参入
「……リョウ、大丈夫ですか?」
アルフォンスが眉間にしわを寄せながらリョウの方に視線を送っている。
「え、あ……うん。大丈夫よ」
「大丈夫じゃなさそうですね」
リョウがすかさず顔を上げたところでレンブラントがすっと歩み寄り、リョウが抱え込んでいる大きな本を取り上げた。
「だいたい普段なら声を掛けたって耳に入ってさえいないのに、一度アルが話しかけただけでまともに返事をするなんて」
……なにその基準……!
リョウは思わず突っ込みを入れそうになりながらもつい、隣に立つレンブラントを情けない表情で見上げてしまう。
何しろ、集中力が、限界。
リョウから取り上げた本のページに目を落としたレンブラントが小さくため息をつきながら時計を取り出して目をやる。
「ハンナのお茶までもう少しありそうですが……」
「今日は少し早めに一息入れられるように声をかけて来ましょうか?……リョウは根を詰め過ぎなんですよ」
アルフォンスがそう言いながら手にしていた本を閉じて立ち上がる。「それなら僕が行ってきます」なんて声を上げるレンブラントに「いやいや、今日のお茶請けの偵察を兼ねていますから」なんていともにこやかに制する辺り……早めに休憩を入れたいのは案外アルフォンス本人なのかもしれない。
「うーん……」
リョウがこめかみの辺りに両手の指先を当ててグリグリと回す。
目が……疲れた……。
「ああ、ほら。だから根を詰め過ぎって言われるんですよ」
レンブラントが軽くため息混じりに笑いながらリョウの後ろに回って首筋の辺りをゆっくりマッサージしてくれる。
「うあ……気持ちいい……レン、それ、効くわぁ……」
「完全に、目の使い過ぎです」
呆れたようにそう告げると、レンブラントは本格的に両手でリョウの肩から首筋にかけてを揉みほぐし始める。
「……だってさぁ、集中して取り組もうがそうでなかろうが、やるべき仕事量は変わらないわけでしょ? それならきっちり集中して片付ける方が効率いいし精神的にも楽だと思うのよね」
「……まぁ……言わんとしていることは分かるんですけどね。今リョウが読んでいた所って、内容的にはちょっと重過ぎたんじゃないですか?」
ちょうど凝っている所をグリグリと押されて「おおおおお」なんて声を上げるリョウにレンブラントがつい吹き出す。
だいたいリョウがものすごい勢いで集中していたり、ページをめくる手が止まっている時というのは「内容が難しい」時だ。
先程、集中力がついに限界を迎えたようでページが進まなくなった所で止まっていた部分は「竜族の健康状態のレベルと純血種、混血種の関わり」という項目に関しての考察をまとめたものだった。
そもそもリョウが知っている知識だってかなり限られている。
自分について聞かれることならなんでも答えるのだろうが、純血種ならどうなのか、とか、どの程度の混血までが竜族特有の体質を持ち合わせるのか、なんて内容の正確さなんてリョウが持っている知識ではない。
なので、最終的にはグウィンが来るのを待って判断してもらえるように印をつけて後回しにする、という作業になるのだが、どうやらリョウはそれだけにとどまらず他の筆者が書いた文献の中の同じような記述を見つけてその部分と照らし合わせ、文献同士の信憑性を確立しようとしている。
読みかけている本に印をつけて、前に読んだ本を引っ張り出し、似たような記述を確認して賛否両論ありそうな内容を分類し、手元の紙に内容を書き付けながらまとめているのだ。
そんな書類を個人的に作成していく中で筆者の個性や思想を分析して、さらにはアルフォンスの意見も聞きつつどの筆者の文献に危険思想が多いのか、なんて事まで絞り込み始めている。
ただ単に読み進めるのだって相当の精神力が必要な内容なのに、リョウの場合は読んだ内容をほぼ記憶して、どの本のどこにどんな内容が書いてあるかまで把握している。下手したら筆者の名前だけで山のような本を分類する、とか、一旦全ての本の全ての章をバラバラにして内容の項目ごとに分類するとか、もしくは書かれた内容の時系列、書いた順に並べなおすとかもあっという間に出来そうなくらいな把握の仕方をしている。
その集中の仕方が尋常ではないように思えてたまにアルフォンスがこっそり目を見張っていることに……リョウは気がついてはいないのだろう。
「……だって、仕事、だからね。ちゃんと真剣に取り組まないと。……レンだって仕事に手なんか抜かないでしょ? ……今だってさ、私がちゃんと働けるように気遣ってくてれるし……つまり私はお仕事にもっと専念しなければいけないわけで……あいたたたっ!」
リョウの言葉にレンブラントの指先が力を増した。凝っていて固い部分を容赦なくグリグリと。
「これは仕事だからしてるわけじゃないですよ。愛する妻がこんなになっていて可哀想だからどうにかしてあげたいだけです」
……なんだろう。
