東の森
「……クリスって本当に面倒見がいいわよね」
「そうですね。うちの隊に彼がいてくれて本当に良かったと思いますよ」
結局、レンブラントは最近の仕事の話を少しずつリョウに聞かせる事となり、最近決まった新しい副隊長たちの面倒をクリストフがきめ細やかに見ているという段になって、リョウがふと、自分がこの都市に来たばかりの頃を思い出した。
リョウが都市に馴染むことができたのはザイラとクリストフのお陰と言っても過言ではない。
ハナとの出逢いにも欠かせない存在だった。
「……結局ね、僕は友人を始め周りにいい人たちに恵まれすぎてるんです。それに……妻にもね」
囁くようにそういうと、レンブラントの腕がリョウの肩を抱く。
軽く引っ張られてリョウはそのまま頭をその肩にこてん、と乗せて。
「……ずっと苦労して来たんだからそのくらいあって良いんじゃない?」
なんて答えてみる。
子供の頃からずっと苦労して、人並み以上の努力をして来た人。そんな人にはあって当たり前の報い。そんな気がする。
「それならリョウだって同じですよ?」
くすくすと笑い出しながらレンブラントが言う。
「……そうかなぁ」
レンブラントの言葉を否定も肯定もしないイントネーションで答えながら。
だって、私は。
立場が違うような気がする。
自分の勝手な感情で沢山の人を殺してしまった。大事な人が自分を庇って死ぬのを、その人が愛する人と添い遂げることを諦めるのを、止められなかった。身勝手な思い込みで多くの人を死に追いやってしまった。
だからこそ、完全なる幸福は味わえないのかもしれない。
こんなに幸せを絵に描いたような情景の中にいてもなお、小さな猜疑心がくすぶって……そしてそのこと自体に罪悪感を感じてしまう。
「……そろそろ食べますか?」
レンブラントの声にリョウがふと我に返る。
目をやるとレンブラントが傍に置いていたバスケットの中身を覗きながら小さく歓声を上げた。
「え、なになに?」
レンブラントの向こう側にあるバスケットの中はリョウのところからは見えない。
ハンナが手渡してくれた時、中身を聞いていなかったのでリョウも今初めて中身を知るのだ。
「はい。まずはこれですね」
レンブラントから手渡されたのは油紙に包まれたミートパイ。
どうやら、ハンナはこの手のものをすぐ作れるようにある程度まで作った形で常備しているようだ。リョウが「わぁ!」と小さく歓声を上げるとレンブラントが二人の前に上に掛かっていた布巾を取ったバスケットを移動させる。
中には飲み物が入った瓶とカップ、昨日の林檎のケーキ、そして揚げパン。
そういえば林檎のケーキは昨日アルフォンスが来ていた時のお茶受けに出てこなかったのでハンナに聞いたら「このケーキは一晩寝かせたほうが味が馴染んで美味しい」と説明されたのだった。
冷めてもなお香辛料の香りが鼻腔をくすぐるミートパイを頬張りながらリョウがケーキに期待を膨らませる。
「この揚げパンは冷めても美味しいんですね」
レンブラントがミートパイを堪能した後、揚げパンを一口かじって目を丸くした。
「うん。最初に私が作った時は冷めてから三人で食べたんだけどその時も美味しかったわね。でも、揚げたてが一番だと思うわ」
ミートパイを食べ終えてレンブラントに負けじと揚げパンに手を伸ばしながらリョウが得意げに答える。
「……そうか……。やっぱり僕がいないところで色々食べているんですね……ずるい……」
「あ、しまった」
最近レンブラントのいない時に三人で時々試作品を食べることがあるので、なるべく話さないようにしていたんだった。
「いやでも、ほら、美味しかったらこうやってレンにも出してるじゃない!」
ちょっと慌ててリョウが取り繕う。
わずかに憮然とした顔をするレンブラントもちょっと可愛いんだけど。
そんなことを思いながら揚げパンを頬張り。
……うん。揚げたてが一番美味しいけど、これも美味しい! ……外で食べているっていうのが最大の要因かもしれないな。しかも、ハンナは作り方に気を遣ってくれていて最初に私が作った時より小さめにしてくれているから一つを平らげるのがかなり楽になってる!
そう思いながら、リョウは無意識のうちに唇をペロリと舐めてしまい、昨日のアルフォンスとレンブラントの反応を思い出す。
そろそろと隣にリョウが目を上げると、ちょっと顔を赤くしたレンブラントと目が合った。
……しまった、また見られた。
「……リョウ……」
レンブラントがゆっくり手についた砂糖を払い落として声をかけてくる。
……怒られる、かも!
