入らなかったのだがリョウはそれが美味しいと思えたし、グウィンもそういう食事を楽しんでいたと記憶している。
もしかしたら、作って出せばなんでも食べてくれるのかもしれないけれど、なんとなく、イメージとして、グウィンはこういう素朴な感じのお菓子の方が好きそうな気がした。
ハンナには彼と一緒に旅をしたという背景は話していないので単に「気分転換に」新しいお菓子を作ってみようと思う、なんて話して作り始めたのだが。
まとめた生地を軽く握れる程度の太さの棒状にして、端からほどよい間隔で切り分けていくリョウの目が真剣になる。
何しろ、具材をたくさん入れすぎて生地のまとまりが悪かったのだ。全体をうまく馴染ませるために午前中は少し放置してみよう、ということにしていた。
「……あら、綺麗ですわね」
断面に刻んだドライフルーツとナッツが顔を出しているのを覗き込んでハンナが小さく声をあげた。
「うん。ほんとね! 良かった。これならちゃんと形を保ってくれそうだわ」
四人分。しかも、わりとしっかり食べてしまうメンバーが既に二人はいることを考えた上での四人分のお茶菓子なので切り分けて並べるとかなりの量になる。
それをそっとオーブンに入れて、あとは待つだけ。
「今日は紅茶にしてもいいかな」
リョウがなんとなく辺りを見回しながら独り言のように確認する。
コーネリアスは珈琲を淹れて欲しいとリクエストしなければわざわざ台所に入っては来ない。コーネリアスの珈琲も美味しいけど、多分このクッキーには紅茶が合う。
ハンナと買いに行って以来、定期的に届けてもらうようになった紅茶の店の店主オリジナルブレンドは、ミルクティーにもストレートティーにも合うお茶だ。
「そうですわね。これだけ素朴なクッキーでしたら……アルフォンス様とリョウ様でしたら確実にミルクティーでしょうけど……グウィン様の好みもわかりませんし、意外に旦那様もその日の気分でミルクは入れたり入れなかったりと楽しんでおられるようですから後から入れられるようにした方がいいでしょうね」
大きめの皿に山盛りに盛り付けられたクッキーは焼きあがってから少し冷ましたとはいえまだ微かに温かい。
そんな皿を目の前にしてまず目を輝かせたのは、もちろんアルフォンス。
「……今日のクッキーはずいぶん綺麗ですね! ……これ、フルーツですか?」
ハンナがお茶をサーブして下がった後、早速一枚目を手に取りながら感想を述べてくれる。
「そうなの。あとナッツも刻んで入れてみたけど、どうかな? グウィンって甘いもの食べられたかしらと思って……」
左隣に座っているグウィンに目をやりながらリョウが説明する。
「別にグウィンが食べなくても僕たちが美味しくいただきますよ」
素っ気ない口調でレンブラントが口を挟み、リョウの右隣から手を伸ばしてクッキーをつまむ。
「え? これ、お前が作ったのか?」
グウィンが皿に盛られたクッキーには手を出す事なくしげしげと見つめる、ので。
「えーと……そう、なんだけど。ごめん、ほんとにこういう物は苦手だった? あんまり砂糖は入ってないから甘くないのよ。ドライフルーツの甘味と酸味が主な味になるようにしたつもりなんだけど……」
うわ。
手を出さないということは本当に嫌いなのかもしれない。
リョウの表情がわずかに固まった。
そんな様子に気付いたのかグウィンが慌てて一枚を手に取って。
「あ、いや。苦手じゃない。……凄いなと思って驚いただけだ。お前、こんな女らしいことできたんだな」
「……へ?」
リョウが一瞬固まり、その間にグウィンが手にしたクッキーを口に運んで目を丸くしながら「へえ、ちゃんと美味いじゃねーか」なんて呟く。
「……グウィン、何気に失礼ねっ! なによ! せっかく色々考えて作ったってのに! ……アル、残りは全部食べちゃっていいわよ」
リョウが不敵な笑みを浮かべて言い放つと。
「はい。待ってました。感謝の気持ちのない者には食べる資格はありません」
と、アルフォンスが大皿そのものに手を掛ける。
「え、僕も食べますよ! ……アル、僕がリョウの手作り菓子の独り占めを許すと思ってるんですか!」
レンブラントがすかさず音を立てて椅子から立ち上がり、手を伸ばしながら叫んだ。
「あ……おい! ちょっと待て! それ、俺のために作ったようなもんだろ!」
グウィンもつられるように立ち上がり手を伸ばすが、アルフォンスが抱え込んだ大皿をひらりと二人の手から遠ざけ。
「作り手の許可は頂いています」
得意げに言い放つので、グウィンとレンブラントが同時にリョウの方を情けない表情で振り返った。
「まあ、リョウが比較的軽傷で良かったですよ」
結局力ずくでクッキーを皿から奪われたアルフォンスがちょっと悔しそうに残りが少なくなった皿に目を落としながら呟いた。
「え? 軽傷?」
リョウはなんだか笑いが止まらず、ずっとくすくす笑いっぱなし。
「……これ、リョウの創作、なんですよね? とても美味しくできています。味のバランスもとてもいい。……いやね、精神的に追い詰められて疲れ果てると、人は大抵こういう意欲がまずなくなるんです。何か新しいものを作ろうとか工夫しようとか、そういう意欲。で、リョウの場合そこはまだちゃんと残っているわけで……今のうちにちゃんと休んでおけばすぐに持ち直しますよ」
安心したようにアルフォンスが笑う。
「名医がついていながらリョウが再起不能になるなんて、あっちゃ困るだろ?」