最近、リョウの言葉に時々変に引っかかることがある。
ふと、レンブラントが妙な違和感を自覚した。
はっきりとした根拠も確信もないのだが……ああ「仕事」という言葉を使うときのリョウのニュアンス、だろうか。
何かが引っかかるような気がする。
「よう……邪魔したかな」
不意に応接室の入り口、リョウとレンブラントの後方で懐かしい声がした。
同時にレンブラントの手が止まり、リョウが顔を上げてくるりと振り向く。
「グウィンっ!」
真っ先に声をあげたのはリョウだった。
声を上げると同時に勢いよく立ち上がり、レンブラントが制止する間もなくその勢いでグウィンめがけて駆け出し。
「……うお……っと! ……え、おい、ちょっと待て。リョウ、手加減しろ!」
一瞬身構えた筈のグウィンが、それでも後方によろめいてなんとか踏みとどまり、声を上げる。
「だって! だって、すっごい久し振りなんだもん! 会いたかった!」
走った勢いそのままでリョウはグウィンに飛びついてその首にしがみつき、ぎゅうぎゅうと……締めつけている、ような形になっている。
グウィンが反射的に頬を緩ませて、その瞳を優しく細め、リョウの背中に回した腕に力を入れそうになったところで、冷ややかな若干の殺気を帯びた視線に気付く。
「えーと……久し振り、だなレンブラント。元気そうじゃないか」
目の前に歩み寄るレンブラントを認識して、愛おしいものを見るようだったグウィンの優しい瞳が一瞬にして皮肉っぽい色を湛えたものに変わる。
「ええ、お陰様で。……ほら、リョウ、そろそろグウィンを解放してあげなさい」
レンブラントは刺々しい口調にならないように必死で自分を抑えつつ、リョウの肩に手を置いた。そのまま力ずくで引き離してしまいたい、という衝動に駆られる。
リョウはそんなレンブラントの思いを知ってか知らずか、グウィンの首筋辺りに顔を埋めたままいやいやと首を振りますます腕に力を入れる。
その様子にグウィンがニヤリと笑ってレンブラントを見やり「俺のせいじゃないぞ」と言わんばかりにおどけたように眉を上げてみせてから。
「……おい、リョウ。お前の旦那が嫉妬で狂っても知らんぞ」
宥めるようにリョウの耳元で囁きかける。
……嫉妬って……。もう。感動の親子の再会、みたいなもんなのに。
なんて思いながらリョウがそっと顔を上げて……ふと眉を寄せる。
「あれ……? なんの匂い?」
思わず小さく二、三回鼻を鳴らしながらリョウが今度はグウィンの胸元に顔を埋めた。
グウィンの服から不思議な匂いが微かにする。
爽やかなツンとした匂いと甘い匂い……だけじゃない。いくつかの匂いが混ざった不思議な匂いだ。
「……ああ、気にするな。今まで世話になってた所の奴が薬草の調合にはまってたから匂いがついただけだ……なんだ? そんなに臭うか?」
グウィンのマントの胸元を両手で掴んで顔を埋めるリョウに、決まり悪そうな顔をしながらグウィンが自分の匂いを確認するように腕を上げて鼻に近づける。
「ううん。強い匂いじゃないけど……でも、なんかいい匂いね」
そうか、薬草か。
薬草茶の匂いなんてブレンドによってかなり違うけど……それでもこの匂いは多分……嗅いだことのない、私が知らない薬草が入っていそう。どんな薬草なんだろう。
そんなふうに思うからなかなかグウィンから離れられずにいるリョウに。
「リョウ、いい加減離れてください」
ついにレンブラントが語気を強めてリョウの肩を両手で掴んだ。で、そのまま引き剥がす。
引き剥がされてもリョウの目はグウィンに向いたままだ。
一歩離れたところから改めて眺めると。
「あ、なんかお洒落になってる」
思わず口をついて出てしまった。
だって。
スイレンを連れて旅をしていた時のように綺麗に剃り落とした髭は、整った顔立ちをますます魅力的に見せている。
それに肩より少し下まで伸びていた髪は後ろできちんと結んでおり、とてもこざっぱりとしていて。
さらには。以前旅の間身に付けていたのは旅人が好んで身につけていた特有のマントで、森の中を通る時や、夜に野宿をする時に「敵」から身を隠すための暗い色彩の物、そして動きやすさを重視した物だった。それが。
今グウィンが身につけているのは明るいブラウン系に金糸がわずかに織り込まれた上等なもの。動きやすさ重視と言うより装飾性が重視されているように見えなくもない。金茶色の縁飾りがあって……ああ、どことなくセイリュウの正装姿を思い出す。なんてリョウは思う。「風の竜」という立場にも相応しい品のあるマントだ。
それにマントの合わせ目から覗くシャツも黒に近い灰色で、微かに光沢のある素材感といい品のいいものだ。
「そうか?……惚れ直しただろ?」
にやりと笑うグウィンに。
「……バカ」
「グウィン……!」
半眼になってボソリと答えるリョウと、殺気を隠すこともせずに低い声で睨みをきかせるレンブラントのセリフが重なった。