と、身構えた時。
「!」
レンブラントの手がリョウの顎をすくい上げると、その顔が近づいてきてまだ砂糖が付いているリョウの唇をペロリと舐めた。
「……こうしたくなるから僕以外の男の前でそれは禁止です」
完全に固まったリョウの瞳を悪戯っぽい目でレンブラントが覗き込んでくる。で。
「ふ……ん、まだついてますね」
そう言うなり空いているもう片方の手をリョウの腰に回して本格的にリョウの唇に舌を這わせ、ついでのように唇を割ってくるので。
「……ん! ……んん!」
リョウが我に返って反発し始める。
「……何ですか、遠慮しなくて良いですよ。今はどうせ二人っきりですし」
砂糖が付いたままのリョウの手は、申し訳ないと思いつつもレンブラントのコートを掴んでおり、リョウはレンブラントの艶っぽく細められた目に完全降伏し……しばらく身を任せることとなる。
「……レン、そろそろ離して……」
わずかな隙を見計らってリョウが降参するように甘えた声を出す。
揚げパンの味が残る口付けは、だんだんエスカレートして危うくリョウはその場で押し倒されそうになっている。
「……まだ食べてる最中なのに」
レンブラントが名残惜しそうに唇を離すとそう囁く。
「だって……喉、乾いた」
リョウが適当な理由を口にしてレンブラントの腕をすり抜けるように身をかわし、バスケットの中にあった瓶を手に取る。
「嘘つき……」
レンブラントが呟きながら頬に唇を寄せてくるがそれは拒否する方向で無視を決め込む。
だって、本当に食べてる最中だったのよ! ……いや、そういう意味じゃなくて、普通に食事中だったんだって!
リョウが頰を赤らめながら瓶に入っていた液体をカップに注ぐと、ふわり、と林檎の香り。
「あ、これ……」
「林檎の酒、ですか?」
……ハンナってば、お酒持たせたの?
気がきくというか、気の回しすぎというか……。
そんなことを思いながら、手を止めるわけにもいかないのでリョウがそれを口に含むと。
「あ、なるほど」
ストンと喉に落ちるその味は何度か飲んでいるリョウが漬けた林檎の酒だが、水で薄めてあるらしく、アルコールの匂いが殆どしない。これなら水代わりに飲めそうだ。
「どれ?」
そう言ってレンブラントがリョウの手のカップを自分の方に引いてそこから一口飲んで。
「ああ、美味しいですね」
そう言って満足そうに笑う。
……うん。あなたの分のカップもちゃんとあるんだけどね。
なんてリョウは思ったところで口にするのはやめた。カップから飲んでくれただけまし。変に指摘してまた恥ずかしいことを要求されないとも限らない。
「……リョウ」
「あーっと、レン! このケーキ!」
名前を呼ばれて危うく予想していた危機を察したリョウが思わず素っ頓狂な声を上げる。
「これはねっ! このお酒に使った林檎でハンナが作ってくれたケーキなのよ! これがまた絶品だから食べてみて?」
自分でも予想以上に声が大きかったことにちょっと後ろめたくなって……取ってつけたように最後はちょっと可愛く見えるようにレンブラントの顔を見上げるように上目遣いで首を傾げてみた。
……多分、こうするとレンはいつも言うことを聞いてくれていた、ような気がしなくもない、ので。
雰囲気たっぷりに名前を呼んだ矢先、出鼻を挫かれたような形になったレンブラントは一度軽くうなだれて、それから気を取り直したようにリョウの手にあるケーキを受け取って口にする。
「……なるほど、美味しい、ですね」
レンブラントの瞳に宿る輝きが健全なものに変わったのを見てリョウが安堵のため息をつく。
ケーキの中のアルコールは飛んでいる。飲み物のベースになっている酒は薄められているからアルコールなんて殆どない。そもそも数ヶ月漬け込んだ段階でアルコール度の低いお酒になっていて酔うほどの物でもなかった。
筈なんだけどな……。
なぜかケーキを食べる辺りからレンブラントのリョウに対する密着度は高くなり、寄り添うというより貼り付いている、と形容したほうがいいんじゃないかというくらいになってしまった。
それでも、それはそれで嫌な気はしない。
そう思えてしまう自分もどうかしている、とリョウは思うのだが。
「ねぇ、レン。この後またどこか行く?」
「……どこか行きたいところ、ありますか?」
昼を過ぎた頃、そろそろ場所を変えようかと思ってリョウが提案するとレンブラントが気だるそうに聞き返してきた。
「んー、買い物……も特にないか。せっかく新しい服買ってもらったから少し出歩きたいな、と思ったんだけど」
リョウがゆっくり考えながら呟く。
「部屋に帰っても良いですよ。その服、僕が脱がせてあげますから」
「……え?」
思いもよらないセリフにリョウがレンブラントを見上げると、彼の目は意外にも真剣だった。
「いや! そうじゃなくて! やっぱりどこかに行こう! 私、この服、見せびらかして歩きたい!」
リョウは焦って笑顔を引きつらせた。