すかさずグウィンが口を挟み。
「大丈夫ですよ。リョウの疲労は夫である僕がきっちり癒しますから」
レンブラントが憮然とした口調でさらに口を挟む。
なのでリョウは勢いに押されてわずかに口許を引きつらせた。
夜。
ベッドに潜り込んだリョウをレンブラントが有無を言わせず抱き締める。
「ん……レン、なに? どうしたの」
リョウが暖かい腕の中でやんわりと抗議の声を上げると。
「……今日のお菓子も食事も美味しかった。朝のスープ、せっかくリョウが作ったんだから夜もそのままで良かったのに」
レンブラントがそう言いながらリョウの頰に口づけるのでリョウがくすぐったくて首をすくめる。
「ふふ、ダメよ。愛する旦那様に朝の残りなんて出したくないもの。それにハンナのアレンジは本当に見事だと思うの。あれ、ベースが同じものだなんてちょっと信じ難いくらいだったじゃない?」
夕食に出たものを思い出しながらリョウがくすくす笑う。
朝はあっさりした野菜のスープ。昼食も美味しかったけど夜に食べたものはまた一味違うご馳走だった。トマトベースの味で別に煮込んだ肉と合わせてスパイスでアクセントを付けてから上にたっぷりチーズを乗せてこんがり焼き色を付けて……葡萄酒とよく合う味になっていたのだ。
「まあ、確かに……ハンナの料理は美味しいですけどね。あのクッキーは……グウィンのことを考えながら作ったんですか?」
レンブラントが今度はリョウの額に自分の額を寄せながら瞳を覗き込むようにして訊いてくる。
「え……あ……ごめんなさい」
思わずリョウが先に謝ると。
「なんで謝るんですか」
レンブラントの口許が緩む。
「だって……それ、普通に肯定したらレン、怒るでしょ?」
ちょっと前にもうっかりグウィンを好きだと言ってしまった後が大変だったことを思い出してリョウが拗ねたように口を尖らせる。
「怒りませんよ……あ、いや……やっぱり……少しは妬けますね」
レンブラントが小さくため息をつく。
「でも、いつもちゃんとレンのこと考えてるんだからね? レンのことがちゃんと最優先になってるのよ?」
リョウが甘えるようにレンブラントの頰に擦り寄って軽くキスをする。と。
「……本当に僕のこと考えてる?」
意外に真面目な声が返ってきた。
「……え?」
リョウが目を見開いてレンブラントの瞳を覗き込む。
「今日は、本当に肝が冷えましたよ。……アルの提案に乗ろうとしたでしょう? 死ぬ気だったんですよね……? あの瞬間、僕は……僕は本当に、生きた心地がしなかった……! あんな提案に乗って……残されることになる僕の気持ちなんて考えてなかったんじゃないですか?」
抱き締められる腕の力が強くなってリョウは身動きが出来なくなった。
「……ごめんなさい、レン……」
身動きが出来ないのをいいことにリョウはレンブラントの胸に顔を埋めて小さく呟いた。
なんとなく、正面から顔が見れない、と思った。
レンブラントが何も言ってくれないので何か言葉を続けなければと思うのに、胸に浮かぶ思いは言葉になる前に消えてしまうようでなんと言うべきか思いつかない。
もう、あんなこと言わないから。
そう言いかけて、果たして本当にそう言い切れるだろうかとも思ってしまう。
小さくくすぶり続ける猜疑心は未だに胸の奥にあって、いつ自分の居場所が無くなるか分からない、なんて不安が頭をもたげてくる。
死んでもいい、なんていうのはきっと「逃げ」なのだ。
そうやって何かの役に立てるなら、もう何も思い悩まなくてよくなるなら、その方が楽。
そういう「逃げ」の口実。
そして、今はまだ、その「逃げ場」を自分から潰したくないというずるい考えが頭のどこかにあるのだ。
「……もう、あんなこと言わないでくださいね」
しばらくの沈黙のあと、レンブラントがリョウの耳元に唇を寄せてそう囁いた。
まるでリョウが言いかけてやめた事を全部知ってでもいるかのように。
リョウの身体が思わず強張り、レンブラントの寝間着の胸元を握りしめた手にさらに力が入る。
「リョウを愛してる。リョウだけを愛してるんです。……リョウがいなくなったら僕はもう生きていけない。だから、僕のために……もっと自分を大事にしてください。リョウが傷付いたら僕も苦しむんですよ? ……それともリョウは……僕が傷付いても苦しんでも構わない?」
心なしかレンブラントの声が震えている。
「……っ! そんな事ないっ! レンが傷付くのも苦しむのも嫌!」
リョウがふるふると首を振る。
と、レンブラントが少し安心したようにゆっくり息を吐いて。
「……良かった。じゃあリョウ、ほらこっち向いて」
レンブラントの手がリョウの頰を包んで上を向かせるのでリョウが恐る恐る顔を上げると、柔らかく微笑む瞳と目が合った。
「約束してください。……約束、出来ますか?」
「うん、分かった……約束する」
リョウが思わず答えると、レンブラントがゆっくり唇を重ねてくる。
リョウの意思を確認するようにその口づけは次第に深くなって行き……。
レンにこんな風に「逃げ場」を潰されるのなら……嫌じゃないかも。
リョウの脳裏にそんな考えがふとよぎる。
自分からはしたくてもできない事を、この人はやってくれる。
こうやって力を貸してくれる。
そんな力強さに流されるのは気持ちがいい。強さを信じられるから、怖くない。
今は自分独りじゃない。独りで生きていた時とは違うんだと思えるような……そんな気がする。




